――『飛ぶ鳥すら見えないような青いアオイ空の下で』――

◇      ◇      ◇      ◇

 

 …優しきものは、早くに死んでしまうという話を、知っているか。

 心優しく、とうといものは、早くに天に召されてしまうのだという話を。

 ……これは――――決して口に出してはいけない話だ。

 誰もが知らないけれど、私だけは知っている話。――あるいは。

 皆気づいてはいるけれど……口に出さない。決して出さない。

 ――――そんな話。

 

◇      ◇      ◇      ◇

 

「厚志」

 呼びかけると、ふわっと笑って。

 どうしたの、と、こちらを見る。

 その眼差しの優しさと。

 微笑った瞬間の透明さに。

 ――――時々、私が泣きたくなることを、そなたは知っているのだろうか。

「別に、何でもない」

 私が淡々と答えると、厚志は「そう?」と言って、また空を見つめる。

 

 ――――鼻の奥が、痛いぞ。厚志。

 

 ……それから、呼吸が苦しい。……これも、そなたのせいだ。

 

 ―――…プレハブ校舎の屋上は、いつも人気がなくて。

 いつも周囲に絶えることのない雑念も、ここでは殆ど感じられず、まるで真空状態のようだ。

 だからだろうか。

 いつもは少し『何か』を隔てた「遠く」に感じられる厚志が、「近く」にいる気がする。

 だからだろうか。

 いつもは周囲の雑念に紛れて「見えない」厚志が、「見える」気がする。

 ――――厚志は、屋上の手すりにもたれて、静かに空を見上げている。

 ……その空に映るそなたの心は。

 ――――あまりにも“透明”すぎて。

 ――――だからこそ恐ろしくて。

 

 ――――まるで、今すぐ此処から飛び立ってしまいそうな。

 

「………」

「……舞?」

 私は、不思議そうな目でこちらを見る厚志に「そなたは何を見ている」と問いかける。

 ――きつく厚志の腕をつかんで。指が白くなるほどきつくつかんで。

「……そなたは」

 ――――何処に行く気だ。

 私はその問いを何故か呑みこんで、じっと厚志を睨む。

 厚志はいつものように微笑って。

「空、だよ? ……空が青いなあって、ただそれだけ」

「……」

 それでも目を逸らさない私の手の甲に、厚志はそっと掌を重ねた。

「……舞は、優しいね」

「――――何を、言う」

 茶化しているのか。

 私は重ねられた掌を気にしながらも、更にきつく厚志を睨む。だが厚志はそれをさらりと受け流すように、淡い、寂しそうな微笑を浮かべ。

「でも、舞。……だめだよ。あまり、優しくなりすぎちゃ」

 意味が分からない。……よく、分からないことを言う。

「知ってる? 舞。……優しすぎる人は、皆に愛されてしまうから」

 厚志は更にそう続け―――不意に私の身体を腕の中に引き寄せた。

「神サマにも愛されて。…早くに連れて行かれてしまう」

 違う。

 私はそう言おうとして、また厚志に遮られる。

「舞はね。優しいから、僕は時々不安になるよ。……だめだからね。―――神サマなんかに、舞はあげない」

 ――――違う。

 ――――それは、そなたの方だろう。

 私はそう言おうとして、結局黙る。

 何故かは分からない。

 気づかせたくなかったのかもしれない。

「私も……そなたを、神などという不確かなものに渡す気はない」

 だから、それだけを答え、厚志の身体を抱きしめる腕に力をこめた。

「――――渡すものか」

 強く。

 強く断言して。

 ……誰よりも優しい、私のカダヤを抱きしめる。

「………うん」

 静かな声。

 見上げると、厚志は私をまっすぐに見つめて、透明な微笑みを浮かべている。

 ――――皆は気づいているのだろうか。

 ……時折、厚志の透明すぎる笑顔の向こうに。

 

 白い、ハネが。

 ………神のいとし子である証が。

 見える、ときがある。

 

 ――――気のせいだ。

 ――――疲れているのだ。-

 私はそのたびに、極めて芝村的ではない言い訳を、自分自身に向けて放つ。

「――厚志」

 今も、その言い訳でざわめく心をしずめながら、私は囁く。

「……………死ぬな」

 

 ――――“神”などに、そなたを渡しはしないから。

 

◇      ◇      ◇      ◇

 

 そなたのハネに気づくたびに。

 私はどうしようもなく不安になるのだ。

 ――――それは消えることのない、永遠のものかもしれない。

 ならば私はそのたびにそなたの腕をつかまえよう。

 ならば私はそのたびにそなたに訴えよう。

 

「――――死ぬな」

 

 私から、離れていくことなど、許さないと――――。

 

 

 この、どこまでも青い、空の下で。

 

END.






今見ると激しく恥ずかしい一品。
でもきっともうこういう話はかけないんだろうなと思う。