『君に伝えて』



 ―――この唇に乗せた言葉のどれほどが、君の心に届くのだろう。

 ―――この心に沈む想いのどれほどを、形に出来るのだろう。 


 ありがとうと君に告げた、この形そのまま。
 君の元にありがとうと、届くなんて。


 それは、きっと途方もない確率の話。

(そう、たとえば)

 軽く苦笑して、そのあどけない寝顔を見つめる。

(きっと、1/8192の確率、以上に。…途方もない数字なんだろう)

 だからおれはきっと、何度でも、同じ言葉を告げるかもしれない。

 何度でも、君に笑って、告げるかもしれない。


 ありがとうと君に告げた、この形そのまま。
 君の元にありがとうと、届く日が。
(……いつか、訪れるまで)

 君の元に、おれの感謝の幾許かでも。
(届く日が、訪れるまで)


*     *     *     *      *

「……?」

 
 ぱちりと目を開けて。…君がおれを見て、笑った。
 どうしたの、と言いたげに、首を傾げて。
 言葉を紡げないその唇が、軽く微笑む。
 ただそれだけで。
 …おれは、幾万の言葉を受け取ったような錯覚に陥り、また苦笑してしまう。

「なんでもないよ」

 もう少し、休みなさいとおれは微笑んだ。
 それは、…周囲の見回りに行ったリンや、かつての相棒などには、気恥ずかしくてとても見せられないような類の笑み。
 あどけなく微笑む君だからこそ、見せることが出来る笑み。

「……んー」

 言葉を紡げない唇をもごもごと動かして、君はおれの袖を、くい、と引っ張る。
 おれは首を傾げ「どうしたの…?」と口に出して訊ねた。
 君は、ただ「ん、んぅー」と呻くばかりで、くいくいと何度もおれの袖を引っ張る。
 仕方なく、おれはその手をとった。

「どうかした…? ニーナ」

 小さく眉を下げてもう一度そう訊ねれば、彼女はその細い指先を伸ばし、おれの額に軽く触れる。
 そして、何度もその額を撫でるように指先をさまよわせ、首を傾げるのだ。

「……うん…?」

 おれは困ってしまって、君のするまま任すように、身を委ねる。
 細い指先は、散々額を彷徨った末……おずおずと、おれの目のすぐ上に触れた。
 そうしてから、目を瞬くおれの睫毛に触れ、閉じて、というように、瞼をおろそうとする。

「…?」

 目を閉じてほしいの、と訊ねようとして、ようやく気づいた。

「だめだよ。…おれはねないよ、ニーナ」

 おれは苦笑してその手を引き離そうとするが、君は頑固に口を引き結んで「んー」と瞼に触れようとする。
 仕方なく、おれは君の望むままに目を閉じた。
 気配だけは、周囲に配るよう、研ぎ澄まして。
 そっと、目を閉じてみせた。 

「……」

 ……柔らかい感触が、おれの肩にもたれる。
 ああ、またおれの肩にもたれてねむってしまうのかな、と薄目を開けると、君は薄く目を開けて、おれをしっかりと見張っていて。
 …おれは慌てて、ぱた、と目を閉じた。
 くすり、と小さく笑う気配。
 ……おれも、思わずそっと笑って。
 二人して、声を殺してくすくす笑い合う。


 たとえ、おれがいなくなってしまったとしても。


(君がこうして、微笑んでいてくれればいいと思う)


 たとえ、おれがいなくなってしまったとしても。


(君がこうして、安らいでいてくれればいいと思う)


 それは、もしかしたら残酷な願いなのかもしれない。
 おれは何一つ言わずに、一人で逝こうとしているのだから。


 ……冷たい指先は、もはや戦闘のとき以外は、殆ど感覚が残っていない。
 強張った舌先は、何を食べても味を感じなくなってしまった。
 足取りはまるで鉛のようで、そのくせ、敵を見つけたときばかりひどく軽くなる。

 ……もはや既に、体の半ば以上、おれのものではなくなっている。そんな感覚。
 
 おれがいなくなってしまうような。

 ……そんな、感覚。

「ニーナ」

 おれは君にこの思いを伝える言葉も持たず、ただ名前を呼ぶばかり。

 恋ほど、激しくはない。
 愛ほど、強くはない。

 このいのちを、全て与えてもいいと思った。
 ただ、それだけ。
 このせかいを、こわしてでも君を助けたいと思った。
 ただ、それだけ。

「……ゆっくり、おやすみ」

 躊躇い躊躇い、微笑んで、そう告げると。
 君は、おれをじっと見つめてから、静かに目を閉じた。

 わかった、と言うみたいに。

 ゆっくりと。


*     *     *     *      *

 ―――この唇に乗せた言葉のどれほどが、君の心に届くのだろう。

 ―――この心に沈む想いのどれほどを、形に出来るのだろう。 

 
 どうか、君に届けばいいと心から思う。


(生きてほしい)


 どうか、君が受け取ってくれればいいと心から思う。


(笑っていてほしい)


 おれはこの思いをうまく伝える術を持たなくて。
 立ち往生して、黙り込んでしまうばかりだけど。

 ……愛でもない、恋でもない。ただ、大切だと思う、この気持ちを。
 君の元にひかりがあればいいと願う、この気持ちを。

 そっと触れ合った指先から。
 …軽くつないだ、この皮膚の先から。

 ……今日も、そっと。…君に伝えるように。

 そっと、目を閉じる。


(いつか、おれがいなくなってしまったとしても。)


 君がさいわいであればいいと思う、この気持ちが。
 君がさいわいであるということに、つながるように。


 どうか、君にうまく伝わりますように。
 ……どうか、君に、伝えられますように。

「ありがとう、ニーナ」


 ―――何度でも、同じ言葉を告げよう。

END.












リュウにとってのニーナは、ひかり。
ひとはひかりに憧憬をいだき、うつくしいと思い、いとおしいと思う。

ことばでなどつたえきれない。
しんせいなこころ。