――『世界の破片』――
踊り踊る夢の中。
ふわり浮かんでまた消える。
どこかで会った。
絶対会った。
君の唇君の声。
君の掌君の足。
君の瞳君の髪。
お願いどうかもう一度だけ。
機会は既に失われたのだなんてつれないことを言わないで。
どうかどうかもう一度だけ。
君の指君の耳。
君の肌君の首。
教えてください君の名前を。
そうしたら。
――そうしたら、もう二度と忘れたりしないから。
愛しい君。
大好きな俺の君。
お願いだからそんな切ない目をしないで。
どうかもう一度だけ。
――――教えてください君の名前を。
◇ ◇ ◇ ◇
「……リョウさん?」
――――…自分を呼ぶ声。
それに反応してぱちりと目を開けて。
……リョウは、自分を覗き込むようにしている少年たちの姿を目でとらえた。
そして真っ先に目に入ってきた彼らの背後で。
――――ぐるぐる回る歯車の渦。
――――頭上でひどく遠いふるさとが輝く。
……そんなものを交互にゆっくり見回して、リョウはもう一度少年たちを見て。
「……俺、何か言ってたのか?」
心配そうな顔をしている連れの少年たちに尋ねる。
――――ここはデジタルワールドで。
――――あの遠い故郷よりも遥かにリョウの肌に馴染む世界だということ。
――――この少年たちはさっきこのエリアに迷い込んでしまった、同郷の少年たちだということ。
…尋ねながら、そんなことをまるで今更のように、つらつらと思い出した。
「いや、何かうなされてたみたいッスから…」
リョウの訝しげな言葉に…確かヒロカズといっただろうか、リョウに声をかけた少年が困惑したように答える。
「……うなされてた?」
その言葉に、ふと傍らにたたずんでいるサイバードラモンを見上げた。
リョウのパートナーデジモンであるはずのデジモンは、相変わらずただ黙っているだけだ。
「……なんか、何度も誰かの名前を呼んでましたよ?」
かちゃ、と、眼鏡を押し上げて、やはり横で困惑した様子の少年…こちらはケンタといっていた……が、首を傾げてリョウを見る。
「…………名前って……」
リョウはその言葉に、眉を寄せる。
「誰の、名前を?」
しかし少年たちはそろって首を傾げ。
「よく聞こえなかった」と答えるのみだった。
……このデジタルワールドにやってきてから――――たびたび見るようになった夢がある。
それは夢の内容もハッキリと思い出せないようなそんな不明瞭な内容のクセに、繰り返しリョウを疑問の世界に手招いては、またゆらりと消える。…まるで蜃気楼のような、タチの悪い夢だった。
――――誰かが泣いていたような気がする。
――――誰かが怒っていたような気がする。
――――だから笑った顔が見たくて。
――――わけもわからずゴメンなんて言って。
……それから?
……リョウは軽く舌打ちした。
――――頭上に輝く、遠いふるさと。
まるで、繰り返されるその夢が、リョウの無意識であの世界に帰ることを望んでいることを示しているようで。
あんな夢なんて、関係ない。
そう吐き捨てようとすればするほど、脳裏にあの夢が浮かぶのだ。
…ふわりふわりと浮かんで消える。
――――夜毎に現れる、蜃気楼のような、あの夢が。
◆ ◆ ◆ ◆
――――ふわふわと。
今夜も太一は夢を見ていた。
「……ちくしょう」
暗い暗い部屋の中、不意にぱちりと目を開けて独りごちる悔しげな悪態。
「…どうかしたの? おにいちゃん」
二段ベッドの上のほうで太一の悪態を聞きつけてか、幼い妹が心配そうに囁いてくる。
「何でもない。……起こして悪いな」
太一はそれになるべく優しい声を出して「もう寝な」と囁き返した。
「……うん」
妹はその言葉に素直に頷いたようで、間もなく幼い寝息が再び聞こえ始める。
太一はそれを聞くともなしに聞いてから……もう一度目を閉じた。
――――夜毎に、見る夢がある。
どこかで会った事のある、あの少年。
自分にどこか似ているような、意志の強い眼差しで、こちらを射抜くように見つめて。
きみはだれと不思議そうに尋ねて、手を伸ばしてくるあの少年。
自分の名前を知らないことが何故か苛立たしくて、決まっていつもその手を振り払って駆け出してしまう。
そしていつもそこで夢は終わる。
きみはだれとさしのばされたてのひら。
不思議そうに瞬かれる瞳。
姿形は全て覚えている。そのくせ、思い出すことはひどく難しい。
確かに会った事があると分かるのに。
きっと視線を交わして、顔をあわせたらすぐ思い出す。
それくらいはっきりと覚えているはずなのに。
――――たとえ人ごみの中でも。
――――その姿をとらえたら、すぐさま分かる。
それくらい、少年の事を覚えているのに。
(……ちくしょう……)
太一は心のなかでもう一度呟いた。
たかが夢の中の出来事のはずなのに。
現実に影響なんてあるはずもない。
たかが夢の中の出来事のはずなのに。
それでも何故か忘れられなくて。
……太一はそっと吐息を漏らした。
◆ ◆ ◆ ◆
そして今宵も夜が紡がれた。
キミは誰。
お前は誰だ。
囁き、叫び、尋ねあう少年二人は、今宵も夢で邂逅する。
◆ ◆ ◆ ◆
「…誰だよ、お前」
背中あわせの、ガラスみたいな板の向こう。
明るい茶色の、ツンツンにとがった髪。
出来の悪いRPGのキャラクターのような変わった服。
意志の強さをそのまま宿したような、自信に溢れた目。
『キミは誰』
ガラスの向こうで少年が、今夜もそう囁くのが不満で。
「お前なんかに教えるもんか」
ふんと鼻を鳴らして、冷たい悪態をつく。
ひやりと冷えた地面の感触。
確かパジャマで寝たはずなのに、太一はいつのまにかいつも着ている青いTシャツと短パンで身を包んでいた。
「夢だよな」
夢だからだ。
太一は囁いて、何故か泣きそうになって、ガラスを振り返る。
ガラスの向こうで、少年が大きく目を見張った。
『なんで泣きそうなんだ』
とんとん、ガラスをたたきながら、太一の顔をのぞきこんでくる。
太一はその仕種にますます眉を寄せ「何で俺のことしらねーとか言うんだよ…」と、吐き捨てるように呟いた。
何故だかそのことは、ひどく理不尽な事のように感じられたから。
『……泣かないで』
「……うるせぇ……」
掠れた声でまた悪態をついて、顔を上げると。
『……名前を、教えて』
困ったような、そんな笑顔で少年が太一を見下ろしていた。
「……教えるもんか」
…お前なんかに。
太一は鼻をすすってそう呟くと、きっと少年を見上げる。
「思い出せ」
そして、何故だか分からないままそう告げた。
「思い出せ、思い出せ、思い出せっ……! 思い出せよ!!」
そのまま太一は、どんどん、どんどんと、ガラスを、いやガラスよりももっと厚くて、脆くて、歯痒い壁を叩き続ける。
『……なあ…泣くなよ……』
少年は途方にくれたように視線をさまよわせた。
太一はその仕種に我に返って、ぐいぐいと乱暴に目を擦る。
少年はその仕種にちょっと苦笑して。
『……こいよ』
静かに手招きをした。
「……?」
太一は首を傾げて、隔てた壁の向こう側、ひたりと当てられた少年の掌に自分の掌を重ねた。
『……なあ、来いよ……。お前も来いよ』
首を傾げて、優しく何度も少年は繰り返す。
『お前が知らないところ、想像もできないところに案内してやるよ。…俺だけの秘密の場所もある。…友達も紹介してやる』
だからおいでと。
俺のところにおいでと。
『……名前を教えて』
少年はまた、もどかしそうに囁いた。
『今度は忘れないから……絶対忘れないから……もうはなさないから……』
重ねた掌。
キミの掌と僕の掌は、薄くて厚い、遠くて近い壁に隔たれて。
……太一は黙って。
そっと、額を壁に押し付けた。
……壁は、ひやりと冷たくて。
……とても気持ちがよかった。
◇ ◇ ◇ ◇
薄くて遠い壁の向こう、こげ茶の髪の少年が薄く笑った。
華奢な手足。
くるくるとよく動く、好奇心旺盛な眼差し。
無造作に首にかけられたゴーグルは、きっと頭にあげたらとてもよく似合うはず。
「……来いよ」
リョウはどこか必死に囁いた。
少年の元にこの声は届いているはずだ。……だってこちら側には、彼の声も、吐息さえも聞こえてくる。
「……来い。……一緒に行こう」
どこまでも広がるデジタルな世界をキミは知っている?
頭上に故郷をいただく、あの不可思議で不条理な世界を、キミは知っている?
知らないのなら、俺がどこまでも案内してあげる。
どこにでも、つれていってあげる。
キミが望むなら。
キミが笑ってくれるなら。
リョウは外の世界のことも忘れて懸命に呼びかけた。
ここは夢の世界。
刹那のいとおしさが、如何なるものにも勝る世界だからこそ。
「……来いよ」
リョウはもう一度、少年を呼んだ。
そして、ねえ、名前を教えてと重ねて乞う。
『……駄目だ』
しかし、少年はリョウのいずれの願いも拒んだ。
『……壁は、越えてはいけないんだ』
そう、切なそうに笑って。
「…なんで!」
リョウは少年の言葉の意味が分からず、声を荒らげて問い詰める。
少年はその言葉に答えず「それに、お前教えてやったって、また忘れちまうよ」と呟いて、ふ、と目を閉じる。
『時の壁、世界の壁、心の壁。きっと壁は何かを守るために作られるんだ』
少年は囁くように呟いて「だからいけない」と呟く。
だからしては「いけない」のか、だから「行けない」なのか。
それは分からなかったけれど。
『あいたいよ』
少年はぽつり、とまっすぐにリョウを見て呟いた。
けれど、その声音はもはや既に。
『けどあえないんだよ』
既に諦めていて。
「……違う!! 壁なんてものは壊すためにあるんだろ!!?」
リョウはきつく壁を叩いた。
壁はリョウのコトバに悲鳴をあげるように大きく軋んだ。
……それと同時に、彼らの存在している「世界」が大きく軋む音が聞こえた。
「……!!?」
リョウは大きく目を見開いて、周囲を見回す。
少年はやはり少し驚いたようにしてから……ふっと、哀しそうに目を伏せて、こつん、と壁に額を押し当てた。
『壁が壊れたら、世界の垣根もなくなるんだよばか』
少し乱暴な口調とは裏腹に、声はひどく切なそうだった。
『世界の垣根がなくなったら、世界が世界じゃなくなっちゃう』
だから駄目なんだよと。
少年は掠れた声で囁いて。
呆然としているリョウに背を向けて、すたすたと壁の向こう、ずっと向こう、遙か向こうに歩いていこうとする。
「―――待てよッ!!」
リョウは思わず叫んだ。
世界の軋む音がする。
世界の天井がはがれて、装飾が落ちてくる音がする。
「俺はお前と一緒にいたいんだよ!! 一緒に冒険したいんだ!! だから行くな…!! 行くなよッ!」
しかしリョウはためらわず叫んだ。
かまうものか。
崩れるならば崩れてしまえ。
望むものが手に入らない、絶対の不可能がある世界など。
そして彼は衝動のままに叫んだ。
「――――太一ッッ!!」
少年の、名を。
『――――…』
少年が、大分歩いてから。ずっとずっとずっとずっとリョウから離れた位置で。壁の遙か向こう側で。
純粋に驚いたような、そんな顔で振り返る。
「……」
少年は……いや太一は…ゆっくりと首を傾げ。
ガシャアン、とガラスがけたたましく割れるような音を立てて、世界の壁が崩れ去る。
「――――リョウ?」
隔てる壁のなくなった世界で、太一がゆっくりとリョウの名を呼んだ。
けれど。
◇ ◇ ◇ ◇
……リョウは大変に不機嫌な顔で舌打ちした。
近くで退化してしまったパートナーが無邪気にはしゃぐ声がする。
尻にエンジンの振動音が伝わる。
車のラジオからは先刻のニュースとは一変した能天気なCMが流れている。
そして気がつけば、リョウは夢から目を覚ましてしまっていた。
「……たいち」
――――リョウはしかし、その名を、今度こそ忘れてはいなかった。
どこにでもありそうな名前。ありふれた少年の名前。
けれどリョウはその名を至上の宝玉のように大切に大切に胸に抱きしめた。
「……太一…」
今度こそ忘れるもんか、と大事に胸に刻む。
そう。世界の壁は崩れたのだから。
そう。次はあの壁の向こう側へ行くだけだから。
リョウはうっすらと笑った。ひどく幸せそうな、うっとりしたような笑顔で。
「リョウ、どぎゃんしたと」
それを不審に思ったのか。父親が訝しげに息子を横目で眺める。
息子はその言葉に、にっこりと笑顔で返して。
「なんでもなか」
きっぱりとそう答えた。
父親はそのにまにまとだらしなく崩れた顔に眉を寄せ、どこかで見たような表情だと首を傾げ……しばらくして。
そういえば以前、どこぞの公園で見かけた暑苦しい若い恋人たちの男の方が、まさにこんな表情をしていたばすだと思い返した。
◆ ◆ ◆ ◆ ◇ ◇ ◇ ◇
夜毎に現れるかの儚き夢よ。
今こそ汝に別れを告げよう。
今度こそは陽のあたる眩しい太陽の下で。
愛しいキミの掌をひいて、あの世界へ飛び出そう。
そのためなら、世界の壁の破片を踏みにじり、禁忌の橋を渡ることすら、僕はきっとためらわない。
* * * * * *
「…ま、ひとまずはデリーパー退治といこうか」
リョウはこきこきと首を鳴らし、不敵に笑った。
邪魔するヤツは踏みにじる。
サワヤカ少年リョウの、静かなる転機の瞬間であった。
END.
大変お待たせいたしましたしっぽ様!!(ホントだよ)
その挙句に結局裏モノは今回も不可能でした!!!(殺)
しかも……あー……。
……なんなんだろう……コレって……感じで……ホントゴメン……;;;
しかも何気にちゃんとテレビ確認してないから、
ほんとにリョウくんがデリーパー退治に行くのかどうかも知らないし。(でも行くだろうな)
ていうかー…。
……やっぱテイマーズのリョウくんでリョウ太ってのが無謀だったんでしょうか!(泣)
でもゲームの方はやったことがないので、彼の性格はわからないのですよ!
しかし、アニメの方は……ああ、もっと問題……。
絶対こんな性格じゃないですよ秋山君。
すいませんすいませんしっぽさん。
そしてすいませんすいません全国の秋山君のファンの方。
風成は結局太一さん総受け女なんですよ……。あうー。