『新月の夜に』




「何を見ているんだい、神子殿」

 縁側に無防備に座り、ぼんやりと夜空を眺めている少女。
 彼女にそっと寄り添うように背後から近づいた友雅は、微笑んで振り返った少女に軽く笑みを向ける。

「はい、友雅さん。…私は、月を見てるんですよ」

「…ふうむ? これはなかなか面白いことを」

 友雅はくっと小さく喉を鳴らして、少女の傍らに立ち、少女の仕草を真似るように空を見上げる。

「……帰りたいのかね、神子殿」

 囁いた声音は、しんと静まり返った夜でなければ届かないほどの小さな声。 
 それでもきっと、この少女にだったら。
 ……たとえ、どんな喧騒の中においてでも、聞き取られてしまったのではないだろうかと、友雅はぼんやり考える。

「分かりません」

 否とも是とも言わず、ただ少女は呟き返す。
 その、ひどく漠とした応えに、友雅は苦笑した。

「分からないのかな? …私と共にいるのがいいのか、それとも君の帰りを待つ親しい人たちの傍に戻るがいいのか……?」

 ゆったりした口調でありながら、その声音は少々平静を欠いていた。
 それに気づいたのか、もしくは気づいていてもどうしようもならなかったのか。
 友雅は、ふうと軽く息を吐き出してから、目を細めて少女を見下ろす。

「小憎らしい姫君だ」

 そう、言葉を紡ぎだしながら「勝手なことを言っているな」と彼は僅かに自嘲した。

「君にかかっては、この私もきりきり舞いせざるをえないようだね神子殿」

 他の八葉たちと違って、私はそう若くないのだけれど。
 そう冗談交じりに付け加えてみると、こちらを向けられていた背中が小さく笑った。

「……小憎らしい、姫君だ」

 友雅は再度……複雑な想いをこめて呟くと、するっと少女の身体を背後から柔らかく抱き寄せる。
 少女の身体は、何の抵抗もなく……ただあるがままに、すっと友雅の腕の中に降りてくる。
 その唇に、そっと指を這わせる。
 その頬に、そっと唇を押し当ててみる。

「神子殿。……時折、君を、……誰も知らない籠の中に閉じ込めてしまいたいときがあるよ」

 そして、その耳元でそっと囁いてみる。
 低く、艶やかに、……深い声色で。

「誰も君のことを見ない。だから私は安心だ。……あの天上に輝く月すらも……龍神すらも、君を見ることはできない」

 少女は何も答えず、相変わらず空を見ている。
 友雅はそんな少女の反応にもかまわず、ゆっくりと続けて囁く。

「……君を、隠してしまいたいよ。神子殿…」

 ―――わたしの、うでのなかに。

「……」

 さらさらと、風が流れていった。

 少女はただただ静かに空を見ている。
 ……友雅に何一つ答えず、空を見ている。

「………」

 友雅もそれを知っていながら、あえて何も言おうとせずに少女を抱きしめたまま、少女を見つめている。


「……出来ないでしょう?」


 やがて、彼女はやんわりと微笑んだ。
 それは、気配のみの笑みではない。
 確かに友雅の方を振り返り、浮かべられた笑みだ。

「出来ないでしょう? 友雅さんには」

 彼女は軽く身を捩って友雅の方へ向き直り、ことんと身をもたれかからせた。

「……どうして、そう思うのだね?」

 少女の重みに軽く笑んだまま、友雅はゆったりとした袖で彼女を包みこむ。

「――だって、貴方はとても優しいひとだから」

 少女はその暖かさに微笑み、その腕の持ち主に微笑む。
 細い指先を友雅の頬にのばし、躊躇うように一瞬惑った指先を友雅の手のひらにとらえられて、また困ったように微笑む。

「私には、出来ないとでもお思いかね? 神子殿」

 軽く。……だが、少しばかりきつめに指先をとらえられ、少女は軽く微笑んだまま「ごめんなさい」と呟いた。

「侮るとか、甘えてるとか……そういうつもりじゃないんです。……ただ、友雅さんに、それはできないと思っただけで」

「それを侮ると言うのではないかな、神子殿」

「いいえ、違うんですよ」

 少女は笑って、友雅の腕にしがみついた。

「月は出ていないと知っているのに、貴方は私をこうして庭に出してくれる。
 月は出ていると知っていても、貴方はやはり同じように庭に出してくれる」

 今宵は新月。
 月は闇に隠れ、その光の一欠けすらも庭に降りてくることはない。

「優しくしてくれる貴方が嬉しいんです。……私のことを大切に、優しく扱ってくれようとする貴方が好きなんです」

 微笑んだ口元は、童女のように屈託なげで、神の言葉を知る娘らしく神秘的で。
 ……どこかしら、大人の女のように艶かしげで。

「貴方は、好きではない人には、とても冷たいから。……だから嬉しいんです。貴方が優しいと―――貴方が、確かに私を好いていてくれているのだと分かるから」

「……参ったね」

 友雅は、少女を抱きしめたまま、軽く溜め息をついた。

「かなわないね、…神子殿には」

「……きりきり舞いですか?」

 少女はくすりと笑って、友雅の身体にその身を預ける。

「……ああ」

 友雅は溜め息交じりに、小さく笑った。
 ……月のない空の下で、小さく笑った。

「違いない」

 そう、ゆっくりと囁いて。







きりきり舞いな友雅殿が書きたかったのです。

こちらも川村様の誕生祝に。
……私が光太に始まり光太に終わるように、彼女も友あかで始まり友あかに終わる人だからです。(きっぱりと)

…誕生日当日にしっかりとおまけつきで渡せたらカッコよかったんですが……。

「君を隠してしまいたいよ、神子殿」

このセリフが書きたくて書いたような話です。