『君の手が』




 ひらりと、白いものが目の前を踊った。

 それは何かと訝しむ前に、彼の手が伸びる。

 あやしきは確かめよ。其、冒険者としての反射行動。

「…セラ?」

 ぱしりと捕らえたそれが、親友の妹の手首だと気づいたのは。

 ……不思議そうな。そして多少困惑したような声で、名前を呼ばれてからだった。


「……」
「……あ。…あの…?」
「……」
「…………セラ…?」

 何処ともない虚空を見つめ、ぼんやりと考え事をしているらしい彼。
 それを心配して「どうしたの」と手を眼前でひらめかせてみただけなのに。
 その手首を思いのほか強い力でつかまれ、しかもそのままの状態で離してもらえず。
 彼女は困惑して「…セラ?」と、再度遠慮がちに、兄の親友の名を呼んだ。彼はゆっくりと瞬きをしてから彼女を見やり、その眼差しを合わせた。
 整った、その面差し。
 整いすぎて、ひややかにも受け取れるそれを間近で見つめ、彼女はわけもなく怯む。

「どうかした…のか…?」

 冒険者として世界を旅するようになってから身に着けた、語尾のしっかりした話し方。
 ほんやりしているとつけこまれるぞ、と、ぶっきらぼうなわりに面倒見のいい兄の親友につれられているうちに、自然と身についたと言ってもいい。

 …きっと、かの村で平和に一生を過ごしていたのなら。

 こんな口調で話す必要など、なかっただろうけれど。

 ふと脳裏をよぎった連想は、最近起こった出来事につながる。…極力考えないようにしていた。考えていても埒があかない、一つのこと。
 それに気づいた彼女は、もしやと目前の彼の目を見つめる。

 一つのこと。

 …彼女の兄のこと。
 ……彼の親友のこと。

 あちこちからかかる、強力な魔物退治の依頼。
 そして、その先々に現れる仮面の男。
 彼女の心を乱す、その姿かたち。
 彼の思いを惑わせる、その武器と戦いのクセ。

「…やっぱり、あれは兄なんだろうか」

 呟くように押し出された言葉は、ひどくか細く、頼りないものとなった。
 その言葉に、ぴくと彼の眉が寄せられる。
 それと同時に、彼女の手首が解放された。
 つかまえられたときと同様、ひどく呆気ないほどにあっさりと。

「……セラが考えていたのも、そのこと。…なんだろう?」
「……」

 彼は彼女の言葉に口を噤み、恐らく無意識の仕草だろう、その手を腰に佩いた剣の柄に置いた。
 月光と。
 そう銘を打たれた妖刀は、確かにあのとき。
 ……サイフォスと。『日蝕』と名乗るあの男の剣に反応し、共振した。

 それがつまり何を意味するのか。

 分からぬ彼と、彼女ではなかった。

「…違う。…とは言わん」 

 彼はぽつりとそう答え、眉間に皺を寄せたまま、黙った。
 彼女も同様に黙り込み、どう言葉を切り出したらいいのか、またどう状況を打開したらいいのか分からず、嘆息する。
 …不意に彼は立ち上がり、カーテンを開けた。
 窓の外は、降るような美しい星空だ。

「…私、そろそろ部屋に戻るよ。夜遅くまで、ごめん」

 その空を見上げ、佇む彼に、彼女は居心地の悪さを感じて立ち上がる。
 しかし彼は。

「構わん」

 …そう、一言告げて、出て行こうとする彼女の傍ら。同じ卓についた。
 そのまま、また沈黙が降りる。
 彼女は、毒舌を吐くときばかり多弁な兄の親友の横顔を見つめ、ちょっとだけ、苦笑した。

「ねえ、セラ」
「…なんだ」
「兄の話でもしようか」
「……」
「もしくは、聞きたい、かな。私は、村の中にいる兄しか知らなかったから。…外での兄を知りたい」

 自分は無理なく笑えただろうか、と思う。
 けれど、確かに自分は笑えているだろうとも思う。

 彼女は卓に肘をついて、彼を見た。

「兄に会ったときに、彼を驚かせることが出来るよう。…情報交換でも、しておこうじゃないか? 私たちをこれだけ心配させた分だけ。少しぐらい意趣返しをさせてもらってもいいじゃない」

 他愛もない悪戯だと笑って、彼女は彼に言う。


 きっと、兄は生きているのだと。
 きっと、兄と会えるのだと。

 自分たちは、確かに彼の人と再会できるのだと。
 そう、信じようと。


 ぎゅうと、祈りの形にきつく結ばれた彼女の手が、明るい口調を裏切っていることに気づきながら。

 彼は「そうだな」とだけ言った。


 祈るためには、言葉が必要で。
 言葉のためには、思いが必要で。

 思うためには、立ち止まることが必要で。


 走り出すのは、明日から。
 そのために、ざわつく心を撫で付けて。


 …ひらりひらめく白いもの。

 躍らせて。…捕まえて。


 二人で、一人の話をしよう。

 眠れない夜に、眠れるように。








2003/07/22 表日記にて
衝動に駆られてジルオールのセラ×女主 ミイス主人公スキー。