『ユメとジカンとコイビトと』
――――奇妙な夢を、見た。
……いや。
正しくは『奇妙な夢を見ていた』と言うべきか。
「…太一さん?」
ことりと無意識のうちに寄りかかった相手は、困ったように、けれど決して邪険にすることなく名前を呼ぶ。
ああ、俺は起きたのか。
太一はぼんやりとそう認識し、少しばかり薄暗い部屋の中で瞬きをした。
(……今は、あさ?)
――緩慢に漂う思考。
…その思考は何処で漂っているのだろうか。漂っていった先があるのだろうか。全てのものに果てがあるというのなら、それらにも果てがあるのだろうか。
寝起きの思考はどこまでも取りとめがない。また太一はそれらを留める気も起きなかったため、思考は行き着くところもなく脳内をさまよい続ける。
「太一さん? 大丈夫ですか?」
……そこへ再び届いた、少しだけ気遣わしげな声。
太一はその声に、のろのろと顔を上げた。
「貴方、すごくぼんやりしている。…何か、おかしな夢でもみましたか?」
ぱたぱたと軽く眼前で手を振られ、太一はちょっとだけ笑った。
「…変な夢は見たけど。……平気」
喉から出てきた声は、ひどく掠れていた。
…明らかに寝起きのソレに、優しげな声はくすりと笑い返す。
「水、用意しましょうか」
「……ん」
太一はごしごしと目を擦って(痒かったのだ)むずがるように光子郎の肩に頬を擦り寄せた。
―――座ってる場所は、ベッドの上。
―――隣にいるのは、泉光子郎。
速やかに再起動していく脳内に、閃くようにして次々と情報が生まれていく。…否。これこそまさに「起き上がって」いると言えるのだろう。
―――どうして寝てるんだっけ。…ああ、光子郎とセックスしたからだっけ?
―――そっか。じゃあ今は朝じゃないな。だって、まだ夕飯食ってないし。
―――良かった、朝じゃなくて。朝だったら学校に行かなくちゃなんないし。
ぱちりぱちりぱちりぱちり。
…太一の中の情報たちが、次々と小さな瞼を開けていく。
(情報って何だろう。…脳の中をぱしぱし走る信号のこと? それとも細胞のことなのかな)
細胞たちも目を覚ましているのだろうか。
細胞たちも眠ることがあるのだろうか。
光子郎だったらそんなことも知っているかしらと太一も一つ瞬きをする。
………とりとめのない思考は相変わらず。
こんなことばかり考えてたら疲れてしまうとか、考えてても意味がないとか、寝起きの頭は考えないから。
「……どんな夢を、見たんですか?」
そんな彼の耳元で囁かれる、優しい優しい声。
ゆったりと海の中を漂うみたいな、そんなまろやかな声。
太一はその声に手を引かれるようにして、目を細めた。
「…変な夢。……先生が、俺の嫌なとこばっか指摘する夢」
「先生って?」
「知らない先生。……男の人だったな」
「……知らないのに、どうして先生だって分かったんですか?」
「んー…。……先生だと思ったから。背広を着ていたから。学校にいたから」
光子郎の促しに、まるで子供の繰言のように太一はぽつぽつと説明する。光子郎はしっかりと、そんな太一の肩を抱いた。
「それで? 先生は何て言ったんですか?」
「……覚えてない」
「いじめられたんですか?」
「……んー。…俺も小石で反撃した気がする」
「……投げたんですか?」
「すっごくむかついたの」
太一は殆ど幼子の口調でそう呟き、拗ねたように光子郎を睨む。
「……はいはい。太一さんは勇猛果敢なヒトですからね。えらいえらい」
それに対して、光子郎はわざとらしい笑顔で「いいこいいこ」と太一の頭を撫でてやった。
太一の顔が少しばかり不機嫌そうなモノに変わる。
しかし彼は結局何も言わずに、そのままぺたりと光子郎の肩に頬を押し付け続けた。
(男同士でセックスした後に見た夢)
その胸にぼんやりと浮かぶのは、たどたどしい夢分析らしきもの。
―――だから『せんせい』は怒ってたのかしら。
―――いけないことだよ、いやらしいことだよと怒っていたのかしらん。
―――でもあの『せんせい』は、まるで俺をからかって遊んでいるようにニヤニヤしていた。
―――いやらしいこと、いけないことと言いながら、ニヤニヤしていた。
(自己嫌悪と後悔と自罰?)
(……そして、それに目を瞑り、容認しようとするココロのあらわれ?)
考えてもきりのないこと。寝起きだからこそ考える、きりのないこと。
(…だから俺は小石を投げたのかな? …あいつは嫌いだと思ったから? 嫌だと思ったから?)
……石を投げられていた「せんせい」は、全く堪えた様子はなかったけれど。
「…ねえ、太一さん」
太一が漠然と夢の出来事に思いを馳せているところへ、光子郎がまた話しかけてきた。
その声に、太一はまだいささかぽやんとした眼差しで光子郎を眺める。眺めた先の彼は、少しばかりはだけたシャツにくしゃくしゃになった制服のズボンといういでたちだ。
(……ジョージノアトってカンジ)
いつもきっちり締められているネクタイは、床に転がっている。
それすらも随分扇情的に思えて、太一はこくりと小さく息を呑んだ。
「そろそろご飯にしませんか? 僕もう、すっかりおなかがすいてしまって」
しかし、太一がそんないやらしい連想をしているコトに気づいた様子もなく、光子郎は暢気な提案をしてくる。太一はちょっとばかり「…萎えたなあ」とか思いながら頷いて「今何時」とごく自然に問いかけた。
…そして問いかけてから、また何かに気づいたように、ぱちっと瞬きをする。
「? …どうかしましたか?」
…光子郎は、なるべく太一を直視しないようにしながら訊ねた。
光子郎が扇情的なスタイルだというのなら、勿論太一がそうでない筈はない。
……そして、太一よりも(一歳ばかりではあるが)若く、時に「しつこい」と言われがちな光子郎が、その太一に欲情しない筈はない。
だがいくらなんでも、先ほど起きたばかりの太一にまた迫ってしまうのでは……何というかあまりにもケダモノでしかないような気もするし。
太一に冷たい目で「やりたくねえ」とかつっぱねられたら、何だかとても傷ついてしまいそうだし。
…それゆえに光子郎は太一から目を少しそらしたままで「どうかしましたか」と再度訊ねた。
「……じかん」
しかし太一から返ってきたのは、会話的にはサッパリ意味の通らない唐突な単語だけ。
「?」
光子郎は訝しげな眼差しを太一に送る。
太一はその眼差しに怯んだ様子もなく、どこかキョトンとした様子で光子郎を眺めた。
「ジカンって不思議なんだな。…俺、さっきまで今が昼だか夜だか朝だかも分からなかったのに、今何時だろうって思ったら何だか急にそのカンジが消えた。…俺たち本当にジカンの中にいるんだな。そうなんだなあ」
やがてその唇から紡ぎだされたのは、これまた実に唐突で理解に苦しむように言葉の渦。
(太一さんって時々本能で喋るよなあ)
光子郎は一生懸命理論的な翻訳をしようと「ええと」なんて呟いてみたが、太一は構わず喋り続ける。
「何でジカンってあるんだろうな? 俺が生きてから死ぬまでもジカンだし、今日の朝から夜までもジカンだ。掴めもしないし、触れもしないものなのに、絶対に俺たちのことを捕まえて離さない」
何だかなぞなぞみたい。
太一は小さく笑った。
……光子郎は、まだ太一の本能語の翻訳に苦しんでいる。
「ジカンがない世界ってどんなものだろう」
俺には想像もつかないと呟いて、太一はぽやんと瞳をさまよわせた。
「なあ、光子郎。お前はそんな世界に行ってみたいと思う?」
そして、彼はそのまま悩める恋人に訊いてみた。
「朝も昼も夜もない世界。始まりもなくて終わりもない世界。ジカンがイノチを捕まえられない世界」
もたれかかったまま発せられている声なので、まるで身体と身体、触れ合った部分から直接語られているかのようにその質問は体内に響く。
「……僕は」
光子郎はすっかり困り果てて太一を見つめる。
……自由奔放で、いつもどこかに向かって走っていこうとしていた小学校の頃の太一。
………皆して俺を置いていくのかと、周囲と己の変化に戸惑っていた中学校の頃の太一。
――――そして今、自分の隣で、時間のない世界とはどんなものだろうかと悩んでいる太一。
くるくると、次々と、緩急つけて変化していく恋人を見つめる。
「僕も、……そんな世界は想像がつかないです」
光子郎は困り果てた挙句、…そう答えた。
甘えるように体重を預けてくる太一の目が、ちろりと光子郎を眺める。
それは質問の答じゃないよ。
さっき俺がしたのは、違う質問だったデショ。
……そう、軽く咎めるように、視線を送ってくる太一。
光子郎はその眼差しに小さく笑って、くしゃっと太一の髪の毛に触れた。
「そうですね。……僕はあまり行きたくないです。時間のない世界には」
わかりましたよ太一さんと言う代わりに、彼はそのまま素直な答を紡ぐ。…太一はその返答に、少し残念そうな顔で「そうかな?」と呟いた。
「そうですよ。…僕はなんだかんだ言って、型にはまってないと疲れてしまう人間ですからね。時間もない、決まりもない、自由しかない……そんな世界ではきっと逆に息苦しくなってしまいますよ」
苦笑交じりの光子郎の言葉に頷いて、太一は落胆したような顔で「そっかあ」とため息をつく。
……そして、幼子のようにまたぽつんと呟いた。
「…じゃあ、俺も行かない」
「……。……?」
―――行くとか行かないとか。
いつの間にそんな話になってたんですかと、いささか面食らったように(けれど少しだけ慣れた様子で)光子郎は頭上にハテナマークを飛ばした。
太一はそんな光子郎にぎゅうっとしがみついて「ふん」と鼻をならす。
「お前が行かないんじゃ、面白くねーもん」
ならしたついでに、また子供のような……独り言めいた呟きがもらされた。
「………」
「…………」
「………」
「……」
――そのままやんわりと降りてきた沈黙は、少しだけ心地よいような優しいソレで。
「…ねえ太一さん」
「……なんだよ」
「……僕も、貴方に置いていかれてはつまらないんですからね」
「そんなの知ってる。…俺行かないって言っただろ」
「……ジカンのない世界に?」
「……うん。……光子郎と一緒じゃなきゃ行かない」
…その、頑是無い口調がひどくいとおしく思えて。
光子郎はそのまま太一をぎゅうっとして、太一もおとなしく光子郎にぎゅうっとされた。
「…また眠くなってきた」
「じゃあ、今度は手をつないで眠りましょうか?」
「……ちょっと子供っぽいってソレ。ていうか絶対ほどく。それに絶対気になって眠れなくなる」
「じゃあ起きていましょう? 手をつないで、まったりのんびり、限りあるジカンの中を漂うのもいいんじゃないですか」
「………うん」
「……いいですか?」
「…うん?」
「……だから、手をつないでもいいですかって」
「いいからうん≠チて言ったんだけどな」
「…すみませんね、物分りが悪くて」
大の大人二人そろって、仲良く布団の中、しっかりと手をつないで。
今度いやな先生が出てきたら、僕も一緒に撃退してあげますよなんて笑う光子郎。
今度はお前がいやなコト言われるかもしんねえぞと、わざとうそぶいてみせる太一。
―――この限りある時間の中で、ずっとずっと手をつないで歩いて生きたいなと。
―――また怖い夢を見ても、すぐに慰められる位置にずっといられたらと。
……そっと思ってみたり。
………そっと祈ってみたりして。
二人は、一瞬だけ。
殆ど同時に、そうっと目を閉じた。
――――そうしたら、…何故だかは知らないけれど。
――――時間の形というものとか、夢のありかとか、……あるいは人の、心の形みたいな、そんな絶対真理のものたちが。
――――……ほんの一瞬だけ、見えた気がして。
「……」
「………」
それは、緩やかな宵闇のひと時の出来事。
……なんてことない、日常のヒトカケラの話。
夢と時間と恋人と。
欠けてはならない三元素を抱きしめた。
そんな小さな、なんてことない話。
END.
本気で特に意味のない話。
唐突に思いついて書き留めました。……バイト先で。(笑)
真面目に仕事しなさい。
変な夢を見て、ぼんやりしているときに話しかけられるのって何だか嫌です。
だけど、太一さんは光子郎さんだったら平気なんです。
光子郎さんも太一さんだったら平気なんです。
精神的いちゃいちゃな話。
……このサイト、わりとそんなんばっかな気がしますが。
そして今回も短いのでした……。べりべりしょーと。
……しかし間をおいて見てみると、なんと言うウダウダした文章なのでしょうか。
最近自分の文章を見失っている模様。……うーん。