――『千年と永遠と』――

 

「永遠≠ノ続くものなんて、この世にあるんでしょうか」

 ――――それはただの独白。
 問いですらない、ただのヒトリゴト。

「貴方を愛しく思うこの心にだって、僕という存在にだって」

 ……貴方という存在にだって。

 ――――アタリマエのように、終わりは訪れる。

 光子郎は、寝台の上で静かに眠る太一の頬に手を伸ばした。
 ……太一は、いつもひどく静かに眠る。
 まるで息をひそめているかのように、とても静かに。
 ――それは、あの夏の冒険の中で身についた、生きるための一つの術。
 闇の中に潜んでいるかもしれない危険な生き物たちに、自分の存在を知らせないために。
 自然と身についてしまった、彼のクセの一つ。
 ……そして、彼の眠りは一部の例外を除いていつも浅い。
 どんな小さな悲鳴にでも、どんな小さな異変にでもすぐ起きられるようにと。
 光子郎はその痛々しいクセに、小さく笑った。
 ……彼がこんな風に無防備に、周囲に対して意識を払わずに眠っていられるのは、光子郎と……妹のヒカリの前くらいだろう。
 それが嬉しかったのかもしれない。
 光子郎は口元に笑みの形を刻みながら……ゆっくりと息を吐き出して。
 その笑みを静かな微笑に変えた。
 ……まるで何かを諦めたような、苦笑めいた笑みの形。
 彼はその笑みを維持したまま、そっと独りごちる。

「でも、そのクセも、いつかはなくなるんでしょうね」

 空気を震わせる、光子郎の穏やかな声。
 そう。
 ――――永遠ではないモノで、この世界は溢れている。
 それが哀しいのか、嬉しいのか、その口調からは分からなかった。

「永遠≠ニまでは望みませんが」

 例えば十年。例えば百年。例えば千年。
 出来うる限り長く、見苦しいくらいに、あっけなく過ぎていく時間たちに縋りたくなることがある。

「貴方を愛しく思うこの心を。僕の存在を」

 貴方の存在を。
 ――――とどめおいて欲しい。

 そんな欲求は、愚かなものでしかないのだろうが。

「……ねえ。太一さん」

 光子郎は囁きながら、そっと太一の唇に口付けた。
 …少し暖かくて、柔らかい感触が、どうしようもなくいとおしい。

「………僕たちは、何年こうしていられるんでしょうか?」
 ユメなら十年。コイなら百年。……アイなら千年?

「永遠≠ニまでは言わないけれど」

 光子郎は空気が僅かに振動するくらいの声音で、囁き続ける。
「何世紀だって、貴方といられたらいいのにと。……思ってはいけないでしょうか」

 それは相変わらず問いですらない囁き。けれど。

「………いけないなんてこと、ないだろ」
 困ったような、優しい響きの声が。
 恋人の答えが返ってきたことに気づいて、光子郎は淡く微笑んだ。

「……起きたんですか」
 心底から嬉しそうに微笑む光子郎に、太一は呆れたような顔で。
「あんだけ耳元でブツブツ何か言われれば、いくら何でも起きるだろ」
 と、どこか呆れたように答える。……そして。
「……光子郎」
 太一はとても優しい仕種で、愛しい恋人の身体を抱き寄せる。
 光子郎はその抱擁を素直に受け止め、ようやく同じくらいの背丈に追いつくことの出来た愛しい恋人の身体を、きつくきつく抱き返した。
「……眠れないのか?」
 労わるような、心配そうな響き。
 太一はどこか不安げな子供のような、あるいは子供を抱きしめる母親のような、そんな眼差しで光子郎を見つめながら、そう尋ねる。
「……昨日も大分遅くまで起きてただろ、お前。……どうかしたのか?」
 不安そうに光子郎を見つめるその眼差しが痛くて…光子郎は暗闇をいいことに目を逸らした。
「いいえ。……太一さんの寝顔が可愛すぎて、ついついこのまま夜明かししてしまいそうになっただけです」
「……あのな」
 やがて、あまりにもあっさりと返ってきた光子郎の返答に、太一は憮然と半眼になった。
「…とにかく、お前もとっとと寝ろよ。明日だって学校あるんだからな」
「わかってますよ。……じゃあ寝ましょうか?」
 光子郎はくすくすと笑いながら、そう答え、するりと太一の身体から腕を離す。
 …明かりもついていない、暗い部屋の中。まだ闇に慣れていない太一の目には、彼の表情がこれだけ間近にいてもよく見えない。
「…光子郎!」
 そして。――――何故か、不意に覚えた不安。
 太一は気持ちの赴くままに、命じるままに彼の腕をきつくつかんで、呼びかける。
「…? 太一さん?」
 ……返ってくる光子郎の声は、本当に不思議そうで。
 ――――しかし、太一は自分の直感を信じて、光子郎の身体をもう一度引き寄せて、きつく抱きしめた。

「……怖いことなんて、何にもないんだからな」

 そうやってきつく抱きしめたまま、太一はゆっくりとそう囁く。それこそ、本当に子供に言い聞かせるように。
 ……光子郎は何も言わない。
「俺がいるから」
 それにも構わずに、太一は重ねて告げる。
「……俺もお前がいるから、いつだって怖くない。……お前も、俺がいるんだから――…怖がったりするな」
 ―――それはあくまでもただの直感で。
 光子郎が何を怖がっているのか。
 光子郎が何を不安に思っているのか。
 先ほど、眠っている自分に何を囁いていたのかすら分かっていなかったのだけど。

「……そばにいるから」
 太一は、静かな口調で、けれど強い、反論を許さない口調で告げる。

「………ここにいるから」
 何も怖がる必要はないのだと。

 太一はただ、ひたすらにまっすぐな口調で語りかける。
 光子郎が何を不安がっているのかは気づいていないようだが、それでも光子郎の心の異変に真っ先に気づいて、誰よりも優しい口調で訴えてくれる。
「……眠れないんなら、子守唄くらい歌ってやるからさ」
 少し冗談めかした、けれど十分本気の口調で。


 アア。


 アアア。


 ……光子郎は何故だか叫びたくなって目を閉じた。
 この胸の奥に満ち満ちるいとおしさ。
 激しい恋慕のオモイ。
 一体どれほどの言葉があれば、語り尽くせるのだろうか。


 アア。


 そして、また一方で思う。
 一体どれだけ言葉を尽くせば、分かってもらえるのだろうか。
 怖いのは、何よりも不確かなものであることだというコトを。
 太一を愛しく思えば思うほど、傍らから離せなくなればなるほど。
 この世の全てが恐ろしく思えるのだというコトを。


「………好きです」


 光子郎は。
 ただそれだけを掠れた声で囁く。


「………好きなんです……」


 思いつめたような、そんな声で。
 壊れたように、ただただ訴え続ける。


 ――――これだけの想いを。
 ――――心が壊れそうなくらいの恋情を。
 ――――心が砕けてもかまわないくらいの愛情を。

 一心に注げる人がいるということが何より幸せで。

「………俺も好きだよ」

 ――――これだけの想いを。
 ――――心が壊れそうなくらいの恋情を。
 ――――心が砕けてもかまわないくらいの愛情を。

 優しく、激しく、受け止めて、投げ返してくれる相手がいることに、眩暈がするほどの幸福を知って。


 失いたくない。


 ウシナイタクナイ。
 ――――テバナシタクナイ。



 ……光子郎は激情のままに太一を抱き返しながら、ひどく優しい、優しすぎる口付けを、太一が壊れてしまうことを恐れるかのように、そっと、そっと落とした。

「………好きです………」

 だから。………だから。


 たとえ永遠でなくてもかまわない。

 ユメなら十年。コイなら百年。……アイなら千年。

 ――――どうか、見苦しくしがみつかせてください。

 このコイに、見苦しくしがみつかせてください。

 ……光子郎は貪欲に祈りながら、太一の唇に、これ以上ないくらい優しく自分のそれを重ねた。



 ――――永遠は望みません。

 だから。ねえ神様。

 僕に、もっとたくさんの時間をください。

 この人に、もっとたくさんの時間をください。


 ユメなら十年。コイなら百年。……アイなら千年。


 そう。


 ――――永遠の代わりに、せめて千年をください。

 ………それだけあれば、きっとこの人に、今日伝えたかった、愛しさのカケラだけでも、伝えられるから。

 ――――愛しい気持ちを、少しでも形に出来るから。



 だから神様。



 嘲笑ってもいいから。
 さげすんでもいいから。



 今宵の胸に巣食う恐怖と引き換えに。

 愛しい人を抱きしめるための時間を。

 僕にください。

――END.






1000HIT記念に。

千年かけても伝わらないもの。
それでも伝えたいジレンマ。

いい具合に空回っています。