『ここにいないわたし』




 ここにいるわたし。
 ここにいないわたし。

 存在するわたし。
 存在しないわたし。


*     *     *     *      *

「……」

 …リュウは、掌をじっと見つめた。
 何の変哲もない掌。
 指が6本あるわけでもないし、指先に目がついているわけでもない。
 いっそ、その方が便利だっただろうかなんて考えて、彼はふと首を傾げた。
 
「何呆けてんの、おまえ」

 その頭を、ごつ、と相棒が剣の鞘でこづいた。
 いた、とリュウは小さく呟いて、相棒を困ったように見上げる。

「…ねえ、ボッシュ」
「なんだよ」

 たった今リュウをこづいたことなど忘れたように、ボッシュは軽く剣先を振るった。
 その先からはたはたと雫が滴り落ちる。
 なんてことはない。ディクの体液だ。

「……」
「…なんだって聞いてんだけど。自分で振っといて黙んじゃねえよ」
「…いた」

 ごつ、とまたこづかれて、リュウはさすさすと頭を撫でた。
 そして困ったような顔のまま、軽く首を振って。

「ボッシュは。…どうしておれたちがここにいるんだろうかとかって。…考えたことある?」
「――…」

 相棒はひどく呆れたような顔で、思いっきり顔をしかめると。

「ハア?」

 頭大丈夫オマエ、と三度目の剣鞘を振りかざそうとする。
 リュウは慌ててそれを避けて「ううん。別にちょっと思っただけのことなんだけど」と相棒から目をそらして、また手を見た。

 なんてことない普通の掌。
 毎日剣を振るっているせいか少しだけ硬い。
 それ以外はなんてことない、普通の掌。

「…おれ、もしかしたらここにいなかったのかもしれない、とか。…じゃあどうしてここにいるんだろう、とか」

 その掌を握ったり開いたりしながら、リュウは相棒をちら、と眺める。

「なんか、…そんなこと考えてたんだ」
「……」

 相棒は、ただ呆れたように肩をすくめた。

「馬鹿だね、おまえ」
「……」

 リュウも肩をすくめた。

「…そうかも」

 そのまま彼は体をかがめて、ディクの死体を袋に放り込む。
 これをバイオ公社に持っていけば、今回の任務は終了だ。
 その袋の口をぎゅっと閉じると、それを待ち構えていたように相棒が手を伸ばしてくる。
 …とん、と、その指先はリュウの胸元をつついた。

「…おまえが何を思おうとさあ」
「……うん…?」

 相棒は珍しく困ったような顔で、小さく笑っていた。

「心臓は動くし。お前はここにいるし。……俺たちはここにいるわけだろ?」
「……うん…」

 リュウはそっと、袋を窺い見た。
 その中には、既に息絶えたディクがいる。

 息絶えた、生き物がいる。

 ……もしかしたら、自分だったかもしれない。
 自分と同じ、生きていたもの。

「それでいいじゃん」

 相棒は軽く笑う。
 リュウも。…躊躇いがちに、小さく笑った。


「そうだね」


 呟いてから、目を閉じた。

 まるで、懺悔するように。


*     *     *     *      *

 ここにいるわたし。
 ここにいないわたし。

 存在するわたし。
 存在しないわたし。


 その境目は、何処にあるのでしょうか?


 問いですらない言の葉は、生まれることなくそっと胸奥に沈んでいった。








2003/08/03 表日記にて
特に意味はない短文。生意気にもフリー。8月いっぱいフリー。ボシュリュボシュ?