――『俺の後輩の話』――
――――俺んちがあるマンションから、歩いて十分。走れば五分のところに、俺の後輩が住んでいる。
俺よか一コ年下で、俺よりも頭がいい後輩。
誰にでも敬語を使って、殆どの奴に「さん」付けで、礼儀正しいような、誰にでも他人行儀なような後輩。
だけど、本当は単に人付き合いが不器用なだけ。俺なんかは何も考えずに思ったことを口に出す方だけど、あいつは何度も何度も考えてから口に出す。……たまにぼそっとキツイことを言うこともあるけれど。
頭がいいだけじゃない。真面目で、一つのことに集中したらそれを片付けるまで別のことをしようとしない。やっぱり、どこか不器用なんだよな。
――――俺んちがあるマンションから、歩いて十分、走れば五分のところに、俺の後輩が住んでいる。
後輩の名前は、泉光子郎という。
◇ ◇ ◇ ◇
本日快晴。空気はほどよく暖かい。
季節は春だし、ついでに言えば俺の気分もどことなく春だった。
………昨日までは。
『卵が孵ったんです!』
昨日の午前中、息切れしながら現れた光子郎は、開口一番そう言った。
卵? と、ちょうど持っていた鶏の卵をついつい眺めてしまった俺だったが、いまいち冗談の通じない光子郎は「違う!」と強い口調で訂正して、こう続けた。
『デジモンの、卵ですよ!』
………デジモン……だって……?
俺はわけがわからないままに光子郎の説明を聞いて……面食らって……でも、妙にワクワクしながら光子郎のノートパソコンの画面を見つめた。
久しぶりの感覚。あの高揚感。……それから。
きっと会えるって。でも、分からない。もう会えないかもって。でも会いたいって。
ずっと思ってた、大事な友達との再会が、やっぱり……嬉しくて。
もう、春どころじゃない。気分だけだったら、あの夏に戻ったようなもんだった。ワクワクして、ハラハラして。戦って。……そう。『皆』と一緒に戦って!
昨夜は、もう全然眠れなかった。やっと誕生会から帰ってきたヒカリに昨日の出来事を全部話して、話して、話して、でも全然語りきれなくて。
そのワクワクが、高揚感が、まだ身体に残ってる。じっとしていられない。
俺は、ぎゅっと拳を握り締めた。
ウォーグレイモンとメタルガルルモンが一つになった、あの物凄いデジモン。
あいつの身体をつかんで、ヤマトと一緒に敵を倒した感覚。体かフワフワするような感じが、まだ残ってるんだ。
俺は乗り慣れた、光子郎んちがあるマンションのエレベーターに乗り込んで、スイッチを押した。
落ち着かない。気分が。身体中に溢れてて。
もう、春の気分じゃいられなかった。
光子郎んちは、もう、本当にすぐそこで。
俺は、ついつい慌ただしくチャイムを押してしまった。
ピンポンッ!
――――これで俺が来たって分かるだろーなぁ……。
俺は自分に苦笑しながら、泉家の誰かが迎えてくれるのを待つ。やがて。
ガチャッ。
「……よっ、光子郎」
「どうぞ」
光子郎は俺を招き入れるためにドアを開けてくれながら、にっこり笑ってこう言った。
「……そろそろ、来るんじゃないかって思ってましたから」
こういうトコは、さすがだよな。
光子郎の母さんが用意してくれたジュースを飲んで、お菓子をつまみながら。
「お前、昨日眠れたか?」
俺はいきなりそう聞いてみた。
光子郎は、ぱちっ、と面食らったような瞬きをする。
「昨日、ですか?」
「そう。昨日」
「……愚問ですよ、太一さん」
光子郎の本当は、いたって分かりやすかった。
「…………そーだよな。やっぱ、そうだよな」
俺は思わずホッとして、ぐっと一気にジュースを飲み干す。
「………」
「…………」
それから、二人して何となく黙った。
「なあ」 「あの」
………。
……そんで、何故か二人して同時に切り出そうとするし。
「太一さんから」 「光子郎から」
…………。
俺と光子郎は、まるでお見合いをした若い男女のよーなことをしてしまって……。
思わず、同時に吹き出した。
「光子郎からでいいぜ」
「はい、じゃあ、お言葉に甘えて」
俺が笑いながら先輩風を吹かせると、光子郎はくすくす笑いながら素直に頷く。
「……改まって言うと、何か変ですけど……」
光子郎はそう呟きながら……右掌を見て、ぎゅっと握りしめた。
「やっぱり、昨日の今日じゃ、落ち着きませんよね」
「………だよな」
俺も大きく頷いて、頭のゴーグルにそっと触れる。
「何かさあ……落ち着かないんだけど……でも、何か、頭がぼーっとしないか? 何ていうかー、その……」
「………夢から、覚めたような感覚、ですか?」
「……………うん。それだ」
夢から、覚めたみたいな感じ。
光子郎の指摘に、俺は、ふっと目を眇めた。
目を眇めて見た遠くの景色の中で、アグモンが笑ってる。
「――――なあ。昨日のアレ……まさか、夢じゃないよな」
どうしてだろう。何故か、そう呟いてしまった。
「太一さん……」
光子郎が何ともいえない眼差しで、俺を見てる。
「アグモンたちに会いたいとか、また冒険がしたいとかばっかり考えてたから……だから、夢を見ちゃったのかもってことも、ありえるかな……なんてさ……」
ははは、なんて笑う俺を、光子郎が、黒目がちな瞳でじっと見ている。
「本気ですか?」
責めるみたいな言葉の響きに、俺は……目を泳がせてから……首を振った。
「ごめん。……なんか、あの頃が懐かしくなっちまった分……寂しくなったのかもな」
ぱすっと自分の頭に掌を乗せて、俺は、我ながら似合わないようなカオで俯く。
身体が宙に浮くような高揚感。会いたいって思ってた友達との再会。皆の心が一つになった、あの戦い。
――――それこそまさに「昨日の今日」で、ありありと頭の中に光景を思い描ける、ネットの中の戦い。
でも。それが色鮮やかに……鮮明に、浮かび上がれば浮かび上がるほど、心の中に穴があくような感覚に襲われる。
ワクワクした。ドキドキした。
でも。どうしてもこう考えてしまう。
――――何で、全部『過去形』になっちまうんだろう。
「……夢じゃ、ないですよ。太一さん」
下を向いたままの俺の視界に、光子郎の掌が見えた。
光子郎はその両掌を……俯いている俺の頬にそっと触れさせる。
「夢じゃない。僕も、同じものを見ていたんですから。勿論、ヤマトさんもタケルくんも……名前も知らない、たくさんの国の子供たちも」
「………」
俺は、そんな風に……一生懸命話してくれる光子郎と視線を合わせて、小さく笑った。
「さんきゅ、光子郎」
「…い、いえ……」
光子郎は途端に照れたような顔で、パッと手を離してしまう。……こいつ。俺が俯いてるからって強気に出てやがったな。まあ、別にいいけどさ。
「悪い! ……俺らしくなかったよな、今の」
「そうですね」
……そうきっぱり肯定されると、それはそれで何となく複雑な気分だけど。
「何か、色々考えすぎちゃうのかもなぁ」
「太一さんが? 何を色々考えるんですか?」
「……俺だって考えることぐらいあるっつーの。光子郎……お前、最近チョーシに乗ってきてねーか?」
思わず半眼になる俺に、ハハハなんて愛想笑いを見せながら、光子郎は「で、何を考えるんですか?」と、ごまかしとも取れる促しをしてきた。……まあ、いいけどよ。
「アグモンたちのこと、前は結構頻繁に思い出してたんだ。ヘンな話だけど、何でかいつも食い物食ってるシーンのことばっかり」
「まあ……確かに分かる気はしますけどね」
「だろ? いっつもボクおなかすいちゃった〜≠ニかコレおいしーね≠ニか言ってるとこばっか」
俺はそう続けて、いったん言葉を切った。
「だけど」
………だけど。
俺は、ぐっとゴーグルをつかむ。小さい頃から持ってたゴーグル。初めてコロモンと出会った時も、つけてたっけ。
「最近、あんまり思い出さなくなったんだ」
ついこの間までは、何を見てもあいつらを思い出してたのに。
「こんな風に、何もかも忘れていくもんなのかな、何て思ったりしてさ。……なんか」
俺は……蚊が鳴くような、小さな声で、呟いた。
「怖くなった」
「………」
本当に、俺らしくないセリフの連続。情けねえよ。これって、弱音だろ?
でも、だからって口にしたセリフを今更引っ込められるわけでもなくて、俺も、光子郎もしばらくそうやって黙り込んでた。
――――そのまま、どれだけ黙りこくってたのか、わかんないけど。
光子郎が、まっすぐに俺を見て、口火を切った。
「ありがとうございます」
………………はい?
突然礼を言われて思わず目が点になっちまった俺を、光子郎は至極真面目な表情でしばらく見つめてから、にこっと笑う。
「今の、太一さんの弱音、ですよね?」
「あ? あ、ああ……」
だから、なんでそれで礼が出てくるんだよ。
口に出さずとも俺の疑問が伝わったのか、光子郎はこう続けた。
「太一さんって、弱音とかあんまり吐かないタイプだから。……その、滅多に吐かない弱音を見せる相手に、僕を選んでくれたことが嬉しくて。つい」
「…………」
なんだ、そりゃ。
途方にくれる俺を前に、光子郎は本当に嬉しそうな顔でにこにこ笑ってる。
「……お前って、結構変な奴だよな」
「太一さんほどじゃありませんよ」
「よく言うぜ」
あー。俺、確か深刻に悩んでたはずなんだけどなあ。
何だかどうでもよくなってきちまった俺に、ふと、光子郎は「それから」と言った。
「太一さんはアグモンたちのことを忘れたりしませんよ」
「…………何で」
俺は拗ねたガキそのまんまな口調で言い返す。すると、光子郎はすました顔でこう言いやがった。
「だって、夢じゃありませんから」
「…………」
――――それもそうか。俺は思わず口元を緩めた。
……そうだな。アグモンたちのこと、デジタルワールドのことも、みんな、夢じゃない。
みんな夢じゃないから。本当にあったことだから。きっと忘れない。
「夢じゃないなら……また会えるもんな。アグモンたちに。……昨日みたいに」
確認するみたいに呟く俺に、光子郎は「はい」と頷いた。
「それに、もしも太一さんが忘れてしまっても、きっと大丈夫ですよ」
「…………何でだよ?」
光子郎は「それは勿論」と笑う。
「太一さんと同じものを見てきた、僕がいるからでしょう」
「……それも、そーか」
俺も笑った。馬鹿みたいに先のことばかり考えて怯えてたらしくない♂エのことを。
◇ ◇ ◇ ◇
――――俺んちがあるマンションから、歩いて十分。走れば五分のところに、俺の後輩が住んでいる。
結構いいことを言ってくれる後輩で。でもそう誉めてやったら苦笑してた。
――――「貴方が僕に教えてくれたことなんですよ」って。
……後輩の名前は、泉光子郎という。
END.
今更ウォーゲームっていうのもどうよ自分。
本当に太一さんの家と光子郎さんの家がそんなに近いのかはさだかではありません。(いいかげん)
この小説自体は結構前に書いた話です。
……確か、一年位前な気が。
そんな昔の話をぬけぬけと載せる風成飛翔。
大した心臓です。(爆)