話をしよう。
小さな少年達が異世界を駆け巡った時代から、無数に伸びたいくつもの道すじの、その中の一本から繋がった未来の話を。
それは、ここではない未来。だが、ここであったかもしれない未来。
私は、そんな話をしようと思う。
…最後に。私は…いや、僕は神ではない。
紙の上に世界を広げるだけの、しがいのない一介の小説家である――。
――――――――――――――――――――――――――――
「さて」
彼女が腕まくりをしたのは、別に腕相撲をするためではない。
ついでに言えば、暑かったわけでもない。
季節は春。ようやく温かくなり、授業中、窓際に座る生徒達はその気持ちよさに瞼を重くし、衣替えもようやく終わった今は、一年で一番過ごしやすい時期ではないだろうか、と先日彼女の口から聞いていた。
半袖で腕まくりもないだろうが、というのが一番のツッコみどころだろうが、まあ、気分である。気分。
そうゆう仕草も可愛かったりするので、俺には全然全く構わなかったりする。つーか、バリオッケー?うん。
「これより、パソコン部恒例、春期ミーティングを始めます」
「おー」ぱちぱちぱち。
目の前には、紙コップに注がれたジュース。
顧問が自腹切って買ってきてくれた菓子類が並び、会議室の机はいつもより豪華に見える。
ばらばらと聞こえてきた拍手を遮って、議長席にちょこんと座ったいっちゃん先輩は集まった部員を見回す。
「…相変わらず、いつもの面子だね」
苦笑交じりの言葉に、俺たちも顔を見合わせて苦笑う。
本日のメンバー。
ここ、お台場中学校パソコン部ことパソ部の部長様、いっちゃん先輩こと泉一花先輩!と、会議室はコの字テーブルで、その右側に座った金髪碧眼の美少女、ついでにパソ部副部長の石田命サン(先輩と呼ぶとなぜか怒る)。んで、命サンの向かい、いっちゃん先輩の左側に座る俺、八神光。光と書いてアキラと読む。以上、三名。
うちの部では、このメンバーが普通。これで、いつものメンバー。
部員は多いが、そのほとんどが幽霊部員というパソ部の中で、自主的に集まってくるメンバーはこれだけだ。
「いまさら別の奴が混ざったって、関係ないじゃん。ほらイッカ、始めなよ」
「うん」
ジュースを一口。喉を潤して、いっちゃん先輩は脇においてあったプリントを俺と命サンに配る。
なんだかんだ言ってプリントが俺たちの分しか用意されてないあたり、先輩も期待はしていなかったようだ。
「去年はあまり何も活動できなくて、部費を大幅に削られてしまったのよ。で、もう今年で三年生は引退だし、その記念というか、思い出を残す意味合いも兼ねて、文化祭に間に合うように何かプログラムを作ってみたいと思っています。これはもう先生に許可をとれているよ。後は二人しだいだね。…意見は?」
「はい、質問」
「どうぞ、ミコ」
いっちゃん先輩は命サンのことをミコって呼んでる。親しい人を崩して読むのが好きみたいだって、命サンが言ってた。
「具体的に、プログラムってどんなの?あたしたち、あまりプログラムとかわからないから、難しいのは無理だし…」
「うん。私たちは中学生だし、そんなに難しいのは作らなくていいと思う。インターネットとかで、フリーのプログラム作成ソフトとかを引っ張ってきてもいいし、いざというときは部費から出して買ってきてもいいって、先生が。それに、文化祭に出すものだから、小難しいプログラムとかじゃなくて、ゲームのプログラムでもいいと思うよ。文化祭ではパソコンルームはパソ部の使用だから、全部のパソコンにインストールしておいて、遊んでもらうとか」
「だったら、アクション系の短時間でできるタイプがいいんじゃねぇの?」
RPGじゃ時間がかかる。だとしたら格闘やパズル、頭脳系のゲームがいいだろう。
俺の言葉に、いっちゃん先輩はにっこりと頷いてくれた。
さらさらした栗色の髪が頬に流れて…………うーっ、可愛い…。
「アキラはそういうの得意そうだよねぇ」
遊びに関しては、任しといてくれよ、命サン!
「うん。私もそう思う。だから、あっくんにどんな内容になるか、決めて欲しいんだ」
ちなみに、いっちゃん先輩の俺の呼び方はあっくん。…子供みたいだけど、いっちゃん先輩が呼んでくれるのは好きだ。
「おっけーおっけー、まーかしといて!いっちゃん先輩のお願いだもんな、俺、頑張っちゃうって」
「ありがと。じゃあ、一週間後の部活のときに、おおまかなこと、聞かせてくれる?」
「おう!」
俺が頷くと、これでミーティングはおしまい。
後はひたすら争いながらお菓子を平らげて、部活をするべくパソコンルームに向かう。パソコンルームは飲食物持ち込み禁止のため、会議室を借りていたのだ。
パソコン部とはいっても、あまり活動があるわけでもない。
高校レベルにもなると部品やパーツの話で盛り上がったりするようだが、あいにく中学生にはそんな高価なパーツの話とは縁はなく、大抵がパソコンをいじってそれで済ませている。いっちゃん先輩は本格的にいじれるらしいけど、普段は俺たちに混ざってきゃあきゃあ騒いでいる。
そのパソ部が初めて何かを作って人に見てもらう…うう、何だか燃えてくるぞ。
頑張らなくちゃな!
「アーキーラ」
下校時間。
玄関で靴を履く俺の背に飛びついてくる命サン。
「ねえねえ、叔父さんがさぁ、美味しいお菓子をもらったんだって。アキラと一緒に食べにおいでって言ってくれてんのよね。行くでしょ?」
「タケルさんが?」
「そ。イッカも一緒に連れてきていいって言ってたから、誘ってさ」
む。
いっちゃん先輩も一緒…か。
表情に出したつもりはなかったが、何か感じるものでもあったのだろう。にやーっと命サンはしてやったり、的な笑いを浮かべて、俺の返事も聞かずに腕を組んで(性格には腕を掴んで)歩き始める。
…いいんだけどさぁ、命サン。
胸が当ってるって、胸っ。いや、気持ちいいけどさ。
ずりずりと引きずられ、全身にちくちく刺さるようなヒガミヤッカミの視線を盛大に浴びて(命サンは男女問わず、人気がある)、俺たちはいっちゃん先輩のクラスまで行った。
「イッカーぁ」
がらり、と戸を引き開けるなり、呼ばわる。
いっちゃん先輩は窓際の自分の席で帰り支度をしていた。
「ミコ。…と、あっくん?どうしたの、まだ用事?」
「そう。叔父さんちにお菓子食べに行くんだ。イッカもおいでってよ、行く?」
あ、そうそう、アキラも一緒なのよ、とついでのように付け加えて、命サンはにこにこといっちゃん先輩の腕を引く。行く?と疑問系で聞いていながら、その態度は絶対逃がさないぞ、といった雰囲気漂わせている。
「タケルさんち?…うーん…」
いっちゃん先輩は首を傾げて、じっと上目遣いに俺を見る。うっ、その目はやばいぞ、先輩。
思わず赤くなる頬を隠すように後ろを向いても、まだ先輩の視線が突き刺さっているようで、どうにもこうにも落ち着かない。じいしきかじょーって奴なのかな、俺。
「…あっくんも、行くのよね?」
「そ♪ね、行くんだよね、アキラ」
「お、おう…」
「……じゃ、行く」
お?
思わず振り返ると、先輩はもうこっちを見ずに残りの荷物を鞄に詰めていた。
今、何か…。
俺が行くから行くとか、言ってた?言ってたよな。言ってた、うん。言ってた。
「…」
あ、すっげぇ嬉しいかも。
天にも昇る気分ってこんな感じなんだろうなあ。ああ、足が地に付かないってのも、当ってるかも。
「あ、お父さんに電話しないと。遅くなるときは電話しなさいって言われてるのよ」
「あ、俺も。父さんに電話しなきゃ」
俺の父さんはフリーライターで、いつも家で仕事をしている。
俺の家庭には母さんという存在がいないから、男二人、むさくるしく生活をしている。今日は父さんが食事当番だ。少し遅れることを伝えておかないと、あとでぐちぐち文句を言われる。うちは父子そろって食事をするのが決まりで、俺はいつも七時には家に戻っていた。
けど、タケルさんの家に行くのだから、遅くなるのは確実である。部活動もしていたので、普通の下校時間はもうとっくの昔に過ぎていた。
「叔父さんところで電話使えばいいでしょ。ほらほら、さっさと行こっ」
右手にいっちゃん先輩、左手に俺の腕を抱きこんで、命サンはまたしてもずりずりと俺たちを玄関まで引っ張っていく。
俺は二年の靴箱。先輩たちは三年の靴箱。それぞれに靴を履き替え、外に出たときにはもう空は真っ赤に染まっていた。歩きなれた通学路を歩きながら、ぼんやりと夕焼けに染まる夕日を眺める。いっちゃん先輩も、俺の隣で夕日を見ていて、そのときばかりは遠慮していたのか、それとも一緒に見とれていたのか、命サンは静かだった。
命サンの叔父さん、高石タケルさんのマンションは少し歩いた所にある。
新しく建ったばかりの見晴らしのいいマンションの最上階に住んでいて、その広さも結構なものがある。タケルさんは人気のある小説家で、いままでにいくつかベストセラーを出している。印税でここまで贅沢できるってのも、ある意味うらやましい。ま、俺には文才もないし、一日中パソコンでかったかったやっている根気はないので、うらやましがりはしてもやってみたいとは思わないんだけどさ。ぴんぽーん。
ベルを鳴らしてすぐに、扉が開かれた。
「やあ、いらっしゃい」
命サンに良く似た金髪と青い目。身長は高くて、ついでに足も長い。甘いマスクは女性に人気があるらしく、街を歩けば人の視線を集めてしまう。命サンのお父さんも、命サンも、この血筋は派手な顔立ちが多いらしい。
もてるくせにいまだ独身のタケルさんは、命サン、曰く。
「ホモなのよ」
とのこと。
本人、曰く。
「男は嫌いだよ。好きなのは彼だけだから」
とのこと。
…まあ、俺にはそこらへんはよくわからないし、コメントをつけようにもつけられない。
タケルさんが幸せなら、いいんだろうな、多分。悪い人ではないんだし、それにその『彼』のことを語っているときのタケルさんは本気で幸せそうだ。
人をそこまで好きになれるって、ある意味すごいことなんだろうな。
ちなみにタケルさん、現在遠恋中。
「叔父さん、イッカとアキラに電話貸してやってよ。家に連絡するんだって」
「どうぞ。命、何か飲むかい?」
「飲む飲む」
台所に向かうタケルさんにまとわりつきながら、命サンはくっついていく。
なんだかんだいっても、優しい叔父さんであるタケルさんが命サンは大好きだ。見るからにかまって欲しいオーラを放ちながら懐いてくる命サンをはねつけきれるようなタケルさんでもなく、仲のいい叔父と姪はじゃれ合うようにしてお茶の準備を始めていた。
いっちゃん先輩は先に電話を使っている。
「あ、お父さん。一花です。…はい、終わりました。今、タケルさんの家で…はい」
たしか、いっちゃん先輩のお父さんはどこかの会社でソフト開発をしているとか。先輩のパソコン通も、お父さんの影響なのだろう。自分の親なのに敬語で話すのはどうしてか、と聞いたことがある。そうしたら、「お父さんも私相手に敬語なの。口癖のようなものなのね」って、教えてくれた。
こういういっちゃん先輩も、また新鮮で良い、何て思う俺は、もう末期的なのかもしれない。
「あっくん、お待たせ」
電話が終わったのか、先輩は命サンたちのところへ行ってしまった。
ついさっきまでいっちゃん先輩が使っていた受話器を取り、指になじんだ番号をプッシュする。すぐに聞こえるコール。一回…二回…
相手はすぐに出た。
『はい、八神ー』
「あ、父さん。俺」
『おう、部活は終わったのか?今日の夕飯何にする?』
声は意外とはっきりしている。寝ているのかと思ってたのだが、昨日からの仕事のために起きていたようだ。感心感心。
「俺、今タケルさんち。お茶していくから、遅くなるよ」
『タケル?あまり入り浸るんじゃないぞ、あいつも仕事あるんだからな』
「わかってるよ」
『んで、夕飯は?』
「えーっと…」
どうしようか。
首を傾げた俺の後ろを、紅茶のポットを持ったタケルさんが通りかかる。
「アキラくん、夕飯食べて行きなよ。カレーでいいなら」
「…だって」
多分、聞こえていたのだろう。
電話の向こうでかすかな苦笑の気配。
『…りょーかい。遅くなるんじゃないぞ』
「わかった」
電話を置き、そのままリビングに向かう。
ぷん、と漂うカレーの香りは濃厚で、台所を覗けば大鍋にカレーが出来上がっている。俺たちが遊びに来ることを前提に作ってあったのだろう。
「ご馳走様です」
ご飯をよそっているタケルさんに手を合わせれば、満面の笑みと大盛りのカレーライスが返ってきた。
自分の分の皿とスプーンを持ってリビングに逆戻りしてみれば、ガラス製のテーブルには紅茶のポット、水、ふくしん漬けなどが並んでいて、食べる準備は万端だった。
上座に、この家の主であるタケルさん。タケルさんから時計回りに、俺、いっちゃん先輩、命サン。
「いただきます」
「いただきまーす」
「…」
最後の沈黙は、命サン。
すでにカレーを頬張っているために、物を言うことができない。口に物が入っているときは、おしゃべりしてはいけないと躾られてきたのだろうか。…と思ったが、学校で菓子類を食べているときの命サンは非常にうるさ…賑やかだ。
おおかた、食べるのに夢中でしゃべる暇がないだけだろう。
タケルさんのご飯は美味しい。
独身生活が長いためか、できるだけ自分で作れるようにとお兄さん(この場合、命サンのお父さんにあたる)に仕込まれたようで、その腕は確かである。
「今日はミーティングだったんだろう?一年の活動を決める。話はまとまったの?」
いっちゃん先輩はご飯を食べるのが遅い。よく噛んで食べるタイプで、寡黙にひたすらもぐもぐやっている。
命サンはおかわりのカレーをかきこんでいて、それどころではない。
となると、会話の中心は食事の済んだ男性陣中心となり、俺とタケルさんは食後のお茶を片手に、何気なくつけたバラエティ番組に見入っていた。
「文化祭に向けて、プログラムを組もうってことになったんだ。ゲームの」
「へぇ…『らしい』ね。なんかパソコン部って感じだ」
「パソコン部なんだってば」
面白くもない新人芸人のギャグにしらけながら、リモコンでチャンネルを変える。ぱっぱっと切り替わる画面のめまぐるしさをじっと見つめる。
「…アキラくんは、サッカー部には戻らないのかい?」
「んー…」
めんどくさい質問だ。
俺はタケルさんの顔を見ず、ひとつうなってみせる。
「…そんなにさ、未練、ないんだよな、俺。そりゃ、大事な試合前にカッてなってケンカして飛び出したのは少し後悔したけど、でも今はこっちの方が楽しいし」
「でも、今もサッカー部から勧誘とかあるんだろう?」
「やだよ。めんどくさい」
あんなぎすぎすした空間で気持ちよくプレイなんかできるもんか。頼まれても戻ってやるものか。
「…ふう」
深々とため息をつき、タケルさんはテーブルに頬杖をつく。
怒られる…か?
思わずちらりと視線を向けてみたあたり、少々臆病だったかもしれない。だが、タケルさんは苦笑を浮かべて俺を見ているだけだ。
「…なに?」
「いや。…頑固なところは太一さんそっくりだな、ってね」
「そりゃ、親子だし」
タケルさんには昔から同じようなことを言われつづけている。
顔が似てるとか、まっすぐなところが似てるとか(さすがに、これはくすぐったかったけど)、考え方が似てるとか。サッカー部を辞めた時はさすがに「さばさばしてるところはあまり似てないな」とか言われちゃったけど、頑固がそっくりってのは初めてだ。
「なに?父さんって頑固?」
「頑固頑固。もう、嫌ってほどに頑固で…それで損をするタイプだね。だから今も…」
「今も?」
「…いや、なんでもないよ」
…気になる。
言いかけて止められると、どうしても気になるのが人間ってヤツなんだけどさ。
どうしてか、そのときの俺には聞きかえすことが出来なかった。どうしてか、それが聞いちゃいけないことのような気がして。
しばらく、俺たちはぼんやりしていた。
タケルさんは仕事があるからって、噂の美味しいお菓子を置いて奥に引っ込んでしまったから、夕食の片づけを三人で騒ぎながらして、あとはリビングで勝手にくつろいでた。
俺の父さんとタケルさんは物書き仲間ってヤツで、昔からの顔なじみだ。だから、小さい頃からこのマンションには遊びに連れてきてもらっていた。そのときにはすでにタケルさんちに入り浸っていた命サンとは顔見知りで、よく二人で外に遊びに出かけては、父さんやタケルさんが心配して探しにくるまで遊びまわっていたもんだ。
恐縮するいっちゃん先輩をリビングで待たせておいて、俺と命サンは洗った食器を手分けして拭いて棚にしまっていった。勝手知ったる他人の家、どこになにがあるのか、もう覚えてしまっている。
そんな流れ作業のなか、何かを考え込んでいた命サンが、口を開いた。
「…ねーぇ、アキラ」
「なに?」
「あんた、さ。この頃三年と揉めてンだって?」
言葉に詰まる。
「…耳、早いね。命サン」
「いろいろと噂されてっるっての。あんたに限ってバカな喧嘩はしないと思うけど…イッカが心配してんのよ。…で、相手は誰なのよ」
皿を拭く手を止めて、命サンはじっと俺を見据える。
絶対に嘘は許さないぞって目。…こうなった命サンは本気で本当のことを言うまで許してくれない。実は俺より頑固なんだよな、命サンって。それに、いっちゃん先輩の名前を出すのはちょっと卑怯だ。
やっぱ、言わなきゃだめなのかな。
横目で様子を窺ってみれば、じろり、と睨みつけられて。自然と、ため息が洩れた。
「…サッカー部の花島先輩」
折れた俺に、
「――――花島ぁ?」
きりり、と命サンの細い眉がつりあがる。
「アイツ…まーだあんたにちょっかいだしてるワケ?」
手にした皿にヒビが入ってしまいそうなほど、皿を持つ手に力が篭っているのがよくわかる。
…だから、言いたくなかったんだけど。
サッカー部にいた頃の、一学年上の先輩。花島先輩のことを、命サンは心底嫌がっている。前は苦手の域だったらしいが、俺のサッカー部退部の原因を知ってからというもの、なにかと目の敵にするようになった。
ここまで言えば、わかるだろう。
そう、花島先輩は俺がサッカー部を喧嘩で飛び出した、その喧嘩の相手。派手に言い争って部を飛び出して、これで顔を見なくて済むとせいせいしていたら、勝手にあっちから顔を出してきた。んで、今はちょっとゴタゴタしている。
命サンに言ったらこうなることはわかってたから、言わなかったんだけどさ。…逆効果だったかな。
「…んで、なにされたの!?」
「……」
「あいつのことだから、ねちねちと陰湿なことしてるに決まってる!なにかされたんでしょ!?」
詰め寄ってくる命サンの声の大きさに、リビングにいたいっちゃん先輩も何事かと顔を出した。
「アキラ!」
催促の声にも、俺は何も言わなかった。
いっちゃん先輩ははらはらと心配そうな目を俺たちに向けている。止めるべきか、止めないべきか、迷っているのがわかる。
でも、やっぱり俺は命サンに話す気にはなれない。
「…俺さ、自分で片、つけたいんだ。俺の問題だし、命サンに話すのは、全部きちんと終わらせてからにしようって思ってて。だから…ごめん」
「……でも、」
命サンはまだ不満そうだ。
そんな命サンの手に、いっちゃん先輩がそっと触れる。
「ミコ。ね、あっくんの言うとおりにしよう」
「イッカ…」
「大丈夫。ね、そうだよね、あっくん」
「ああ、もちろん!!」
俺は大きく頷いた。
そうすると、命サンもしぶしぶ(ため息だけはついてくれたけど)折れてくれて、俺は男としての面目が保てたわけだけど…
事件は、その二日後に起きた。
命サンは、無言で怒っている。
いつも口が回る分、いったん黙り込んでしまうととことん喋られない。これは本気で怒っている証拠だと、前にいっちゃん先輩に教えてもらった記憶があった。
父さんは、うとうとと壁に寄りかかるように舟をこいでいる。
雑誌の連載の締め切りが確か今日だったということだから、相当無理して仕事を片付けてきたんだろう。目の下にはくまが浮かび、疲れのあまり青白い顔をしていたために、看護婦に無理矢理点滴を受けさせられて、俺の付き添いをしながらも腕には点滴の管がぶら下がっている。
…あああ、空気が冷たい。
「――アキラ」
死刑前の囚人って気分だ。…囚人の気持ちなんてわからないけどさ。せめて、親にこっぴどく怒られる前の子供って感じ……って、そのままじゃんか。いや、親、寝てるけど。
父さんは怒ってるより心配してるって感じだったし。今怖いのは…確実に、
「アキラ」
「…はい」
静かな声ははっきり言って恐ろしい。
命サンは俺のベッドの側で仁王立ちになっていた。…怖ぇ。
そんな俺の様子に気づいたのか、ふっと命サンは表情を緩めた。
「バカ。あんたを怒ってるわけじゃないの。あんた、なんとかしようって頑張ってたみたいじゃないの」
「…うん。でも、どうにもならなくて。花島先輩、人の話聞くような人じゃないし。挙句に、コレだ」
言って、俺は腕を持ち上げた。
包帯でぐるぐる巻きになっている腕は、ついさっき12針も縫ってきたところだ。
今日も学校行ったら因縁つけられて、いつものように言い合いしていたら、熱くなって階段から突き飛ばされて転がった…まではよかった。そんなに段数の多い階段じゃなかった。だけど、それからが問題で…。
「あたし、あんたが運ばれてった後に行ったんだけど。壮絶だったよぉ、アレは。血がどばーっ!って」
「…想像させるなよ」
「でもま、頭をかばっただけ、褒めてあげる。頭から突っ込んでいたら、アレだけじゃ済まなかったものね」
俺は、転がり落ちた勢いで下の踊り場の低い位置にあるガラスに突っ込み、ガラス破壊と自分の腕破壊を同時にやってしまった。
「よかったわよ。イッカが休んでて。あ、連絡は入れてないからね。そんなことしたら、熱が上がっちゃう」
「…感謝」
思わず、命サンを拝んでしまう。
こんな姿、情けなさ過ぎていっちゃん先輩には見せられない。
「花島のヤツ、いろいろ言い逃れしようとしているみたいだけどね。あの現場、見ちゃった生徒が多いらしくて、まともに聞き入れてもらえてないみたいよ。…どうする?」
「花島先輩にはもう関わりたくないんだけどさぁ…あの人と俺が原因でサッカー部活動停止とかになったら、さすがに悪いなぁって」
「甘いわねー」
「俺はあの人がいるからサッカー部に戻りたくないだけで、他の人たちは問題ないんだって」
「じゃあ、花島いなくなったらサッカー部に戻るわけ?」
「…………うっ」
いや、最初はそう思ってた。思ってた……けど。
「憧れの泉先輩から離れたくないんですかぁ、八神君は?」
…わかってて言ってんな、ちくしょう。
ニヤニヤ笑いが妙に癇に障るけど、こんな命サンには何を言っても無駄無駄。
えーえー、そうですとも。いっちゃん先輩のいるパソ部から去るつもりなんて、今はもう、これっぽちも残ってないですよ!パソ部に行かなきゃ、俺と先輩の接点なんて皆無だしなぁ。
拗ねてやる。くそ。
「アーキーラぁ。怒んないでよっ」
命サンはけたけた笑ってる。
いつものパターン。いつもの命サンだ。少し安心した。
「ま、花島にはしかるべき処置が与えられるだろうし。サッカー部のことは…まあ、最悪を考えてもいいと思うけど、あんたは気にしないでどーんとしてなさい。ね?」
「うん…」
「…話はまとまったのか?」
いつ目が覚めたのか、相変わらず顔色の悪い父さんが微笑を浮かべてこっちを見ていた。
「あ、うん。もう大丈夫…だよな、命サン」
「うん。言いたいことは言い尽くしたし、もうあたし帰るよ」
「じゃあ送っていくよ。車回してくるから、待ってなさい」
「あ、いやいや。いいですよぉ。家、近くだし。それにおじさん、うちの両親とケンカしてて気まずいんでしょー?親父は確実にいないけど、母さんはいるから顔合わせちゃいますよ。一人で帰れますって」
「……うん。悪いな。でも、気をつけてな。それと…」
「わーかってますって!おじさんのことはみんなには内緒!」
「…頼むよ」
父さんは苦笑してた。
うちの父さんと命サンの両親は小学生の頃からの幼馴染みで、でも父さんが母さんと駆け落ちしたときに疎遠になったっきり、そのままらしい。
母さんは…まあ、死んじゃいないってことだけ言っておこう。それで、父子家庭っていうだけで、事情は察して欲しい。
駆け落ちした手前、のこのこ帰るのも嫌だ、って父さんは言ってたけど。俺は、もっと別の深い意味があると睨んでいる。
締め切りと戦っているときの父さんは本気で甲斐性なしの極みだけど、それ以外のときの父さんはちゃんとした大人だ。通すべき筋は通すし、ちゃんと常識も持っている。
だから、そんな子供じみた理由ではないだろう、というのが、俺の意見。
何か知ってそうなタケルさんは何も教えてくれないしさぁ…父さんに直接聞くわけにもいかないんだよなあ。
ちなみに、父さんは命サンには嘘をついている。
子供に話すような内容じゃない、とか言って、それらしき嘘で口止めしている。それが成功しているのは、本当に父さんと命サンの父さんが親友だったとゆー事実があるからに他ならない。俺の家にはそういうの、全然ないんだけど、命サンの家には昔の写真がごろごろしているらしい。前に見せてもらったことがある。
命サンに似た男の子と小さい頃の俺そっくりな父さんが並んで笑っていた。
「じゃーねー!!」
元気よく、命サンは帰っていった。
来たときの期限の悪さが嘘のように、すっきりとした顔をしている。
花島先輩が先生たちにとっちめられたことで、多少は溜飲が下がったらしい。
「…あ、そういえばさぁ、父さん」
「んー?」
全部終わった点滴を外してもらうためにナースコールを押していた父さんが、こっちを見ずに返事をする。
「父さん、命サンのお父さんの親友だったんだろ?」
「ああ」
「じゃあさ、いっちゃん先輩のお父さんも知ってる?」
「いっちゃん先輩?」
父さんが怪訝そうな顔で振り返る。
「パソ部のもう一人の先輩で、泉一花先輩。先輩のお父さんも、命サンのお父さんとは幼馴染みらしいから」
「……」
「…父さん?」
一瞬。
ほんの一瞬だった。
父さんが、泣いているような目をしたから…俺は、思わず父さんを呼ばずにいられなかった。
実際には泣いていなかったけど…でも、どうしてか、泣いているような気がした。
多分、これも”聞いちゃいけないこと”なのだろう。俺はそれを、しっかりと心に刻み込んだ。
「…知ってるよ。あいつとも、昔はよくバカをやったな」
「ふ、ふーん…」
そう言ったときの父さんの目は元に戻っていたけど、それ以上は何も聞けなかった。
明らかに無理して笑っているような父さんに、あんな目をさせるのはあまりにも…なんだろう、とにかく、聞いちゃダメだ、と思えたから。
…父さんたちの間に何があったの、なんて、絶対に、聞けなかった――――。
「あっくん!!」
校門をくぐるなり、俺はいっちゃん先輩の襲撃を受けた。
いや、いっちゃん先輩ならいつでもどこでも、どーんと来い!って感じなんだけどさ。
「怪我!腕、大丈夫!?痛くない!?」
「あいたたたたたっ!先輩せんぱいっ!腕っ、腕痛い!!」
「ええっ、ど、どどどどどうしようミコ!?」
「…とりあえず、腕、離してあげなさい。そうすれば痛くないから」
命サン、ナイスアドバイス。
動転するあまり、いっちゃん先輩は俺の腕を、そりゃもう、しっかりと握り締めてくれたもんだから…昨日塗ったばかりの腕には相当のダメージで…うう、涙が出る。
「ご、ごめんね、あっくん…」
「いーっていーって…悪気はないんだし」
「悪気がない分、始末に悪いけどね〜」
「あう…」
「命サン!」
話をする俺といっちゃん先輩と、それを横からまぜっかえしていく命サン。
――俺の日常的な風景。
昨日、ガラスに突っ込んだときは俺も動転しまくって、大量の血を見て「俺は死ぬのか…」とか思っていた気がする。ああ、懐かしき、平凡な日々……!
問題はまだどっさり山積みだとは思うんだけどさ。…これくらいで幸せ感じきれる俺って、実は幸せな性格をしているのかもしれない。
「花島ね、結局おとがめなしみたいよ」
「何それ!?ひどいじゃないの、あっくん大怪我したのに」
昇降口に向かいながら、命サンといっちゃん先輩は周りを気にせずに大声で話す。ああ…周囲の好奇の視線がちくちくと…。
もしかしたら、花島先輩への言外の嫌がらせなの…かもしれない。
いやっ!いっちゃん先輩に限ってそれはない…とは思うんだけどさぁ。
「あいつの親父、教育委員会の委員長なのよ。んで、漫画バリのべったべたの方法で揉み潰したってさ」
「最悪ね」
「…あ、そういえば、昨日夜遅くに菓子折りもって、花島先輩とその親父さんが家に来てた気がする」
そのとき俺は父さんの仕事部屋でインターネットをしていたから、声だけしか聞いていない。覚えているのは…父さんの声がやけに怒ってたって事だけか。
「こんな夜中に来なきゃいけないほど後ろめたい内容なのか、とかだいいちこんな時間帯に来るのが非常識とか、息子さんに反省の色がないのに許せるのか、とか最後には何か言ってるところをばたん、だもんな」
「さすが、アキラの父さん!やるじゃん」
「しっかりしたお父さんなのね」
普通に生活しているときはね。
言いかけた言葉を途中で飲み込んで、俺は苦笑い。
前にも言ったと思うけど、締め切り真っ最中の父さんはほとんどテンパっている。しかも父さんの放つ不思議な空気のせいで仕事部屋がカオス化しているのもしばしば。キーボードのタイピング音が恐ろしく聞こえるのは、あの時期だ。
締め切り後でよかった、と本気で思う。
「あ、花島」
昇降口の入り口で腕組みで仁王立ちをしているのは、噂の花島先輩。
「…私、ちょっと言ってくる」
「は?」
「え、ちょ、イッカ!?」
戸惑う俺たちをよそに、いっちゃん先輩は勇ましく厳しい目をしてずんずんと花島先輩に歩み寄っていく。
うわ、やばいって!あの人、男女関係なく暴力ふるうような人なんだぞ。サッカー部を男の園なのもあの人が原因…じゃなくて、先輩を止めないと!
が、
「…待って、アキラ」
「へ?」
「アレ…」
命サンが指差すのは、いっちゃん先輩。じゃなくて、花島先輩。
歩いてくるいっちゃん先輩になんか…たじろいでる?あ、一歩後ろに下がって…「くそおぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉっ!!」
長々しい絶叫をドップラー効果を残しながら、全速力で校舎の中に走りこんでいった。途中で派手な音がしたのは、もしかしたら転んだのかもしれない。
「…?」
花島先輩が巻き起こした風で、いっちゃん先輩の髪が揺れる。
本人もどうして逃げられたのかがわからなかったみたいで、しきりに首を傾げている。…が、周りの生徒たちは『あの花島を追い払ったぞ…』やら『すげえ!』やら、賞賛の言葉(?)を呟いていたりする。
同じく首を傾げる俺の耳にしか聞こえない声量で、命サンはこっそりと囁いた。
「花島…イッカのことが好きなのよ」
ぴしっ、とどこかで何かにヒビの入る音が聞こえて気がする。
あの、花島先輩が、いっちゃん先輩を………ってことは!!
「そ、あんたへの嫌がらせの半分の動機は、イッカが原因。ばっかよねーあいつ。気に入らない後輩部から追い出したと思ったら、結果的に好きな女の子に懐くことになっちゃうんだもん」
「…」
「ん?どうした、アキラ」
「………疲れた…」
しゃがみ込んだ俺の頭上で、けらけらと命サンが笑っている。
「ま、あんたを怪我させたことで、アイツ、確実にイッカのブラックリストに載ったから。イッカは怖いのよー。もう絶対恋愛対象にはならないから、安心しなって」
「…はあ」
遠くで予鈴が鳴っている。
いっちゃん先輩が手を振り回して呼んでいるのに、俺は膝の埃をはらって立ち上がった。
「ほらっ、行くよ!」
手を引っ張られながら、俺は前を向いた。
いっちゃん先輩が笑っている。それだけで…現金だけど、俺の気持ちも浮上してきた。
今日もいい日になるといいな。そう思いながら、俺たちは俺たちの学び舎へと足を踏み入れた。
…と、ここで、俺の話は終わり。でも、これが終わっても俺の日常は終わらない。
また会えることを祈って。
――――――――――――――――――――――――――――
…ふう。
これで、終わりだ。編集さんが来る時間は…まだ余裕があるな。
ああ、もう一度、断っておくよ。この話は、フィクションではない。
どこかの世界で本当に起こった、多くの未来のうちのひとつなのだ。彼らはちゃんと生きて、彼らの世界で生活を送っている。
僕は代筆しているだけなのだから。…甘いものが食べたいな。そうだ。こないだ兄さんがお土産に持ってきた………。
END
パラレル子供編。かーなーりー設定弄りまわしているんで、すごいことになっています。
太一の息子光(アキラ)一人称で、光子郎娘とヤマト娘のお話。
一話では全部書ききれなくて、尻切れトンボになっているところがまた撲殺モノ…げふん。
人物設定は備え付けのものを見てくださいv
世界は…デジタルワールドへの道が事故で塞がってしまっているということで。
一花の父親(笑)が、ソフト会社に勤める傍らでこつこつと研究をすすめています。
風成さん、お目汚し、すいませんでしたーー!!(汗)
2002'8'30 瑞木由良 拝.
せっかく(説明もあるし…!)のコメントですので残させていただきましたvv
ていうか、全然お目汚しなんかじゃないですよ!!!
もう本当に、素敵な話をどうもありがとうございました…!!!!!!
オリジナルキャラが本気で可愛いし、太一さんたちの恋の様相も気になるしで、本当に先が気になるお話です…!!!
もう、こんなに幸せでいいんでしょうか私……!!!
本当にいつもありがとうございます……!!!!!(深く深く一礼)