『ひとりで』

 

 ―――電車が、遠ざかっていく。

 

 ……長い、長い。
 それでいて、とても短い夏の冒険が終わって。
 体のあちこちには、覚め切らない余韻が残っていて。
 ……子どもたちは、各々の姿を確認する。
 ――――足りない人は、いないかと。
 ――――皆、本当に全員ここにいるのかと。
 家から持っていったものは、みんな持って帰ってきた。
 しかし、足りないものはもしかしたらあるかもしれない。
 …それは例えば、兄の手にぎゅっと縋って少し下を向いているヒカリの首にいつもかけられていたはずのホイッスルだとか。
 ……それから、ミミのトレードマークでもあった、ピンク色の服によく似合っていた大きな帽子とか。
 あげたもの。
 置いてきたもの。
 ……それぞれあるかもしれないけれど。……でも。

 

「………帰ろう」

 

 ――――誰かが、ぽつんと言った。
 それは本当に「誰か」で。
 彼らは疲れきった体をゆっくりと、それぞれの家に向けて歩き出した。
 ……あげたもの。
 ……置いてきたもの。
 何があっても、彼らはもう取りには戻れない。
 ……少なくとも、今は。

 

 

「……」
 太一はヒカリと手をつないで帰った。
 そこからちょっとだけ離れた場所を、光子郎が歩いている。
(……腕が、すかすかする)
 ―――腕の中に、軽々とおさまったピンク色のデジモン。
(……隣の空間も、すかすかする)
 ―――いつも横についてきた、オレンジ色のデジモン。
 ヒカリも…光子郎も、皆、そんな違和感、感じているのかな。
 太一はぼんやりとそう思って、小さく欠伸をするフリをした。……目の端っこに少しだけ滲んだ涙に、気づかれないように。
 ヒカリも、光子郎も泣いてないのに、一番大きい太一が泣くわけにはいかないのだから。
 ちらっとうかがうと、小さな妹はまっすぐ前を向いて歩いていた。ぎゅっとつないだ手のひらはそのままだったけれど、兄のほうを見ないで、歯を食いしばって歩いていた。
 光子郎もまっすぐに前を向いて歩いていた。……いや、少しだけ俯いているかもしれない。
 ほんの少しだけ、太一と距離を置いて歩く、その空間。
 ……ああそういえば、その大きさ、ちょうどアグモンとテントモンが入ってちょうどいい空間だななんて。
 そんなことに気づいてしまって、太一はまた欠伸をかみ殺すフリをしながら、慌てて前を向いた。

 

 ……マンションには、あっけないくらい簡単に着いた。浮かぶシルエットは、黒々として、でもひどく懐かしい。
 あれだけデジタルワールドで焦がれ続けた自宅。
 ……ヒカリが「かえろ…?」と小さく囁いて、手を引く。
「………」
 光子郎が黙ってぺこりと頭を下げて踵を返した。……そんなものをぼんやりと眺めながら、太一はするりと妹の手のひらを離す。
「…おにいちゃん?」
 ヒカリが、不安そうに太一を見上げた。
 太一はその眼差しに向けて少しだけ笑って見せると。
「……ごめんな、ヒカリ。先…帰っててくれないか?」
 ぽんぽんと、妹の頭を優しく叩いて、くるっと暗い道に視線を戻す。
「―――太一さん?」
 光子郎も訝しげに呟いた。……でも、太一の足はそれでも止まらない。
「ちょっとだけ、散歩してから帰るよ」
 彼は2人を見ずにそう呟いてから、たっと小走りに駆け出していった――…。

 

◇      ◇      ◇      ◇

 

『タイチー』

 

 ……てんてんと。
 無邪気に跳ねてくる、ゴムマリみたいなコロモン。

 

『タイチー』

 

 ……どすどすと。
 体のわりには重い足音を立ててしがみついてくるアグモン。

 

 ……太一はとりとめもなく浮かぶパートナーのことを考えながら、きぃ、と軽くブランコを動かしてみる。
 きぃ……きぃ、きぃ…。
 ――――夜の公園は、ひどく静かで寂しかった。
 太一は黙ったままブランコに座って、足を地面につけ、ブランコを軽くゆする。
 きぃ……きぃ。
 ぽっかりと、空に浮かぶ月が綺麗だった。

 

『タイチー』

 

 大きな大きなグレイモン。太一のことを肩に乗せて、運んでくれた。

 

『タイチー』

 

 メタルグレイモン。…勇気を出したあとの。……その大切な結果を教えてくれた。

 

 きぃ。
 ……また軽く地面を蹴る。

 

『タイチー』

 

 まるでカッコいい…ゲームの戦士みたいなウォーグレイモン。
 強くて、…強くて。…でも、変わらず太一のことを命がけで守ってくれた。

 

 きぃ……きぃきぃ。
 太一はブランコに座ったまま、ちょっとだけ首を傾げてみた。
 ――地面に映る黒い太一の影。
 街灯に照らされて、濃く、伸びている。
「……」
 ブランコの鎖を握っていた手のひらを離して、そっと右手を上げてみた。
 すると、影も、そっと左手を上げてみせる。
 ……今度は、左手を振ってみた。
 もちろん、影は右手を振ってみせる。
「……」
 太一はくすっと笑った。
 なんてことはない、当たり前のこと。
 だけれど、それがひどく可笑しい気がして、くすくす笑って左足をあげたり、右足をあげたりしてみる。
 ぴょんっ、とブランコから降りた。
 その仕草すら、影はそっくりに真似て、地面の中、太一の影はぴょんっと跳ねる。……ブランコが勢いよく揺れた。
 ひょいとブランコの柵を飛び越えて、太一は地面の影と一緒にひとしきり駆け回る。
 どこまでもついてくる影。
 どこまでも一緒にいる影。
 そう、まるで……。
 ……まるで。

 

 ――…まるで、パートナーみたいに?

 

「――…」
 太一は、ぴたりと足を止めた。
 瞳が、僅かに揺れる。

 

『タイチー』

 

 呼ぶ声。
 ……今も鮮明に。
 思い出そうとしなくても耳の奥によみがえる声。

 

『ダイスキだよ、タイチー』

 

 無邪気に名前を呼ぶ声。
 友達だよと笑う声。
 キミのためにボクはいるんだよと、躊躇いなく告げる声。

 

「……っう…ッ…」
 …不意に。
 唐突なくらいに…喉の奥から嗚咽がこみ上げてきた。
「うっ……ぅうっ…くっ……」
 ひくひくと喉が震えて、がくっ、と膝が折れる。……うずくまる。
 地面の中の影もその姿を綺麗に真似て、うずくまった。……けれど、それすら滲んで見えて。
「う…、う…ぁううっ……うっ…」
 掠れる声。
 ぼろぼろと、頬を伝っていく涙。
 太一は肩を震わせて、そのまま泣き崩れた。
 子どものように。
 ……いや、子どもらしく。
「アグモンッ……コロモンッ……!!! う…うっ、ふぇ……っ」
 うずくまったまま、優しい満月だけが見ている中で、太一はひたすらに泣きじゃくった。
 ぬぐっても、ぬぐっても涙はあふれてきた。
 …まるで、堰を切ったように、止まらない涙たち。
「何で……ッ……何で一緒にいちゃ駄目なんだよぅッ……!!」
 太一はぺたりと座り込んで、激しく肩を震わせた。
 辛いね、辛かったね、と抱きしめてくれる誰かの手のひらはない。……ただ、月の光が注ぐのみ。
 しかし、だからこそ、太一は思い切り泣けた。
 俺は大きいんだから、と涙をこらえる必要はない。
 皆不安なんだから、と我慢する必要もない。
 ここには、彼の守るべき大切なものたちはひとりとしていない。
 ……そして、それと同様に、彼を守ってくれる、優しいパートナーの存在もない。
 太一はまた激しく泣いた。
 涙は、呆れるほどに止まらなかった。
 目じりがひりひりして、擦ったところも赤くなっているだろうと想像がついたけれど。
 ……太一はそのまま、ずっとずっと泣き続けた。

 

 

「……」
 ……それから、一体、どれだけの間泣きじゃくったのだろう。
 太一は、ぼんやりと宙を見つめて、ぱちぱちと瞬きをした。
 ――――月は相変わらず夜空にあった。
 かちかちかちかち、と時を刻む音が、近くの時計塔から聞こえてくる。
「……帰らなきゃ、な」
 太一はぐしぐしと目を擦って、よろよろと立ち上がった。
 目がひりひり痛かった。
 太一は引きつった頬でちょっと笑って、そのまま歩き出す。
 ぽつぽつ、と、道々、灯る街灯。
 けれど、人々の家に灯る明かりはもうない。
 ……皆、もう寝静まる時間だ。
(母さん…父さん……ヒカリ、心配してるかな)
 やっと帰ってきたのに、会いもせずに飛び出して。
 ……怒ってるかもしれない、と太一は両親のことを思って嘆息する。
 マンションは、さっきと同じようにすぐに見えてきた。
 太一はゆっくり、ゆっくりと、一歩一歩を踏みしめるように、マンションに近づいていく。
 エレベーターのスイッチを押して、慣れた操作で彼の住んでいる階番号を押した。
 そのままてくてくと、部屋に向かって歩いていく。
 ……といっても、ごく数十歩の距離だ。
 太一はすぐに自宅の前に到着し……きょとん、と息を飲んだ。
「……こうしろう…?」
 ぽつり、と呟く名前。
 ――――太一の、家のドアの前。
 陣取るみたいにしてしゃがみこんでいたのは、さっき、自宅に戻ったはずの後輩の少年だった。
「……やっと、帰ってきたんですね」
 …名を呼ばれて、光子郎はむっとしたような顔を隠そうともせずに彼を見上げる。
「やっとって……お前こそ、何でこんなとこにいるんだよ」
 しかし光子郎はそれには応じず、目元を真っ赤にはらした太一の顔をじっと見つめ、立ち上がってぱんぱんと埃を払った。
「家族の方が心配してますよ。……早く帰ってあげてください」
「お、おう」
 お前こそどうなんだよ、という言葉は飲み込んで、太一はおずおずと光子郎の示したドアノブをつかむ。
「……それじゃ、おやすみなさい」
 光子郎はまるでそれを見守るみたいに見つめながら、そう呟いて踵を返した。
 太一はそれをぽかんと見つめて……ドアノブをつかんだまま、後輩の後姿を見つめる。
「…ああ、そうだ」
 すると、光子郎が突然足を止めた。
 そのまま、彼は「え?」という顔をしている太一に向けて……少しだけ、目元の赤くなった顔で、ゆっくりと告げる。

 

「おかえりなさい、太一さん」

 

「……――――」
 ……太一は、今度こそ面食らって目を丸くした。
 光子郎はそんな太一に、まるで泣いた後みたいにひきつった笑顔を向けると、じゃあ、と去っていく。
「……光子郎も……」
 太一は、その背中に向かって、慌てて告げた。
 何か、自分も言わなくてはいけないというような気分に背中を押されて、太一はそのまま、光子郎に言葉を放つ。
「……おかえり」
「……」
 ――――光子郎は黙ってこくり、と頷いた。
 ……そして、そのまま足早に去っていく。
 ――…太一はその背中を見つめて、ふう…と息をつくと。
 ……彼も引きつった笑顔で、くるりとドアに向き直った。

 

 ドアノブをつかむ。

 

 …回す。

 

 ……開ける!

 

 

「――――ただいま!」

 

 ―――…家の中はひどく明るくて。
 ……太一はまた、ちょっとだけ泣きたくなった。

 

END.

 


一周年記念小説でございます。
帰った後の太一さん、帰る直前の太一さんを書きたかった…。
このお話のイメージは谷山浩子さんの「ひとりでおかえり」という歌からもってきました。
現在歌詞が行方不明なので、タイトル表記すら怪しいのですが、風成この歌がダイスキでして…。
「きみの今のその淋しさが、遠い街の見知らぬ人の、孤独な夜を照らす ささやかな灯に変わるだろう」
細部が正しいかどうかすらもおぼつかないんですが(最悪)この部分がもうダイスキ。
パートナーと一緒にいられない子どもたち。
夢の終わりはいつも一人ぼっち。
どんな大冒険の後も、いつも一人ぼっち。
それでも僕らは帰らなくてはならない。帰らなくてはいけない。
夢の向こう側に。
……そんなイメージが浮かびつつも、きっと彼らはそれでも夢の向こう側から、
自身のパートナーに会う方法をきっと見つけるんでしょう。いつでも、前向きに。
…そーいうのを書きたかったんですが、かなり書ききれてない様子です。

えー、あと語りすぎ、風成。(死)

そんなこんなで一周年…いやあもう、皆様こんな風成のサイトに一年もお付き合いいただいて……。
まことに多謝でございます!!!
今後も風成飛翔、変わらず懲りず、ばしばしと光太小説やらなにやらを書き綴っていきたいと…!!(握り拳)
……ですので、どうぞ皆様、今後も見捨てずお付き合いいただければまことに幸いですー!!