『 そして花は風に散らされて、来年また咲くことだろう 』
その娘を、まるで花のようだと思った。
(……こいつはまた。風が吹いたら散ってしまいそうな、可憐な姫君だね)
龍神の神子だといわれている娘は、存外飾り気のない娘だった。面差しもどこか凛として、真っ直ぐだ。
けれど、その眼差しは時折甘く、優しく、さながらまさに今の季節匂い立つ花の香の如く、惜しげもなく周囲に与えられている。
中でも最もその眼差しを甘受しているのは、町に出るとき、決まってその娘の手を取ってはしゃぐ童子だろう。
見るもの全てが目新しいのだろう。童子は娘の手を引いて、物珍しいものを示して笑う。
結構なことだ。あの年頃の童にとって、世界はただ真新しい。
そして娘は童子に手を引かれて、ふわり笑う。
僅か、漂う。花の匂い。
(可愛いね。けれど、――可愛いだけで、龍神の神子ってやつは務まるのかい?)
時折、ひゅうと風を裂くように、無造作に投げられる視線を感じる。
その主は、恐らく娘の傍らに控えるものの一人。頭から女人のような被り布を被った、あの男のものだろう。
彼は勿論、とうに気づいているだろう。彼が守るべき娘を、じつと観察するものの存在に。
(だけれど、決め手がないだろう? オレが何をしようとしてるのか。それが分からない限り、あんたはオレの存在を誰にも言わない)
根っからの秘密主義で、物事を全て自分の盤上に乗せておかねば、気が済まぬような彼。
だから彼は何も言わない。
娘の傍で、笑えてしまうような甘い微笑を浮かべ、平和に町の案内などをしている。
彼とは逆隣に控えて、どこか張り詰めた青い警戒をあらわにしているのは、恐らく娘の元々の連れだろう。
娘が話しかける、その言葉もどこか気安い。
あのものも、恐らく彼女を守る使命を帯びたものなのだろう。けれど、それ以上に娘に焦がれているのが、傍目にもよくわかる。
――ああ。罪な姫君だね。
口の中で、言葉を小さくころがした。いささか乾いた口中を、じわり唾液で潤して。
そう。それから恐らく、すぐ傍らにいるのは、梶原家の姫君だろう。
娘同士どんな密談があるのか知らないが、時折顔を見合わせてはくすくすりと笑いあっている。微笑ましいことだ。
(…まあ、愛らしいことには違いないけれど。やっぱりこれだけじゃあ、つまらないね。見ているだけじゃわからない。……そろそろ、姫君のご尊顔を間近で拝謁させていただけないものかな)
そう思って身を起こした。
横を見ると、烏が控えていた。戦況報告か。
まだ当分こちらに?
その問いかけに、ああと応えた。「当分京にいるつもりだよ。――じゃあ、この文を頼むぜ」
ただこっちでサボっているってわけじゃないんだがな。
苦笑して娘に視線を戻せば、しかし、そこでは娘が、何かに気付いたように足を止めている。
声が聞こえるか、聞こえないかのぎりぎりの位置。
娘はそこで、何かを見つけたように目を瞬かせた。
その眼差しが、あるはずもないのに、何故かまっすぐこちらを見ているような気になる。
何を見つけたんだい姫君。
そう問いかける声など無論知らず、姫君は突然走り出す。何を聞いたか、何を見たか?
ああ、どちらにしてもその潔い走りっぷりはオレの好みだよ。神子姫様。
あんたは足が速いね。……お供の皆様も、みいんなおいてきぼりじゃないか。
くつり笑って、負けじと走り出す。――さあて、追いつけるかな? 追いついたら、ちょうどいい。姫君にご挨拶をさせていただこう。
(そう。そろそろ、見ているだけには飽きちまったよ)
けれど、然程走る必要もなく、娘には追いついてしまった。
否、娘が足止めされているところに出くわしたというか。
花の如き娘に絡んでいるのは、どいつもこいつも面白くもないありきたりなごろつきども。
ああ、不愉快だ。どけよ、てめぇら。
足を止めて、口を開きかける。さあ、待ってな姫君。助けてあげるよ。まだ話してもいないうちから、愛らしく散りやすい可憐な花に、無粋な手で触れられるのは不愉快だ。
しかし、口を開くその前に、ふと凛とした様子でごろつきどもを睨みつけている娘に気付く。
――まっすぐ、まっすぐ。
気炎もあらわに、ぎらり睨みつけて。
華奢な手が、柄に伸びかけてやめた。……それはまるで、立派な一人前の武士の仕草。
(ふうん。正解だよ姫君。…こんなごろつきどもにくれてやるのには、一太刀だとて勿体ない)
そんなことを冷静に考えながらも、眼差しは奪われる。
頭では分かっているのに体は動かない。そう、まさしくそんな具合だ。
可憐な花は、賢い獣の目をしていた。
その目が、真っ直ぐこちらを見つめる。射抜く。――仕留められる?
「――ヒノエくん。私は、あなたに会いに来たんだよ」
けれど、そうして、今目前に立って。
嬉しげに顔をほころばせて。
武士の仕草、獣の眼差し、神子のりりしさ。……そんなものから、綺麗にただの娘の顔に切り替えて。
そんなことを、娘は言う。
散りやすく、揺れやすく、うつろいやすい。
まるで花のように、鮮やかに笑って。
*****
「ヒノエくんは、いつから私のことを見張っていたの?」
望美は、下鴨神社の桜の下。
自分こそが桜のように、ひらり、ひら、と踊るような軽い足取りでヒノエの前に立ち、朗らかにそう尋ねた。
「そいつはまた、随分手厳しいね。姫君。……見張ってたというより、見つめていたと言ってくれないかい?」
ヒノエはただ肩をすくめて、風に揺れる花びらのような望美に笑いかける。
足裏に、乾いた地面と積もる花びらの感触。望美は足を止めないまま、それは無理だよと笑い返す。
「だって、見張っていたんでしょう? …そうでなきゃ、あんなタイミングで助けてくれるわけないもの」
言ってから、望美は慌てて口に手を当てた。そして決まりの悪そうな様子で首を傾げ、立ち止まってヒノエを見上げる。
「…ごめんね。何だかこの言い方可愛くないな。――助けてもらえて、嬉しかったのは、ホントだよ?」
その可愛らしい仕草に、ヒノエは小さく笑う。
「そいつは役得だ。まあ、麗しい花の如き神子姫に目を奪われてたのは本当だから――、そういうことにしといてもいいかな」
…ああ、またそういう恥ずかしいことを言って!
むくれる望美の髪に、はらり、花びらが舞い降りた。
ヒノエはそれを、何気ない仕草で拾い上げ、望美の髪の毛に触れる。
「ヒノエくん?」
薄桃色の唇。
紅を引いてはいない、けれど僅かに薄く色づいたような唇が、ヒノエの名前を呼ぶ。
いとけないくせに、色香を帯びた仕草。天然の甘さを披露する、彼女の眼差し。
――悪くない。
ヒノエはそう考えながら見つめ、薄く目を細めた。
「なんでもない。……可憐な花びらが、お前の髪に悪戯をしたのさ」
そう言う間も、ひらり手前勝手に舞い踊る花びらたち。
普通に喋れないのかなあと顔を赤らめる望美。
ヒノエはそんな彼女を見下ろしながら、その柔らかい掌に花びらを乗せてやった。
(指の付け根に、傷)
見つけた真新しいそれは、剣を振るうものにつきものの傷。
大原で披露してくれた見事な剣術を支える、小さな傷跡。
「……いつまで手を握ってるつもりなの?」
ちろり、望美が拗ねたような、照れたような顔でヒノエを見上げた。
そんな仕草は、まさしくただの少女なのだけれど。
ヒノエは、お前の許しがあれば永遠にだって握っていたいのだけれどと囁きかけて、顔を真っ赤にした望美の手を解放してあげた。
くるくるかわる表情が愛らしい。冷静な獣の目つきと、ただの娘の顔つき。……そう、それから神子の顔。
彼女はそんなものを、全く幾つも隠し持っている。
(花みたいに可愛くて。……花みたいに弱いとしか、思ってなかったんだけどな?)
ヒノエはちらり、舌を覗かせて、もう知らないと横を向いてしまった望美を見やった。
花びらは依然として舞い続ける。
去年よりもいっそう輝いているように見える、美しいこの花は、きっと来年も美しく咲き誇ることだろう。
「すねるなよ、望美。……そんな顔もいいけど、折角の二人きりなんだ。お前は笑ってるのが、一番可愛いんだぜ?」
だから、ヒノエはそう話しかけた。さあ、一番の顔を見せてくれないか、オレの神子姫と薄く笑って。
望美に、恭しく手を差し伸べた。
「……ずるいなあ。ヒノエくんは」
望美は、そう言って困ったように笑う。
彼女は、差し出されたヒノエの掌に、自分の手をそっと乗せた。
その拍子に、ひらり、花びらが零れる。それは、先ほどヒノエが望美の髪から拾った花びら。
ひらひらと舞い踊りながら、それは地面に落ちた。
けれど、そうして落ちていく間すら、どこか美しく。――諦め悪く、風に逆らうように舞い続けて。
「あ、見てヒノエくん。……あっちの桜、凄く大きいよ! もっと近くで見ようよ!」
「…おっと、――全く、姫君はせっかちだね」
それをつい目で追ってしまっていたヒノエの手を、望美が勢いよくひっぱった。
仕様がない。
ヒノエは笑って、望美に手を引かれ(あるいは手を引いて)彼女と歩いていく。
――まるで花みたいだと思った娘は、美しくて強靭なところすら、花のようだった。
そんな花みたいな彼女に手を引かれ、花霞の中を歩いていく。
それが全く冗談のようで、ヒノエはまた笑い出しそうになってしまった。
ああ。これぞまさに一目惚れの有様だと言ったら。
――花みたいなお前は、笑うかい?
勢いだけで書いてしまいましたー。ヒノエ×神子です。
とにかくヒノエが好きです…。おおう…。今後増えてしまったら、笑ってやってください。
遙かシリーズの中で一番はまってしまったかもしれません…。く、くやしい。(何故…)