『 愛を乞うこども 』





 熊野の海は、どこまでも深く、青い。
 中でも夕焼けは格別だ。――身に染みるほどに深い真紅は、広く深い海を朱色に輝かせる。
「…綺麗、だね」
 望美は言葉を詰まらせながら、ようよう、そう呟いた。
 感受性の強い眼差しが、熊野の雄大な自然に揺れ、瞬く。長い睫が、しぱしぱと揺れる。
 ヒノエはそれを見つめて、満足げに微笑む。彼より、少しだけ小柄な少女。龍神の神子。彼女が、彼の行うことで気持ちを動かすのが、とかく嬉しくて仕方ない。
 男ってのは、全く単純なもんだ。
 そう考えながら、ヒノエは望美の隣に立って海を指し示した。
「だろう? …ここの眺めは、特に格別なんだ。だから、余計にお前に見せてやりたかったのさ」
 来てよかっただろ?
 笑いながらそう話しかけると、望美はようやく視線を海からヒノエに移した。
 そして彼女は、普段ならけして見せないような、大人びたような――あるいは何かを見通しているような深い眼差しで、うんそうだね、とだけ呟く。
 海が綺麗、森が綺麗、熊野は本当に綺麗、と無邪気にはしゃいでいた筈の望美の顔ではない。
 ――朱色に染まる風景に取り込まれた望美は、いつもの彼女ではないように見えた。
 あるいは、同じようにヒノエもいつもの彼ではないのかもしれない。
 夕焼けはひとの心を狂わせる。
 青い空と、青い海。冴え冴えとした色合いに囲まれているときならば、保てる筈の心の均衡。
 そんなものたちが、この血色に染まった風景の中では、頼りなくぐずぐずと崩れていく。
「とても綺麗。――私が今まで見た中で、一番かもしれないね」
「――そうかい」
 一番だと、言う。その声に、素直に喜べず、ヒノエは小さく眉を寄せた。…姫君、「かもしれない」っていうのが少し余計な気がするよ?
 そんな小さなことで興ざめるのも下らないと思いながらも「ここに並ぶ景色が他にもあるって言うんなら、この世はまだまだ広いってことだな」とヒノエは呟いた。望美が、困ったように笑う。けれど、そうしながらも彼女は訂正しない。
「それはもしかして、お前のいた世界?」
「…ううん」
「そう。…じゃあ、こちらの世界か」
「うん」
 望美は苦笑した。そして、そんなに追求しないで、と首を傾げてみせる。
 それが姫君のお望みなら仕方ない。だがそれ以上に、わざわざ追求するのも面白くないような気がして、ヒノエは肩をすくめた。
 ――彼女には、ヒノエの知らない過去がある。
 それは全く当たり前のことだ。ヒノエだとて、望美に全てを告げているわけではない。
(今だって、オレはお前に隠し事をしている)
 それは、僅かな罪悪感を伴ってヒノエの胸に落ちる。……けれど、ヒノエは熊野の頭領だ。
 彼が手にしているものは、彼だけの命ではない。彼だけの、生活ではない。
 それらはヒノエの足に絡みつく枷であると同時に、彼の帰り着く場所でもある、心地よい重みだ。
 それを煩わしいと思うのは、このように望美に隠し事をしなくてはならないときくらいだろうか。
 周囲が思うほど、ヒノエは広い世界に出たいと思っているわけでも、彼を縛る枷を煩わしく思っているわけではない。
 ……そうして、二人が黙って海を見つめている間にも、太陽はじわじわと沈んでいく。
 ほどなくして、闇が訪れた。柔らかな夜。――夏の面影を強く残した熊野を、静かに包み込む夜。
「…すっかり陽が、落ちちゃったね。帰らないと…」
 陽が暮れ始めた、と思ってからは、ひどくあっという間に夜が降りてきた。
 望美はそれに戸惑ったような呟きを漏らして、ヒノエを顧みた。
 惑うように揺れる眼差しが、ヒノエを見て、やや安心したように瞬く。
「かえろ。ヒノエくん」
 それまで乗っていた小さな岩から、彼女はひらりと降りた。微笑んで、ヒノエの前に立つ。
 こんな小さな仕草が、いちいちひどく可愛らしい。
 ヒノエはゆっくり笑って、彼のいとしい神子姫に手を差し伸べた。望美は何一つ疑うことなく、その手を握り締める。
 胼胝の出来た、少しばかり荒れた娘の手。けれど、それすらも彼の胸を甘く刺すようで。
「――帰したくないな」
 ヒノエは、小さく独りごちた。えっ、と望美が声を上げる。……勿論、ヒノエの呟きが聞こえたのだろう。
 薄暗がりの中で、望美の目が見開かれる。
「もう少し、二人きりの時間を楽しんではいけないかい。…望美」
 言いながら、無防備な娘の手を引き寄せた。
 戦闘において、優れたはたらきを行う小さな掌。けれど、それはヒノエがこうして引くとき、あまりにも弱く。
 望美は、呆れるほど無防備にヒノエの腕の中におさまってしまった。彼女自身、その事実に惑ったように、ヒノエをどこか頼りなげに見上げる。
「……かわいいね。怯えているの?」
「お、怯えてなんか」
「…声が震えているよ」
 甘さを注ぎ込むように耳元で囁けば、びくっと望美の身体が震えた。…腰に回す手に柔らかく力を込める。逃げられそうで、逃げられない腕の檻。逃したくない、腕の檻。
「その震えは、男としてのオレに震えているのかな。――それとも、単純にオレの行動が怖い?」
 望美は、その問いに答えずに目を伏せた。
 しらない。
 小さく呟くそれは、どこか拗ねているような響きだ。
 こんな風に、腕の中に捉えられることには慣れていない。恋に不慣れな少女の仕草。
 だけれど、ヒノエの真意をはかるように恐る恐る見上げられる。…その目の中に映るのは、確かにヒノエ自身。その筈なのに、何故か胸にざわりと違和感がはしる。
 オレを通して、誰を見ているんだい。姫君。
 そう問いかけようとして口を開き、けれど閉じた。……そうではない。確かに、彼女はヒノエを見ている。それは間違いないのに、この違和感は何だろう。
 彼女と恋をする。それが、初めてではないような、この不可思議な感覚。
 訝しげに目を細めて、ヒノエは問いかける。
「なあ、――」
 けれど、それをうまく言葉にすることができず、ヒノエは結局全く別のことを口にした。
「……オレの姫君。お前は、本気の恋ってヤツを知っているのかな」
 腕の中で、ことり、望美の肩が揺れた。そして、望美の目が真っ直ぐにヒノエを見上げる。
「――」
 彼女の目が、僅か、迷ったように揺れた。しかし、告げられた答えは迷いなく明瞭だった。
「うん。…知ってるよ」
 そうして、彼女はどこか曖昧に微笑んだ。…全体こどもっぽい彼女が時折覗かせる、奇妙に大人びた顔付き。
「…へえ? そう。それは、今この瞬間だって、そうとってもいいのかい」
「さあ…、それはどうかな」
 私に聞くばっかりじゃずるいよ。ヒノエくんも考えて。
 ふふ、と小さく笑う望美に、ヒノエは目を細める。
「姫君は謎めいているところも、いいね」
 本気の恋の相手。それは、ヒノエじゃない誰かかもしれないとほのめかす、腕の中の少女。
 ヒノエはそれを軽く笑って、睫が触れるほど、望美に顔を近づけた。
「――いいさ。お前の過去がどうだとしても、これから、オレに本気にさせればいいんだろ?」
 自信はあるよ。…なんたって、このオレが本気になってるんだから。
 ついでのようにそう囁いた。その言葉に、望美は目を丸くして――それから、ひどく赤くなって俯いてしまった。
「どうしたんだい。望美。……顔が赤いよ?」
「し、知らないったら! ……もう、ヒノエくんはホントに……」
 望美は慌てたようにヒノエから顔を離し、ぐいっと男の腕を振り払う。今までだって隙だらけだった筈の腕は、娘の力でも難なく振り払うことが出来た。
 彼女はすっかり火照ってしまった顔を冷ますように、掌でパタパタと風を送る。
「もう…! 嫌になっちゃうなあ。ヒノエくんは口が上手いからずるいよ……。……なんか、本気にしちゃいそうになる」
「それはひどいな。オレはいつだって本気だぜ?」
「……はいはい。ちゃーんと知ってますよー。ヒノエくんは、女の子を口説くことにはいつでも本気なんだよね」
 私じゃない、他の女の子にもそうなんでしょう?
 望美は拗ねたようにそう呟いて、たんたん、とヒノエの横をすり抜けて先に立つ。
「嫌になっちゃう」
 手を伸ばそうとして、間に合わない。俊敏な娘に、一瞬取り残される形となったヒノエを振り向いて、彼女は朗らかに笑った。
 冗談めかして。――何事もなかったかのように、ヒノエくんはずるいね、と唇が動く。
 だから、ヒノエも笑い返した。そして返す言葉を探したが、上手い言葉が見つからなかったので、もう一度「ひどいな姫君」と肩をすくめる。
 ――ひどいな、姫君。
 一歩、二歩と歩けば、望美にすぐ追いついた。身軽な娘は、ヒノエの接近に気付いて、きょろりと彼を見上げてくる。
 そうして、無防備に傾げられる細い首。
(――…さて。そろそろ笑えなくなってきちまったよ。オレの姫君?)
 その小さな顎をとらえて、無理やり口唇を奪えば、彼女はどんな顔をするだろうか?
 また、軽くなじるだろうか。…ヒノエくんはひどい、ずるい。……本気にしてしまいそうだと、自分の手札を見せない顔つきで笑うだろうか。
 ヒノエは、柄にもなく躊躇っている自分を笑う。
 ――まるで、本気になればなるほど、遠のいていくようだ。
 どうしたら彼女を傍につなぎとめておけるだろうかと、どうしたらこの娘を遠くにやらずにおけるだろうかと、そんなことばかり考えたくなってくる。浮かべたままの笑みも、どこか苦い。
「望美」
 先に立って、歩き出す望美。……それを覚えず呼び止めて、ヒノエは細い娘の手を、ひょいとつかまえた。
「…ヒノエくん?」
 不安げに、あるいは戸惑ったようにヒノエを見上げる望美の顔。
 それを微笑んで見下ろして、ヒノエは囁いた。「――波近くの岩は滑るよ。オレにつかまっておいで」
 その言葉に、望美はやや躊躇ってからヒノエに僅かな重みを預けた。
 掌のほんの先。――小鳥一羽程度の、ほんの僅かな重み。
(こんなんじゃ、全然物足りないよ姫君?)
 もっと全身を傾けておいで。――お前の全てを、オレにおくれよ?
 そう口にしかけて、ヒノエは今度こそ、ハッキリ苦笑した。――それでは、あまりに余裕がない。
「…これはまた。小鳥みたいに軽いね。姫君」
「え、そ、そうかな…?」
「――もっと、オレに身を預けてご覧よ? 熊野の男は、そんなに柔じゃないぜ」
「…えっ?」
 低く囁いたその言葉に、望美の目が丸くなる。よく聞こえなかったのだろうか? 首を傾けかけた娘の身体を、ヒノエはやすやすととらえ、抱え上げた。
「わっ、ひゃあっ!」
 軽々と抱え上げた娘の身体は、小鳥ほど――とまではいかないものの、かなり軽かった。ちゃんと飯食ってんだろうな、と考えながらも、相当吃驚したのだろう。素っ頓狂な声をあげた娘を、ヒノエは、ははっと明るく笑って見下ろす。
「な? 言った通りだろ?」
「ひ、ひ、ひ、ヒノエくん! 突然何するの!」
「何てことないさ。お前の足をこんな危なっかしい岩場で滑らせるわけにはいかない。……何たって、お前は大事なオレの神子だからね」
 腕の中でじたばたともがくのを気にせず、ヒノエは慣れた足取りで岩場を歩く。
「滑ったりしないってば! 大体、行きは一人で歩いてきたんだよ? 帰りだって平気に決まってるじゃないの……も、もういいかげんおろしてったら!」
「行きは昼間だったけど、今はもう大分暗いだろ? 危ないぜ。オレなら多少夜目もきくから。……ほら、もう黙ってつかまってなよ」
 全くひとの話を聞かないヒノエに、顔を真っ赤にした望美はいいかげん諦めたように呟く。
 ホントにヒノエくんは…、と呻くように呟かれたそのセリフ。
(…なあ、続きを言ってはくれないのかい? つれない姫君)
 腕の中で、顔を真っ赤にしている可憐な娘。
 ……けれど確かに剣という牙を持つしなやかな生き物。
 そんな彼女は、ひとにただ頼ることを潔しとしない。今だって自らの守り人であるヒノエの手を煩わせることを厭い、顔を伏せてしまっている。(もっとも、こちらに関しては別の理由かもしれないが)
 ――初めて見たときは、花のような娘だと思った。
 中でも、ひらりひらり舞い踊る、桜の花びらに似ていると。
 今もその印象は、変わらない。彼女は花みたいな娘。綺麗で愛らしい。そして、つかみどころを誤るとひらり、逃げてしまう姫君だ。
「ヒノエくん。……岩場を抜けたら、もうおろしてよね」
「ハイハイ。――オレの気が、向いたらね」
「ひのえくんっ!」
 腕の中で真っ赤になった顔を上げる望美に、ヒノエは笑った。

(…なあ、お前オレのことが好きだろう?)

 そう思いながら、望美の顔を見て、自惚れと不安と、それから不満を混じらせて笑った。
(けれど、お前はちっともオレになびかないね。――こんなに分かりやすい反応、返すくせにさ)
「もう…全く……信じられないよ…」
 ブツブツ呟きながら、望美はそれでも態勢が不安定だと気付いたのか、ヒノエの胸にそっと手を置いて身体をもたれさせた。
 柔らかく置かれる掌の感触。それに気をとられて、ついヒノエは無意識に視線を落とした。
 自らの胸元に、そっと寄せられた娘の掌。……薄闇の中で、灰白く浮かび上がる肌色。
 その手に、また新しい小さな傷が出来ていることに気付いて、ヒノエは「望美」と低く名前を呼ぶ。
「お前、また傷が出来てるぜ。……ああ、そこじゃないよ。そう。その手の甲のところさ」
 後で弁慶のヤツにでも、薬を調合してもらいな。
 小さいけれど、それは案外深い傷のようだった。恐らくは、昼間の戦闘で負傷したのだろう。
 流石に血は止まっているようだったが、僅かに血のこびりついたそれは、ひどく痛々しい。
「別に、平気だよ。もう。……だって、もう痛くないし。薬を塗る方が勿体ないよ」
「……」
 全く。まるで武士(もののふ)だ。
 ヒノエは、望美の返答に思わず苦笑してしまった。
「…全く。オレは、お前みたいに、強くて無謀で、綺麗な姫君を知らないよ」
「き、綺麗って。またそういうことをすぐ言うんだから…!」
「ふうん? 強くて無謀、は否定しないのかい?」
「またそういう意地悪言って…!」
 その辺りで、ヒノエの足はようやく岩場を抜けた。
 望美が目ざとくそれに気付いて、おろして、と言う前に、彼は優しく望美を地面に下ろす。
 そして、ありがとう、と呟きかけた望美の手を取り上げて、その手の甲。――先ほど指摘した傷口に、そっと舌を這わせる。
「たっ……い、…ひ、ひのえく…!」
 そこが着火点だったかのように、望美の頬がじわじわと朱に染まった。闇の中でも、夜目の利くヒノエにはそれが(昼間ほどではないにしろ)分かる。
「…応急処置だよ。もう血は乾いてしまっているけど、傷は痛いだろう? やっぱり、アイツに薬を調合させなよ。……薬を塗るのは、オレがやってやるからさ」
「だ、だから平気だって言ってるじゃない!」
 顔を真っ赤にして、望美はヒノエにつかまれた手を取り返そうと、勢いよく腕を振った。しかし、それは適わない。先ほどと違って、ヒノエが手に力を込めているからだ。
「オレが、嫌なんだよ。望美」
 惑ったように、望美の目がヒノエを見上げる。
 その眼差しに応えるよう、そっと口の端に笑みを浮かべ、ヒノエは囁いた。
「これは、オレの我侭。……な。聞いてくれるだろ?」
 ヒノエの言葉に、望美はびくりと身をおののかせ、動けなくなったように目を瞬かせる。
(……ほら、そんな恋する娘そのままのそぶりを見せてはいけないだろう。姫君)
 お前は、そんな無防備な顔を、オレ以外のヤツにも見せているのかい?
 動けなくなってしまった娘の手を軽く引いて、ヒノエは笑う。
「さあ。…二人きりの時間は名残惜しいが、そろそろ帰ろうか?」
「……う、うん」
 望美はその言葉で、ようやく呪縛からとけたようにコクリ、頷いた。素直なそぶり。手も、そのまま引かれて。
 握った指先が熱いのは、ヒノエの体温か、それとも望美のそれか。
 ヒノエにも、それはよくわからなかった。彼の愛しい少女は、まるで手の中にとらえられた小動物の鼓動のように、頼りなく、ことことと命の音を響かせているようで。
 その音にすっかり気を奪われてしまっては、もはや何もかもが気もそぞろ。全く、熊野の男がなんという体たらくか?

(――オレはお前が好きだよ?)

 握った手の先に向けて、ヒノエは考える。
 まだ口に出すにはいささか気の早い、この言葉。
 今言ったら、きっとこのいきものは、驚いて逃げ出してしまうかもしれない。(……勿論、逃がさないけどな)
 だから、まだ今はこの使い慣れた口説き文句を口にするのはやめておこう。ましてこんな暗闇じゃあ、お前の顔も、真意も、はっきり見えやしないから。
(正直に言えば、一目惚れだよ。姫君)
 ――興味を惹かれたと思ったら、お前しか見えなくなってた。
 興醒めることも言うくせに、それでもお前はオレの心から動きやしない。
 つないだ指先からすらも、漏れ聞こえることのないヒノエの本音。甘く囁いてかき抱いたら、彼女はまた南天のように顔を赤くしてしまうだろうか。
「望美。上を見てみなよ」
 あと少しで宿場に着くというところで、ヒノエは足を止めて空を示した。
「……わあ」
 そこには、満天の星々。
 太陽が完全に沈んだ今だからこそ輝く、世にも美しい星たちの瞬き。
「綺麗だね。……本当に、すごくきれい」
「…ああ。全く」
 そう相槌を打ちながらも、ヒノエの眼差しは真っ直ぐ望美を見つめている。
 ――あの星を、一つ二つ捕まえて差し出したら、望美は笑ってくれるだろうか。
 きれいだね、すごいね、ヒノエくんすごいね、と感激してくれるだろうか?
(…馬鹿か)
 ヒノエは口を歪めて、がりりと頭をかいた。全く。……柄でもない。
「………。……なんだか、私、ヒノエくんには色々もらってばっかりだなあ」
 そんな彼の隣で、望美がふと、空を見上げたままぽつり、呟いた。
 それはたとえば、夕日が映える海辺のことや、星空のこと。お前に似合うよ、と差し出した他愛もない花束のことを言っているのかもしれない。
 ぽつんと呟かれたその言葉は、悲しいのか、あるいはやるせなくて口にしたのかはわからない。
 ……相変わらず、こんなときの望美の眸は、ヒノエに真意をつかませない。
「姫君が気に病むほど、大層なものをあげた覚えはないぜ?」
「…もらってるよ。ヒノエくんは、自覚がないんだね」
「ふうん。――そうだったかな」
 つないだままの指先。振り払われないように、ヒノエはひっそりと力をこめた。
「私が、返すものを持ってないのがすごく悔しいくらい。……たくさんのものを、ヒノエくんはくれるから」
 嬉しいし、困るし。……でも嬉しいし。
 望美は空を見上げたまま、視線をそろりとヒノエにやった。
「――別に、何も返さなくていいんだけど。黙って貢がれてやるのも、いい女の条件だぜ」
 そんな望美を、ヒノエは軽く笑い飛ばした。可愛らしい彼女の悩み。
 見返りがいらないとは言わない。けれど、ヒノエが差し出すものをいちいち全開の笑顔で喜ぶ姿だけで、もう十分なくらいなのだ。
「ヒノエくんすごいって、笑ってくれればそれでいいさ。……男ってのは、そんな単純な生き物なんだぜ? 姫君」
「…そうなの?」
「そうさ」
 ちりちりと、星の瞬く音すら聞こえそうな満天の夜空。
 その下で、そろそろ行こうか、とヒノエは望美の手を引く。望美が歩き出す。ヒノエも歩く。……少し小さな彼女の歩調と合わせるように、緩やかに歩く。
 さらりと髪の毛を風に流して、望美はまだ考えているようだった。たぶん、ヒノエに返せるものを。……彼の贈り物に、相応しいお返しを。
 ……こういうことは、何らかの物々交換では全く意味がなくなるというのに。可憐で、鈍感な姫君は、ヒノエの苦笑を誘う。
 ことにヒノエにとって、欲しいものは、自分で手に入れるもので、誰かから与えられるのでは全く意味がないのだ。
 ヒノエは貪欲だ。けれど、その貪欲な彼が欲するもののうち、彼が自らの手で手に入れられないものはない。
(だから、お前も)
 つないだ指先。華奢な掌。傷の出来た。小さな、娘の掌。

(――お前も、オレのものにするよ)

 不可思議な曖昧さと、凛とした眼差しと、それから無邪気に、明るく笑うその唇。
 全てが欲しくてたまらない。
 月が欲しいと、屋根によじ登って手を伸ばすこども。
 自分は、もしかしなくても、それなのかもしれないけれど。
「そうだな。――強いて言うなら、お前の愛が欲しいね。オレは」
「…まっ、またそういう恥ずかしいこと言って…!」
「ふふ。そういう顔もいいね、姫君。――もっとも、くれないなら奪い取るだけなんだけど。……考えときなよ。どっちがいいか」
「し、し、しらないよ! もう…!」
 宿場の入り口が見える。……そろそろ、彼女の守り役たちが、姫君の帰りが遅いと気を揉んで駆け出してくる頃合だろう。
 そう考えて(そろそろ楽しい時間もおしまいか)と僅かに力を緩めた指先へ、そっと望美の指が追いかけるように絡みつく。
 反射行動かもしれない。けれど、それに気付いて、ヒノエは少しだけ眼を見張った。
「あ、先輩っ! ……やっと帰ってきた! 全く心配したんですよ!」
 しかし、そんな喜びもつかの間。駆けてきた若者に、姫君は笑いかけていつものように「ごめんね」などと言っている。
 二人きりの時間は、もうおしまい。…今日のところは、もうおしまい。
 やすやすと望美を渡すのも悔しくて、手をつないだままでいるヒノエに、望美がそっと笑いかけた。
 まだ誰も、何も言わない二人の掌。誰も気付かない、薄暗がりで繋いだままの掌。
 その秘密を共有するように、そっと、悪戯めいた顔つきで。
 だから、ヒノエもその顔に笑い返して、つないだ指先に力をこめた。


 多分、自分は月に手を伸ばすこども。
 勿論。月には手が届かないなんて、そんなことは決して言わせない。
 …そう。言う前に、口付けてしまえば、それでいいだろう?

 だから、差し伸べたこの指を。どうか。


 ――まだ、もう少し、握っててくれるだろう? オレの、姫君。

















勢い余り過ぎてヒノ神子二本目です。おかしいよ。おかしいよ私……。
何でこんなにヒノエが好きなんでしょう…か…。(聞かれても)

しかし私の書くヒノエはいかんともいえずへたれておりますね。亜種です。ヒノエ科の、亜種。
ちなみに望美の本気の恋も、一番美しい景色も、それは一周目の熊野ということで。(解説しなくちゃわからない話書くなよ)
自分にやきもちやいてるヒノエです。逆鱗マジック。

私のこの余りのはまりっぷりに、何より相方が喜んでるのが……ええもう。なんといっていいのやら。
久々にはまったノーマルカップリングに、自分でも動揺しているようです。おっかしいな…。


か、感想とかあると、とても嬉しいです。(小声で)