『魔王と騎士と、転寝と』




「…これはまた」

 緩やかな風。
 のんびりと注がれる日差し。
 ―――全てが完璧に整った、穏やかな午後。

 彼は、目の前ですぴすぴと寝息を立てる主を見下ろし、軽く笑った。
 
 勿論、寝台の上でごく普通に眠っているだけだったら、こんな風に笑ったりはしない。(もしかしたらそういうこともあるかもしれないが)…問題は、彼の主の眠っている体勢だ。
 彼は、彼の主の抱えた本を見下ろし、また苦笑する。
 ……その分厚さといったら、子どもの頭ほどもあるだろうか? 
 机の上に顔を突っ伏して、すやすやと健康的な寝息を立てる。
 ……彼にとっての、唯一無二の主。
 その手が添えられた本の厚さに笑って。
 その安らかな寝顔と、気持ちよさそうな寝息に微笑んで。

「…随分気持ちよさそうだ」

 笑ったまま、彼は主の正面に腰かけた。
 立てられたままの本。
 厚さのおかげだろう。手にした人物がすっかり眠っているにも関わらず、本は机の上に広げられたまま、立てられている。
 その本のせいで、いまいち寝顔がよく見えない。
 それが少し残念だなと思ったが、きっと主が目覚めたとき、寝顔をまじまじと覗かれていたらきまりの悪い思いをするだろうから。
 彼は正面で。
 本の背中を眺めるようにしながら、開け放たれた窓からの心地いい風に目を細める。
 さら、と本の向こう側で、主の髪の毛が風に撫でられてなびいた。
 なびく漆黒。その印象的な黒に目を細め、彼は本を透かすようにして、主を見つめる。
 むにゃむにゃと、なにやら寝言らしき呟きが聞こえた。
 こんな態勢で、よくそこまで熟睡できるなと彼は苦笑する。
 また、こういう無防備なところもいとおしいと苦笑する。

(いとおしい)

 彼はふと、その単語を胸のうちで反芻した。
 むにゃむにゃと、また不明瞭に呟かれた寝言。
 それをぼんやりと聞くようにして、彼は微笑む。

 例えば、春の日差しの暖かさ。
 ふと見上げた空の青さだとか。
 吹く風の、心地よさ。
 …汗を拭う、水の感触。

 そんな優しいものに出会ったときのような、気持ちのいい感覚。
 それを、彼はいつも、主と接するときに感じていた。
 …ぽんぽんと帰ってくる、軽やかな言葉だとか。
 それでいて、ふと向けられる真摯な眼差しの強さだとか。
 一つ一つ考え、考えするように、ゆっくりと言の葉を紡ぐときの顔。

 それを見るたびに、いつも心地よく踊るこの思いは何だろう。

 忘れていた、子どもの頃の新鮮な感覚。 
 世界は毎日新しくなっていて、全てが心地よくて。
 ただ、走り回っているだけで楽しかった。…あの感覚を思わせるような。

 彼は本を大きくまたぐようにして、主の髪の毛に手を伸ばした。
 …さらりとこぼれる、柔らかい感触。
 それを楽しむように軽く握り…、また放す。
 窓の外から、また柔らかな風。
 それを受けた右腕と、主の髪の毛。
 …風に柔らかくなびく感触が、快い。

「……今日は本当にいい天気ですね。陛下」

 こと、と、本が小さな音を立てた。
 本に添えられた主の指先が、僅かに動く。

「後で、一緒に散歩にでも行きませんか。ほら、こんなに風が心地いい。きっと、歩くだけでも気持ちいいはずですよ」

 ぴく、ぴく。
 本で隠された主の顔の筋肉が、僅かに震えているのが分かる気がした。
 さあ、我慢もほどほどに。
 …貴方の狸は、すぐに分かりますよ。

 彼は笑って、もう一度口を開いた。


「さあ、起きてユーリ」


 彼は知っている。
 …そう。これが、ハートのエースだということを。

 無言でむくりと顔を上げ、なんともきまりの悪そうな顔でこちらを見る主。
 彼は今度こそ、はっきりと笑った。   


 例えば、春の日差しの暖かさ。
 ふと見上げた空の青さだとか。
 吹く風の、心地よさ。
 …汗を拭う、水の感触。


 そんな、新鮮な快い気持ちを、そのまま笑顔にできたらいいと思いながら。


「コンラッドって何気なく性格悪いよな。絶対」

「そんなことないですよ」


 そう、きっとこれが「いとおしい」という気持ち。

 愛しいとか、恋しいとか、慕わしいとか。
 …そういうものとは、また種を別にした気持ち。

 顔についた机の痕を擦る主の手を引いて、心地よい空の下に出よう。

 緩やかな風。
 のんびりと注がれる日差し。
 ―――全てが完璧に整った、穏やかな午後。

 双黒といわれる、類稀な眼差しを、稀有だからいとおしむのではなく。

(貴方の色だからこそ、いとおしんで)

 貴方の色だからこそ、綺麗だと思うのだ。

 ―――昼寝と居眠りの似合う、心地よい午後。
 いっそのこと、木の根元で、並んで眠ってみてもいい。


 きっと今夜は、星が見えるだろう。
 まだ昼間だけれど、星座の話でもしてみようか。

 貴方と笑って過ごす午後。
 それが貴方にとっても心地よいものであれば、と。

 彼はそう、ゆっくり考えて、主と並んで歩く。









以前、だろーさんに差し上げましたまるマ小説。
そういえばタイトルもなかったことに気づき、軽く愕然としました。
こんなもんを受け取ってくれてありがとう友よ…。こんなんですが、目指せコンユリです。
陛下ラーブ。コンラッドさんラーブ。