『waltz(ワルツ・円舞曲)』





「八神せんぱーいーっ! パス回しますよー、他のヤツもあがれあがれーっ」
「おー、まかしとけーっ!」
「これ以上先輩に点とらせんなよーっ!」
 …グラウンドに響く、元気のいい少年たちの声。
 雨上がりで少し湿ったグラウンドを所狭しと駆け回り、紅白試合にいそしんでいる。
(……何分に終わるのかな。これ)
 そんなことをぼんやり考えながら、光子郎はそれを見つめて、寒いとマフラーを巻き直した。
 そう。……グラウンドを駆け回っている太一たちは、とても暖かいのだろうが。
(……太一さん。お気づきでしょうか。……ここで待っている、僕は、とても寒いんです…)
 とてもとても、がたがた震えるほど寒いんですが。
 ……ね。ご存知でしょうか、太一さん。




*****


 一緒に帰りませんか、と三年生の教室を訪れた光子郎に、おう、じゃ帰ろうぜ、と二つ返事で返してきた太一。
 …そこまでは、よかったのだ。そう。すこぶるよかった。
 光子郎も、ご機嫌だった。…以前までは部活一色だった太一も、先ごろようやく部活を引退し、今ではこうして一緒に帰ることもできるようになった。それが、何よりも嬉しい。
(……もっとも、これが終わったら卒業なんですけどね…。いやいや。……でも、今帰れて、嬉しいのには変わらないし)
 そう。今から帰宅までの時間は、太一と二人きりの時間をゆっくり過ごせることは間違いないのだ。
 光子郎は顔には出さないが、かなり浮かれた状態で太一と二人、玄関まで歩いていったのだが。
 ――先輩、今から紅白試合やるんですけど、よかったら先輩もどうっすかー!
 人数と実力が微妙につりあわないんですよー、と笑いながら冗談交じりにかけられた、誘いの声。
 それに、太一が笑顔で「おう、じゃ、五分くらいなら顔出してやるよー」などと笑って答えた。
 …その辺りから、がしん、と。
 光子郎的にばら色だった放課後の予定が、すっかり台無しとなった。
 勿論、誘われた瞬間、ええっ、と少し嫌そうな顔をした光子郎だったが、五分くらいだからいいよなと首を傾げた太一に逆らえるわけもない。
(……結局、五分が十分になり、十分が十五分になり……)
 多分、もうそろそろ、二十分オーバーだ。
 光子郎は冷たくなった指先にはあっと息を吹きかけて暖め、ついでにこっそりため息をついた。
 ピーッ、と、試合終了のホイッスルが鳴る。
 ……ああ、これでようやく帰れる。
 そうため息をついた光子郎の元まで、太一が「悪い、悪い」と全然悪いと思ってなさそうな顔で戻ってきた。
「ふあー、あっちいー」
 マフラーも上着も脱ぎ捨てた太一は、ワイシャツをばふばふと掴んで胸元に空気を通している。
 見ているだけで寒い、と嫌な顔をした光子郎が「はい、タオル」と預かっていたタオルを差し出すと、サンキューと太一が笑った。
 その笑顔や、ちらちら覗く鎖骨に、どくんと心臓が音を立てる。
 それをどうにか見ないフリで、……光子郎は「五分じゃ済まなかったですね」と、きっちり嫌味を口にした。
 太一がえへへーと悪びれない笑顔で「わりーわりー」とまた、悪いと思ってなさそうな口調で謝る。
「…少し、休んでから帰りましょうか? もう練習はいいんですよね」
「ああ。……ま、あんまり後輩甘やかしてもしょーがねえしな。いつまでも、俺がいるわけじゃないし」
「……。結構、今日は甘えさせてたみたいですけど」
「まあまあ、そう言うなってば」
 アハハ、と笑う。
 そんな太一にまた胸がざわつくのを感じながら、光子郎は「早く着てください」と上着を太一の肩にかけ、暑いからやだ、と振り払われたマフラーを鞄の上に置く。
「……久々に走ったら、喉渇いたなー」
 ひゅうう、と風が吹き抜けていく。
 その冷ややかさに身震いしながら、光子郎は太一の言葉に眉を寄せる。
「ペットボトルで、何か買ってきてないんですか?」
「昼に飲み干しちまった」
「……仕方のない人ですね」
 光子郎の冷たい言葉に、太一がひゃーっと首をすくめるが、……すぐにまた、懲りていない眼差しで光子郎を見上げ。
「…なー、光子郎。俺、コーラがいいな」
 にやっと笑って、王様みたいな口ぶりで、そんなことを言うのだ。
 ……いや、その眼差しや確信犯的な態度を鑑みると、その口ぶりはむしろ王様というより女王様だろうか?
「…全く、我侭な人ですね」
「えへへー」
「…えへへー、じゃないですよ。全く…」
 中でも最も手に負えないのは「我侭な人だ」と太一を称しながらも、結局逆らえず、コーラですね、と立ち上がってしまう光子郎自身だろう。
 さーんきゅ、と太一はニコニコ笑うと、ポケットから百円玉を取り出して光子郎に放った。
 そして、待ってるからーと上着に腕を通して、手を振る。
「……コーラ飲んだら、帰りますからね」
「ハーイ」
 しかめっつらで言った言葉に、太一から返ってきたのは、すこぶるいい子のお返事。
(……知ってるんじゃないだろうか。このひとは)
 光子郎はしかめつらのまま、身を翻し、ぱたぱたとグラウンドの隅まで走りながら……考える。
(知ってるんじゃないだろうか。太一さんは。……僕が、太一さんのことを好きだってことを)
 考えながら、頬を走る冷たい風に彼はまた嫌な顔をする。
 そうだとしたら、太一さんはとてもずるいひとだ。
 ……とてもとてもずるい、意地悪なひとだ。
 辿り着いた自販機で、コーラのボタンを押せば、ガコン、ジュースが転がり落ちてくる。
 それを手にして、帰りは歩いて戻っていく。
 女王様のようにふんぞり返って、サンキュー光子郎、とニコニコ笑う太一。
 …あの笑顔ひとつで何もかも許せてしまう自分は、本当に恥ずかしくなるくらいの大ばか者だと、考えながらのろのろ歩く。
 本当に、まるで高慢な女王様。
 崇拝者がいくら尽くしたとしても、悠然と自分の位置に構えたままで。
 愛しいあなたどうかこの手を、と眼前に跪いたとしても、ワルツ一つ踊ってくれもしない。
 ……あなたが好きなんだと。
 そう、一度も口にしたことがない自分がこんなことを言っても、笑われるかも知れないけれど。
 それでも、……彼はずるいと、そう思うのだ。
 恋愛ゆえの理不尽。恋するものの我侭。
 ……こんなに尽くしているのだから、応えてくれてもいいじゃないですかと。
 そんな、理不尽な我侭を口にしてしまいそうになる。
(馬鹿みたいだな。…僕)
 恋ゆえのため息。恋ゆえの我侭。
 だからつい、何気ない太一の我侭にもいちいち反応して、このひとは僕の気持ちを知ってるんじゃないかしらん、と思考してしまうのだ。…困ったことに。
「……太一さーん、コーラ買ってきましたよー」
 のろのろ歩いても、グラウンドにはすぐ着いた。
 さっきまで太一がいた筈のベンチを探したが、……しかしそこには太一はおらず。
 えっ、と思わずグラウンドを見るが、しかしそこにも太一の姿はない。
 一体どうしたことかと混乱して、光子郎はもう一回ベンチを見て、グラウンドを見て……、荷物も根こそぎなくなっていることに気付いて、場所を移動したのかな…と眉を寄せて、周囲を探してみることにした。
 ……そして、探すこと一分。
 正直探すこともなかったかな、というくらい分かりやすい場所に太一は座っていた。
 ベンチより少し下がった、校舎の影。そこに座って、太一は壁にもたれて目を閉じていた。
 相変わらず上着は着ていない。羽織っているだけだ。マフラーも鞄に乗せているだけ。巻いていない。
「…風邪ひきますよ。こんなとこで寝てると」
 呆れて呟くが、返事は返ってこない。
 光子郎に返ってきたのは、スーという太一の寝息だけだ。
 スヤスヤと眠る太一の隣。……光子郎はため息混じりに座り込んで、太一の膝にコーラを転がす。
 起こす気にもなれず、光子郎は肌寒い校舎の影で、鞄から取り出したパソコンを起動させることにした。
 ウゥン、と音を立てて起動するパソコン。
 その音に紛れて、呟いてみる。
「…好きですよ」
 眠っている太一。気付かないように。…気付いてくれるように。
 矛盾する思いで、こっそり呟いて。
 苦笑して、眉を寄せる。
 あなたが好きですよ。
 呟いて、そうして、たちあがったパソコン画面に映った自分の顔に、……ちょっとだけ笑って。
 ちらりと太一の瞼を見ると、僅かに震えているような気がした。
「……」
「………」
(もしかして、起きてるんですか太一さん?)
(……もしかして、気付いてるんですか太一さん?)
 けれど、それを指摘してやるのも少し癪なようで。……また、少し、怖いようで。
 光子郎は、眠る太一の手に、マフラーをそっと乗せてやった。
「…寒くないですか」
 そして、囁いてみるその声にも、太一は頑固に寝息を返すばかりで。
 無慈悲な、僕の女王様。
 ね。そろそろ踊ってくれてもいいんじゃないですか?
 お互い気付かないフリはやめて、…僕も、そろそろ手を差し伸べてみますから。あなたも、その手をとってくれませんか?
 太一は依然として寝息を立てたまま。
 ……いつまでもこうやってごまかすつもりなら、いっそキスをしてしまってもいいかもしれない。
 それでも、あなたは寝たフリを続けますか? …僕の好きに、気付いても気付かないフリをしますか?
 試してみたいような気がして。
 けれど、まだ試すのは怖いような気がして。
 ――だから、光子郎は時計を確認して、時間で決めることにした。
 あと一分。
 ……あと一分、太一が寝たフリを続けるのなら、キスをしてしまおう。
 だけど、あと一分で太一が目を覚ましたなら……、今日のところは、このまま帰っても、いい。
 コーラを差し出して、いつも通りにしてもいい。
 我侭な女王様。あなたの言うがままに、素直な後輩のままでもいい。
 画面端の時計表示を見つめながら、光子郎は「あと五十二秒」と呟いて、そっと苦笑した。
 臆病な僕と、我侭なあなた。
 気付かせたくない僕と、気付きたくないあなた?
 けれど、そろそろ手をとってくれてもいいんじゃありませんか。
 ……そろそろ、踊ってくれてもいいんじゃないでしょうか?

(――だから、どうぞ。…愛しいあなた)

 残り、三十二秒。
 正確な秒数を確認しながら、光子郎は胸中でそっと囁いて、太一の手に、マフラー越しに触れた。


(…どうか、僕とワルツを)

























私とワルツを、とかそういうタイトルの歌がありましたよね確か…。(鬼束さんだったような)
片思い光子郎と、女王様太一さんのお話です。
ホントに自分勝手な二人で、手に負えないなーと思いながら書きました。……そして相変わらずまとまらない感じで…。
お題では、今まで書かなかったタイプの光太を追求していきたいなーと思ってるのですが、何か…そうでもないかなって気がしてきました。
光子郎が報われないところが、特に。