「girl(少女)」






 ――その女は、いつも自分の心を覗かせなかった。
 そのくせ、自分ばかりが全てを見通し、予見する目を持っている。
(全く、不公平な話さ…)
 先見をする、彼女。
 ジェズイットの知らない世界を見ていた彼女。
 時折、会議で口にされるそれは、ひどく辛気臭く、冷ややかなものばかりだった。
 そんなものしか見えなかったのか、それとも明るく暖かなものすらも、彼女の眼差しを通すと冷ややかなものに変わってしまうのか。 
 …高いD値を持つものに多い、白い肌。まっさらな、穢れひとつ知らないようなその体躯。
 けれど、多分彼は、彼女を不幸だと思ったことはない。
 彼女自身も、そうは思ってはいなかっただろう。
 彼女は――聖女オルテンシアは、彼女が望むままに生きた。
 世界の意志の、一片を知る女。
(…俺の、ものにならないものかと。……そう思わなかったかと言われりゃ、否定できないがな)
 凛とした、傲慢な聖女。
 支えたいなどと、思ったことはない。(彼女にはニ本の足があり、立って、歩き続ける意志があったのだから)
 守りたいなどと言えば、笑われてしまうかもしれない。(彼女のD値は、間違いなくジェズイットのそれよりも上だった)

 ――それでも。
 
 それでも、彼は彼女を愛していた。
 たとえそれが、彼女の死したあとに初めて気付いた、悔恨にも似た感情だったとしても。




*****



「食べ物のなる棒――、木、というんだったかな。それは、西の、木の塊の方に多いようだ」
「…森ですね」
「そういう名前なのか。とりあえず、その森…? かな。あそこには、食べられるものと、食べるものがたくさんいるよ」
「食べるもの?」
「…ディクに、似ていたかな。牙を持ったいきものだった。肉は、食用になるかもしれない。……おれたちが肉にされる可能性の方が、高いかもしれないけれど」 
 世界を開いた、最も強き「最初のもの」の名を冠したドラゴン――アジーンを身に宿した少年は、真面目な顔でそんなことを言った。
 つい先日まで――否、今もまた、地下に広がる世界を治めている統治者の一人であるクピトは、リュウの言葉に、僅か眉を寄せる。
 下らない冗談だ。そう思ったのだろう。
 仮にもドラゴンを身に宿し、挙句、生き残ってこの「空」に立っている化け物が、その辺りを駆けている獣などに殺せるものか。
「……クピト?」
「ああ。いえ。――ありがとうございます、リュウ。あなたたちが、先行してくれたおかげで、この辺りの地形は大体把握できました。…あとは、バイオ公社が空気中の酸素の濃度などを確認するのを待つばかりですが……そちらは、殆ど問題ないと思っていいでしょう。ただし、下層区以下の居住区域に属する住民には、一定の検査をするべきでしょう」
「…そうなんだ」
 話しながら、クピトが何を考えているかを大体察したのだろう。
 リュウは僅かに苦笑した。
「――おれには、もうドラゴンの力なんて、ないよ」
「……」
 クピトは、それを肯定も否定もせず、ただ黙殺した。
 そして、彼は不意にリュウを見て、意見は変わりませんか、と告げる。
「…変わらない」
 僅かに目を伏せて、リュウは呟く。……その眼差しは、深い青。
 この色は、今の「空」の色ではない。昼間の、明るい青ではない。夜の青。
 全てを見通すようでいて、何も見ていないような眼差しだ。
 …そう、あるいはそれこそがドラゴンの眼差しなのかもしれない。
「――たとえば、僕がそれを非難したところで、その決断は変わらないのでしょうね?」
「ええ。……おれには、できない役割だ」
 無責任ですね。
 クピトはそう吐き捨ててから、首を振る。
「あなたたち、ドラゴンに選ばれたひとたちは――どうしてそうも、身勝手なのでしょうね?」
 そう呟くクピトの脳裏には、恐らくリュウではないただひとりの「人間」が浮かんでいるのだろう。
 リュウは、それに何も答えず、ただ曖昧に笑った。
 彼の脳裏には、クピトのそれとは違う、別の「人間」が浮かんでいた。



*****


「――暫定上の、地上の統治を断ったって?」
「……、ああ」
 クピトとの談合が終わった後、ニーナとリンが待つ洞窟に帰ろうと身を翻したリュウを呼び止めたのは、細身の男だった。
 統治者の一人であった彼の名前は、確かジェズイットだ。
 人の目から己が身を隠す異能と、武器を扱う能力に長けた彼は、統治者の中では最も新参であったとも聞く。
「まあ、俺には関係ない話だがな……。いや、そうでもないか? まあ、…どうでもいいことには、違いないな」
「…? 用がないなら、行くけれど」
「………。そう急ぐなよ。ちょっと付き合っても、いいだろう?」
 ジェズイットは、眼差しをひとつも笑わせないまま、口元だけをニヤリ、歪ませた。
 その手にあるのは、爪のような形をした刃。
 彼はそれを、真っ直ぐリュウに向けて――告げる。
「付き合えよ」
「……」
 それが、ちょっとそこで話さないかという意味ではないのは、明らかだった。


 ――リュウたちが空を開いてから、早くも一ヶ月が過ぎようとしている。
 その間に、地下からはさまざまな人間たちが、さまざまなかたちで「空」にコンタクトをとった。
 それは先んじたリュウを通してのものもあれば、独自に「空」へ直接訪れ、調査を行うものもあった。
 真っ先にリュウにコンタクトをとったのは、トリニティのメベトだった。
 そして、次に残されたメンバーたちの一人。……クピトが、リュウに接触してきた。
 今、じわじわと、人々は「空」に戻ろうとしていた。
 開いた以上、そこに戻ろうとする意志は、ごく自然なことだとリュウは思う。
 それは、きっと本能に近い意志なのだ。
 リュウの中にいた、アジーンが、長く空に焦がれ続けていたように。
 …もうひとりのドラゴンであるチェトレが、愛するゆえに空を渡すまいとしていたように。
 生きるものたちが、空に出たいと思うのは、ひどく当たり前の、原初に近い感情なのではないかと思う。
(きっと、これからたくさんの人たちが空に出てくることだろう)
 ジェズイットに招かれるまま、人気のない方――といっても、今はまだ人気のない場所の方が格段に多いのだが――に向かって歩いていくリュウは、ぼんやりそんなことを考えて、空を見上げた。
 ――そこには、目に沁みるようなひかり。
 目を突き刺すような白い光と、それと交わることなく受け入れている、あお。
 それが、ひどく痛いようだとリュウは思う。
 眩しくて、いとおしくて、それでいてひどく胸に痛い、ひかり。
 断罪にも似た明るい光は、さながらリュウを睨みつけているようにも見える。(ああ。だからこのようにして見上げると、目が痛いのだろうか?)
「この辺りなら、いいかげん邪魔も入らないか…」
「……」
 不意に、ジェズイットが足を止めた。
 そこは、緑色の「草」があおあおと茂った開けた場所だった。
 遠くの地平線まで見えるほど――辺りには、何もない。
 地面を掘り返すと、ところどころ顔を出す焼け焦げた遺跡じみたものは、恐らく千年前の名残なのだろう。
 そんな時代の欠片の一つが、足を止めたリュウの爪先に当たって、ぱらり、崩れた。
「……仇討ちなんて、くだらないことは言わないから、安心しな」
 彼は、手にした刃をぎらつかせるようにして、笑った。
 リュウはにこりともしないで、そうか、とだけ返答する。
 ジェズイットは、笑ったまま呟く。
「そう。……ただの自己満足さ。…あの女は、きっとこうなることすら知っていたんだろうから、な」
 自嘲じみた呟き。
 そうして、あの女? と聞き返すリュウに構わず、ジェズイットは切りかかってきた。
 得意の異能は使わず、彼は真っ直ぐに刃をリュウに突きつけてくる。
 だから、リュウも咄嗟に剣を抜いてそれを弾いた。
 紫色に光る刀身。……彼の師匠が使っていた、紫音剣が宙を裂き、ジェズイットの繰り出した刃を止める。
 がきぃん、という鈍い音。……ぎりぎりぎり、という、刃擦れの音。
 何故、と口にする気はなかった。
 ……ここにたどりつくまでに、倒してきた。殺めてきた、ひとの数。レンジャーの数。統治者の数。
 それを思えば、リュウに「自己満足だ」と言って、刃を向けるこの男に、理由を問う必要はない。
 遠慮なしに、こめられた力。
 歯軋りの音すら聞こえてきそうに、間近にある顔。リュウはそれをきつく睨みつけながら、遠慮なく、その腹を勢い良く蹴飛ばした。
 ばきぃ、と、ジェズイットの前に現れた光の壁がそれを防ぐが、リュウはその壁ごとジェズイットを吹き飛ばした。
 ざざざざざ、とジェズイットの足が、地面に跡を残しながら後退する。
(……、あの女)
 ぎらぎらした目で、ジェズイットがリュウを睨む。
 その強さに気おされぬよう、じつと無表情で、それを受け止めるリュウの脳裏にふと思い起こされたのは、彼と同じメンバーの一人であった、一人の女の顔。
 聖女であると言われていた、高名な女の顔だ。
(………)
 けれど、とリュウは考え、眉をきつく寄せる。
 再び向かってきたジェズイットを振り払い、態勢を立て直して、連続攻撃の構えをとった。
(…けれど)
 もう一度、そう考えた。
 彼を倒す準備を、黙々と整えながら。
 脳裏に、ぼんやり浮かぶ女の姿。
 特に、最もぼんやりしているのは――その顔立ちで。
 リュウは裂帛の気合を放ち、剣技を繰り出しながら……ああ、これでは恨まれても仕方ないかもしれないと思う。
 ――彼は、既に、そのひとの顔を思い出すことが出来なかった。


「……手加減とかしたら、マジで殺してやろうと思ってたぜ」
「そうか。…手加減なんて、考えてもみなかったよ」
 おれは、そんなに強くないから。
 呟かれたリュウの言葉を、ジェズイットは鼻で笑う。…いやみなガキだ、と。
 …地面に大の字で倒れているジェズイット。
 その喉元に剣を突きつけながら――リュウは静かな目で、彼を見下ろしていた。
「…けじめだったんだ」 
「?」
 その眼差しの静かさに、背中を押されたのだろうか。
 ジェズイットは、ぽつり、リュウをすり抜けた空を見上げるようにして――そう呟いた。
「あの女は、いい尻してたし……、何より、いい女でな。…強かったし。……俺は、多分結構好きだった」
 もしかしたら、愛していたのかもしれない。
 どこかやるせなさそうに、そう呟かれた言葉。それは、自嘲と、後悔を含んで。
「だから、俺はお前さんと戦わなきゃいけなかった。……、あいつを殺した、お前と戦わなきゃいけなかったのさ…」
 眉をきつく寄せて。……何かの衝動に耐えるように、眉を寄せて。
 リュウはただ、黙って剣を引いた。
 ジェズイットは、それを追うこともなく。……相変わらず大の字に倒れたまま。
 ただ、じっと、青い空を見上げていた。じっと。――真っ直ぐに、空を。
「それじゃあ。……おれは行くよ」
 それ以上、かける言葉は必要ない。
 詫びる言葉も見当たらなかった。……詫びる必要も、見つからなかった。
 ジェズイットが、謝罪を望んでいるわけではないと思ったからだ。
 それを裏付けるかのように、去り行くリュウの背中へ、ジェズイットが温度のない声で告げた。
 くぐもっているようにも聞こえる――けれど、妙にはっきり、耳の中、残る響き。
「…覚えときな。これは断罪じゃない」
「……」
 告げられたその言葉は、恐らく何よりも強い鋭さで、リュウの胸を抉る。
「お前の罪は、一生お前の背に残る、傷だよ。坊主」
「……、…ああ」
 知っている、とだけリュウは呟いた。
 そうして、ジェズイットに背を向けたまま、目を伏せた。
 ジェズイットも、それ以降何を言うわけでもなく。
 リュウも、それきり黙って立ち去ることにした。
 本当に、ジェズイットが突きつけたかったのは、最後の言葉の刃なのだろう。
(…そうだ。おれの罪に、断罪はない。……断罪すら与えられない、深い罪だ)
 世界を開くため、犠牲にされた大勢のひとびと。
 ただ、リュウが世界を開くため、死んでいったひとびと。
 そこに、理由をつけようとすれば、きっといくつもあげられるだろう。
 けれど……、どんな理由があったとしても、それは償いようのない罪であることに、違いはなく。
 ――断罪がなくば、贖罪はない。
 ジェズイットの言うとおり――…、リュウの背にかかる重みが、消える日は、ない。
「……っぐ…」
 リュウは不意に、口元を押さえてうずくまった。
 不意に押し寄せてきた、吐き気の衝動。
 丈の長い草の合間に身を屈め、ぱん、と口元を押さえて。
(……、きもちわるい)
 脳裏に浮かぶ、ひとびとの影。
 誰一人、思い出せない。……顔のない、ひとびとの群れ。
 …その中で、鮮明に思い出せるのは、たった一人だけだ。
 たった一人。
 金の髪。碧い眼差し。冷ややかな目でリュウを見て、哂うひと。
 彼は、白昼夢のようにリュウの前、僅か、揺らいで。……しゃがみこむリュウに、剣を突きつけて、こちらをただ睥睨しているのだ。
 ばかだね。
 その薄い唇が、冷ややかに言葉を紡ぐ。
 リュウは、その幻を呆然と見上げ、名前を呼ぶ。
 けれど、名前を呼んだ瞬間、その幻は消えうせた。
 ……残ったのは、目に痛いほどの青と、足元に広がる緑。
 地下にはひとつもなかった、眩しいほどの、その色。
 ボッシュ。
 リュウは、もう一度、掠れるような声で、名前を呼んだ。
 ここより少し離れた場所で、ジェズイットが同じようにひとりのひとの名前を呼んでいるとも知らず。
 全くそっくりで、それでいて全く違う響きで、リュウは彼の名前を呼ぶ。
 もぎ取られた、いとしいひと。
 リュウの中から、もぎ取られたひと。…リュウを憎んでいると、彼を睨みつけたひと。
 ああ、とリュウは吐息した。
 目尻に滲んだ、生理的な涙。
「…おれは、最低だ」
 囁くように呟いた声に、返される言葉はない。
 断罪もない。贖罪もない。
 ただ、罪だけが溢れるリュウの身の内に、残されたボッシュの面影。
 それを追いかけるように目を閉じながら、それすらも罪であるようにリュウは目尻の痛みに眉を寄せる。
 
 もしかしたら、愛していたのかもしれない。

 耳元で、ジェズイットの呟いた、自嘲に似た響きが思い起こされた。
 ひとりの少女に向けられた、その響き。
 リュウはそれをなぞるように、口の中呟いて、低く哂った。
(…もしかしたら?)
 そして、誰にもいえない渇望を、胸の奥にひっそりと落として、目を閉じる。
 今は、目を灼く空の眩しさも、満ちる草の匂いも――血に汚れた自分の掌も、感じたくなかった。


(もしかしたら、おれは君に殺されたかったのかもしれない)


 ――喉の奥にこみ上げるのは、…叫びだしたいような、全てを吐き出したいような、冷たい衝動。

 冷ややかな指先で、そっと頬に触れる。
 ……やがて、遠くから、押し殺した慟哭が聞こえてきた。
 彼の少女を悼む、……彼の、彼だけの慟哭が。

 
 ――そしてリュウは黙って頬に爪を立て、立ち上がって、また、歩き出した。 


 喉の奥、未だ疼き続ける痛みから、ただひたすら、目をそらして。



























大苦戦しました…。この小説に延々時間がかかったといってもいいです。
手元に攻略本がないって、思いのほかしんどい…です…。(や、それだけじゃねえだろ!)
あと、拙宅のリュウは、話によって色々性格がかわってしまうのですが…。
たぶん、このリュウが一番スタンダートなリュウなのだと思います。多分。
弱いところもあって、強いところもあって、でもすごいずるい勝手なひとだと思います。リュウ。
結局ボッシュがいいんです。ボッシュだけがいいんです。そういう話ですよ。

しかしまあ苦戦したわりにはお粗末で……。うう。
基本的に、こんな感じで、やる気なく、まったりと続いていく具合です。

……あと、オルテンシアが少女なのかどうかという話は……その。なんていうか。
ほら。リンさんも少女って書いてありますし。ほら…。そんな感じで。

わかりづらい話ですが、結局私はジェズ→オルが好きだということなんですよ。
くっつかなくていいんです。片思いでよし。