『一足遅い』




 ――ガタンガタンガタンガタン。

「……」

 ―――ガタンガタンガタンガタン。

「………」

 ――――ガタンガタンガタン。…ガタン。

「…行っちゃったね」

 彼は、不意にそう呟いた。
 街のそこここに灯るオレンジの明かりに目を細め、汚れた壁にもたれてうずくまる。

「何が」

 返ってきた声は、ひどくそっけなかった。
 リュウはその声をどこかうらめしく思いつつ、ため息混じりに呟く。

「…電車」

 端的なその答えに、ボッシュは呆れたように肩をすくめた。
 カチ、と金属がこすれあう音がして、ボッと小さな火が灯る。ボッシュの手にした発火石だ。

「ライタアなんて何に使うの」

「そりゃおまえ」

 僅かともしびに照らされる顔。そのオレンジにまたため息をつきながら、リュウはボッシュの手にした煙草に、目を眇める。

「…よく、手に入ったね。そんなもの」

「まあな。…少しばかり、コネがあってさ」

 苦笑しながら煙草に火を灯し、ふう、と煙を吐き出す。
 ゆらゆら揺れるそれは、暗闇に溶け込むようにして消えていった。

「……おれたちは、いつになったら乗れるのかなあ」

「さあ。しらねえよ」

「…また今日も終電に間に合わなかったよ。次の電車はいつだろう」

「明日もまた来るだろ」

「それでも、また間に合わなかったら?」

「じゃあ、明後日のに乗ろうぜ」

「……。…一昨日もそんなことを言ってた」

 うらめしげにボッシュを見上げるリュウに、見られた方はただ煙草をくゆらすばかり。

「…いつになったら乗れるのかなあ」

「……。…おまえさ。どうして、そんなに電車に乗りたいわけ」

「だって」

 ここは暗くて、とても寂しいから。
 オレンジ色の明かりを撒き散らして、走る電車。
 あの中はきっととても暖かくて、行き先もきっと明るいだろうから。

 そう説明することが、何故か急に億劫になってリュウは黙る。そして、またうずくまった。
 ボッシュはフゥー、と大きく白煙を吐き出した。

「何にもねえよ。電車に乗っても。何に乗っても、何処にも行けねえよ」

「…それでも乗りたいんだ」

「俺たちは切符を持ってない」

「どうにかして、手にいれればいいじゃないか」

「じゃあ明日は切符探しだな」

「……。…昨日もそんなことを言ってた」

 見つかるはずのない切符。

 だって切符を買うにはお金が必要で、車掌が必要で。
 電車に乗るには駅が必要で、乗り口が必要なんだ。

 だけれども、あの電車には何もない。

 ただ明るいひかりを撒き散らして、走るだけ走るだけ走るだけ。

 ボッシュがくゆらせる煙が、ゆらりと揺れる。

「それでも、おれはいつかあの電車に乗るよ」

「ふうん。それで、何処へ行くっての」

「…わからない。それでもおれは、いつかあれに乗るんだ」

「…ハイハイ。わかったよ」

 ボッシュは肩をすくめ、煙草をじり、とコンクリートに押し付けて、火を消した。

「じゃあ行こうか相棒」

 伸ばした掌は、少しだけ煙草くさかった。


「行くときは、ボッシュも一緒だよ」


 やっと思いついてそう言ったときには、ボッシュの背中は闇に溶け消えていて。

 どうにか掴んだ掌にすがるようにして「ボッシュ」と名を呼ぶと、わかってるよと声が返ってきた。


 電車はまだ来ない。

 今夜は、もう眠ろう。








2003/11/17 (Mon.) 00:39:51 交換日記にて
電車がどこへ行くのか、本当は知っているのに。それでも知らないフリをして、乗り込むことを夢見ている。