『勝手な僕と、勝手な世界』



―――何故だか、ひどく苛々する。

 理由は恐らく寝不足だろう。
 昨日も随分遅くまで起きていたからか。
 パソコンに向かう用事があったからそうしていたのだが、必要だったはずのその用事さえ、誰かのせいにしたくなる。
 それくらい、苛々している。

 ああどうしてこんなに世界は騒がしいんだろう?

 クラスの中、まるで穴の開いた真空パックみたいに。
 中途半端なまま、苛々を抱えて立ち尽くしている。

 女子があげる嬌声、男子があげる笑い声。
 全てが聞き苦しく、腹立たしい。

(もっと静かにすればいいのに)

 彼は苦虫を噛み潰したような心地で頬杖をつき、目をさまよわせた。

 世界には自分ひとりで生きているわけではないのに皆、勝手に喋って、勝手に笑って。
 なんて勝手なんだろうと思う。
 否。…勝手なのは自分だろうか?
 自分も、勝手なんだろうか。
 その認識すら、ただ苛々に拍車をかけるばかりで。

 終礼が終わると同時に鞄を掴んで教室を飛び出した。
 早足で生徒玄関を抜けて、帰路を行く。
 急ぐ理由はないけれど、とどまる理由もない。
 消化しきれない苛々とむかつき。
 それを抱えたまま、ただ急ぐ。

「光子郎!」

 それを引き止める声。
 振り向くことすら億劫で、けれど振り向かないわけにはいかなくて、やっと振り返った。
 そこには、見慣れた顔が笑顔で立っている。

「今帰りか? せっかくだから一緒に帰ろうぜー」
「…はあ。太一さんも今帰りなんですか?」

 別に合流することもないじゃないかと思うのに。
 彼は仕方なく、知り合いが近づいてくるのを待って歩き始める。

 意外と細やかだけれど、あくまで基本は大雑把な太一は、彼の苛々に頓着した様子もなく色々な話をした。

 今日あった面白い話、腹の立つ話。
 これからの話、これまでの話。
 家族の話、友達の話。
 部活の話、授業の話。

 たゆまなくつらつらと綴られるそれに「はあ」とか「そうですか」とか生返事を返しているうちに、マンションに着いた。
 帰るときよりは大分マシになった苛々をどうにか飲み込んで、彼はそのまま「じゃあ」と手を振ってマンションに入る。

「じゃあな」

 太一は笑って手を振った。

 その笑顔に、何故か胸のうちの苛々が。
 少しだけ、磨耗したような気がした。


「お帰りなさい、光子郎」
「はい。ただいま…お母さん」

 母は、彼の帰りを微笑んで出迎えた。

「太一君と一緒に帰ってきたのね。丁度洗濯物乾してたから、二人の姿が見えたわ」
「あ。…はい。そうです。見えましたか」
「ええ。太一君、何だか楽しそうにお話してたわね。
 あの子、いつもはあんなに喋る子じゃないのに、随分口を動かしてなかった?」
「……。…ええと」

 彼はそこでぴたと動きを止めて。
 それから、またころりと苛々の棘が抜けたのを感じて。

「そうかもしれません」

 小さく苦笑して、少しだけうつむいて。


「僕、今日苛々してたから。…だからきっと太一さん、気を遣って、いつもより話してくれてたんですね」


 恥じ入るように、そう呟いた。

 母は、にこりと優しく笑った。


「そうかもしれないわね」


 そう言って、食器棚の戸をそっと閉めた。








2003/08/27 表日記にて
苛々していた日に。世界はどこまでも勝手で、けれど私も勝手で。