――『宝物の代償に』――

 ――――本日快晴。
 青空は抜けるように青く、まるでその青を彩るような雲が空の中を漂っている。
 世間にはもう秋の風が吹きかけていて、空気は幾分か涼しかった。
 もう夏が終わり、秋がくる。……それは夏休みも終わり、秋口に差しかかったある休日に。
 ――――…それまでも平和で、これからも至極平和だった筈のお台場地区に、局地的な人災が。
 ……密かに。……だがそれは確実に起ころうとしていたのであった…。

◇      ◇      ◇      ◇

 

<…ゼンポウノ目標(ターゲット)、未ダ動カズ。イゼン監視を続ケルカ?>
<……ソノママノ状態ヲイジシ、監視ヲ続ケヨ。クレグレモ目標ニ感ヅカレルナ>

「……勿論、りょーかい…っと」
 ――――彼はそう呟きながら、ポチッと送信ボタンを押した。
 周囲は雑多なざわめきに満ちていて、彼の独りごとに気づいた者もいない。
「…ふうっ」
 少年は目深に帽子を被り、ベンチに腰かけたままで大きく息をついて空を見上げた。
「さーてとっ」
 彼は勢い良く立ち上がり、目立つ金髪を押し隠すように尚も深く帽子をかぶりなおす。
 そして手の中のモバイルを見下ろし、そのまま視線を……彼のいるベンチからは大分離れた、やはり似たようなベンチに腰かけて待ち合わせをしているらしい人物に投げて。
「……呑気にニコニコしてられるのも今のうちだけだよ?」
 くくっと低く笑い、そのまま雑踏に消えていった。

◇      ◇      ◇      ◇

 …一つ息を吸って。
 ……また吐いて。
 ゆっくりとまた息を吸う。
 ……落ち着いた表情で、一時間前からずっと同じベンチで、同じ姿勢で、同じ本の同じページを見つめていた少年は、また同じ動作で呼吸を繰り返した。
 ……吸って。…また吐いて。
 ゆっくりと瞬きをして、腕時計を見つめる。
「………」
 ばくん。
 その瞬間、少年の心臓が大きく跳ねた。
 何故ならば、彼の正確なデジタルウォッチが示した時刻はA.M9:58だったからだ。
 何故ならば、彼の愛しい恋人との待ち合わせの時刻が、もう既に二分を切ったA.M10:00ちょうどだったからだ。
(……別にデートは初めてじゃないんですよ)
 彼は、ゆっくりと……思考ですら「ゆっくり」と「落ち着いて」と努めて、そう胸中で独りごちる。
(………二人で映画を見に行ったこともありますし)
 思いながらまた呼吸を一つ。一つ吸って、一つ吐いて。
(……あの人、すぐに寝ちゃいましたけど……)
 ―――そっと目を閉じると、「彼」のことに関してはすこぶる性能を増す少年の記憶が、すぐさま鮮明に蘇ってくる。
 薄闇の中、至極無邪気な顔で眠る、可愛い一つ年上の恋人。
 ……結局あの日は少年も映画が頭に入らなかった。
 映画そっちのけで、ついつい「彼」の寝顔に見入ってしまったから。
(……………いや。……いまはそれどころじゃなくて)
 彼はまた目を開けた。それと同時にデジタルウォッチの液晶の文字が、ピッと形を変える。
 ……ばくん。
 また、さっきよりも大きく心臓が跳ねた。
 ……A.M、9:59。
 ――――待ち合わせ時刻まで、あと一分?
 ……いや、もう57秒。……55……54……。
 少年は無意識のうちに秒読みすら始めてしまった自分に呆れる。
(………まさかぴったりに来るなんてことはないんですから)
 そう思いながらも、始まってしまった彼の秒読みは止まらなかった。
 48………47…。
 ………とくん。
 そこで、ふと、思い出したような、穏やかな鼓動の音が胸のどこかで響く。
「………」
 少年は、ぱたんと本を閉じて、表面とか、上っ面だけは幾分落ち着いたフリをして、顔を上げた。
 とくん。とくん。とくん。
 まるで、今更のような、淡い、優しいざわめくような胸の鼓動。
 20。………15、14、13、12……。
(じゅう)
 9、8、7、6…。
(ご)
 4、3、2…。
(いーち)
 少年はそこですっくと立ち上がり、小走りに駆けてきた愛しい恋人に向けて笑顔を向けたのだった。


「ようっ、光子郎! お前いっつも来るの早いなあ」
「太一さんがのんびりすぎるんですよ」
 開口一番どこかズレたことを言う可愛い太一に、光子郎は口では若干厳しいようなことを言いつつも、頬を緩めっぱなしである。
「…ん。……でも、俺、光子郎が待っててくれるの、スキだぜ?」
 太一はそんな光子郎の言葉に肩をすくめてから、にこっと、それこそ光子郎を悩殺するような笑顔で、可愛らしく告げた。
「……何か、安心するし」
 …………ばくばくん。
 光子郎は我知らず、自分の胸元に手をやる。
(……不整脈が……)
 ばくんばくんばくん。
 またもや鼓動が大騒ぎを始めた。
(まるで初めてのデートの時みたいだ)
 ……もっとも。「初めてのデート」からこちら、光子郎の心臓が太一とのデートの際に大騒ぎしなかったことはないのだけれど。
「じゃあ…行きましょうか?」
 光子郎はそんな自分に内心で苦笑しながらも、愛しさが溢れてどうしようもないような、そんな蕩けた笑顔を太一に向ける。
「ああ。……混んでなきゃいいけどなあ」
 太一は光子郎の笑顔に一瞬照れくさいような、そんな表情をしてから、スタスタと先に立って歩き出した。
「多分大丈夫ですよ」
 光子郎はそんな彼に追いつくよう、少し早足になりながら、不意に小さく…人の悪い、からかうような笑みを浮かべる。
「……それにしても、まさか太一さんが美術展に行きたいなんて言い出すとは思ってませんでしたよ」
 太一はその言葉に拗ねたしたように唇をとがらせ「あー、あー、どーせ俺には似合いませんよ〜!」と光子郎の笑顔を睨んだ。
「……すみません、そういうことじゃなくって…」
 少し機嫌を損ねてしまったらしい太一は、スタスタッと更に足を速めて光子郎の前方にいってしまった。「こんな所も可愛いな」とか腐ったコトを考えつつも、光子郎は機嫌をとるように優しい笑顔を浮かべて、やや小走りになる。。
 せっかくのデートだというのに……せっかくの二人きりだというのに、最初から可愛い恋人を怒らせるのはやはり面白くない。
 そのまま彼はゆっくりとした口調で、先ほどの自分の発言とからかいのとりなしをしようとしたのだったが――――。

 ひゅおうっ!!

「…ッッ!?」
 妙に間近で聞こえた……風を切る音に、ハッと半ば条件反射的に顎をそらして後退する。
 ――そして、その顎と光子郎の肩を掠めて。

 カカカカカッ!!

 幾本ものボールペンが。
 勢いよく光子郎の真横のコンクリの壁に突き立った。

「…………………………………」

 ……光子郎は。……しばらくそれらを表情の失せたカオで見つめてから。
 今まで止めていたらしい呼吸をゆっくりと再開しつつ。
 むんずと。
 その数およそ十本にのぼるボールペンを。―――…一気に、ひっこ抜いた。

「…………………………………奴ら……。どうやら気づいたようですね……」

 はらり、と光子郎の前髪のうちの一本が、地面に落ちる。
 光子郎はそれに目をくれもせず、全然笑っていない目と表情で「ふふふふふ」と含み笑いをもらした。
「………ですが、たかだかこの程度で僕の命を狙おうとは……」
 そのままぐぐっ、と掌に力をこめると。
「笑止!!」

 ばきん!

 ――――哀れな音を立てて、華奢なボールペンの群れが折れた。
 デジタルワールドでの冒険から三年。
(僕がいつまでも非力なパソコン少年でいると思ったら大間違いですよ……)
 光子郎は再び不敵な笑みを浮かべると、バラバラと掌の中に残っていたボールペンの残骸をどこからともなく取り出したビニール袋の中に捨てる。
 まさか、こんな大量のゴミを道端に捨てるわけにもいかない。……幸い、こういった事態に備えて、常に「ゴミ」用のビニール袋は携帯している。
「こーしろー!? いつまでも何やってんだよー? 置いてくぞー」
「あ、はーい」
 そこにようやくかかった愛しい恋人のお呼びの声に、光子郎はカオに張り付いていた不敵な笑みをキレイに消した。
「じゃあ、早速向かいましょうか♪」
「…? ああ?」
 いつまで経っても追いついて来ない光子郎にしびれを切らして様子を見に来たらしい太一は、横手のコンクリ塀に残るボールペンがザクザクと刺さっていた痕跡に、不思議そうな顔で首を傾げる。
「さっきこんな傷あったか? この塀」
「――さあ? 覚えてませんけど
 光子郎はそんな太一に。
 ――――それこそ何食わぬ顔でにっこりと微笑んでみせたのだった。

◇      ◇      ◇      ◇

「………ちっ、しくじったわね…」
 そんな二人の様子を物陰から観察していた少女は低く舌打ちし、何やら怨念のこもった声で低く呟いた。
「……………まあいいわ。……まだチャンスはあるもの」
 彼女は冷ややかな眼差しで光子郎を観察しながら、更なる物陰にそっと身を潜める。
――――……絶対に邪魔してやるから
 そしてぽつんと……だがもしもそれを聞くものがいたら、必ず夢に見てしまいそうな……そんな激しい憎悪のこもった口調で独りごちると。
 スッ……と闇の中に姿を消した。
「…………先行部隊に連絡しなきゃね」
 そんな囁きを残して。

◇      ◇      ◇      ◇

「あれ? まだ始まってないのか…?」
 ――――太一はようやく到着した建物の前で、困惑したような声をもらした。
「……十一時に開くみたいですね」
 光子郎はそんな太一の疑問に答えるべく建物に近づき、置いてある立て札を指して告げる。
「ええ? 何でだー? チケットには十時から入場可って書いてあるのに!」
 太一はそれに盛大な文句の声をあげ、たたっと軽い足取りで光子郎の側まで走った。
「……まことに申し訳ありませんが、都合により本日の美術展は十一時からとさせていただきます〜? なんだそりゃー!」
 せっかく早起きしたのにー! と太一は不満そうに頬を膨らませる。光子郎はそんな太一に苦笑し「しょうがないですよ。しばらくどこかで時間をつぶしてから来ましょう?」となだめるように声をかけた。
「…………ちぇー」
 太一はもう一度つまらなそうに呟いてから「じゃー、それまでゲーセンでも行ってるか?」と光子郎に尋ねる。
「そうですね…、それもいいですけど…」
 光子郎は太一の提案ににこりと微笑んで、軽く太一の掌を握ると。
「せっかくのデートなんですから、二人でゆっくりとその辺りを歩きませんか?」
 さも愛しそうに太一を見つめながら、優しくそう告げた。
「……デっ……!」
 太一はその言葉に一気に頬を染め、きょろきょろきょろっと勢い良く周囲を見回す。光子郎はそんな太一を優しい目で見ながら「誰もいませんよ?」と笑顔を向けた。
「………なら、いーや…」
 太一は相変わらず落ち着き払った光子郎に、何となく脱力しながら……「おい」と握られたままの掌を大きく振る。
「? なんですか?」
「なんですか、じゃねーだろ。……いつまで手ぇつないでる気だよ」
 太一の脱力したような問いに、光子郎は至極当然のような顔であっさりと応じた。
「それは勿論。今日一日、ずっと」
「………」
「………って言ったら、嫌ですか?」
 その答えに複雑そうな顔をした太一に、光子郎は少し不安そうな調子で付け加える。
 ……太一は、普段の取り澄ました落ち着いた表情からは想像がつかない不安気な表情の光子郎に一瞬きょとんと目を見張って……「ばーか」と小さく笑った。
「嫌じゃねーよ」
 太一はそのまま光子郎とつないだ掌を大きくぶんぶんと振る。……それから。

「なんたって今日はデートなんだからなっ」

 照れたような、けれどイキイキしたいつもの太一らしい明るい口調で、光子郎に全開の笑顔を向けた。
「……太一さん」
 光子郎はその笑顔に脳髄からくらくらする自分を感じながら……この自分の中に満ち満ちるいとおしさというヤツを一体どう表現すればいいのか、心底から悩み……。

 ――――ゴガッ!

 悩んだまま、勢い良く前のめりに地面へ突っ込んだ。
「こ、こっ、光子郎!!? 大丈夫かっっ!?」
 いきなり地面と熱いキスを交わしている恋人に太一は無論ジェラシーを感じている余裕などなく、慌てて彼を抱き起こそうとかがみこむ。
 てんてんてん……。
「…ん?」
 そこへころころと力なく転がってきた丸いもの
 どうやらコレが光子郎の後頭部に凄まじい勢いでぶつかってきたらしい。
「……でも、なんでこんなとこに……」
 太一はきょろきょろと周囲を見回しながら、その丸いモノ……サッカーボールを訝しげに見つめた。
「…………ふっ………ふふふふふふふふふふふふ!」
「あ、光子郎! 大丈夫か?」
 そこへ唐突に響いた、横で突っ伏している光子郎の低い笑い声。
 太一はその笑い声がなんだか相当イッちゃってるっぽいコトにもかまわず、心配そうに光子郎に駆け寄った。
「あーっ、やっぱこっちに飛んできちまってたんだー、すんませーんっ!」
 ……とそこへ、そこはかとなく白々しいセリフを吐きながら、ゴーグルをつけた少年がばたばたと走ってくる。
「大輔!」
 太一は駆け寄ってきた少年に驚いたような声を上げ、呼ばれた少年……大輔もまた「あれぇっ! 太一先輩じゃないスか!」とやはり白々しくも、本気で嬉しそうな声をあげた。
「お前もこんなところで何を……ってそんなことは今はいいんだ! 大輔!? まさかこのボール蹴ったのお前か?」
 嬉しそうにニコニコと寄ってくる大輔に、太一は少し厳しい声を出す。
 まだ「ふふふふふふふふふ」とヤバイ感じの笑い声を洩らし続けている光子郎の後頭部には、当然のことながらでっかいコブが出来ていた。
(光子郎が馬鹿になったらどーすんだよ!)
 太一はそのコブを痛ましそうに見つめ「光子郎、平気か?」と心配そうな口調で話しかけ続ける。
「……。……た、太一先輩っ! あのですね!!」
 しばらくそれをひどく面白くなさそーに眺めていた大輔だったが……いきなり大胆な行動に出た。ぐいっと太一の両手をつかんで、無理やり自分の方を向かせたのである。
「? なんだよ、大輔! 早く光子郎に手当てしてやんねーと……」
「俺、実は太一先輩に聞いてほしいことがあるんです!」
 いつもは面倒見のいい太一もさすがに苛々した様子で大輔に応じた。だが大輔はそんな邪険な態度にもめげずに「実は俺…!」と何かを言いかけ。
 ――――ドゴッ。
 全くもって唐突に、先ほどの光子郎と酷似した態勢で前のめりにぶっ倒れた。
「う、うわわわわっ!! だ、大輔!?」
 太一は次から次と倒れていく周囲の人間たちにミステリー小説の主人公になってしまったような気分に陥りながら、慌てて大輔を抱き起こそうとして……。
 てんてんてんてん…。
 ふと、目にとまったまたも丸いものに気づき、ぽつりとうめくように呟く。
「………バスケットボール…?」
 なんでこんなモンがこんなトコに。
 彼が疑問に思うとほぼ同時に「あー、ゴメンナサーイ! つい手が滑っちゃって……って、あれ、太一さん?」と、いかにも白々しい言葉と共に路地から金髪の少年がぱたぱたと走ってきた。
「た、タケル…?」
 太一は半ば呆然としながらタケルと大輔の後頭部に出来たコブとを見比べ、やはり依然として「ふふふふふふふふふ」とヤバイ感じの笑い声を響かせている光子郎の方をちょっと泣きそうな目で見る。
(一体なんなんだ…この状況は?)
 なんだか物凄く異常な状態に陥りかけているような気がするのは、果たして気のせいだろうか?
「………ったく、抜け駆け厳禁だってーのに大輔くんてばどーしてこう学習機能がないっていうかスナワチ馬鹿っていうか……」
「……え? タケル、今なんか言ったか?」
 そんな風に呆然としていたせいか、今うっかりタケルのセリフを聞き逃してしまったらしい。
 タケルはいつのまにやらヤンキー座りで大輔の真横にしゃがみこんでおり、ブツブツとまだなにやら呪いの言葉らしきものを吐いていたのだが……太一の訝しげな視線とその言葉に、くるっと表情を変えると。
「ううん、何でもないよ〜?」
 と、それこそ何事もなかったかのように微笑んでみせる。
 それこそまさにタケルがタケルたる所以でもあるのだ。―――もっとも、太一はあまり察していないようだが。
「そ、それよりも……光子郎と大輔をどーにかしなきゃ…!」
「……んー。まあ、確かに二人とも………どうにかしなきゃ、ね?」
 タケルはあはは、と低い声で笑いながら、太一の言い方とは微妙に異なった口調で「どーにかどーにか」と呟き、にっこりと微笑した。
 なんて言うか。「殺る気」のホホエミで。
「……―――そうはいきませんよ…」
 ――――だが。
 それを突然響いた、低い低い「目標」の声がその笑顔を不意に消す。
「あれ?」
 タケルはその声に心底不思議そうな声をあげてから。
 半ば反射行動といった感じに、スッと一歩後ろに下がった。
 ……そして、先ほどまでタケルの頭があった辺りを、「目標」……もとい、泉光子郎のスニーカーの影が凄まじい勢いで通過していく。
「……太一さん! 早く立ってください!」
 そのまま、体操選手もかくやというくらいに綺麗に勢いよく半身を起こして、すたっと起き上がった光子郎は、明らかに展開についていけていない太一へ手を伸ばした。
「………は? いや……あの、……光子郎くん?」
 光子郎の側に膝をついたままだった太一は、いつもと視線の位置が逆転している恋人の顔を見つめ、ひたすら訝しげに首を傾げつつも……その掌を素直にとる。
 光子郎は素直に自分の掌を握った太一に、にこっ、と、それこそ極上の笑顔を向けた。
「――――では、逃げますよ!!」
 そうして、彼はきっぱりと言い放つと。
「わっ……わわわわっ!? こ、光子郎っっ!?」
 説明も何もしないまま、太一の手を引っ張って勢いよく走り出す。
 太一はどうにか態勢を立て直しながらも「なんなんだよ、一体〜!」と混乱したようにわめいた。
 ――――しかし、さすがに現役サッカー部のレギュラーは強い。
 わめきつつも、いつのまにやら光子郎を抜かす勢いで走っているのだから。

「…………」
 結局。……タケルは猛スピードで遠ざかっていく二人の背中を黙って見送った。
 追いつけないということもなかったが、ここでわざわざ体力を消耗させて彼らを追いかける必要はない。
 タケルはニコニコしながら懐からDターミナルを取り出し、たかたかたかっと文字を軽く打ち込んで送信ボタンを押した。
 送信ボタンを押しながら、何気にまだ気絶している大輔の頭をどかっと蹴ってみたりもした。
「………うう…、た、タケル〜…? ……ハッ! た、太一先輩は!?」
 そして、恐らくはその蹴りのおかげであろう。どうにか目を覚ました大輔に向かって、それこそ虫も殺さぬような笑顔を向けると。
「――じゃあ、大輔くん。とりあえず先回りしよっか?」
 まるで当然のことみたいに大輔に告げる。大輔はさすさすと何故か痛む後頭部を撫でながら「ああ」と頷きつつも、訝しげなカオでタケルに尋ねた。
「……それにしても…何で分かるんだ? 太一先輩たちの居場所……。さっきも思ったけどさ」
 タケルはその問いに「ああなんだそんなこと」と言いたげにニッコリ笑って。
「だって、太一さんに発信機ついてるし?」
 ぴっこんぴっこんと移動し続ける、Dターミナルの中の赤い光を大輔に見せたのであった。

◇      ◇      ◇      ◇

「……な、なあ……ところで、何でタケルたちから逃げたんだ?」
 ぴっこんぴっこんとDターミナルの中で動き続ける赤い光……もとい八神太一は、肩で軽く息をつきながら、光子郎に尋ねた。
「何で……というか」

 光子郎はそれに対して何かをごまかすように視線をそらしてから……「えーと」と小さく呟く。
 ……光子郎にとっては非常に明確な……「奴ら」が追いかけてくる理由とは―――――…無論。
 八神ヒカリ嬢を筆頭とした「八神太一ファンクラブ(仮)」名誉会員(兼副会長)であった光子郎の抜け駆けに対する、制裁妨害なのである。
 ちなみに余談だが、現在「八神太一ファンクラブ(仮)」の副会長は、長年の間八神太一の親友を名乗っている兄(石田ヤマト)を差し置いて、高石タケル氏が務めているそうだ。
 だがまさか八神太一当人「貴方のファンクラブの会員どもに、僕が抜け駆けしたから追いかけられてます」とは言えない。
 更に「実は僕もつい最近までファンクラブ名誉会員(兼副会長)だったりしたんですよね」とも言えない。
 ……多分怒りはしないだろうが……いくら器の広い太一といえども、若干ひくだろう。いくらなんでも。
「……光子郎?」
 太一はいつまで経っても説明しようとしない光子郎に不審の目を向けていたが……やがて「ふーん」と突然冷たい目になったかと思うと。
「……お前、俺に隠してることがあるだろ?」
 冷ややかに、きっぱりといきなりそう断じた。
「なっ……な、何を急に!!!
 ぎくうっ! と明らかな擬音を立てながら、光子郎はずざざっとあとずさる。
 太一はそれを変わらぬ冷ややか〜な目線で見ながら「やっぱりな」とこの上なく冷たい口調で呟いた。その響きや、まさにツンドラのごとし。
(あああああ、何て冷たい目なんですか太一さん! でもそんなアナタも可愛…じゃなくてじゃなくて! どうか嫌わないでください軽蔑しないでください、ファンクラブ(仮)っていったって、ちょっと太一さんの日常を盗撮したり、ちょっと太一さんの箪笥をこっそり物色してみたり、ちょっとパソコンのデスクトップを太一さんの寝顔にしてみたり、ちょっと太一さんのポスターをべたべた貼ってみたりしただけなんです!!!)
 もはや既に変態という底なし沼にずっぷり沈みきっている泉光子郎(13)である。……だが、彼の予想に反して、太一が冷たい声で、どこか拗ねたように続けたのは、えらく的の外れた………こんなセリフだった。
「……別にいーけどさ。……お前が、俺よりも大輔やタケルと仲良くったって」
 別に俺とのデートの最中に、お前らが仲良くしてたって。
 ぼそっぼそっ、と完全に拗ねた口調で呟き続けるのは、やきもちのいりまじった……あまりにも(あまりにもあまりにも)可愛らしいセリフの数々。
 光子郎はその可愛らしさにクラクラくるのと同時に、非常に安堵した
「……バレてなくてよかった……」
「――――ん?」
「イエイエ、何でも。イエ。何にもありません」
 光子郎はニコニコ笑って首を振る。とてもニコヤカに。……太一はそれを半眼で見つめて、なおも拗ねたようにぼそっと続けた。
「……別にいーんだぜ? タケルや大輔たちと遊んでる方が楽しいって言うんなら、そっちに行ったってさ」
 その口調は、何だか太一らしからぬ絡むような口調である。だが、それを聞く光子郎はそんな太一に不満を感じるどころか、そんな…――要するに太一がやきもちを妬いてくれているという事実に、緩む口元を押さえるのに必死であった。
 しかし、一方の太一は光子郎が口もとを押さえて(ニヤけた顔を隠すために)そっぽを向いたままこちらを見てくれないために、こんな下らない嫉妬のようなことを言って不快にさせたかと不安になっていた。
 …だったらこんなコトを言わなければいいのだが、せっかくのデートの日がさっきから思わぬ邪魔ばかりで満足に進んでいないというこの状況に、太一自身かなり苛々していたのも確かで。
(美術展は開始時間が変更になってるし、……光子郎はボールにあたって倒れるし、大輔はサッカーボールを蹴飛ばすし、タケルはバスケットボールを投げるし…)
 後半は本気でワケが分からない。
 ――だから、つい言いがかりのようなことを言って、こんな馬鹿げた拗ね方をしてしまった。…本当は、どうしてタケルたちから逃げなくてはいけないのかなんてどうでもいい。ただ、その理由を光子郎たちだけが分かっていて、自分だけが分かっていないというこの状況が気に入らなかっただけ。
 …………太一は子供じみたその理由に、ゆっくりと息を吐いた。我ながら馬鹿馬鹿しいことこの上ない。
 ちらりと横目で、まだ口元を覆ったままの光子郎を窺ってみる。
「………」
 馬鹿みたいだと思いながら、太一は諦めて笑った。
(こんなカッコ悪いトコ見せるの、きっと光子郎の前だけだ)
 本当はもっとカッコいい自分でいたいのに。見栄だってもっとはりたいのに。
 太一は一度口を開いてから…また閉じた。そして、躊躇しつつももう一度口を開いて。
「……光子郎?」
 まだ(長い)そっぽを向いて口元を押さえている光子郎に、おずおずと声をかける。
「………は、はい!? なんですか、太一さんっ!!」
 光子郎は(心なしか)嬉々として太一の呼びかけに応じた。太一はその勢いのよさに小さく笑って。
「……ゴメンな。俺…なんか、ガキみたいに拗ねてた。お前らばっかり仲良さそうなのが気に入らなくて」
 バツが悪そうにしながら、太一は光子郎に向かって素直に詫びる。
「いえそんな……」
 光子郎は太一の謝罪にむしろ困惑したように「別に彼らとはそんなに仲良くないですよ仲良くってコトバからしてもー無縁ですよ」と言いたい気持ちを押し隠しながら瞬きを繰り返した。だが、こんな太一の率直さ自体は、光子郎にとっても実に好ましい……憧れすら抱くくらいの、太一の美徳だ。
「……いいんですよ? 別に、拗ねたって」
 だから、光子郎はこの際非常に突っ込みたいポイントである「お前らばっかり仲良さそうなのが」を無視して、太一の頬に軽く指先を添える。
「拗ねてもいいんです。……ワガママだって、どんどん言っていいんですよ」
 光子郎はバツが悪そうなままの太一の額に、こつんと自分の額を当てて、優しい……けれど明らかな独占欲を隠そうともしない口調で続けた。
「それが貴方の自然体なら。……それを晒すのが僕の前でだけなら。……構わないんですよ?」
「…………」
 太一はすぐ近くに光子郎の優しい眼差しが揺れていることに戸惑いながら……「……きっと、また困らせるぞ、俺」と呟く。
「ええ」
 光子郎はにっこり笑って、何でもないことのように応じた。
「困らせてください」
「……………」
 太一はその言葉にちょっと笑って。
「じゃあ。……困らせるからな」
 甘えるように囁くと、間近にあった光子郎の鼻先を、舌先でぺろりと舐める。
「た! たたたたたっ、太一さぁん!?」
 その思わぬ感触に、今までの余裕はどこへやら。半ばパニックを起こしかけた光子郎にけらけら笑いながら、太一はあっさりと身を離した。
「………ま、全く……」
 光子郎は珍しく立場が逆転してしまったことに戸惑いながらも「どーせなら唇にしてくれればよかったのに」などと不埒なことを考えて、にへら、と口元を緩めた。
 甘い甘い眩暈。
 自分をこの甘い眩暈の中に突き落とすことが出来るのはきっと太一だけ――――。
 そんなポエミーなことを思い、ゆっくりと吐息した光子郎の背後から……唐突な、激しいプレッシャー的気配と共に。

 バキャアッッ!!

 凄まじい金属音を立てて何かが飛んできた。
 ……さすがに慣れてきた光子郎は、それをすんでのところでひらりとかわして、太一の所にすたっと華麗に着地する。そのまま着地する寸前、まるで牽制するように腕を大きく振って何かをばらまいた
「……………ま」
 だが太一はそんな光子郎の奇妙な動向を気にする余裕もなく、ただただ呆然と……先ほどまでの甘い雰囲気やら何やらを全てぶっとばす勢いで飛んできたソレを見つめて、ぽつりと呟く。

マイクスタンド………?

 当たり所が悪ければ何だか死んでしまいそうな。そんな素敵アイテムであった。
 そんなとんでもないものを投げてよこした張本人は勿論。
「悪いな。………手が滑っちまった
 至極当然のようにそう告げながら、スタスタと路地から出てきた。
 そして出てくるやいなやクルリと視線を彼方の方向へ向け。
「一応ここで言っておくが、先ほどからの舞台になっているこのへんの路地には、全く人気がない。だから大輔の奴も安心してサッカーボールを蹴れるし、タケルも安心してバスケットボールを投げられるし、俺も安心してマイクスタンドを投げられるってワケだ
 とうとうと説明的なセリフを一通り述べると。
「よう、太一。……偶然だな?
 実に当然のように。
 白々しさを超越した勢いで、きっぱり「偶然」と言い切った。
 そんな金髪碧眼ロン毛の彼は、長年八神太一の親友を名乗っている石田ヤマトその人であった。
「………よ……よお…」
 もう太一は何を言っていいのか分からず、ひたすらぼーぜんとしながら、機械的に挨拶を返す。
「……………ふふふ。次は貴方だとは思っていましたがね」
 光子郎はそんな太一を庇うように前に立ち、不敵かつニコヤカな笑顔で話しかけた。
「……まあな。…ていうか、そろそろ出番を確保しておかないと、忘れられそうだったからな……!」
 ……忘れられるって……一体誰に?
 やっぱり事態は自分だけを置いて先に進んでいっているらしい。
 太一はそんなことをぼんやりと考えつつ「まだ家を出てから一時間も経ってねーのになー」と何となく諸行無常という単語に思いを馳せた。あんまり意味は関係ないのだけど、気分的にはそんな感じである。

 ――――何故マイクスタンドを街中に持ち歩いているのか。

 ――――そしてどうして手を滑らせたソレが宙を舞うのか。

 もう太一には何もかもが全然分からなかった。「とりあえず。……太一さん?」
「……あ? 何?」
 そんな太一に向けて、光子郎はいたってサワヤカな笑みを向けた。
「状況説明は後でじっくりゆっくりしてあげますので……今はひとまず逃げましょう
 あまりにもきっぱりと告げられたセリフに、太一は戸惑う余地もなくさくっと頷く。
 確かにいくら親友といえども。
 街中でいきなりマイクスタンドを投げてくるような、そんな情緒不安定らしいヤマトと一緒に行動はしたくない。
(……俺ってけっこー薄情だなあ)
「あっ、オイ! 太一、光子郎っっ!!」
 心のなかで密かに詫びつつ、太一は素直に光子郎の手をとってまたもや駆け出す。それを見て、今まで無意味に悠然と構えていたヤマトが慌てたように声をかけるが、デジタルワールドという共通のサバイバルを乗り越えてきたリーダーと軍師のコンビはさすがに早い。
 バンドマン石田ヤマトは追いつこうと走りかけたが、スタートダッシュからいきなりすっ転んでしまった。
「ハッ……! いつの間に!?
 べすっ、と何だか痛そうな音を立ててコンクリ地面に前のめりに倒れたヤマトは、自分の足元にマキビシならぬ大量のネジがばらまかれていたことに驚愕の声をあげる。
「ちっ、さっき撒いたヤツか……!?」
 どうやらこのネジたちをヤマトは思いっきり踏んで転んでしまったらしい。顔を突っ伏した辺りにも落ちていたのか、べったりと頬に張り付いているネジの一つにも気づかず、彼は遠い目で「逃げ足の速いヤツめ…」と完全に悪役のセリフを吐いた。

……………………失敗したのね……ヤマトさん…………?

 びびくうっ!!!
 ――――そこに突如として響いた……まるで地の底から聞こえてきたような声。
 そのあまりにも唐突な声と登場の仕方に、ヤマトは本気で肩を震わせながら……恐る恐る振り返る。
「ひ、……ひ、ヒカリちゃ………ッ!」
 その声はあからさまなくらいに怯えていた。
 ………いつのまにかヤマトのすぐ背後に控えていた少女……「八神太一ファンクラブ(仮)」名誉会員であると同時に会長をも兼任している八神ヒカリ嬢は、ちぃっとも笑っていないカオでヤマトをじぃっと見据えている。
「………貴方……一体何のために出てきたんですか……?」
 実際満足な妨害も出来ていないヤマトは、その的確な指摘に「うっ!」と一歩後ずさった。その頬には依然としてネジがへばりついている。
「……………………まあ、いいです」
 しかし、ヒカリは結局そう呟いて、辺りに漂っていた冷気というか局地的な霊現象的なモノを引っ込めると。

…………二度目の失敗は許しませんよ?

 冷ややかに告げると、スタスタと路地に戻っていった。
 ヤマトは本気でその背中にびびりまくりながら……がくっと膝をついて、ぽつんとうめく。
「……………ホントに俺、何のために出てきたんだ………?」
 その問いに答えてくれる者は――――残念ながら一人としていなかったのであった。

◇      ◇      ◇      ◇

「――――で、結局さあ」
 太一は近くの喫茶店でズズーッと注文したアイスティーを啜りながら、ちろりと上目遣いで光子郎を見ながら、太一は先ほど答えてもらえなかった疑問を口にする。
「何であいつら、あんなメチャクチャやってまで追っかけてくるんだ? それから、何で俺たちが逃げなくちゃいけないんだよ?」
 当然といえば当然の疑問に、光子郎は「えーと」と小さく呟いてから、場を持たせるように同じく注文したアイスコーヒー(無糖)を軽く口に含んだ。
 本日は結構涼しい風が吹いていて、どちらかというと寒いと言えなくもない気温である。だが、先ほどまで全力疾走をしていた太一たちにとっては、冷たい飲み物が丁度良く喉を潤してくれた。
 光子郎はひんやりとした水分が、乾いた喉を適度に潤してくれるのを感じながら……ゆっくりと「言い訳」を考え……。
 ……ふと「罰ゲーム…」と思いついたように呟く。
「そう! 罰ゲームなんですよ」
 彼はそのままにっこりと、気を取り直したような笑顔を太一に向けた。
 そのついでに、ことんとテーブルにアイスコーヒーを戻す。
「実は先日タケルくんたちとゲームをしまして」
 にこにこにこにこ。
 非常にサワヤカな笑顔で光子郎は続ける。
「僕がそのゲームで一人勝ちして、見事賞品≠ゲットしてしまったんですね」
「…ふーん?」
 何でそのゲームに俺も混ぜてくんなかったんだろうとか漠然と思いつつ、太一は相槌を打った。
 アイスティーに何だか甘さが足りない気がして、少しだけガムシロップを足しながら、太一は続きを促す。
「ですが、そのゲーム、少々変わったゲームでして。通常なら負けた側が行うはずの罰ゲームを、勝った側がしなくてはならないというルールになってたんです」
「……ふーん?」
 変なゲーム。
 太一は明らかにそう言いたげな顔で首を傾げつつ、再度相槌を打った。
「……で? さっきのが罰ゲームだったってことか?」
「…………ええ」
 光子郎は今度はどこか含みのある笑顔で首を傾げる。
「……………。………鬼ごっこなんですよ」
「――――は?」
 その笑顔のまま続けられたセリフに太一は訝しげに眉を寄せた。
「鬼ごっこ?」
「……ええ」
 光子郎はニコニコしながらあっさりと頷く。
「そのゲームに参加した人たちが協力しあって、僕をつかまえて……」
「つかまえて?」
 何となくオダヤカならぬゲームだ。
 太一は完全に他人事の心境で「何で俺のいないとこでそんなゲームやってんだろこいつらー」とぼんやりと考える。
「………つかまえて、僕が手に入れた賞品を奪い返す。……そういう罰ゲームなんですよ」
「……奪い返すぅ?」
 何なんだそりゃー。
 太一は今度こそ心底呆れ果てて「物騒なゲームやってるんだなあ、お前ら…」と呆れたような半眼で光子郎を見た。……光子郎はその表情にくすくすと含み笑いを返して。
「……そこまでしても、手に入れる価値があった……賞品≠ネんです」
 くすくすと笑っていながら、どこかで笑っていない。そんな不可思議な眼差しで太一を見つめながら、そう告げた。
「………ふーん…?」
 どきりと。
 何故か一瞬大きく脈打った自分の心臓に戸惑いながらも、太一は三度目のどこか気のない相槌を打って……。
「…………………じゃあ、今日は、タケルと大輔…それにヤマトが徹底的にお前をつかまえにくるってコトか?」
 ……折角のデートなのに?
 ふと、気づいたように、それはちょっと嫌だなというカオをしながら確認をする。
「………まあ。そういうことになりますね」
 ……折角のデートだから。
 光子郎はその問いに、勿論ものすごーく嫌ですよというカオで応じた。
「……。……まあ、でもしょーがないじゃん?」
 だが、太一はその、光子郎のカオのしかめっぷりに軽く笑って、テーブル越しに手を伸ばし、楽しそうにわしゃわしゃと光子郎の頭を撫でる。
「お前はそれだけ苦労することを見越して、それでも、その……賞品が欲しかったんだろ?」
 笑いながら、そう、楽しそうに尋ねる。
 ……光子郎はそれに何故かとても優しい笑顔になって。
「………はい。……それでも、ほしかったんです」
 まるでよく懐いた猫のように、自分を撫でる太一の掌に目を細めた。
「……とられたくないんだろ?」
 太一はその表情を見て「ガキみてえ」とからかうように呟いてから、軽く頭から手を離して……離すついでにピン! と指で光子郎の額を弾く。
「………勿論」
 光子郎は楽しそうに笑いながら、自分の額を弾いた悪戯者の掌をつかまえて、その指先にこっそりと軽いキスを落とした。
「――――とられたく、ありません」
 ――……まるで、固い決意を表明するような……そんなカオで。
 そのカオにまたどきりとしながら……。太一はそれをごまかすようにぶんぶんと大きく首を振って。
「………じゃあ、しょーがねえ! 今日は俺も鬼ごっこに付き合ってやるかっ!」
 すごくイキイキした、全然「しょーがねえ」というカンジではない笑顔で宣言したのであった。
「――…はい」
 光子郎はその笑顔を眩しそうに見つめて、つかまえた掌から名残惜しげに手を離す。

(――――本当は)
 
 ……本当は。

 光子郎はゆっくりと胸中で独りごちた。
 
(賞品≠僕が手に入れたのと同時に)
 
 ……僕も。
 
(――――手に入れられてしまった)
 
 僕も、貴方というタカラモノ≠ノつかまえられてしまったんでしょうね。
 
 光子郎は口元に、幸せそうな……苦笑じみた笑みを浮かべた。
 
「もう少ししたら、今度こそ美術展に行きましょうか」
 そんな光子郎の心中を知ってか知らずか、太一は嬉しそうにほどよい味になったアイスティーを飲んでいる。……そんな太一を促すように光子郎は話しかけた。……その言葉に太一はふっと表情を変えて……それから、まるで大事な秘密を告白するかのようにテーブルの方に俯いて、小さな声で呟く。
「本当はさ、美術展じゃなくてもよかったんだ」
「……?」
 だから光子郎も、大事な告白を聞き逃さないように軽く身を乗り出した。
「…………」
 太一はちょっと照れたようにしてから、口早に話す。
「でも、美術館とかなら静かだから………それにアレ、タダ券だったから……、よ、よーするに、お前と一日一緒にいられんなら、何でもよかったんだよ!」
 ――――それこそ顔中を真っ赤にさせて、照れ屋の太一としては一世一代の告白をした後。
 思わぬ嬉しい告白にぽかんとしている光子郎に向かって、彼はコホンと小さく咳払いをすると。
「………だからさ。やっぱ美術展行くのやめて、お前んちにでも行こうぜ」
 カチャカチャとアイスティーをかき回しながら「お前の用意するアイスティーの方がずっと美味いし」とも、こちらは照れた様子もなく続ける。
「………………」
 最後に不意打ちが来た。
 光子郎はそんな心境で一気にアイスコーヒーを飲み干すと。
「…………じゃあ、行きましょうか」
 すっくと立ち上がって、やや赤くなったカオのまま、太一に手を差し出す。太一は嬉しそうな顔で……その手に伝票を握らせると。
 ―――何ともいえない表情になった光子郎の頭をぽむぽむ叩き「それにお前んちなら……きっとタケルたちも予想がつかないだろうしな」と微笑んで、とっとと喫茶店を出ていってしまった。
「………………全額僕持ちですか?」
 光子郎は胸の奥底からマグマのように吹き上げてくる、言葉にしようのない愛しさとか喜びをごまかすように呟くと、すたすたとレジの方に向かう。
(………知りませんよ、僕の部屋なんかに来て)
 ……無事に帰れるなんて、まさか思わないでくださいね?
 そんなことを考えながら、光子郎は機械的にレジの女性にお金を払う。
 
 一方の太一は、喫茶店の外に出るなり真っ赤になってしゃがみこんでいた。
(……無事に帰れるとか……おもわね−方がいいのかな)
 なんたって光子郎の部屋だ。
 なんたって二人きりだ。
(…………カギ、かかるし……あいつの部屋………)
 ………。
 太一はゆっくりと、唇だけをセリフの形に動かした。
 どうしよう。
 

 ――――それでもシアワセなのだからしょうがない。
 二人でいて、スキ同士で仲良くしていられることは、きっと世の中で最もシアワセなことなのだから。
 
 やがて光子郎が少しぎこちない動きで喫茶店から出てくる頃、やっぱり少しぎこちない動きの太一がその隣に並んで。
 二人はぎこちないような、はにかむような、そんな妙に初々しい雰囲気で光子郎の家まで向かうのだ。
 
「あ」
「……どうかしましたか?」
「悪い。……鬼ごっこに付き合うとか調子のいいこと言っといて、結局……」
「ああ。……いいんですよ。太一さんとの約束のほうが、ずっと大事ですから」
「………そ、か」
「……………そうですよ」
 
 ――――何だかこんなに初々しい雰囲気になってしまった二人は……無論まだ知らない。
 
 
テンサイは……忘れた頃にやってくるっ!」
「大輔くん。今、そのテンサイっていう字、正しく変換できる?」
「……いや、むしろ人災じゃないか。これ」
 以上の会話が、イン・光子郎宅で行われていることを。
「光子郎ったら……太一くん以外のお友達とお約束しているなら、ちゃんとそう話しておいてくれればいいのに」
 光子郎の母親が、人付き合いの不得手だった息子に今ではちゃんと大勢友達がいることに喜びながら、ウキウキと「八神太一ファンクラブ(仮)」のメンバーにお茶を出しているということを。

………人災も、忘れた頃にやってくるのよ……? 光子郎さん…

 くすくすくすくすと決して笑っていない目のまま笑みを響かせる「八神太一ファンクラブ(仮)」最強との誉れ高い少女が待ち構えていることを。
 
 ――――……とってもシアワセな彼らは、まだ何一つ知らなかったのだった。
 

END.


……本当にもう。……何が何だか……。(呆然)
紫月さんのリクエスト「邪魔者+光太デート」にお応えするつもりだったのですが…。
………なんだコレ…?
書いた自分のノリがさっぱりです…。
ギャグなんだかラブなんだかハッキリしろ…!!
こんなモノで申し訳ないです、紫月さん……;; 精進せよ!! 精進せよ風成!!!

とにもかくにも、1000HITキリバンリクエスト、ありがとうございましたvv(とにもかくにもって…)


モドル