『君と僕の呼吸法』
ボッシュとリュウは、相棒同士だ。
レンジャーとしてまだ未熟な部類に属するサードは、コンビを組んで行動することを要求されるためである。
それゆえに二人は相棒で、コンビで、仲間だった。
ただし、タイプの違う。まるでばらばらな気質の、二人だったのだけれど。
* * * * *
リュウはがくがくと震える足を叱咤して、ようやく一体のディクにとどめを刺した。
怯えているのではない。疲労のためだ。
持久力よりも、瞬発力を得手とする。…というよりも、それくらいしかとりえのないリュウにとって、この強行軍はきつかった。
何時間も、こうしてシャフトに潜って小型ディクを除去しているのだ。
休憩を幾度かいれたといっても、疲労はそうそう消えてはくれない。
「軟弱だな。ローディーは」
その隣で、彼を嘲笑うのは相棒のボッシュだ。
リュウは疲れた眼差しで彼を見上げ、それでもどうにか立ち上がろうと黙って足に力を込めた。
ぎゅうと膝に手をかけて、息を吐く。
二つに折りたたまれていた体が、それによって真っ直ぐになった。まだ少しだけ、歪んだ姿勢ではあったけれど。
「まだ、ディクの反応が残ってる。もう少し奥に行くぞ」
「……うん」
リュウは相棒の言葉にようよう頷き、ふらふらとボッシュに続いた。
自分からは決して弱音を吐かないためか、単純に任務の効率を考えているのか、ボッシュはそんな相棒の様子を気にした様子もない。
つかつかと迷いなく進む彼の背中に、リュウは小さく嘆息した。
自分と彼は、まるでつりあっていないとよく言われる。
選ばれた一握りのD値を持つボッシュと、その辺りに転がる小石並みにどうでもいいようなD値を持つリュウ。
確かにそれはその通りなのだろうと、リュウは今、猛烈に痛感していた。
ずきずきと痛む足裏に、じりじり伝わる腕の痛み。それらも多分、そのことを教えてくれている。
(絶対明日は筋肉痛になるだろうな…)
そう思うと、一層痛みが増した気がした。
ボッシュのペースに合わせて歩いていると、足の痛みは更に増すばかりなのだ。
けれど、今も殆ど息を乱さず進んでいく相棒の姿。…それを見ていると、とてもではないが「もう少しゆっくり歩かない?」と言えない。
結局、リュウはそのままの状態でボッシュについていくしかなく、何も言われないボッシュが速度を緩めることはない。
「止まれ」
半ばヤケクソになってリュウが速度を上げた矢先、ボッシュが唐突に停止した。
慌ててリュウも足を止め、壁に張り付くボッシュに倣って身を潜める。
「いたのか?」
「ああ。うじゃうじゃ、な」
ボッシュはいかにも冷静な声で返答する。しかし、その目は爛々と輝いていて。
「……」
「合図と同時にいくぞ。おまえは手前から。俺は奥に切り込んで、始末していくから」
「うん…」
「…。何、その返事」
やる気がないリュウを責めるように、ボッシュの目が細められる。
リュウは躊躇いつつもボッシュを見上げ、呟いた。
「いや。…ボッシュ、楽しそうだなと…。思って」
その言葉を、相棒は鼻先で笑う。
そして、いくぞと呼気だけで告げて、真っ直ぐディクの群れに飛び込んでいく。
「……」
仕方なく、リュウもその後ろに続いた。
手前に控えて、宙を飛ぶディクに斬りつけ、返す剣で背後の小型ディクを切り払った。
ざっくりと鼻先を切り裂かれたディクは軋むような悲鳴を上げて飛びずさり、体液を撒き散らす。
小さく吸って、勢いよく吐き出す呼気。気合の声をあげるようにして、リュウは飛びかかってきたディクに剣先を突き立てた。
抜くのと同時に、足元のディクを踏み潰した。ブチュと水音を立てて飛び散るそれに、リュウは僅かに眉を寄せる。
手馴れた戦い方は、高揚と嫌悪とを同時にもたらした。
きっと、奥ではボッシュが自分と同じように、いやそれよりもずっと容赦なく戦っているのだろう。
細身の剣は、抉り、突き刺すために鍛えられたしなやかな刀身だ。
リュウの持つカタナのように、切るため、両断するために鍛えられたものではない。
「戦闘中にぼうっとするなよ、相棒!」
かけられた声は、僅かな緊迫と、愉悦にも似た何かを孕んでいるようだった。
リュウは慌てて我に返り、目前でディクの眼球を突き刺した相棒に「あ、ああ」と頷く。
うじゃうじゃ集まっていたディクの数は、もう大分減ってきていた。
いつの間にか背中合わせになっていた相棒に、リュウは戸惑いつつも剣を構えなおす。
どくどくと、背中越しに脈打つ音。
ああ、これはボッシュの鼓動だろうか?
リュウはその音に、不可思議な違和感と安堵を覚え、最後のディクを始末する。
「………」
それと同時に、ボッシュも目前にいたディクにとどめを刺した。
ずるずると思わずその場にへたりこみそうになる足を、リュウは叱咤するように睨み付ける。
それでも、そろそろいいかげん限界だ。リュウはボッシュに向かってそう言うため、背中越しに相棒の様子を窺った。
「ボッシュ…」
「黙ってろ」
しかし、呼びかけた言葉は冷たく却下された。リュウはきょとんとして、ボッシュが緊迫した面持ちで見つめる先を目で追った。
その先には、黒々と覗く暗がりがあって。…そして、その奥では何かが息づくような呼吸音が聞こえていて。
「……まだいるのか」
「ああ。どうやらそうみたいだな」
お客さんは、まだお帰りじゃないみたいだぜ。
ボッシュはそう言って、剣を構え直した。その頬に飛んだ返り血は、既に乾きかけている。
呼吸音は、だんだん近づいてくる。
その気配に、リュウも慌てて剣を構えなおした。圧倒的なプレッシャー。
その一方で足はひどい疲労を訴えていて、腕もいいかげんしびれかけていて。
(これはもう逃げた方がいいんじゃないだろうか?)
怖気づくとかではない。このままいけば、よくて重傷で倒せるか、悪くて刺し違えてこのままおしまいか。
けれど、ボッシュはどうするのだろう。
今、こうして、リュウの目前で堂々と剣を構えている彼は。
このまま、彼は彼の誇りをもって、ディクと戦うのだろうか。
リュウが困惑して、ボッシュの動向を見守っている。そんな気配を察したのか、ボッシュが不意に彼へ向かって呟いた。
「おまえって。そうやって俺の言葉待たなきゃ、何もできねえの」
確認するような、呆れたようなその言葉。
それに、リュウの背筋がびくっと伸びた。
そして、暗がりからゆっくりと這い出てくる巨大なディクの気配に瞬き、ボッシュの言葉に戸惑い。
「……。…言っていいの。おれ…?」
ボッシュはその言葉に、きつく眉を寄せて。
皮肉げに、口の端をつり上げた。
「言えば?」
その表情に、リュウはようやくちょっとだけ笑った。
こんな状況だというのに、何故だがその表情に余裕ができて。
余裕が出来た視線は、ボッシュの腕が疲労に引きつっていて、足取りも重そうだということに気づけたから。
「ええとね。…おれの提案なんだけど」
だから、ローディーで足手まといのリュウは、そんなエリート氏に対してこう提案するのだ。
「戦略的撤退とか、どうかな」
その言葉に、エリート殿はふんと鼻を鳴らして、引きつった顔でちょっとだけ笑ってから。
「まあ。…おまえも限界みたいだしな」
そんなことを言って、じりじりと、後退する。
リュウも場違いなほど、にこりと笑った。そして、ボッシュと同じようにじわじわ後退して。
「合図があったら、走り出せ」
「うん」
「振り返るなよ」
「うん」
二人で顔も見合わせないまま、どろどろの身体で、引きつった顔で、それでもきっと二人は全く似たような顔で笑ったはずだ。
ディクが出てくる。
そして、きっと巨体に似合わぬ素早さで、飛びかかってくるはずだ。
だからその直前。
ボッシュが叫ぶ。
合図を叫ぶ。
その声に、リュウも黙って身を翻して。
ずるりと滑りかける足元に、けれど躊躇わず、足をとられないように。
傍らの相棒と全く同じ動きで、同じ速度で。
「走れ!!」
合図と同時に、走り出すのだ。
床を蹴って、どこまでも。
背後に迫る気配から、逃げるため。
真っ直ぐ真っ直ぐ、走るため。
リュウはどくどくと音を立てる心臓に、小さく笑う。
隣できっと、ボッシュも笑っているだろう。
吐いて、吸って、吸って吐く。
喉も痛い呼吸。そして、心臓の鼓動。
この瞬間、確かにそんなものが全て、ぴったりと重なった。きっと鼓動も同じだ。
(おれとボッシュの心臓がどうしてひとつのものでないのか、不思議なくらいに)
リュウは大声で笑い出したい衝動を押さえて、ただただ走った。
だから、たどり着いた先で、ゴールの根元に着いたそのときこそ、二人で大声で笑い合おう。
きっと喉が痛くてろくに声も出ないだろうけど、だけど。
そのとき呼吸する音は、多分、ぴったりと重なっているはずだから。
そう思うと、リュウは尚更楽しくて喉奥から笑いがこみ上げてくるのを押さえられなかった。
はしれ!
のとこが、何より書きたかったのです。
呼吸法っていうか、うーん…。
普段は呼吸の合わない二人が、いざというときぴたっと合って、走り出すの、かっちょいいですよね、という感じで。