『花を喰らふ』
手にした端末を、リュウはくるくると回した。
小さな端末には、レンジャー認識用のデータがいくつか、ディクの情報がいくつか任務の情報がいくつか入っている。
ついでにリュウが集めた武器データ(勿論、サードレンジャーには到底手が出ないようなものばかりだ)や、どうでもいいようなちっぽけなデータをいくつか入れれば、この旧式端末の容量はいっぱいになってしまう。
それでもリュウにとっては、十分有用な端末だった。
彼の相棒などは、こんな旧式の端末なんて、と眉を寄せるのだろうけど。
(それでも、これより精度のいい端末なんてそうそう手に入らないし。……もしあったとしても、ばかみたいに高いんだろうけど)
そんなことを考えながら、もう一度くるっと回した。その拍子に、かちゃん、と端末が音を立てて床に落ちた。
「わ、やばっ…!」
リュウは慌ててしゃがんだ。
落とした拍子に電源が入ったのだろうか。床からぼんやりと浮かび上がった画像は、リュウの端末におさめられていたそれだ。
床から生えたかのように、ふわりと広がった画像。少し歪んだ画像は、しかし、リュウにとっては、大切で貴重なもので。
彼は小さく微笑して、端末の電源を切った。
* * * * *
「ただいまー」
リュウは小声でそう呟きながら、彼と相棒の部屋に入る。
ぷしっと閉じられた背後の扉。廊下の光源が遮られた部屋は、ひどく暗かった。
照明、つけないのかなと呟いて、リュウは片手で壁を探った。確か、ボッシュは部屋にいると言っていたのだけど。
ウゥンンと唸るような音を立てて起動した照明は、ぼんやりと室内を照らす。
買い出してきた傷セットなどをころころ寝台に転がしてから、リュウは「あ」と隣の寝台に横たわるボッシュに気づいた。
彼は寝台の上に仰向けに転がり、目を閉じていた。
「………寝てるのか」
リュウは小さく呟いて、ボッシュの寝顔をちらりと眺める。
すうすうと零れる寝息は、ひどく小さい。
リュウの寝息も小さく、いびきなどもかいていないそうだが、ボッシュの寝息はきっとそれよりも小さいと彼は思っていた。
育ちがいいからだろうか。
ボッシュは寝相が悪いということもなかったし、いびきをかくということもなかったし、ましてや歯軋りをするなんてこともなかった。
彼の寝顔はいつも静かだった。
彼の目に浮かぶ、何かを馬鹿にしているような気配も、目を瞑ればなくなる。口元に浮かぶ、皮肉げなニヤニヤ笑いもない。
「……」
リュウは気づけば、その寝顔をじっと見下ろしていた。
ボッシュは優秀なレンジャーで、ひとの気配にもひどく鋭敏なはずなのだが。…今日はよほど深い眠りに入っているのか、目を覚ます様子はない。リュウが、吐息がかかりそうなほどの距離で覗き込んでいるというのに。
すっと通った鼻筋。さらりと額にかかる金髪。眉は綺麗にのびて、唇は薄い。
全体的に色素が薄く、白くかげったような彼の肌は、薄暗い部屋の中だと浮かび上がるようだった。
ああ、きれいだな、とリュウは思う。
まるで彼は、先ほど床に咲いた、あの花のようだ。
リュウはふふ、と小さく笑う。
彼の寝顔を独占していられることが嬉しく、彼がいつものようにその綺麗な顔で、唇で、意地悪なことを言わないでいるのが嬉しかった。
いつもこうだといいのにと思って、リュウは床に座り込んで、ボッシュが眠るベッドにもたれた。
寝台に放り出したままの傷セット。バックパックにしまうのは、もう少し後でもいいだろう。
ボッシュが意地悪なことを言わない今、リュウが望むのは、その綺麗な顔を少しでも長い間鑑賞することだ。
リュウは、綺麗なものが大好きだった。
(きっと、おれがそうでないからだ)
そして彼はその理由を、そういう風に定義していた。
リュウは、ボッシュの言うところによる薄汚いローディーで、綺麗なんていう単語からはとても遠いところにいるいきものだ。
だけれど、こういったいきものは、だからこそ綺麗なものに、美しいいきものに焦がれるのだ。
遠いからこそ憧れ、届かないからこそ手を伸ばす。自分では有り得ない理想に微笑んで、見とれることができる。
勿論、一方でリュウは、ボッシュと自分の間に大した差がないということも知っていた。
ボッシュとリュウは(少なくとも今のところは)同じサードレンジャーで、相棒で、下らない冗談に二人で笑い合うこともあって。
同じ食事をして(ただしボッシュは偏食がひどかったけれど)同じ部屋で寝起きしている。
D値はばかみたいな差があるけれど、二人は同じ年で、似たようなことを考えるときもある。
だから、リュウはボッシュのことを、そういう意味ではさほど遠いひとだとは思っていなかった。
他の誰かが言っていたように、もっと上に行くための足がかりにするなんて思ってもみないことだった。
「ボッシュ」
彼は、小さな声で名前を呼んでみた。
けれど、相棒はまだ目を開けない。
リュウはそれに小さく笑って、綺麗な顔にそっと手を伸ばした。
そう。足がかりにするなんて、考えたこともない。
あるいは、お高くとまってるとか、所詮エリートだからローディーの気持ちがわからないなんて、思うこともない。
そんな難しいことは、リュウにとってどうでもいいのだ。
リュウにとっては、きらきら光ってるみたいに綺麗な顔をした相棒が、けれどその中身はリュウと一緒に笑うこともする同じ年の子どもで、だけどリュウのことをたくさん馬鹿にする意地悪な性格だということ。
意地悪だけど、リュウのことを、多分それなりにはトクベツだと思ってくれていること。
それ以外のことは、多分殆どどうでもいいのだ。
「花、みたいだ」
彼は小さく呟いて、また笑った。
薄い唇は、もしかしたら冷たいのかもしれない。けれど、すうすうと僅かに呼吸が漏れているから、やっぱり人の体温をもって生ぬるいのだろう。
「……」
リュウは膝立ちになって、寝台の上に身を乗り出した。
眼下では、目を閉じて眠る相棒。
彼はその顔に、そっと口付けた。
瞼に。頬に。眉に。額に。唇に。
遠い遠い昔。
皆が忘れてしまうくらい、遠い昔。
空の下で輝いていたというあの花は、きっと食用だとリュウは思う。
綺麗なものは、食べてしまいたいものだから、とリュウは思う。
(だから今、おれはこんなにもボッシュのことを食べてしまいたいんだ)
ちゅ、と濡れた音を立てて離れた唇。それが離れていくのと同じ速度で、ボッシュが目を開けた。
「……。…なにしてんの、おまえ」
「…あ」
リュウは少しだけまごついて、曖昧に笑った。
半眼でこちらを見ているボッシュの、皮肉げにつりあげられた唇。
薄くて綺麗。冷たそうだけど生ぬるい。花みたいに濡れた、彼の唇。
それにひかれるようにして、リュウはまたその唇に自分のそれを重ねた。
そうして、間近で、眼も閉じずにいる相棒と視線を合わせて、笑う。
「食べちゃいたかったんだ。ボッシュのこと」
囁くようにそう言えば、碧の目が、すうっと細められた。
彼はそのままリュウの手首をとらえて、ぐいっと無造作に寝台まで引っ張ると。
わわ、とバランスを崩す彼を仰向けに転がして、その上にのしかかった。
「十年早いよローディー」
彼はにやりと笑ってそう言うと、奪われた唇を奪い返そうとするように、リュウの唇に噛み付いた。
押さえられた手首が痛いなあと思いつつ、リュウが眼も閉じずにボッシュの整った顔立ちを見上げていると。
「返り討ちにしてやる」
そんな声が聞こえてきた。
そうやって自分を見下ろすその顔は、とっくに花のように綺麗で、静かだった寝顔ではなくなっている。
リュウはそれを少しだけ惜しみながら、仕方ないかなと思う。
だって、この食べてしまいたいような綺麗なひとは、多分肉食で。
多分、最近の好物はリュウなのだ。
花は食用。
だって綺麗なものの方がきっと美味しいよと呟いたリュウに、ボッシュは低く笑うだろう。
そうしてゲテモノ食いもそう悪くない趣味だと言って、とても綺麗ではないリュウという花を見下ろすことだろう。
リュウは可愛いけど、美形ではないよなーと思うんです。
内容はリュボリュって感じ。
花とか、植物とか、そういうデータがどれだけ価値があって、どれだけ残っていたのかは分からないんですけど。
綺麗なものは食用っていうイメージは、漠然とですが、私の中にもあります。