『聖なる人を待ちながら』


 こんばんは、クリスマスイヴの来訪者。
 枕元にひょいとプレゼントを置いて。
 よい子で眠る子供たちに「グッドナイト」と優しく笑う。
 しゃんしゃんしゃんと鈴を鳴らして。
 少しおどけた白髪白髭の老人が。
 真っ赤な服で、トナカイの引くソリに揺られて、煙突覗いて落っこちる。

(…それは世界中の大半の子供が、信じている夢物語)
(何処かにきっといるはずの、聖なる人の夢物語なんだろう)

*     *     *     *      *

 光子郎は、寒空の下、コンビニ前で声を張り上げケーキを売っている店員を見やって、白い息を吐き出した。
(ご苦労なことです)
 日本では師走とも呼ばれる、一年で最後の一ヶ月。
 遠い国で、遠い昔、この師走の25日に神の子が生まれたという。何もわざわざ年末を選ぶこともないだろうに。何とも忙しないことだ。
 光子郎はかたんと手提げを揺らして、てくてくと歩く。
「ねえ、ママ。今日サンタさん来るよね? きっと来るよね?」
「はいはい。ちゃんと来ますよ、サンタさんは。手紙だって書いたでしょう?」
「だってお返事なかったんだもん。ちゃんと読んだかなあ、サンタさん!」
 すれ違った親子の会話が耳に飛び込んできて、光子郎はちょっと微笑ましく思った。
 見れば、会話をしている子供の方は、光子郎とさほど年の変わらない子だ。
(小学校三年生くらいかな?)
 微笑ましい気持ちが顔に出ないよう押し殺して、光子郎は歩みを進めた。
「ちゃんと読んでくれたわよ、サンタさんは。約束だって守ってくれるわよ。…貴方がちゃんと、いい子にしてたらね?」
 すっと通り過ぎた親子の会話は、あっという間に遠ざかっていく。
 ああやって子供に話している親の方も、きっと楽しいのだろう。
 無邪気な子供と、夢物語について話す時間。それは親になったならば、一度は味わいたい時間のはずだ。
(うちは、僕が随分可愛げのない子供だから)
 光子郎は苦笑交じりに考える。
(お母さんもお父さんも、ちょっと損したなって思ってるかな…?)
 ……いや、そんなことはないだろう。
 きっとあの両親は、光子郎がそんなことを言ったとしたら、すぐさま全力で否定してくれるはずだ。
『貴方は、貴方のままでいいのよ』
『光子郎は、光子郎なんだよ』
 そう、すんなり想像できることが、少しくすぐったくて、とても幸福なことだと思う。
 光子郎は早くもなく、遅くもない足取りで家路を歩いた。
 西日が背中に当たって、暖かく心地よい。
 早く帰ろう。
 そうだ。今日はお母さんがケーキを焼くと言っていたことだし。
「光子郎ー!」
 頭上から降ってきた声に顔を上げると、マンションのベランダから顔を出した太一が元気に手を振っていた。
「めりーくりすます! 今日は夜更かししねーで早く寝ろよー!」
 光子郎はそんな彼に慌てて手を振り、照れたように顔を押さえて早足になる。
(何もあんなトコから叫ばなくても……)
 それにクリスマスは厳密に言えば、明日だ。
 光子郎はマンションの中に入って、ふうと溜め息をつく。
 真っ赤に照らされた町並みが綺麗だなと今更のように思って、家のドアを開けると、中から美味しい匂いが漂ってきた。
「ただいま、お母さん」 
 声をかけると、中から「お帰りなさい」という返事が返ってくる。
 そんな当たり前のことがとても幸せに思えて、光子郎はふっと笑ってしまった。
 12月24日。
 クリスマスイヴと呼ばれる、聖夜前日。
 その空気に、僕も当てられてしまったのかなと。
 光子郎は年に似合わない大人びた独り言を呟きながら、年賀状の為に買ってきたインクカートリッジを持って自室に入ったのだった。

*     *     *     *      *

 ――――そして、それは絶対に秘密なのである。

 知っている人は、知らない人に言ってはいけない。
 その人の中には絶対の世界と、根拠があるのだから、そこに土足で踏み込んではいけない。
 けれど、そっと、そっと大切に。
 まるで、華奢なガラス細工に触れるように慎重な動作であれば。
 それを守るために行なわれる行為であれば、きっとそれに触れることが許されるだろう。
 彼はそっとそっと、秘密のための秘密の場所に、秘密のものを隠した。
 ここならば、秘密は成し遂げられるだろうと、小さく微笑んで。
 知っている彼は、知らない誰かに決して言ってはいけない。
 それは守られるべき秘密であり、一つの世界のためには必要なものなのだから。
 傾く太陽が、時を告げている。
 その時は、今宵である。今宵でなくては意味がない。

 ――――そして、それも絶対に秘密なのである。

*     *     *     *      *

(タイミングは最悪)
 太一はそう胸中で呟いて、ベッドにごろんと転がった。
 おにいちゃん、食べるばっかりじゃなくて手伝ってようと妹がキッチンで怒っている。 
 とっくに日は沈んで、外はもう真っ暗。
 夕陽に沈む町並みが綺麗で思わずベランダに飛び出したら、光子郎がてくてく外を歩いていて。
 ばたばた手を振って、おーいおーいと叫んだら、すごく恥ずかしそうな顔をされてしまった。
(あいつも大概照れ屋サンだよなあ)
 あれくらい、小学生の男子ならばごく普通にこなさなければならないのに。
 デジタルワールドの冒険を経て大分性格がこなれたもののも、そういうところは『まだまだ』だと太一は思う。
(言うことはハッキリ言うくせになあ)
 太一はふわわと小さく欠伸をした。今日も一日サッカーに明け暮れていたせいか、身体はすっかりおむねモードだ。
「今夜に備えて、早く寝ないとなあ」
 そう小さく呟き、太一はもぞもぞとベッドの上を転がる。
「おにいちゃんったら! ちょっとこっちを手伝ってよー!」
「あー…はいはいはい……」
 だが、再三響いた妹の呼び声に、太一は仕方なくベッドから起き上がった。
(タイミングは最悪)
 そう思いながらも、決して嫌がってはいない自分がいることを、太一はちゃんと知っていた。
 なんてったって、滅多にない機会なのだ。せっかくのチャンスだと思って、楽しませてもらうことにしよう。
 ケーキは、甘いイチゴの乗ったデコレーション。
 ロウソクは何本立てようかなと太一はくすくす笑う。
 せっかくだから、全部のロウソクを立ててしまおうか。ライターは危ないから、扱わせてもらえないかもしれないけど。
「ウィッシュ、ア、メリークリスマス……アンド、ハッピーニューイヤァ♪」
 太一は小さく口ずさみながら、可愛い妹の元までのんびりと歩く。
 メリーメリークリスマス。
 お祝い事にはいくらでも便乗しようじゃないの?
 サンタさんはまだだけど、それまでたっぷり楽しみましょうよ。
 太一はロウソクのいっぱい乗ったケーキを夢想しながら、ドアをぱたんと閉めた。 

*     *     *     *      *

 夢物語は、何処にでもある。
 美しい洋館や、秘密の原っぱ。
 童話の中に広がる雪景色に、誰も知らない森の奥。
 何処にでも、夢物語は広がっている。
 今夜は、多くの子供たちがそれを共有することだろう。
 枕元にプレゼント。起きるとそこにあるソレは、誰が届けたのか一目瞭然。
 子供にとって、最も身近な夢物語。
 必ず叶う、夢物語。
 さあ、よい子で待っていて。
 聖なる人は、必ず君の枕元にやってくるのだから。

*     *     *     *      *

 小さなツリーの傍で両親と談笑した後は、恒例のプレゼント交換。
 嬉しい驚きと、対等の時間を共有しているという心地よさを味わってから、光子郎は自室に戻って布団にもぐりこんだ。
 枕元にプレゼントは来ないけれど、今宵も楽しい時間を過ごせたなと光子郎は思う。
(いや、去年までのしがらみがなくなった分、今年の方が楽しかったかもしれない)
 微笑んだ口元が、くすぐったくて嬉しい。 
 そっと目を閉じて、眠りの妖精が瞼を叩くのを待とうかなんて、少しメルヘンが過ぎるだろうか。
 でもそのときの光子郎は本当にそんな気分で…、彼は妖精をさほど待つこともなく、たちまち眠りの世界に吸い込まれていってしまった。
 ……だからだろうか。
 夜中にふと目を覚ましてしまったときも、目覚めはとても爽快で。
 おや朝にしては暗いななんて、間の抜けたことを考えてしまった。
「……ぐっすり眠ったはいいんですが……。……しばらく眠れそうにないですね、これは」
 光子郎はすっかり目が冴えたしまった状態で、ちょっとパソコンでもいじろうかなと起き上がる。
 そして起動スイッチを押してから、カーテンを小さく開けて外を眺めやった。
 外は暗い。……空も、深い藍色だ。
 けれど空気はとても澄んでいるようで(しかしそれはすなわち、とても寒いということでもある)遠くに見える星は、きらりと美しく輝いていた。 
「……ん?」
 しかし、そんな輝きにはふさわしくない呻き声を、光子郎はついうっかりあげてしまった。
 窓から見下ろしたコンクリートの上に、おおよそこの時間にふさわしからぬ人物を発見してしまったのだ。
「…太一さん?」
 青いマフラーに、紺色のコート。
 ぱたぱたと身軽に地上を駆ける彼は、確かに夕方ベランダで手を振っていた彼の人であった。
「何でこんな時間に、外にいるんだろう…?」
 ぽつんと呟いたセリフは、存外はっきりと耳に届く。
 光子郎は次のセリフを呟く前に、パジャマの上からコートを羽織って、マフラーを首に巻きつけていた。
 うずうずするような、高揚した気持ち。
 僕には似合わない気分だなと苦笑しながらも、光子郎はこっそりと家を抜け出して階下へと急ぐ。
(一人で何かしようとしてるなんて、水臭いですよ太一さん)
 そういうときには、参謀の僕を呼んでくれなけりゃあ。
 光子郎は内心でそう呟きながら、ぱたぱたと非常階段を下る。
 マンションの通用口をくぐると、空気はひやりと冷たい。
 ああ、でも夜の空気というものは、何故こんなにも秘密めいているのだろうか。
 光子郎はきょときょとと周囲を見渡し、すぐにお目当ての人物を発見した。
「……太一さん、こんな時間に何をしてるんですか?」 
 てくてくてくと近づいて。人の気配にびくっと振り返った太一ににっこり笑顔。
「こ、光子郎…?」
 何でココにと言いたげなカオに、光子郎はおやと目を見張る。
「僕んちの真下でごそごそやっといて、それはないでしょう」
「え」
 光子郎の言葉に、太一はハッと顔を頭上に向けた。
 そして、確かに自分のいる場所が光子郎の部屋から丸見えなのだということに気づき、太一はがくうーっとうなだれる。
「俺、丸見えだった…?」
 照れくさそうに曖昧な笑いを浮かべて訊ねる太一に、光子郎は肩をすくめる。
「だから、僕もつい降りてきちゃったんじゃないですか」
 言わずもがなですよ。
 笑顔の光子郎に、太一は「まあ確かに…」と腕組みをしてしまった。
「……で? 何をやってたんですか?」
 光子郎は考え込むような様子の太一に、再度問いを投げかける。
 ひやりとした、不可思議な夜の空気。
 それを共有しているというだけで、ふと、あの冒険の日々に舞い戻ったような錯覚を覚えた。
 ここは東京の、お台場で。
 季節も冬だというのに。
「……えっとな…」
 太一はうーんうーんうーんと悩んだ挙句……。
「なあ、光子郎」
 意を決したように、ぎゅっと顔を引き締めて、こっちこっちと耳打ちの体勢を作った。
 人気もないのに。真夜中なのに。
 光子郎は太一の念のいった様子にやや呆れ、それでも素直に太一の傍まで近づく。
「実は俺はな…」
 太一の囁きが耳に触れる。そして、その囁きすら白い塊となって、宙を舞っていった。
 一体なんだろうと耳をそぱ立てる光子郎。太一は「……」としばし沈黙してから。「そうだ、まずこれを聞いとかねーと」と独りごちる。
「なんですか?」
 早く言ってくださいよ、と光子郎はちょっと焦れたような顔になる。
 そんな光子郎に、太一は真剣な表情でこう言った。

「光子郎は、サンタがいるって知ってるよな」

 ひらり。
  
 ……その言葉は、たちまち白い空気となって夜空に昇っていった。
 光子郎は一瞬躊躇う。
(あ、そうか)
 太一さんは「知らない人」で「信じている人」なんだなと思ったから。
(……だったら)
 光子郎は、そっとそっと、けれど確かに彼の世界≠守るために「はい、知ってますよ」ときっぱりと答える。
「彼は実在した人物です。そして、今も確かに存在している。…それは、ただの夢物語ではないんです」
 真剣に、光子郎はそう応じた。
 太一の世界≠フ中に、決して土足で踏み込まないように。
 けれど、何故か太一は一瞬「あれっ?」という顔をした。
 あれ、何か俺の思ってるのと違うよ、という顔を。
 ……けれど、それは一瞬で消えてしまい。
「そうだよな。サンタはいるよな!」
 すぐにいつもの太一の笑顔になると、さっきの耳打ちは何だったんだろうというくらい、あっさり普通に続きを話してくれた。
「俺、実は今日はさ……サンタクロースをつかまえてやろうと思って外に出てたんだ」
 にこにこしながら、自信たっぷりに太一は言った。光子郎は内心で「太一さんらしいなあ」と思いながら、へえと相槌をうつ。
「だからきょろきょろしてたんですね」
「へ? あ、……ああ、そうそう! サンタクロースは何処から来るのかなあって!」
 太一はあははと照れ笑いをしながら、マンションの階段にぺたりと座り込んだ。光子郎は生まれては消え、消えて生まれゆく白い水蒸気を少し気にしながら、太一の横に座った。
「ここでいいんですか?」
「…え?」
「サンタを待つ場所ですよ」
「あー……えーと……、うん。ここでいいや」
 太一は光子郎の言葉にうんうんと頷き、足を投げ出してふうーと息をつく。
「……」
「………」
「……」
「…」
「………なあ」
 そのままぼんやりと空を見上げていた光子郎は、太一の呼びかけにぱちっと瞬きをした。
 横を見ると、何とも微妙な表情をした太一が、光子郎をじっと見つめている。
「……光子郎、どうしたんだ?」
「…? どうしたとは?」
「……いや、その……」
 太一は歯切れ悪く口ごもり、頬をかいた。
「……僕がここにいたら、まずいですか?」
「…えっ!? い、いや、そーいうわけじゃないけど……」
「じゃあ、僕もいさせてください。……実は僕も興味があるんですよ。サンタクロースに」
 にこっと微笑んで、光子郎が言ったセリフに……実のところ、光子郎はこんな寒空の下、決して訪れはしないサンタを待ち続ける太一を放っておきたくなかっただけなのだったが……太一は、また「あれっ?」という顔をした。
 本当に「あれっ?」としか言いようのない顔を、一瞬だけ。
「……んじゃ、一緒に待つか?」
 一瞬だけの表情はすぐに消えた。
 太一はまた、すぐにいつもの笑顔になって、光子郎を鷹揚に受け入れてくれる。
「はい。…ありがとうございます」
 微笑んだ口元は、きっと嬉しそうに見えたはずだ。
 ……実際、本当に嬉しかったことは嬉しかったのだから。
 太一と話すのは、疲れなくていい。むしろ、心地よい。
 今でもサンタを信じているらしいというのは、意外だったような納得だったような両方ともとれる印象だが、それでもいいんじゃないかと光子郎は思う。
 ―――嘘か、本当か。
 何もそればかりが全てではないだろう。

*     *     *     *      *

 彼のことだ。
 すぐに帰るだろうとも思ったが、すぐには帰らないだろうとも確信していた。
 言い出したら、融通がきかないのだ。
 そう長くはない付き合いだが、決して短い付き合いではないから、それは知っている。
(夜が長くなりそうだな)
 そう思った。
 少ししたら潜り込もうと思っていた暖かい布団に、しばしの別れを告げよう。
 大丈夫。なんといっても冬休みなのだから、多少の夜更かしならば平気だ。

*     *     *     *      *

「ウィウィッシュアメリクリスマス♪ ウィウィッシュア・メリクリスマス♪ ウィウィッシュアメリクリスマス、アンド、ハッピィニュウイヤァ♪」
 太一が小さな声でハミングするように、歌を口ずさんだ。
 どうやらその歌がお気に入りのようで、頻繁に口ずさんでいる。
「なあ光子郎。サンタって何処に住んでんのかなあ」
「…さあ……。遠くて寒い国なんじゃないでしょうか」
「すげえよなあ。んなとこから、ソリで飛んでくるんだぜ」
「凄いですよね。有名になるはずですよ」
「俺、サンタに弟子入りしようかなあ」
「駄目ですよ、太一さんじゃ」
「何で」
「太一さん、忘れっぽいから」
「……」
 他愛もない会話なのに、一つ一つがまるできらきら光るビー玉のようだと思う。
 何気なく拾った石を通して世界を見るように、一つ一つの言葉が柔らかく輝いている。
「なあ、光子郎。俺、サンタになったらさあ」
「まだ言ってるんですか。そういうセリフは、一週間の忘れ物をゼロにしてから言ってください」
「……う、何だよそれ」
「絶対何かしら忘れてるじゃないですか」
「うー、…そういうことこそ忘れたいんだけど……」
「そういうことこそ忘れないで下さい。…で、何ですか?」
 きらきら光る、虹色ビー玉。
 太一はいつものように、不意打ちでそれを放った。

「……そしたら、デジタルワールドにもプレゼントを届けに行きたいな」

 きらりきらり。
 首からかけたゴーグルに、天上で輝く星が小さく映りこんだ。
「……ええ、そうですね」
 光子郎はその星を見つめてから、太一と同じものを見ようとして夜空を見上げた。
 きっと、隣で座る彼の目には、とても綺麗で優しいものが見えているのではないかと思う。
 「知らない人」で「信じている人」。
 その世界は、きっと自分の抱く世界とは違うものなのだろう。
 ……何故か、今それがひどく切ないもののように感じて、光子郎は瞬きをした。
(見えますか。貴方の目に、今、あの世界が)
 そう思うと、ひどく切なくて、けれど不思議と心地よかった。
「今度、彼らにもクリスマスのことを教えてあげましょうか」
「……そうだな」
 きらきら光る、小さな星々。
 ――瞬くビー玉、空に満ちて。
 君よ見えるかと微笑んで、こちらを見つめている。
 彼らはしばらく、二人してそのまま夜空を見上げていた。
 ただただ、静かに夜空を見上げていた。

*     *     *     *      *

 なかなか帰らないなと思ってしまったのは、ついさっきのこと。
 真上に月が昇ってから、大分たつ。
 日付も変わって、大分経っているはずだ。
 いいかげん戻らせないと、風邪をひいてしまうのではと思った。
 何よりも、両親に知れたら、心配されていたらどうするのか。
 ……サンタクロースは、家にいるのだ。
 少なくとも、彼のサンタはこんな時間に、外にはいないのだから。
 そろそろ刻限だ。
 ……いいかげん、帰らせないと。

*     *     *     *      *

「太一さん」
「……んー?」
 太一はぼんやりと空を見上げたまま、光子郎の声に応じた。
 光子郎は「ええと」と言い淀んでから。
「……いいんですか? もう随分時間が経ちましたよ。そろそろ戻らないと、ご両親が心配するのでは?」
「……」
 太一はうーんと首を傾げてから。
「……光子郎こそ」
「え?」
「……かえんなくていいのか?」
 太一は困ったような顔で、光子郎を見る。
「もう大分遅いぞ? サンタは俺が見つけてやるから、お前、もう帰れよ」 
 言葉は少し乱暴だが、声はとても優しい。
 だからこそ、光子郎も穏やかに返した。
「野暮言わないでくださいよ。……僕もここにいさせてください。一緒にサンタクロースに会いたいじゃないですか」
「……」
「…太一さんが帰るって言うなら、僕も諦めますけど」
 光子郎はちらりと太一を見つめて、そう付け足す。
 ……そう。いいかげんに太一に帰ってもらわなくては。
 彼の両親が、いつ太一の枕元にプレゼントを忍ばせるのかは不明だが、いいかげん時間的にはぎりぎりだろう。
「いや……まあその」
 太一はぽりぽりと頬をかいた。
「実は、今父さんと母さん出かけててさ……」
「……え?」
 そのまま、太一が苦笑交じりに告げたセリフに、光子郎は大きく目を見開いた。
(あれっ?)
 ……言葉にするなら、まさにそんな気分で。
「出かけてるって…いつ、帰ってくるんですか?」
 つまり今八神家には、小学校5年生の太一と小学校2年生のヒカリしかいないということか?
(いや…太一さんはここにいるけど)
 光子郎はキョトンとした脳みそのままでそう訂正し、太一の返事を待つ。
「明日の……お昼頃って言ってたかな? ばあちゃんがまた、ギックリ腰になっちゃったらしくて。今日、明日と二人とも母さんの実家まで戻ってるんだ」
 だから、今夜は前半戦で、明日は後半戦。
 太一はそう言って笑って、ふうーと白い息を吐き出す。
 その横で……光子郎はまた「あれっ?」と思ってしまう。
(……まさか)
 まさかまさか。
 ……思いついた可能性を否定できず、彼は困惑して瞬きをする。 
「…光子郎?」
 太一が不思議そうに光子郎を見た。どうかしたのかと。
 ……だが、光子郎は勿論それどころじゃなくて。
(…これは参りましたね)
 困りきった独り言をそっと胸中でもらしてから、続けて太一に向かって(ごめんなさい)と呻く。
 
 ―――小学校2年生の、彼の妹。

 サンタクロースが今夜、ギックリ腰の母親の為に来られなくなっているとは知らず、無邪気に待っているはずの少女。
 
 ―――そして、小学校5年生の彼。

 両親が今夜、ギックリ腰の母親の為に自宅に不在であると知っている、サンタクロースを探す少年。

 ……彼が探しているのは、確かにサンタクロースなのだろう。
 妹の為、彼女の無邪気な感動の為の、サンタクロース。
 そう、そして。
 ………枕元のプレゼントだ。

「……太一さん」
 光子郎は、突然すっくと立ち上がった。
「? どうしたんだ、光子郎」
 突然立ち上がった光子郎に、不思議そうな顔をする太一。そんな彼に向けて、光子郎はばつが悪そうに笑う。
「…どうやらおなかが冷えてしまったようです。いったん、トイレに行ってきますね」
 太一は「大丈夫かー?」と笑って、ぱちりと目を瞬かせた。

(気づいた?)
(気づかれた?)

(知ってた?)
(知らなかった?)

 ……それは、もしかしたら暗黙の了解というやつだったのかもしれない。


 光子郎は家にこっそり潜り込んで、静かにトイレに入って、ぼんやりいろんなことを考えた。
(5分あったら足りるかな。いや、10分はないと無理だろうか)
 …そんなことを、ただただぼんやりと考えていた。
 ただの仮定。ただの憶測。ただの推察。
 けれど、もしかしたら。
 ……そう、もしかしたら。
 光子郎がこんな風に席を外さないと、八神家に、今宵の魔法は起こらないかもしれない。

 …枕元に贈り物を置いて。
 そっとグッドナイトと囁いて。
 トナカイに乗っていないかもしれないけれど。
 ソリに乗っていないかもしれないけれど。
 それでも、とても優しい目をして、にっこり笑うサンタクロース。

 ―――そんなサンタの魔法が、訪れないかもしれない。

 ……光子郎はぱたぱたと洗面所を出て、またこっそりと家を抜け出す。
 時間はきっかり9分経過。
 太一さんはいるだろうかと、ぱたぱた小走りで駆けてくと、太一は確かに先ほど分かれたときと同じようにそこに座っていて。
「…おかえり?」
 そう言って、遅かったなあと笑う。
 だけど。
 ……少しだけ、頬が赤いように見えるのは。
 まるで、一生懸命、何かを慌ててやってきたときのように。
 もしくは、一生懸命、何かをやってきた誇らしいときのように。
 ……少しだけ、頬が赤いように見えるのは。
(僕の気のせいかしらん?)
 光子郎は心の中でこっそり呟いて、小さく笑った。
「お前、ちょーどいいとこ見逃したぞー!」
 そんな光子郎の声を知ってか知らずか、太一はにこにこと光子郎に話しかける。
「ついさっきな…」
 そーっとそーっと、声を殺して、内緒の話をするように。

「ここに、サンタクロースが来たんだぞ?」

 そう言って、とても嬉しそうに太一はくすくす笑う。
 光子郎は「おやそれはいいとこを見逃してしまった」と目を見開き、太一の横に腰をおろした。
「じゃあ太一さん、ちゃんとプレゼントはもらったんでしょうね?」
「あったりまえだろ。ヒカリの分と一緒に、家に持ってってもらったぜ」
「じゃあ太一さん、僕のところにもちゃんとプレゼントは来てるんでしょうね?」
「あったりまえだろ。明日の朝、起きたらお前の枕元にちゃあんとあるぜ」
 太一の安請け合いが微笑ましくて、光子郎はくすくす笑った。
 太一も楽しそうにくすくす笑う。
「じゃあ光子郎。今日はここでお開きな? サンタにも会えたし……お前と一緒じゃなかったのが残念だけど」
「全くですね」
 光子郎はわざと憮然としてみせてから「ですので、そのかわり」と厳かに交換条件を提示した。
「来年こそはサンタに会えるように、こうやって待っていることを約束しましょう」
 太一はそれにぶっと噴き出す。
「ええー? 寒いぜー?」
「覚悟の上です」
「ていうか、俺も一緒なのかよー」
「当然でしょう」
 吐く息は相変わらず白くて、掌はかじかんで冷たい。
 …でも、世界はやけにきらきらと輝いて見えて、光子郎は嬉しく高揚した気持ちのまま太一の隣を歩く。
 月は遠く、白く輝いていた。
 ……都会のクリスマスに雪は降らなかったけれど。
 あの月が、あんなにも白く輝いているのだから。
 この際、ホワイトクリスマスということにしてもいいんじゃないだろうか?

「ああ、そうだ」

 別れ際。
 太一がふと足を止めて、光子郎にぎゅっと握った掌を突き出した。
 なんだろうと首を傾げて掌を出した光子郎に、にっと笑って。
「根性のある子供たちに、めりーくりすます、…だってさ?」
 ころりと転がす、ビー玉一つ。
 …冷たくぬくい、ビー玉一つ。
「……綺麗ですね…」
「…だろー?」
 俺ももらったとオレンジのビー玉をきらきらさせる太一を、受け取った紫色のビー玉を通して見てみると、とても不思議な様子に見えた。

「おやすみ光子郎ー! めりーくりすますー!」

 にっこり笑って手を振る太一に、にっこり笑って手を振り返す。

 ごめんね、小さなサンタクロース。
 こんな寒い夜に、なかなか気づいてあげられなくて。

 ―――誰にも言えない懺悔を、そっと呟きながら。


「私たちはよきクリスマスを願う……そして幸せな新年を願う…」


 メリーメリークリスマス。

 ―――今宵のサンタが青いマフラーをしていたということは、光子郎だけの秘密だ。








相当分かりにくいものを書いてしまいました。
……今、小説の書き方を軽く見失っている風成です。

今年のクリスマスはイヴも本番も肉屋で過ごしてしまいました。……ビバビバ。
丸鶏はちょっとリアルでやるせないなあとか思ったり思わなかったり。
光子郎さんがやたらと小学校4年生らしくなかったり、太一さんちの親が放任すぎたりとかは秘密秘密。
二人しかいないのにケーキ食べてる八神兄妹。……でも何で皆イヴにケーキ食べるんだろう?(それともうちだけ?)

……あー、コメントも壊れてやがる。
とにもかくにも皆様、メリークリスマスということで。(終わってるっつうの)