『きみはうたうだろう』



 鳥が飛び立っていくのが見えた。

 太一はそれをぼんやりと見上げ、佇む。
 彼の眼差しを受けていることを知ってか知らずか、小鳥はちょうどよさそうな枝を見つけてとどまった。
 そのままそこで身づくろいし、何事もなかったように飛び去っていく。
 残された枝は僅かに揺れ、枯葉を幾枚か、地面に落とした。

 そんなものなのだろう、と太一は思う。

 たとえば、あの小鳥と枝と。
 小鳥は至極無頓着に身を休め、また飛び立っていく。
 枝はそれを当たり前に受け止め、飛び立つその反動に揺れて葉を落とす。
 きっとそれは、世の中の幾つもの事象にたとえられることなのだろう。
 それでいて、なにひとつ重ならないことなのかもしれない。
 枝が葉を落とし、また花をつけることは自然の摂理でしかない。
 鳥は空を飛ぶ術しか持たず、ひと時の安らぎを枝の上でしか知らない。
 立場を変えれば、そこにはいくつもの姿が浮かび上がる。結局のところ、誰かにとっての真実が全てにおける真実であることはありえないのだ。

 それは勿論そうなのだろうと太一は思う。

 見つめる彼の眼差しが、小鳥と枝を見つめて何を思っていたかは、誰も知る由はない。
 小鳥を誰かにたとえたのか、それとも誰かを枝にたとえたのか。あるいはただ、鳥が飛び立つのを見て、枯葉が落ちるのを見て、ただそれだけだと思っただけなのか。
 それは太一以外には知りえることではないし、彼がそれを誰かに完全に伝えられることもありえないのだろう。

 太一はやがて、歩みを再開した。
 はらりと頭上に落ちてきた枯葉をつかまえ、またひらりと後ろに落とす。
 枯葉が落ちたことなど小鳥は知らないし、枝が揺れていることも知らない。
 小鳥は枝が軋んで、折れたときに初めてその事態に気づくのだろうし、枝はそのぎりぎりになるまで何一つ警戒心を抱かせることはないのだろう。
 だから小鳥は安心して枝に乗り、高らかにうたうのだ。
 今日も、明日も、そして明後日も。
 そうやって、うたうのだろう。

 くしゃりと、太一の足元でまた違う枯葉が潰れて音を立てた。
 それでも彼は何一つ感慨を覚えることなく、空高く飛んでうたう小鳥も見ることはしないのだ。









2003/12/26 表日記にて
かなり分かりづらい小話。ひとは、自分の痛みも、誰かの痛みも本当に理解することはないのかもしれないという話。