―――誰かに助けてほしいなんて。

 今まで、思いついたことすらなかった。



『冷たい熱』

「ドジ」
 ボッシュは何処までも冷ややかに、そう言ってのけた。
「……」
 そんな相棒の言葉をリュウは甘んじて受け止め、包帯の先っぽを軽くくわえる。
 そのままくるくると手際よく包帯を巻いていくリュウを、ベッドに足を投げ出しながら見やり、ボッシュは眉を寄せてまた呟いた。
「ドジ」
「…………」
 きゅ、と包帯に歯を立てて。
 リュウは反論一つせず、黙って手当てを続ける。

 ……さほど難しくなかった筈の任務。
 公社から逃げ出したディクを捕らえ、処分するというだけの。
 だが……最後の最後でリュウに生じた一瞬の隙を狙い、襲い掛かってきたディク。
 そいつがリュウの左肩にくっきりと残した傷。
 噛み付かれた瞬間、そのディクは既にリュウの剣に貫かれ、絶命していたのだけど。(そう。伊達に長いことレンジャーをやっているわけではないのだから)
 けれど、残された傷は深く。

「お前って、ホントいつまで経ってもドジだね」

 こうして、相棒にまた、冷笑される有様となったのだ。
「……」
 リュウは黙りこくったまま、きゅ、と包帯を留める。
 ボッシュの言い方は実に癪に触るが、事実なのだから仕方ない。
(確かにおれがドジを踏んだんだから)
 だから仕方ない、とリュウは我慢した。
 相棒の冷たい言い草にも、ことあるごとに「ローディー」と嘲笑われることにも。
 ……もう、すっかり慣れてしまっていたから。
「それで終わり?」
 床に広げていた応急セットを片付けるリュウを、ボッシュは目を細めて眺めた。
「…終わりだよ。おれ、報告書出してこなくちゃいけないし」
 その眼差しは相変わらず皮肉げに細められていて、リュウは背筋がひやりとするのを感じる。

 ――役立たずのローディー。
 そう言われて、嘲笑われるだけならば。……まだいいのだ。

「そ。んじゃ、俺、配給の時間まで一眠りしてるから」
 ベッドにごろりところがり、リュウを追い払うようなぞんざいな仕草で、ボッシュはひらひらと手を振ってみせる。
「…うん。……行ってくるね」
 リュウは曖昧な表情でそれに頷き、のろのろと部屋を出て行った。
(……笑われるだけなら、まだいい)
 背中でぱたんとドアを閉めて、リュウはそっと目線を下に落とす。
 腰に佩いた剣を握って抜き身を晒せば、ひどく落ち着かない表情をした自分が映る。
(――――役立たずの、ローディーのカオが)
 がちん!
 リュウはきつく眉を寄せ、剣を鞘に納めた。
 困惑と羞恥と。……隠し切れない怯え。そんな我が身への憐憫。
 そんな複雑な感情が交じり合って、リュウの肩の傷を余計に疼かせる。
 
『役立たずの相棒なんて、いらないよ?』

 冷たいボッシュの声が、リュウの最も恐れる言葉を紡ぐ。
 冷たいボッシュの目が、リュウの肩を呆れたように見やる。

 ……リュウは冷たくなっていく肩口を掴み、そっと目を閉じた。
 報告書を片手でぐしゃりと握りつぶす。
(…まるでいらなくなった玩具を捨てるみたいに)
 リュウはそのまま、そっと微笑んだ。
(きっと、彼はカンタンにおれを切り捨てることができるんだろう)
 自分を哀れむような、自分を嫌悪するような、複雑な表情で。
 たかが傷一つ。…されど、傷一つ。
 薄い氷の上を歩いていくような気分で、リュウはゆっくりと一歩を踏み出した。
 ボッシュの態度一つ、言葉一つで。……これほど混乱し、怯えている自分が。
(何か……物凄く滑稽かも)
 ちょっとだけ、笑えた。


*     *     *     *      *

 ……報告は滞りなく済んだ。
 これで今日の任務もようやく終了、とリュウはボッシュの分の食事も持って、自室に向かう。
 長く使っていた大部屋から二人だけの相部屋に変わって、そろそろ二週間が経とうとしている。
 二人部屋になったこともあってか、その頃から機密性の高い任務が頻繁に下るようになった。
(つまり、この部屋も一種のステータスなんだろうな)
 リュウは両手が塞がったままドアの前に立ち、さてどうやって開けようかと首を傾げる。
(一人一人のスペースの狭さは、大部屋の頃と大して変わらないんだけど……)
 仕方ない、いったん皿を床に置こう、とリュウはドアの前でしゃがみ、床に食事を置いた。(中にいるはずのボッシュにドアを開けてもらうという選択肢は、既に削除されている)
 リュウはそのまま立ち上がり「ボッシュ? 入るよ」と軽くノックしてから、ドアノブを回す。そして、ドアを軽く開けてから、床に置いていた皿を持って中に入ろうとした。……しかし。
「……?」
 リュウは唐突に揺らいだ視界に目を瞬かせ、軽くたたらを踏んだ。
「……なにしてんの。お前」
 まだ怠惰にごろごろしていたらしいボッシュが、入り口で佇んでいる相棒を見やり、眉を寄せる。
「あ…、ううん。……なんでも、ない」
 リュウは何度か瞬きをして眩暈をごまかすと「はい、食事」とボッシュの分を差し出した。
「ふーん…」
 ボッシュはその様子にまた軽く眉を寄せたが……深くは追求せず、ぺたりと自分の寝台に座り込むリュウを盗み見る。
 ちょうどリュウが憂鬱そうに食事を見下ろし、軽く吐息したところだった。
 はあ、と漏らされた吐息が、奇妙に熱っぽい。
(……傷口から、菌でも入ったか?)
 妙に具合が悪そうなその様子にボッシュは目を細めたが、やはり何も言わなかった。
 別に「助けてくれ」と言われたわけでもなし。
 わざわざ自分から相棒の世話を焼くのは、いささか億劫だった。
(ま、こいつに『助けてくれ』なんて言わすのも、至難の技っつったらそうなんだろーけど)
 かたかた、と少しぎこちない動きで食事をとるリュウを横目に、ボッシュは肩をすくめた。
「めんどくさいヤツ」
「……」
 勿論、その呟きに、リュウがまた背筋をひやりとさせ。
 ……怯えたように、眼差しを泳がせたことなど。
 ボッシュ=1/64の知ったところではなかった。


*     *     *     *      *

 ―――誰かに助けてほしいなんて。
 今まで、思いついたことすらなかった。

 リュウは、どこまでも続く冷たい闇の中、縋るものを探して闇雲に走り回っている。
 今よりもずっと小さい体で、ぼろぼろと衣服ともつかない布切れを纏って。

(やだよ。さむいよ。くらいよ。こわいよ)

 途切れ途切れの悲鳴は、濃い闇に溶かされて消えた。
 助けを求めても、誰が来てくれるということはない。

(いやだよ…こわいよ……)

 何かにけつまづいて、ころんでしまった。
 肩口が、ひどく痛い。そして、熱い。
 
 ぎゅうと自分の体を抱えるようにしてうずくまれば、ほんの少しだけ、寒さと熱さをやり過ごせる気がした。
 そうする以外に、リュウは自分の体を癒す術を知らなかった。

 助けてくれる誰かなんていない。
 皆、自分のことで手一杯なのだから。

(全部自分でやらなくちゃいけない)

 それは、当たり前すぎるくらい当たり前のこと。

 ……闇の中に、ぼう、と金色の影が浮かんだ。

 その影にぎくりとして、リュウは更に体を小さくさせる。

(どうかいらないっていわないで。やくたたずっていわないで) 

 ここはようやく、縋りつくようにして見つけた居場所。
 自分から、ここを奪わないでと。

 肌の色が変わるくらい、きつくきつく爪を立てた。
 それでも、頭は相変わらずくらくらして、体がひどく熱い。
 傷が疼く。

(おれは、まだこわれていないのだから)

 だから、いらないなどといわないで。
 まだ、どうか。
 まだ、もう少しだけ。

(さむいよ……。……あつい…よ)

 リュウは疼き続ける肩口を抱きしめるようにしながら、ずっとずっと、闇の中。
 一人ぼっちで、うずくまっていた。


*     *     *     *      *

「…ッ……」
 深夜。
 ボッシュは、小さく漏らされた悲鳴じみた声に、うっすらと目を開けた。
 むくりと寝台に起き上がって、隣を眺めれば、案の定。
「……ホント、ローディーだよな。お前って」
 ベッドの中、小さく呻きながら胎児のように体を丸める相棒の姿。
 ボッシュは上掛けを剥ぎ取るようにして「おい、リュウ」と相棒の肩を揺さぶった。
「んっ……あ…はぁ…、あ…」
 がくがくと抵抗もなく体を揺さぶられ、リュウはうっすらと目を開けてボッシュを眺める。
「…何してんの、おまえ」
 眉を寄せて、怪我をしている筈の左肩をきつく掴むと、リュウは「ウァッ…!」と小さな悲鳴をあげてボッシュを苦しげに見上げた。
「……は、…あ…は…」
 そのまま言葉も忘れたように荒い呼吸を繰り返し、虚ろな瞬きを繰り返す。
 服を通して赤く滲む傷口に肩をすくめ、ボッシュは相棒の額に右手の甲を当てた。
「…熱いな」
 ち、と小さく舌打ちして呟く。
 リュウは答える言葉すら持たないらしく、ただただ荒い息をつくばかり。
 …多量に水蒸気を含んだ吐息を吐き出して、喘ぐように空気を求めている。
「おい。…おいって」
 ボッシュは仕方なく、再度リュウの体を揺さぶった。
「…ん…ハァッ……あ…」
 リュウはとろとろと熱く潤んだ目でボッシュを見上げ、なすがままになっている。
「……」
 ボッシュは面倒くさそうに眉を寄せて、リュウの細い体を軽く抱き起こし、片腕で背中を支えてやった。
「おら、起きろって」
「……ぁ…んッ……うん…」
 荒い吐息を吐き出しながらリュウはそれに応じ、ことんとボッシュの腕に無防備に体を預ける。
(……)
 その何気ない仕草に、ボッシュは「ん?」と片眉を上げた。
 ……彼の相棒は、これで意外と自立心が強くて。
 滅多なことでは他人に頼ろうとしない。勿論、相棒であるボッシュにも滅多に頼ろうとはしない。
 当然、こんな風に全体重を素直に預けることすら、数えられるほどにもないのだが。
「……ぁ…はあ…はぁ…」
 リュウは苦しげな息をつき、眼差しを虚ろに宙で彷徨わせる。
 そんな相棒を興味深げに見下ろし、ボッシュは「辛いのか?」と訊ねた。
 僅かに汗の滲んだ頬をそっと撫でると、ひく、と体が震える。
「……ん…んッ…」
 こく、と唾を飲み込むように喉を上下させ、リュウはぼやんとした目でボッシュを見上げた。
 そのまま、潤んだ目で瞬きを幾つも繰り返し……は、は、と荒く息をつきながら。
「…さむく……て、……あつい……の…」
 と、呟き、ボッシュの体に縋るように、ぎゅっと彼の襟元にしがみつく。
「……」
 その頼りない呟きに―――ボッシュは、それこそ彼にしては珍しく……しばしキョトンとして。
「……寒いのか」
 そんな、間の抜けた呟きを漏らした。
 リュウはその呟きにこくこく、と今度は先ほどよりもはっきりした仕草で頷き、頬に触れるボッシュの掌に安堵したように顔を擦り付ける。
「…きもち…、……いい」
 吐息交じりの独り言。
 ……そんな声が、ボッシュの指先にかかる。
 ―――ぞく。
 ボッシュはその感覚が、文字通り下半身に直結したことに口元を歪め(…今のは、ちょっとキた)と胸中で呟いた。
「……なに、おまえ。……誘ってんの?」
 勿論、ボッシュにだって分かっているのだけど。
 …これが、怪我による発熱のせいのうわごとで、リュウが本心からボッシュに頼ろうとしているわけではないということも。
 とっとと熱を下げさせるには、傷口を清潔にしてやって、包帯を取り替えてやって……そんな手当てをきちんとしてやればいいだけだということも分かっているのだけど。
「……ぼっ…しゅ…」
 きっと、ボッシュがいつものように冷たく笑っていることも、からかうように(けれど割と本気で)「誘ってるの」なんて言ってることも。
 ……半分程度も、理解できていないんだろうとも、分かっているのだけど。
 からかうように、熱い唇にキスを落とした。
 薄目を開けて、貪るように唇をまさぐれば、それだけでリュウは苦しげな甘い鼻息をもらす。
「くっ…ふぅ…んッ…」
 いやいやと僅かに身を捩る仕草すら見せない。
 まるで眠れる姫君を抱き起こすような態勢で、唇を貪られるがまま。
 ……なすがまま、ボッシュの腕に身を任せている。
「待ってな。…今、熱下げてやるからさ」
 ベッドに体を横たえて、アンダーシャツに手をかけても、相変わらずぽやんとした目でボッシュを見上げるだけ。
 苦しそうに、眉を寄せて、とろりと潤んだ目でこちらを見上げるばかりだ。
 その眼差しに、またぞくりと背筋が震えた。
(こういう目も。……そうだな。結構キライじゃないかもな)
 そんな風に胸中で独りごち、ぺろりと唇を舐めて、少しばかり乱暴な仕草でアンダーシャツを脱がせていく。
 ひやりとした外気の元、素肌を晒され、リュウは小さく吐息した。
 寒いのかそれとも気持ちがいいのか、相変わらず短く息を漏らしながら、ボッシュの腕に身を任せている。
 少し黄味の強い肌に、少しだけ乱れた包帯が巻きつけられて。
「血、出てるな」
 べっとりと滲んだ血液にすら刺激されるように、ボッシュは愉しげに包帯を引き剥がす。
「……アッ…ツ…」
 傷口を外気の元晒されて、リュウは僅かに悲鳴じみた声を漏らして、傷口を庇うように体を丸めた。
 その本能じみた仕草に笑って、ボッシュは発熱のせいでひどく熱いリュウの体に掌を伸ばす。
「や…やっ…だァ……ッ…! あつい……のぉッ…」
 そのままうなじに顔を埋めて強く吸えば、舌先の熱さにすら感じるのか小さく悲鳴を漏らした。
 けれどボッシュの掌の冷たさは心地よいらしく、彼の掌がリュウの肌を彷徨えば「ァアッ…」と常にないような素直な声を漏らして、素直に、しどけなく体を開く。
「今日は随分素直じゃん。…なあ、相棒?」
 からかい混じりに囁いて、傷口に程近い場所を甘く噛んでやれば、リュウはくすぐったげに体を捩りうっすらと眉を寄せる。
 そのまま、いつものように体重をかけてのしかかれば、リュウはうっすらと……とても幸せそうに、小さく笑った。
「…なに」
 その笑みが不可思議で、訝しげに眉を寄せて見せると。
「……ボッシュ……」
 とてもとても嬉しそうに手を伸ばし、ぎゅっとボッシュの頭を抱きしめるようにして、しがみついた。
 鉄くさい血の匂いと、リュウの匂い。
 そんなものが鼻腔をくすぐり、ボッシュは軽く口元を歪める。
「どしたの。おまえ?」
 くつくつ笑って、首筋に、鎖骨に、胸元に、からかうようなキスを落とした。
 熱のせいで体温の上がった肌に、ボッシュの体温の低い肌が触れることが心地いいのか。
 リュウは心地よさそうに吐息して、くすぐったそうに微笑む。
「…まだ、熱い?」 
 睦言めかして訊ねれば、相変わらず熱に潤んだ目でボッシュを見つめ、こく、と頷いた。
 そして、どこかしら不安げに、ぼんやりと眉を寄せる。
「……おれ……」
 ぎゅう、とまるで熱を分け与えようとするかのように。
 体を、ボッシュに擦り付けて。
「……」
 ぱくぱく、と口を開けては閉じる。
 それを間近に眺め、ボッシュは軽く笑った。
「なに」
 そのまま、低く囁いてやる。
 素面のときのリュウが聞いたならば、たちまち頬を赤らめてしまうような。
 ……そんな、とっておきの声で。
「――おまえは、俺に何をしてほしいの?」
 低く、訊ねてやる。
「……」
 リュウはその声に、そっと――不安げに、どこかしら泣きそうな顔つきで「ボッシュ…」と掠れた声で名前を呼ぶと。
 じわじわと。
 ……剥がされた包帯の下、滲み出しきた体液にも気づかず、小さく呟いた。
「…ひとりに、しない、で……」  
 ひどく幼い声音で。
 ……ぽつりと、そう呟いたのだ。
「―――…」
 ボッシュはその呟きに、す、と目を細める。
 リュウは、は、は、と短く息を漏らしながら、何も知らず、ボッシュに全てを預けきっている。
「……おまえってさ」
 それをボッシュは静かに見下ろしながら――…ぎっ、とベッドを大きく一つ、軋ませると。
 薄い唇から、とめどなく漏れる吐息を吸い取るように口付けをして。
 苦しそうに目を閉じて、自分にしがみつくリュウを、淡々と見下ろして。

「ホント、しょうがないローディー」

 誰にも聞こえない部屋の中。……ぽつんとそう呟いた。
 リュウはただただ熱にうかされた眼差しでボッシュを見つめ、熱い腕で冷たい肌に縋り付いていた。
 あついあついよ、と喘ぐように、ボッシュの体にしがみついていた。
 よすがを求めずにはいられない。……いとけない、幼子のように。


 ―――そのまま体をほどいて、深く深く貫けば。
 リュウは子どものように叫んで、涙をほろほろ零した。
 そのくせ、もっと深い悦楽を求めて、貪欲にボッシュに足を絡めて。
 そのアンバランスに惹かれるように、ボッシュは彼を貫いて、揺さぶって、抱きしめた。
 明けない夜の中。
 とろけるような熱を分け合うように、彼らは体を交し合った。


*     *     *     *      *

 ―――夜はいつまでも明けない。
 けれど、時間は黙々と過ぎていく。
 ヒトが定めた、有限の定めの中。
 今日もただひたすら歩いていくためだけに、時間は巡る。


「……いっ…た……」
 リュウはずきずき痛む体を抱え、ベッドの上で一回転がった。
 肩が痛い。背中が痛い。足が痛い。そして下半身がひたすら痛い。
(いや……何でも何もないんだけどさ…)
 そこでリュウはやや赤面して、ごろりと寝返りを打った先。……隣で端正な寝顔を見せて眠っている相棒を眺めやった。
 昨晩の。
 ……正確に言うならば、4時間ほど前の記憶は、ぼんやりとだが、リュウの中にもちゃんと残っている。
 怪我による発熱で朦朧とした自分が、冷たさを求めてボッシュにしがみつき、かつ彼の求めに浅ましく足を開いたということも。
 きちんと。記憶に残っている。
(……さいってー……だ。…おれも……ボッシュも……)
 リュウは自己嫌悪にぐらぐらしながら、眉を寄せ、ぎゅっと目を閉じる。
 熱にうかされながら、夢と現の間を彷徨って。
 ……誰にも頼ってはいけないのだと再認識するような、そんな夢を見て。
 ……そして、現では、相棒である筈のボッシュに――熱を出している状態だというのに、いつものように犯されて。
(ボッシュも……ボッシュだよ……! なんでこんなときも……こういうこと……しなくちゃいけないんだよ……)

『……なに、おまえ。……誘ってんの?』

 その耳元に、からかうような昨夜のボッシュの声音が蘇る。
(……さ、さそってない!! さそってないい!!)
 ただ自分は熱にうかされていて、ただそれだけだったというのに……!
 リュウは赤面したり青くなったり憤ったりしながら、またベッドの上で身じろいだ。
「……ッ…」
 その拍子に、剥き出しにされた肩口の傷が、また疼く。
(……)
 ああ、手当てしなくちゃ、と思って、リュウは眉を寄せる。
 熱は(何故か)下がっているようだが、いくらなんでも生晒し状態では傷は治らないだろう。
 リュウは小さく嘆息して、気だるい体をどうにか起こそうと試みた。……だが。
「……ん」
 その物音に反応したのか。…横で、ボッシュが気づいたらしく、小さく呻いて身じろぎをする。
「……ッ」
 リュウは慌てて……反射的に目を閉じて、寝たふりをした。
 特に意味があるというわけではない。あくまでも、反射行動だ。
「……」
 低血圧のクセに、ボッシュは一度目が覚めると起き上がるのは早い。…切り替えが早いとでも言おうか。
 狸寝入りをするリュウの横でむくりと半身を起こしたボッシュは、ふと隣に目を移したようだ。
(……起こされる。……ていうより、バレバレかもしれないけど……!)
 リュウはそのまま、反射的に身構えてしまう。
 俺よりも後に起きるとはいい根性してるよオマエ、と悪魔のような笑みを浮かべてボッシュが告げるセリフすら想像がついてしまった。
 今来るか、次来るか、さあ来るか、とリュウは体をかたくして……何故かまだ、狸寝入りを続けてしまう。
 今更急に目を開けるのも不自然だし、というよりは、引っ込みがつかなくなったというのが本音だろう。
「……」
 ――しかし。
 予想に反して、隣で半身を起こしたらしいボッシュからは、いつもの冷ややかかつ攻撃的な言葉のスキンシップが降りてこなかった。
 彼はそのまま黙ってベッドから降りて、身支度を始めてしまったようだ。
(……?)
 リュウは内心首を傾げたが、だからといってこの狸寝入りに引っ込みがつくというわけでは相変わらずなく。
 ひくひく震える瞼を懸命に押さえ、眠るフリを続行する。
 ―――そのままで、10分ほどが経過しただろうか。
 ボッシュはまた唐突に……リュウのベッドに、ぎし、と足をかけたらしい。
 そのままベッドに乗りかかって、リュウの寝顔を見下ろしているようだ。……じりじりと、視線を感じる。
 彼はそのまま……引きつった顔で狸寝入りを続ける相棒を抱き起こし、無造作に……リュウの傷口に、触れた。
「ッ……!!」
 その痛みに、リュウはびくっと体を震わせ、慌てて目を開ける。
「……バレバレだっての」
 そんなリュウに、ボッシュは片頬を歪め、からかうように笑ってみせた。
 そして、憮然としていいのかどうしていいのか分からない、そんな微妙な表情でいるリュウをベッドの上に座らせて。
「動くなよ」
「……う、…うん……?」
 片手に包帯。片手に応急セットを抱え、てきぱきと手当てを始めた。
「……。……あの。……ボッシュ……?」 
(ボッシュが。おれの。てあて。……してる……?)
 リュウが信じがたい事態に脳内ショートを起こしていることも知らず、ボッシュは黙々と消毒液を脱脂綿に含ませ、傷口を綺麗に拭う。
「ッ…」
 その痛みに、リュウが小さく体を捩らせる。
「おまえさ」
 ボッシュの口火の切り方は、いつも唐突だ。
 その唐突さに、リュウはつい口を噤んで。
 ……ボッシュの細くて長い指が、包帯をしゅるしゅると扱っていくのを、眺める。
「包帯巻くの、へたくそ」
「……」
 しゅるしゅる、とボッシュの指が、案外器用な仕草で包帯を巻いていく。
「……そうかな」
 リュウが小さくそう呟く言葉も聞かず、ボッシュは淡々と言葉を続けた。
「傷口の消毒もいいかげんだし、包帯の巻き方も下手だし。だから熱なんか出したりするんだよ。鈍くさい奴」
「……」
 リュウは憮然と押し黙った。
 ―――いくらなんでもそこまで言われる筋合いはないと思うのだが。
「はい、オシマイ」
 ボッシュは綺麗に包帯を巻き終えると、ベッドから降りて、小馬鹿にしたような笑みを、肩越し、リュウに向けて。
「俺ってさあ、おまえの何だっけ?」
 からかうように、言葉を投げつけた。
「……え。……あの……ボッシュ……?」
 リュウは戸惑って目を瞬かせる。
「相棒」
 ボッシュはそんなリュウに肩をすくめ、目を細め、苦笑した。

「……怪我の手当てくらい、頼めばやってやるよ」

 ひどくあっさりとした、てらいのない口調で告げられた。その言葉。
 ……リュウは大きく目を見張り、そっと、躊躇いがちに傷口に巻かれた包帯をなぞった。


 ……誰かに助けてほしいなんて、今まで、思いついたことすらなかった。
 ……もしもこのまま壊れてしまったら、きっと、躊躇いもなく投げ捨てられるのだろうと思った。

 ――――それが全て間違いだったというわけではないのだろうけれども。
 ――――だからと言って、唐突に世界の全てが優しくなるというわけではないのだけれども。


 リュウはもう一度、包帯をそっと指先でなぞった。
「…なんだよ。そもそも、ボッシュが勝手に引き剥がしたんじゃないか…?」
 小さく呟いて、ふと笑う自分の声が、どこかくすぐったくて。

「まだ熱があるのかも」

 とっとと部屋を出て行ってしまった相棒に聞こえぬように、リュウは小さく囁いて苦笑する。
 肌にかかる、甘い熱。
 じわりと広がる疼きと――冷たい指先が包み込んだ、傷口のことを考えながら。

END.











そろそろ私の知ってるエリートとローディーになってきました。
半端に優しいエリートと、素直になれないローディーが最近の好みです。(どうでもいい)


モドル