『きすでころして』


 そこはとても暗かった。

 どこまでも深く、暗く、そしてひどく穏やかな闇。
 その闇の名を眠りというのだと、ボッシュは知っていた。
 滑らかな黒のカーテンは、ボッシュのいる殻を柔らかく包み込む。
 彼はその中で目を閉じ、静かに寝息を立てているのだ。外のことなど、目を開けてから知ればいい。
 目を閉じている今は、外のことなどはどうでもいいのだから。

 しかし、突然目前にひらりと何かが舞い降りた。
 見えたわけではない。彼は目を閉じたままだ。柔らかくひらひらと降りてくる、この感触は春の花びら。
 薄紅のイメージと共に、それはボッシュの頬に、額に、首筋に、耳たぶに、そして唇にと、いたるところに降りてくるのだ。
 柔らかな感触は、次第に強くなっていく。
 柔らかいまま、それは範囲を広げてボッシュの息を詰まらせるのだ。

 彼を包んでいたはずの眠りの殻は、いつの間にか棺に変わっていた。
 その中で、彼はひらひらと舞い降りる薄紅の花びらに包まれて、包まれて。
 鼻孔にすら降りてくる花びらは、その柔らかさとは裏腹に、確実に彼の息を止めようとする。
 棺に入っているということは、既に死んでいるのか。
 それとも、苦しいということはこれから死ぬのか。
 棺にいれられて、準備万端だと、これから自分は、この花びらによって緩慢に殺されるのか?


「……」
「…あ。起きた」


 …ぱち、と目を開けた彼を迎えたのは、薄紅の花びらでも、埋葬人でもなかった。
 ボッシュの眼前でにこにこ笑うのは、先日怪しいペットショップから引き取ってきた【藍色兎】のリュウだ。
 藍色兎は種の名前で、リュウというのは固体の名前である。
 どこか頭の足りない様子で笑う、一日の半分以上眠ってばかりの彼は、ボッシュとそう年の変わらない若者でもある。

「ボッシュ、ずっと寝てたよ」
「……。今何時だ」
「うん。太陽が空の真中にいるよ」
「………。…昼か」
「うん。ゴハンの時間だよ」

 リュウは小首を傾げ、横たわったボッシュの身体にまとわりついたまま、ふにゃりと笑った。

「夢を見てたの?」
「…あ?」
「ボッシュ、なんか言ってたよ。寝ながら、ぶつぶつ」

 しぬのかとかころすのかとか、色々。
 リュウは物騒な単語をあどけなく口にしてから、ちゅ、とボッシュの鼻先に軽く口付けた。

「ねえ、ころす、ってなに? おれ、それ知らない」
「……」

 ボッシュが黙っていると、リュウはぱしぱし目を瞬かせて、答を促しているのかそれともただ単にそうしたいだけなのか、ちゅ、ち、と頬に、額に、唇にと可愛らしいキスを繰り返す。

「……。…これが花びらの正体か」
「? はなびら?」
「別に。なんでもねえよ」

 首を傾げるリュウに構わず、ボッシュは間近で瞬く兎の唇を吸った。
 ちゅ、と甘い音を立てるそれにリュウははしゃいだようにくすくす笑って、それを打ち消すようにボッシュはリュウの頭を掴んで深く舌を差し入れるように口付けた。
 スプリングが軋んで、ベッドが大きく揺れる。
 そうして、リュウの身体もボッシュの身体も、柔らかなシーツにゆったりと沈みこんで。
 
「殺すっていうのは、こういうことだ」

 花びらにうもれて窒息しそうになったボッシュは、低く笑ってそう囁いた。
 リュウは何も分からぬまま、そうなの、と呟いて、キスをねだるように視線を絡ませて甘く笑う。

「じゃあ、おれのこともころして」

 甘える声が、ことばを紡ぐ。

 ボッシュは花びらには到底なりそうにない口付けを繰り返しながら、それがおまえの望みならなと笑みを深くした。

「うん、…ん、そう」

 んんと喉奥で漏れる息を鼻から押し出すようにして、リュウは小さく囁いた。
 その囁きはきすでころしてと言っているようにも聞こえたが、それはボッシュの気のせいだったかもしれない。
 結局二人はそのまま午後もベッドで過ごし、夕飯をたっぷり食べて夜更かしをした。
 夜行性の獣たちは、そうして今日も月を見上げ、夜の棺を探すのだ。













2004/3/11 (Thurs.) 00:11:44 交換日記にて。
ばか兎、再びです。きすでころして、というフレーズを先に思いついて、そこからお話作りました。頭のよわい子がすきなんで…す…。