『永遠の一瞬』



 恋は一瞬だ。

 瀬戸口がそれを実感し、体験し、そして今日まで思い続けてきた持論である。

 いつだって、恋は一瞬。

 だって、自分は出会ったそのときに恋をした。

 いとしきひと。千年の彼方で微笑む佳人。
 未だにこの身を縛り、焦がし続ける恋を教えたひと。

 だから、そう。

 恋は一瞬なのだ。

 
//*     *     *     *//


「……瀬戸口?」 
 速水は、唐突に掌を伸ばしてきた瀬戸口に、首を傾けた。
「なにかな?」
「……うーん。なんていうのかな。ちょっと…」
 瀬戸口は曖昧に語尾を濁して笑いつつ、速水の柔らかな髪の毛に触れ、その髪の毛をそっと梳く。
「バンビちゃんの髪の毛は、随分柔らかいよな。何で出来てるんだか」
「…瀬戸口の髪の毛と同じものだと思うけど」
 不可解なことを真面目な声音で言う瀬戸口に、速水は困ったように眉を寄せる。
「いーや、違うね。きっとおまえさんの髪の毛は、ふわりと甘い香りの砂糖菓子ででもできてるのさ。ああ、それともバニラたっぷりの生クリームかな」
「なにそれ。マザー・グース? それじゃ、僕、まるで女の子じゃないか」
 速水はくすりと笑ってから、瀬戸口の掌を難なく払いのける。
「そうだな。きっとぼうやは、何か特別なもので出来てるのさ。女の子とも違う、野郎どもとも違う、何か不思議なもので」
「ふうん」
 今日の瀬戸口は、おかしいね。
 速水はそう言って嘆息すると、ぱくんと弁当箱の蓋をしめた。
(…恋は一瞬)
 その姿をぼんやりと見つめ、瀬戸口はじわじわと満ちるいとおしさに良く似た、けれど、ひどく苦いようなそれに小さく吐息した。
 初めてあの佳人に。…シオネ・アラダに会ったその瞬間、鬼は一目で彼女に恋をした。
 場違いで、身分違いで、身の程知らずな恋。
 けれど、誰よりもいとおしくて。誰よりも恋い慕っていて。
 今でも彼を縛り、焦がし続ける、激しい恋だった。
 そのときの感情は、今でも覚えている。
 生々しく裂けた傷跡はじわじわと塞がり、今ではうっすらとした痕でしか残っていないけれど。世界を見つめることがない盲目のひとが、その青い眼差しでこちらを見つめた。見つめられたその心地のことを、瀬戸口は今でも忘れていないのだ。
「…いつまで呆けてるの? 次の授業に遅れるよ」
 速水は今度は呆れたように笑った。
 瀬戸口はその表情に、力なく笑いかける。
 きっと、今度も一瞬で恋に落ちると思っていた。
 出会った瞬間に分かる。分からないはずがない。
 自分は絶対、間違いなく、あのひとの生まれ変わりに恋をするから。
 あの澄み切ったひとの生まれ変わりに恋をするからと。
「いいよ。さぼっちまおうぜ」
 瀬戸口は甘く囁くように提案して、立ち上がりかけた身体を引き寄せる。
「……ちょっと…」
 速水は不本意そうにその腕の中におさまり、眉を寄せた。
 胸の奥がざわめく。
 苦い。そして甘い痛みが、胸を襲う。
 一瞬だと思った。
 そして一瞬で恋に落ち、焼き尽くされると思ったのだ。
 今度こそ、今度の恋こそが、きっと今生最後の恋であると。
(俺は、その恋で死のうと) 
 …けれど、どうしたことか。
 此度の恋は、そうであると分からないうちにじわじわと瀬戸口の心を侵食し、いつの間にか逃げられないよう、出口すらふさがれて。
 かのひととは違う輪廻を伝ってきた、ちっぽけな。そして、臆病で、狭量で、けれどひとに好かれたいとひたすら願っている哀れな子どもにとらわれたのだ。
 千年待ってきたつもりだった。
 もう待てない。これ以上は待てない。そう全てを唾棄しながらも、それでも待ってきたつもりだった。
 けれど、目前にいる少年はそんな瀬戸口の全てを打ち砕くかのように佇んでいる。
 瀬戸口の千年も知らず、まだ一日も知っているとはいえない。
 一瞬で恋に落ちたわけでもない。未だ絶対の確信がもてる想いでもない。
 それでも瀬戸口は速水の前から離れることは出来ず、速水の言葉に、苦く、甘く、緩慢な棘を味わうよりほかないのだ。
「やだよ、僕。それにもう教室に戻らなきゃ。舞が話があるって言ってたし…」
「…なんだよ。速水は、俺よりも姫さんを選ぶのか?」
「うん」
 あっさりと投げられた言葉は、簡単に瀬戸口の胸を焼いた。
「…じゃ、放課後は一緒に訓練しよう」
「うーん。まあ、それならいいよ。僕も頑張らないとね」
 速水の承諾を得て微笑みつつ、しかし瀬戸口はなかなか手を離さない。
「…はなしてよ」
「んー」
「……瀬戸口。だから僕はそろそろ教室に…」
「なあ、速水」
 屋上。ぽかんと開けた空は、何処までも青くて。
「恋は一瞬か? そして、永遠のものか?」
 問うように。…乞うように、呟いた瀬戸口に。
 速水は面食らったように瞬きしてから。
「…どうかな。僕は一瞬の考えなんて、信用したくないし。永遠なんてもの、見たことないからあるかどうかもわからないし」
 僕は目に見えるものしか信用しない性質なんだ、と速水は小さく呟き、えいやと瀬戸口の腕をほどいて抜け出した。そうして、屋上に凛と立って微笑み。
「だけど」
 だけど。
 彼はそのまま、ひどく眩しいものを想うように言うのだ。
「一瞬のものは美しい。永遠のものは尊い。恋も愛も、僕は知らないけれど。僕は美しいものが好きだし、尊いものは大切だと思う。…だからね。まだ知らない恋と愛だからこそ、僕は美しくて、尊いものであってもいいと思うよ」
 瀬戸口はその答えに、そうだなと笑った。
「…さ。教室に戻ろうか?」
「そうだな」
 歩き出す速水の手を取って、恭しく口付ければ、速水は「また下らない冗談だね」と笑う。
 その笑顔に、また胸奥のどこかが痛んで。
 けれど、ひどく甘やかなひかりも走って。
「恋は一瞬で。だからこそ、永遠なんだな」
 小さく、確認するように呟いて、噛み締めるように笑った。









2004/02/06 裏掲示板にて
恋したひとの生まれ変わりじゃないひとを愛するという設定は、結構萌えると思うんですが。ダメですか。