『折られた私』
―――誰にも、知られていけない。
例えばそれは、命の在り処を敵に示すようなもの。
ここに心臓がありますよ、と微笑んで胸元を示すようなこと。
左胸を狙うより、胸の真中に剣を突き立てた方がいい。
そうすれば、間違いなく心臓を貫けるだろうから。
リュウはレンジャーの制服の上から胸元を押さえて、息苦しさを抱えたまま、そっと息を吐いた。
(くるしい)
ひどく胸苦しく、ひどく落ち着かない。
間近で控えた相棒が、片眉を上げて「どうした」と表情で問いかける。
なんでもない、とゆるくかぶりを振って、もう一度、そっと息を吐き出す。
ここだけ、空気が薄くなっているのではないだろうか。それとも、これは何かの流行り病か。
(だとしたら、おれは助からないかもしれないな)
リュウは口元を歪めて、そう自嘲する。
カタン。……ばちり。
…どこかから、岩の崩れて落ちる音。
何かの引き金が、引かれる音。
(合図だ)
リュウとボッシュは、さ、と武器をとって身構えると、腹ばいになった状態からターゲットをとらえる。
上層区の要人の護衛。
そして、その護衛と同時進行で進められていた、ダミーによる囮。トリニティたちのおびき出し。
ダアン、と打った銃の音が、腹ばいになっていた地面を通し、体に響く。
狙うなら、上半身。
うまくいけば頭に当たるし、うまくなければ肩に当たる。
それだけで敵は武器を取り落とすか、少なくとも、この戦闘中は再起不能になってくれる筈。
「楽勝」
ボッシュが低く笑って、的確な射撃で一人打ち抜いた。
銃弾は見事肩口を貫通し、トリニティの一人が体を折ってうずくまる。
リュウはそれを視界に入れながら(あと、六人)と冷静に考えた。
冷静に、冷静に、引き金においた指が震えないよう、懸命に頭を働かせて。
ボッシュの肩が、リュウの肩に触れた。
……段差の窪みに二人、じっとうずくまるようにして。
同時に、引き金を引く。
……ダアン。
(おなかに、ひびく)
リュウはそんなことをぼんやりと考え、乾く唇をそっと舌でなぞった。
ふと、目線を横に移すと。
……冷静に、冷徹に敵を見据え、次々と射撃する相棒の横顔。
(……)
その眼差しに、背筋がひく、と震えるのをおぼえる。
(おれは、ボッシュのことが怖いのかな)
その、僅かな惑いを押し隠すように、リュウはもう一度カウントした。
(……あと四人)
トリニティの退却は時間の問題。
今回の作戦は、どうやら成功のようだ。
「……先に、シャワー浴びてきたら」
汗でべとべとになった上着を鬱陶しそうに脱ぎ捨てる相棒。
その姿に思わず苦笑して、リュウは提案する。
「ん」
同室の他のサードレンジャーたちも、それぞれシャワールームに向かって歩き出している。
ボッシュはリュウの勧めに気だるげに頷き、すたすたと共用シャワーに向かって歩きかけ。
「……」
ふと振り向き、何気ない調子でリュウに声をかけた。
「おまえは? …シャワー、まだいいわけ?」
「…あ」
リュウは一瞬ちょっとまごついた様子で沈黙してから、…いつものように、曖昧に笑って。
「おれはいいよ、まだ。…先に、報告書まとめておきたいから」
そう、ボッシュに応じる。
その言葉に、特にボッシュも深くは追求せず。
「ふーん。じゃあついでに俺のもやっといて」
と軽く手を振ると、部屋からあっさり出て行った。
「……」
シャッ、と軽い音を立てて閉まったドアを、リュウはそのまましばらくぼんやり見つめた。
とりあえず、報告書をそそくさとまとめて、血や汗にまみれた顔を軽くタオルで拭う。
ごしごしと強く擦ると、顔が少しだけ赤くなった。
(いつシャワー浴びに行こうかな)
まとめ終えた報告書を見直しながら、リュウは腕に軽く鼻を近づけて、くんと匂いを嗅いでみる。
「……」
汗と。…ディクと、人の体液の匂い。
嗅ぎ慣れたそれと言えばそうなのだが、やはりこれはどうしても気になる。
「……やっぱり、こういうの。ちょっと不便かな」
誰に言うでもなく、リュウは小さく呟いた。
―――そのことを知っているのは、剣術と生きる術を教えてくれた、教官でもあり隊長でもあるゼノのみ。
相棒であるボッシュにすら、リュウはその秘密を明かしてはいない。
……何故ならば、その事実はそのままリュウの弱みにつながるからである。
(ここにおれの心臓があるのだと)
指差して、さあ突き刺してくださいと笑うようなもの。
リュウは肩口まで腕まくりをして、水で湿らせたタオルで肌を拭った。
これで少しはマシになるだろうかと苦笑して、迷った末、タオルを部屋の隅――…唯一の自分のスペースである寝台の、掛け布の下に押し込む。
それから、小さく……特に意味もなく溜め息をついてから。
いつまで隠し通せるものだろうかと、ぼんやり、我が身を見下ろす。
…男にしては貧弱な体と、笑われているだけならばまだいいのだけど。
リュウは、ぺたり、と何の弾力もない胸に触れ、小さく笑った。
誰も知らない、苦笑と自嘲と……恐れの混じった複雑な笑顔で。
(ここにおれの心臓があるのだと)
指差して、さあ突き刺してくださいと笑うようなもの。
リュウ=1/8192の性別が、実のところ。
…男性ではない、という事実は。
* * * * *
『隠せるものならば、隠しておいた方がいいでしょう』
ゼノ=1/128。
彼女の元に候補生として、収集された直後。
リュウが今まで通り男の成りで彼女の前に現れ、戸惑いがちに自分のデータを提出したときに。
彼女はいつもの冷静な眼差しを、ほんの少しだけ痛ましげに細めて、そう言った。
『幸い、まだ誰も気づいている様子はありません。このデータも、直接には私の目にしか触れません』
この仕事をこなしていく中で、女性であるということはそれだけでハンディになる。
ゼノは淡々とそう語ると、リュウに向けて「隠し通せるものならば、誰にも告げない方がいい」と再度告げた。
それは恐らく、彼女の優しさだったのだろう。
同じ仕事をした、同じ性別を持つ者としての。
リュウは目を瞑ってくれると言うその言葉に有難く従い、そのまま、現在に至っている。
大部屋に放り込まれ、シャワーも、更衣もいつも共用の場所でばかり。
それでも、どうにかリュウは自らの性別を隠し通してきた。
……彼女の中に、何一つ拘りがなかったためかもしれない。
女であるという事実が、助けになったことなど今まで一つもなかった。
やせっぽちの、貧弱なローディー。
そのローディーが実は女で、自分よりも更に弱い存在だと知られてしまったら。
(考えただけで、物凄く面倒な事態になるよな…)
リュウは億劫気に眉をひそめ、誰もいなくなった部屋の中、自分のベッドに座り込み、ぼんやりと目を閉じる。
もう何年。
……もう何ヶ月、隠し通せるかは分からないけれど。
せめて、もう少し。もう少しだけ。
…レンジャーとして、一人でやっていけるようになるまでは。
誰にも、知られるわけにはいかない。リュウの、ウィークポイント。
軽く目を閉じて、しばらくそんなことを考えながら……時間を過ごしていたリュウだったが。
ふと、目を開け。…床にまだ、ボッシュの脱ぎ捨てた上着が打ち捨てられていることに気づき。
仕方ないな、と息を吐くと、ベッドから立ち上がって、相棒の上着に手を伸ばした。
……ボッシュ=1/64と相棒として組まされてから、もう数年になる。
その間、あの聡い相棒にリュウの性別が気づかれずに済んでいるのは、ひとえに運が良かったからだとしか言いようがない。
拾い上げた上着は、リュウの衣服と同様、汗と体液の匂いがした。
共用のランドリーでついでに洗濯してしまえばよかったのに、と考えながら、そのままボッシュのベッドの上に上着を置いた。ついでに、何となく上着を綺麗に畳んでしまう。
「……」
長袖を丁寧にまとめ、皺がつかないよう伸ばしながら。
この服の袖に、確かに相棒の腕が、通されていたのかと。
……今更のように、そんなことを考える。
(……)
黙々と、冷徹に。
如何にも楽しそうな口ぶりで。そのくせ、油断一つ許さない、いつもの妥協のなさで。
ターゲットを、一人一人撃ち抜いていた相棒。
そっ、と、上着の襟に指を触れさせる。
……特に意味がある仕草というわけでもない。
ただ、何故だか触れたくなっただけ。
(おれはきっと。ボッシュのことが……少し、怖いんだ)
―――リュウのそれとは、二桁も違う選ばれたD値を持ち。
いっそ、傲慢なほどに。
その力を示し、当然と冷徹に笑う。
……今日の、黙々とトリニティを狙撃していた彼の姿を思い起こし、リュウは小さく背中を震わせた。
―――肩口を撃ち抜かれ、力なく体を折ったトリニティ。
(あのトリニティ。…そういえば、女……だったな)
……指先が、小さく震えた。
ぎゅ、と、よすがを求めるように、ボッシュの上着の袖口が、震える指先が捕まえる。
そのままきつく眉を寄せ、小さく吐息した。
その吐息に意味があるのか、どうなのか。
それすら分からず、ただ「こわいな」とぼんやり認識するように、吐息する。
「…何してんの。おまえ」
―――その背中に。
……唐突に、聞き慣れた声がかかった。
リュウはびくっ、と背筋を震わせ、慌ててボッシュのベッドから離れる。……が、慌てすぎたせいか、つい、ボッシュの上着を掴んだまま、立ち上がってしまった。
シャワー上がりでさっぱりした相棒の目が、訝しげに細められる。
「……なあそれ」
「いやっ、…な、なんでもないんだッ! ただ、落っこちてたから、その、畳もうと、いや、片付けようと思っただけで! その…ッ!」
彼が訝しげに訊ねようとするのを遮るように、リュウが慌てて上ずった声で言い訳を始めた。
「…ハァ」
ボッシュは「だからなんなの」と言いたげな顔つきで肩をすくめ。
「ま、何でもいいけどさ」
…と、リュウの横をあっさり素通りして、自分のベッドに腰かける。
(あ)
リュウはその拍子に、感じた匂いに。
先ほどまでの汗と体液臭さではない、確かな嗅ぎ慣れた相棒の体臭を感じて。
(……)
奇妙にざわつく胸を押さえ、ずる、とそこから後ずさる。
「……何か、思いつめたカオでヒトの上着握り締めてるんだもんな。おまえ」
そんなリュウに向かって、ボッシュはくつくつと笑いながら、いつものからかうような調子で軽く言葉を放った。
「なに。…もしかして、俺に惚れちゃったわけ?」
と。
軽い、いつもの悪趣味な冗談を。
「……」
しかし、何故だかリュウはそのとき、不思議とその冗談を聞き流せなくて。
―――ぽかんと。
呆けたように、立ち尽くしてしまった。
「…? …何だよ。どうかしたわけ。おまえ」
ボッシュが、訝しげに眉を寄せて、リュウの肩に軽く手を伸ばす。
「…ッ! …な」
リュウは、その手を半ば反射的に振り払ってしまうと。
「……なんでも、ない…!」
きょと、と目を見張るボッシュを置いて、そのまま部屋の外に飛び出してしまった。
「……なんだよ、その過剰反応」
呆然としたボッシュが、振り払われた指先を所在なげに宙ぶらりんにしたまま。
なんともいえない表情で呟くのを、見ないように。
逃げるように。…恐れるように。
その場から、駆け出した。
* * * * *
―――誰にも、知られていけない。
例えばそれは、命の在り処を敵に示すようなもの。
ここに心臓がありますよ、と微笑んで胸元を示すようなこと。
リュウはぞぞぞと震える背筋を押さえつけるように、壁にきつく背中を押し付ける。
人気のない、倉庫の隅っこ。
きっとここだったら誰も来ない筈と思いながら、震える指先を握り締めて、きつくきつく眉を寄せる。
その脳裏に電光のように閃くのは、ボッシュに肩口を撃ち抜かれ、がくりと体を折り畳むトリニティの姿。
「……しんじ、られない……」
呆然と呟く言葉は、誰も知らない。誰にも聞かせられない、彼女の新しいウィークポイント。
リュウはそのまま体を折って、うずくまり、顔を両手で覆った。
―――誰にも、知られてはいけない。
リュウの肩に、僅かに触れた指先が。
……まるで電撃のように。
彼女の肩ごと。……心ごと、射抜くように。
……ボッシュの皮肉げで、冷徹な眼差しが。
まるで、焼きごてを押し付けるように。…烙印を押すように。
醜くて、生々しい感情を。
植えつけて、しまったということを。
―――…誰にも、知られてはいけない。
END.
続き書きたいなあナンバー1。
女の子ネタは好きなんですが。