『手の中の痛み』



「おい」
「………」
「おい」
「…………」
「おいッつってんだろ! 起きろこのタコ!」
「……いて」

 がつんと蹴られた頭が痛くて、龍斗はうすぼんやりと目を開けた。
 開けた視界の中で、風祭が仏頂面で仁王立ちしている。

「……何か用か」
「用がなきゃてめェのとこなんかに来るかよ」

 売る言葉に叩き買うようにして、風祭は腕組みをした。龍斗はそれを億劫なような気分で、ぼんやりと見上げる。
 眠くて、けだるくて。何をする気にもならない。
 どくどくとどこかで響く心音すら、面倒で仕方ない。
 用があると言った割には、風祭はそれきり何も言おうとしない。ただ、睨みつけるように龍斗を見下ろしているだけだ。
 本当は、用などないのかもしれない。
 ただ龍斗をこうして見下ろすために、来たのかもしれない。
 力なく樹木にもたれかかって、腕に残った返り血を拭うことなくぼんやりしている龍斗。
 かつて仲間だと迎え入れてくれた人たちが、まるきり敵のような具合で。…何一つ覚えていないような具合で、彼の前に立ちふさがったことがそれほど衝撃だったのか。
 龍斗はそれを己に小さく問いかけてみる。

(否)

 かつての自分だったら、そう即答できたはずなのに。

(……是)

 そうなのだ。自分はそれほどに、あの寺を、あの寺に集うようにしていた人たちを。
 その中心に立って、笑うことを許されていた自分を好いていたのだ。

 その新しく悟ってしまった認識は、龍斗の胸を僅かに焼いた。
 しかし、それは不快な痛みではなかった。

 だけれど、ひどく。そう。狂おしいほど切なくて。


 ――…風祭が不意に手を伸ばした。
 
 けれどそれは、立ち上がらないと届かないような、いまいち無意味な手の差し伸べ方。
 龍斗はそれを訝しく見つめ「かざまつり」と呆けたように名前を呼ぶ。

「立てよ」
「……」
「立てッつってんだ」
「…如何して、立たなきゃなんねェんだ?」

 龍斗はぼんやりと聞き返す。
 ここでこうして呆けていることが、何故いけないのかわからない。
 風祭は怒ったような顔のまま、吐き捨てるように続けた。


「立たなきゃ、帰れねェだろ」


 ………。

 ………。

 ………。

 ああ、と思った。

 ああ、そうなのか、と思った。

 龍斗はその言葉にのろのろと腰を上げ、自分よりも少し背の低い風祭の手を握り締めた。
 彼はその手を力強く握り返し、引き上げるようにして立たせる。
 
「帰るぞ」
「………ああ」
 
 そう促され、手を引かれて歩いた。

 腕に残った返り血が、また僅かに鉄の匂いを放った。


「いつまでも愚図愚図してんじゃねェよ」


 いつものように、苛々と呟く少年の掌は。
 冷や汗のような、もしくは鉄の匂いの体液のような。
 そのような液体で、少しだけ湿っていた。

 
 立たなくちゃ、帰れないな。

(…そうなんだよ、な)



「いてェよ。……手、あんまきつく掴むな」


 そう、前に向かって言った言葉は。

 きっと、さっきよりはまともな声音だったはずだ。










No.73 - 2003/09/12(Fri) 14:24 裏掲示板にて
陽スタート。しかしどっちにしても、忘れられてしまうのが結構切ない。しかし陰スタートの切なさには及ばない気が。