『crescent(三日月)』
――空というものは、ただ青いだけのものではないらしい。
リュウ、ニーナ、リンの三人は、「空」へ出てから三日ほどで、大体それを知ることとなった。
空、は、青い時分には、白いものと、それから黄色いような赤いような、眩しい丸いものが浮かんでいる。
赤いときにも、その丸いものは消えない。
世界の端っこで、いっそう赤く輝く丸いものは、白いものも、空に――…地上に広がる緑色だとか、茶色だとか、とても言葉ではあらわしきれないような、たくさんの色に満ちた世界を真っ赤に染めて、勿論空も赤く染めて、沈んでいく。
…そうすると、空、は次に黒くなる。
黒というより、群青に近いかもしれない。
その色を、ニーナはリュウの眼差しの色に似ていると思っていた。
まだはっきりとした言葉をもたない彼女は、依然としてそれを伝えるすべを持たない。
りゅう、と、りん。
大好きなひとたちを呼ぶ、大切な響き。
それをゆっくり、手の中にとらえるように。
ニーナは、まだ取り戻したばかりのそんなものたちを、柔らかく、とても壊れやすいもののように、抱きしめている。
*****
そして、七日目のこと。
空がまた黒く、青い色と変わり、赤くて丸いものは沈んで消え去った時間。
「――…明後日には、残った統治者や……、それからメベトだとかが、みんなをつれて、ここに来るそうだ」
残ったセーブトークンを使って、地下で統治者らと連絡をとっていたリュウが戻ってきて、そう言った。
…住まう場所もない三人は、今のところ、地上に出てすぐのところにあった、洞窟の中でその場をしのいでいる。
食糧は、成分を手探りで調べながら、地上の食べ物を食べた。――本当は、地下に戻って探せば、食糧がもっと見つかったのだろうけど。
けれど、三人はそうして、地上に残ったままでいた。
今日のように、地下に戻って、連絡をとるのはいつもリュウの担当だった。誰がそう決めたというわけでもない。
明るい地上に比べると、ひどく暗く感じられる、つい数日前まで暮らしていたそこ。
リュウはそこへ、ひとりで戻っていく。
そして、そうして地下へ向かうリュウには、何故か声をかけたりすることが難しい。
ニーナは、それが少しだけ不思議だった。
ずっと三人で、笑ったり泣いたり、走ったり歩いたりしてきた。
なのに、リンは一人で向かうリュウに何も言わず、辛そうな顔をしてみせる。
リュウは黙って、二日、三日に一度ほど、地下に降りた。
そして、行くときも戻るときも、いつものように笑ってみせた。いってくるよ、とか。ただいま、だとか。
(…でも、あまり楽しそうな顔じゃないわ)
リュウの笑顔は、元々そんなに明るい、全開の笑顔、という感じではなかったけれど。
…けれど、それにしても、地下へ向かうリュウは。――いや、地上に出てからのリュウは、いつもと同じでとても優しいのに。
だけれどとても、何か、地下にいた頃とは、何か違うようで。
「…みんな?」
「とりあえず、残った一部のレンジャーたちだとか、……中央の方の代表者だとか、だって。…おれには、よくわからないけど」
リンの訝しげな問いに、リュウは肩をすくめて答え、ニーナに微笑みかけた。…大分暗くなったね。そろそろ火をつけてもらっていいかい、ニーナ。
ニーナはその問いに、うん、と頷いて杖を握ると、あらかじめ集めておいた木屑に《パダム》を放った。
乾いた木屑はたちまちボウッと燃え上がり、パチパチ、洞窟の中を橙色に照らした。
ありがとう、ニーナ。
にこっと笑うリュウは、燃え上がった焚き火に安堵の吐息をついて、誰に言うともなく呟く。
「…でも、そうやってだんだんに、地下のひとたちがここに出てこられたらいいな。……まだ何があるか、わからない場所だけれど」
けれど、ここは綺麗だから。空気も、何もかも、とてもきれいだからさ。
呟いて、彼はどこか遠いものを見るように笑う。
……ああ、まただ。
その笑顔に、ニーナはそう思う。
リンも、もしかしたらそう思っているかもしれない。どこか悲しそうな顔をしている。…気がする。
二人は、嘘の顔を作るのが、とても上手なのだ。
だけれど、ニーナにはそんな顔をしても、すぐに分かってしまう。……だって、三人は仲間なのだから。
分からない筈が、ないのだ。
ニーナはそんな二人の様子に、うー、と小さく唸って、うー、と小さく息をついた。
……けれど、けれど。
最近、けれど、ばかりだ。
地上に出て、空に出て、ニーナの【ペンチレータ】はとても具合がいい。
呼吸も、とても気持ちがいい。走り回ることだって、全然平気だ。
…きっと、言葉もそのうちもっとたくさん喋れるようになるに違いない。ニーナは、それが特に楽しみで仕様がなかった。
――もっとたくさん喋れるようになったら、リュウにたくさんありがとうと言うのだ。
――それから、リンに大好きだと抱きついて、叫ぶのだ。
大切な、ニーナのだいすきなひとたち。
二人に、たくさんたくさんだいすきだと言いたい。
(うん。…すごく楽しみ)
そのことを考えると、ニーナは少しだけ心が浮き立つのを感じた。嬉しい、がジワリと胸にこみ上げる。
そこでニーナは、んー、と立ち上がり、軽い足取りで洞窟の入り口に向かった。
そろそろ、頃合だと気付いたのだ。……黒い空に、もうひとつの丸いものが浮かぶタイミング。
「…ん。そろそろ時間かい?」
「そうみたいだね。…ニーナが、一番タイミングを心得てる」
ぱたたと入り口に近づくニーナに、リュウとリンが笑う。……そうやって笑ってから、それからひとことふたこと、また少し難しい話をする。
…たとえば、連中はあんたを担ぎ上げるつもりじゃないのかとか、おれには関係ないよ、だとか、そういうことを。
(難しいお話なのね。……リュウが、えらいひとにされてしまうかもしれないって話なのかしら?)
――なぜなら、彼は空を開いたひとだから。
伝説でしか知らないような、ドラゴンとリンクして、空を開いたひとだから。
……空を開く途中、戦った【統治者】の一人である綺麗な女性も、リュウにそんなことを言っていた気がする。
(…リンがとても怒っていたから、あまりいい話じゃないんだろうけど。きっと)
ニーナはそう単純に結論付け、ひょいと入り口から空を見上げた。
……そこには、昼の丸いものとは違う、薄く黄色がかった丸いもの――丸に近いものが、浮かんでいる。
「…んーっ!」
大変、とニーナはそれを指して、ぱたぱたと二人に手を振ってみせる。
そうして、どうしたのニーナ、と顔を出す二人に、空を示して、……丸いかもしれないもの、を指した。
「――こいつはおかしいね。……あれは、また小さくなっているみたいじゃないか」
「…一昨日は、もう少し丸かったと思ったけど。毎日縮んでいってるみたいだ」
黒い空に浮かぶ、昼の丸いものよりも幾分か小さい、薄い、黄色いもの。
それは、最初にニーナたちが見つけたときより、随分細く、小さくなってしまっていた。
「まるで、元は丸かったのが、誰かにがぶりとやられたみたいだね」
リンは簡単にそう呟いて、また洞窟に戻っていった。
ニーナはしかし、その言葉にぴくっと肩を震わせる。
……黒い空。
黒くて、青い。リュウの目に、どこか似た色をした空。
そこに浮かぶ、細いライン。細く、尖った。……丸かったものが、何かに抉り取られたような。そんな、薄い、浮かぶもの。
「ニーナ、冷えるよ。……おいで」
「……ん。りゅー」
リュウが、優しくニーナに手を伸ばした。……ニーナはその手を、迷うことなくしっかりと、握る。
(…あれは、あなたに似てるね。リュウ)
もし、彼女が喋ることができたなら、そう言ったかもしれない。
……あるいは、言わなかったかもしれない。
――…空に出てから、僅か、やつれたように見えるリュウを見上げながら、ニーナは思う。
(……丸い、完全だったものが、無理矢理噛みとられてしまったような。……リュウに、似てる)
そう、考える。
「…? どうかしたの、ニーナ?」
自分のことをじっと見つめているニーナに、リュウが不思議そうな顔をした。
だからニーナは、何でもない、と首を振る。……やっぱり、言いたくないのかもしれない。
あるいは、ただ、単に、言えないのかもしれない。…喋れないから、ではなく。
(…きっと、あのひとだわ)
そう、考えるから。……そう知っているから、伝えたくないのだ。
リュウに似た、あの丸いもの。
それを噛み千切ったのは、きっとあのひと。
――リュウが、ボッシュと呼ぶ、あのひとだろう。
どこまでもリュウを追ってきて、ニーナを、リンを、とても憎らしそうに睨んだ。
…誰よりも、リュウを恐ろしい目で睨んだ、あのひと。
………、もうひとりのドラゴンになって、消えてしまった、あのひと。
そのとき、ニーナはやっと、リュウの様子がおかしい理由に気付いた。
(………、リュウも、食べられてしまったんだわ。きっと)
あの空に浮かぶ、薄く、細い、張り詰めた糸のようなもののように。
……あのひと、が、リュウの一部を噛みとって、つれていってしまっているのだ、と。
今更のように。あるいは、突然の天啓のように、そう気付いたのだ。
日に日に欠けていく、あの三日月に似ているのだ、と。
というわけで、まったり連載開始です。
前々から書きたいと思っていた、空に出てから、のお話です。
これがまだ、プロローグっぽい話です。できれば隔週で定期的に更新していけたらなあと思っております……が。
ちなみに今手元にドラクォ本体も、攻略本もない状態なので、結構いいかげんに書いてたりしま…す……。
まさかいらっしゃらないとは思いますが、後生ですから風成に…こう…緻密な設定とか。
……そういうの、期待しないでやってくださると、とても嬉しいです。(しみじみと最悪だなあ)