『真綿の刑罰』






 彼はひどく簡単に、彼女の心を振り回す。
 優しい声。優しい仕草。
 なんでもないような様子で、彼女が特別であるように振る舞い、君のためだったらと微笑する。
 けれど、望美は知っている。
(あのひとにとって、本当に必要なのは私じゃない)
 ただの春日望美ではない。
 彼は、白龍の神子であり、源氏の神子である望美を欲している。尊んでいる。好いているのだ。
(…たとえば、私が何の力も持たない、ただの時空の迷子だったら? ううん、それだけじゃない。ただ戦争に巻き込まれただけの、利用価値なんて一つもない女の子だったら、あのひとはどうしただろう?)
 そんなこと、考えるまでもない。――仮定するまでもない。
 望美はうっすら苦笑して、心の中で答えを出す。
 そう。聞くまでもないわこんなこと。
「……望美さん、どうしました?」
 黙って苦笑した望美を怪訝に思ったのだろう。
 彼女の傍で馬上の人となっていた弁慶が、手綱を引いて望美の隣に並ぶ。
 細やかな気遣い。
 きっと、ここで望美が「疲れているんです」とか、「少しだるいんです」などと言おうものなら、優しい彼は微笑んで、彼女の容態に適したものを用意してくれるかもしれない。
 笑顔の裏で、脆弱な小娘に呆れていたとしても、そんな様子はおくびにも出さず、彼は望美に対して優しく振舞うことだろう。
「……」
 望美は、困ったように嗤ってから、「ただちょっと」――僅か、言いよどんで。
「……ただ、ちょっとあなたのことを考えていたんです。弁慶さん」
 それから、にこり、笑って、本当のことを口にした。
 本当のことを口にして、煙に巻いた。
 弁慶は、その言葉に少々目を見張ってから、少し笑う。
「そうですか。――それは、光栄なことですね」と。
 僅かに苦笑を含んだような、…あるいは、何かを探るような深い色の眼差しで、望美に笑いかけるのだ。





********




 ――彼は、優しい人だ。
 それは、疑うべくもない。
 いささか行儀悪く、ううんと足を伸ばしながら、望美はため息をつく。
「どうしたの、神子? …何か、悲しいことでもあった?」
 そんな彼女の姿を見咎めてか、傍にいた白龍が気遣わしげに彼女を見下ろした。
 初めて会ったときと比べて、随分成長してしまった望美の龍の端正な顔。
 それが、幼い姿の頃と同様に不用意なほど近くにあることに気づき、望美は慌てて顔を上げ、白龍を安心させるように笑った。
「どうして? そんなこと全然ないよ、白龍!」
 にこっと明るく笑ってみせるのに、けれど、白龍の気遣わしげな表情は消えない。
「…だけれど、気が乱れているよ神子。何か悲しいことがあったように、細波を立てているようだ」
「……そう、かな?」
 彼女の龍には、隠し事ができない。
 望美はそのことを改めて認識しながら、それでもごまかすような微笑みを消さない。
(ああ。…こうやって、変なところばかり、あのひとに影響を受けちゃってるな)
 そうしながら、ふと思い浮かべた「あのひと」の微笑みが、望美の心に小さな痛みを残す。
 けれど、望美はそんな痛みなど気づかぬ素振りで、微笑みを浮かべたまま白龍に話した。
「でも、大丈夫だよ。…多分、ちょっと疲れただけ。今日、後白河法皇に教えてもらって行ってみた場所で、呪詛の位置よく分からなかったでしょう? だから、余計に疲れたんだよ。大丈夫。明日になったら、また元気になってるから、ね?」
「そう…? 神子が、そう言うのなら、きっとそうなのだろうけど」
 しかし、白龍の目からは気遣わしげな色が消えない。
 そのことが気になって、望美が更に「自分が大丈夫である理由」をあげつらおうとしたとき、白龍の背後にヌッと立った影が「そのくらいにしといてやれよ」と苦笑した。
「将臣くん」
「よ、望美」
 白龍の背後から顔を出した望美の幼馴染は、面食らった様子の望美をからかうように片目を瞑り、白龍の首にぐいっと腕を回す。
「将臣? これでは苦しい」
「そうかぁ? 親愛表現だぜ、白龍。……ま、とにかくさ。望美は疲れてねえって言ってんだから、そのくらいにしといてやってくれよ」
 困惑したような眼差しで将臣を見る白龍に、将臣は軽く笑って、ずるずる、その場から白龍を引きずるようにしてつれていく。
「将臣、そんな風に引っ張られては神子の傍から離れてしまう…!」
「いいんだよ。…疲れてるって言うんなら、一人にしてやろうぜ」
 困惑を通り越して、悲しそうな顔になる白龍に、将臣は苦笑と共にそう告げて、じゃあな、と、二人で望美の部屋から出て行く。
 その不器用でいささか荒っぽい気遣いに、望美は小さくクスリと笑った。
「…将臣くん、変わってないなあ」
 一人にしてくれたこと、後でお礼言わなくちゃ。
 そう呟いてから、望美は伸ばした足もそのままに、壁にべったりともたれかかった。
 京が、次に狙われる可能性が大きい。
 望美が、一番最初に見た未来で――戦火に飲み込まれてしまった京を思いながら選んだ道先。
 それが当たったのはよかったが、まさか既に怨霊がこれほど現れているとは思わなかった。
 望美は覚えず、また小さくため息をついた。
 邸に戻った朔は、邸内の片付けをしており、景時はたまった洗濯物を嬉しげに片付けに行った。
 しかし、兄妹のどちらかを手伝おうとした望美に、朔はにこり笑って、手早く整えた部屋の一つに彼女を通し「ここで休んでいて頂戴」と告げ、彼女が手伝うことを許してくれなかった。
 手伝いが必要になったら呼ぶから、それまでここで休んでくれる、と微笑む親友に、望美は白龍とは違う意味で隠し事のできない相手を思い知った。
 きっと、朔はとうの昔に気づいていたのだ。
 望美が何一つ相談しない、相談できない、やりきれない想いを抱え込んでいることを。
 そうして、前にも後ろにも歩けないくらい煮詰まっていることにも、気づいていたのだ。
 だから彼女は、自分と同じくらいの道程を歩いてきた望美をあえて気遣って、この部屋に残していったのだろう。
 有難くて涙が出てきてしまいそうだった。
 彼女の優しさは、なんて胸にせまるのだろう? なんて暖かく、胸に沁み入るのだろう。
(あのひとの、優しさとは違う。……あのひとの優しさは。…優しいことは間違いないのに。……私のことを気遣ってくれることは、本当なのに。どうしてだか、痛いばかりだから)
 胸に痛い、優しい言葉ばかりだから。
 真綿に包んだような優しい言葉なのに、その奥には、鋭い何かが潜んでいるようだから。
(だから、胸に痛いのかな…。……ううん、違うな。あのひとだから。…彼だから、痛いんだ)
 そこでまた、望美は小さくため息をついた。
 望美以外は誰もいない部屋の中。
 …八葉たちは、皆、それぞれの用事に出かけており、そうでない者は、朔につれられて、片付けの手伝いに行っている。
 唯一残っていた白龍さえも、先ほど将臣につれられて出て行った。
 望美はその事実に、白龍には申し訳ないと思いながらも、今度は安堵の息をついた。
 一人にしてもらえたのは、実際有難かった。
 気を遣わず、一人でため息をついていられることが嬉しかった。
 望美は壁にべったりともたれたまま、うとうとと瞬きを繰り返す。
 背中は、まるで壁と一つになってしまったかのように、そこから離れようとしてくれない。
 頭の奥には、壁に張り付いた背中と同じように、べったりと残ったあの日の残像。
 赤い炎に包まれる兵たちを捨てて、先に進もうと冷厳な眼差しで告げるかの人の影。
 …港を離れた僅かな残党に、躊躇わずに火を放つ、あのひとの影。
 望美に優しげな眼差しを向けながら、優しく語りかけながら、それでいて、いつも心に冷たい壁を持ったひとの姿。
(嫌だな。…夢の中でくらい、……本当に、優しく笑ってくれたらいいのに)
 いや、優しくなくてもいい。どうか、夢の中でくらい、本当の顔で。
 本当のことばで、望美に語りかけてくれたらいいのに。
 望美はそんな自分を嗤いながら、そのままとろり、目を閉じた。
 薄く開いた隙間から、漏れこぼれる西陽が、肩をじわり暖めていく。
 ほんの少しだけ。
 望美は、そう思って、目を閉じた。
 ほんの少しだけ。そのうち、朔が手が足りないと呼びに来るまで。この西陽が消えないうちに、また目を開けるつもりで。
 けれど、そう思ったのもつかの間。
 疲弊しきっていた望美の身体は、久方ぶりに訪れた暖かい部屋のぬくもりに、たちまち深い眠りの底に沈みこんだ。


 ――それから、望美は切れ切れに、長い夢を見た。
 いや、長いというのは錯覚だったのかもしれない。
 まず見えたのは、あの日の赤い夢。
 繰り返し、望美の記憶に君臨し、京を蹂躙する赤い炎。
 その中で、傲慢な目つきをした幼い子どもが、平知盛が、惟盛が嗤う。
 弁慶と景時はもう死んでしまったと告げて、望美たちを嘲笑う。
 そんなの信じられないと叫んで望美は、ぐらり、ぐらりと時空を彷徨う。
 宇治川を巡り、京を訪れ、鎌倉に行ったかと思えば、福原で、大輪田泊で呆然と立ちすくんで。
 …――望美さん。
 優しい、けれど冷たい声が、彼女の名前を呼んで、どこか失望したような顔で望美を見つめている。
 どうして戻ってきてしまったんですかと、海の上、舟が幾つも燃える光景を背に、望美を見ている。
 冷たい、けれど優しい声が、彼女の名前を呼んで、どこか諦めたような顔で望美を見つめている。
 君を騙しきれなかったことだけが僕の後悔ですと言って、苦しげに眉を寄せて、望美を見ている。
 望美さん。
 優しい響き。
 神子殿と呼んだ方がいいのでしょうかと、いつだろうか、真面目な顔で聞かれたような気がする。
 まだ出会ったばかりだった。あれは宇治川だっただろうか。
 いいえ、名前で呼んでください。
 名前で呼んで、神子なんて呼ばないで。
 だってそれは私じゃない。私は神子じゃない。神子なんて名前じゃない。
 ぐるぐる。
 まるで、昔読んだ御伽噺のようだ。
 望美は出口のない、切れ間ない夢の中を、ぐるぐる、ぐるりと彷徨っている。
 あちらこちらに覗く影、被り布で頭を覆った、長い薙刀を握った影を、探して。彷徨って。追いかけて。戸惑って。
 不意に、彼が振り返って苦笑した。
 まだ望美が追いつけない場所で笑った。
「…――望美さん」
 優しい顔で。どこか苦笑に似た顔で。
 本当に、近いような。
 …本当の笑顔に、近いように顔つきで。
「――望美さん」
 名前を呼ぶ。
 柔らかい真綿に包まれた言葉。その奥に、鋭い刃を隠した優しさで、彼は笑って。
 目を細めて。
 べんけいさん、と、そう叫んで駆け寄る望美に、彼はそのまま手を伸ばして。

 ――そして。


「…望美さん」
 緩やかに揺さぶられたそこで、望美の意識は急速に浮上した。
 まだ呆けた頭のままで、望美は緩慢な瞬きを繰り返す。
「……望美さん。僕の声が、聞こえますか?」
 耳に届くのは、夢の名残かそれとも現か。
 苦笑するように響く、優しい弁慶の声。
「………、べんけいさん?」
「? ええ。僕ですよ。…ふふ、嬉しいな。僕の夢でも見ていてくれたんですか? そんなにあどけない顔をして」
 いけない人だ、と弁慶がいつもの言葉を呟いたところで、望美はようやく覚醒した。
 左肩を暖めていた筈の西陽は、とっくに消えている。掛け布もなく眠っていたせいか、身体はすっかり冷えていた。
 そして望美は、暗い部屋の中、自分の肩を掴んで寝顔を覗き込んでいるような体勢の弁慶に、ようやく「えっ」と声を上げる。
「えっ、ど、どうして! 何で弁慶さんここにいるんですかっ?」
 確か、久しぶりに五条の橋のあたりを見に行くとか言ってませんでしたかっと慌てて弁慶から身を離す望美に、弁慶はくすくす笑う。
「ええ。見てきましたよ。あのあたりの馴染みの人たちにも挨拶してきて、それから足りない薬を用立てて…、きちんと用件はこなして帰ってきたんですけどね。……僕たちは、どうやら君を随分と疲れさせてしまっていたみたいだ。駄目ですよ。眠るのなら、朔殿に寝具を出してもらえばよかったのに」
 だ、だって、朔は忙しそうだったし、そもそも私はこんなに長く寝るつもりはなくて……、と望美はもごもご口の中で呟いたが、弁慶はにこにこ笑って望美を見ているだけだ。
 ――何故だか、やけに機嫌がいい。
 望美はそのことにようやく気づいて、何かいいことあったんですか? と不思議そうに弁慶を見上げた。
「いいえ? そう大したことはありませんよ。……君にご報告するまでもない、瑣末なことですから」
 弁慶はその言葉に小さく笑って、望美の髪についた癖を直すように、彼女の髪を指で梳いた。
 一瞬女性的にも見えかねない弁慶の端正な容姿に似合わず、細いけれど、節がごつごつした指。
 するり。
 望美の髪の毛をさらり、梳いた弁慶は、「さあ、立てますか?」と笑いかけた。
「そろそろ、朔殿が夕餉にと君を呼びに来るでしょうから」
 差し伸べられた掌。
 上向けられたそれが、望美を誘う。
 その光景に、望美はふと夢の中を思い出して眉を寄せた。
 結局、とることができなかった弁慶の掌。それが思い出されて、望美は眉を寄せたまま、けれど慌てて弁慶の手をとった。
 弁慶はそれを楽しげに見下ろして、それから気遣わしげに表情を曇らせた。
 見かけにそぐわず、力強い腕が望美の身体をひっぱりあげる。
 そうされて、ようやく立ち上がった望美に向けて、彼は「あまり、一人で無理をしてはいけませんよ」と告げた。
「……」
 その優しい言葉に、望美は「はい」と従順に言葉を返す。
 そして、弁慶に握られたままの掌を自ら振り払うことなく、きゅっと唇を引き結んだ。
 ねえ弁慶さん。あなたのその優しさはどうしてですか?
 …あなたは、きっと私以外のひとにもそんな風に振舞うのでしょう?
 小さな怪我でも、いけませんよと微笑んで、傷薬を用意して、魔法のように治してしまうのでしょう?
 ……本当は、私のことなんて爪の先ほども信用していないのでしょう?
 龍神の神子だから、だから私をつれて、協力を求めて、特別扱いしてくれるのでしょう?
 問うことなどできはしない言葉ばかりが、ぐるぐる脳裏をめぐっていく。
 それがひどく苦しくて、望美はまたそっと眉を寄せた。
 弁慶は、そんな望美の様子には何一つ気づかないようで、彼女の手を握ったまま部屋を出ようとして、ああ、と足を止める。
「失礼しました。…手を、つないだままでしたね」
 僕としてはこのままでも構わないのですか、と目配せしてみせる弁慶に、望美は私もそう思うんですとは言えず、黙ってつないだ手をほどいた。
「望美さん」
 黙っていることを訝しく思ったのだろうか。
 弁慶の声が、不審そうな、心配げな響きを帯びる。
 けれど、望美は本当のことは何一つ言えないまま。
 ――あなたが好きだから、私はこんなに、一つ一つ、一喜一憂してるんですよなどと、言えないまま。
「…どうしました? 何か、気がかりなことでも?」
 そう尋ねる弁慶に、ただ微笑んで。
 なんでもないんです、と呟く。
 ほどいた手の中を、すり抜けていく風の感触。それがやけに冷たいなと思いながら、弁慶よりも先に部屋を出て行く。
 嘘の優しさ。
 本当か分からない優しさ。
 それを一つ一つ疑ってもきりがないのに、と思いながら。
 ……望美が、彼をどう想っているのか。
 それに気づいてくれたらいいのにと、本当の言葉を何一つ口にできないままでいる自分がいけないのだと気づきながら。
 少しひやりとした、秋の宵口の空気。
 そんなものが肩口をすり抜けていくのを感じる望美の後ろに、弁慶は黙って続いて。
(こんなに近くにいるのに)
 聞くこともできない。
 本当を、告げることもできない距離が、ひどくもどかしい。
 けれど望美はそこで、振り返る勇気もなく。
 弁慶が、望美の背中をじつと見つめていることも知らず。……人知れず、苦笑して、嘆息してことも知らず。
 僅かに開いた掌を、寒そうにたわめたことも気づかず。
「そうですか。……気がかりなことがないというのなら、僕も安心しました」
 真綿に包んだ言葉を望美に手渡す。…その感触に怯え、本当のことを口にできない自分に、困惑するしかない。
 その奥には、何が隠されているのだろう?
 けれど、それを探る勇気はまだないから、だからまだ見えぬ中身に怯えて立ち尽くすのだ。
 ……望美を突き放す言葉が隠れていたどうしようと、まだ起こってもいない未来に、戸惑っているのだ。
「…望美さん」
 そのとき、不意に弁慶が望美の名前を呼んだ。
 望美はその響きに心を震わせながら、そっと弁慶を振り返る。
 暗闇に沈む廊下で、彼は一体どんな表情をしているのだろう。ここからでは、よく見えない。
 もしかしたら、あの夢で見たように、本当に近い顔で。
 ……本当に近い顔で、そっと苦笑しているのかもしれない。
「なんですか」
 僅かに語尾が震えた。それを不甲斐なく思いながら答えた言葉に、弁慶は、闇の中。
「……いいえ」
 少し黙ってから、ただ、そう言って。
 闇の中から、ようやく望美に見えるところまで顔を出したかと思えば、にこり、穏やかに笑んで、手を差し伸べた。
「京は思ったより冷えますね。…望美さん、お許しいただけるのでしたら、もう少しだけ、手をつないでいきませんか」
 せめて、この廊下を抜けるまで。
 彼がそう言って笑う、告げる、柔らかいものに包んだ優しい言葉。
 望美はそれを受け取りかねて――、疑いかねて、立ち尽くしかけ、しかし、すぐにぱっと顔を上げて、差し伸べられた手をとった。
「はい、いいですよ。…私も、少し寒かったんです」
 手をつなぐのが嬉しいなんていえない。
 手を離すのが辛かったなんていえない。
(ああ。結局私も嘘ばかり。…本当のことなんて言えないまま、こうやって意地を張ってばかりで)
 ありがとうございます。
 弁慶が答えて、望美の手を握った。
 ぎゅっと握り締めたその手は、望美のものより大きくて、少し硬くてごつごつしていた。
 闇に満ちた廊下で、そっと盗み見た弁慶の横顔は、相変わらず。
 つかみどころのない、優しい顔のまま。
(……触れたところから、嘘じゃない、ほんとうが伝わればいいのに)
 望美はそんな埒もないことを祈って、弁慶と同じようにそっと前を向いた。
 大きな手、長い指。
 望美の手を握る弁慶の手の感触に、睫を揺らしながら。
 前を向く望美の横顔を、じっと弁慶が見つめていることになど気づかずに。
 ……気づかれないように、彼がそっと切なく苦笑したことにも気づかずに。
 まるで、自分に、相手に、――恋に嘘をつく罰を受けているかのように。

 二人は互いに嘘を秘めたまま、柔らかい闇の中に冷たい痛みを潜ませて、無言のまま廊下を歩いていった。

























久々の弁神子です。
このお題は前々から弁神子だなあと思って考えていた題目だったので、早く片付けたかったのですが…。
何だか、いまいち刑罰の理由が分かりづらくなってしまいました。
弁さんも書くたび違う人になります。まあなんていうか、たぶん三人目だと思うの。あれ四人目ですか。
次に書くときはED後のラブってる二人を書いてみたいです。