――『チョコをキミと』――

 

「あ」

 太一はふと呟いた。

 がさがさがさとスポーツバックの中で紙袋が擦れる音が聞こえる。

「……」

 彼はふと空を見上げた。

 本日快晴。

 少し空気は冷たいが、この季節なら過ごしやすい空気だろう。

 少なくとも、太一は寒さに割と無頓着な性質なので、特に寒さのことは気にしていなかった。

 

 ただ、そういえば。

 

 寒いでしょう、と苦笑してマフラーをかけてくれる奴が。

 

 寒くない、と笑ったら、僕が寒いんですと肩をすくめて、ぐるぐるとマフラーを巻いてくれる奴が。

 

 ―――そういえばいたななんて、わざとどうでもいいことみたいに心のなかで呟いて。

 

「……しょーがねーな」

 太一はふっと息をついて、進行方向を変える。

 ふとついた息が白く、ぼんやり丸い形を作った。

 ―――…そういえば冬が始まったばかりの頃は、息が白く形になるのが楽しくて。

 幾度も幾度も宙に息を吐いて、ウキウキしたっけ。

 ―――…そういえばそれがあまりにも楽しかったから。

 早速買ったばかりの携帯をいじって、あいつに電話したっけ。

 

『そんなことで電話をしてきたんですか』

 

 電話の向こうで、軽い溜め息。

 何だよ悪かったななんて思わず憮然としそうになったら。

 

『今どこですか? どうせまた薄着なんでしょう。待っててください、今行きますから』

 

 なんてまるで保護者みたいな偉そうな調子で続けてきたっけ?

 

 太一は思い出してクスクス笑った。

 

 踵をくるりと返して。

 そりゃあ今日はセールでも何でもしてんだろうなとか考えつつ、近くのコンビニに行こうと思って。

 太一はふと、ポケットの中でカサカサ擦れる紙の音に気づいた。

「ん?」

 ……なんだろうと。

 軽くポケットに手を入れて。

 ああ、と太一はちょっと笑った。

 指先に触れる、固い感触。でもそれはほんの少しだけ柔らかい。いや、柔らかくなってきているというべきか。

 それでもいいやと太一は一人頷いて、通行の邪魔にならぬよう道の端に寄ると、携帯を別のポケットから取り出してすっかり手慣れた操作を繰り返す。

 なんてことはない。

 発信履歴を探れば、どうせすぐに出てくる、あいつの番号。

 

 るるる、るるる、るるる。

 

 何となく電話がつながるまで音と一緒に呟いてみたり。

 

『はい。…どうしました、太一さん?』

 

 ぴったり3回コールの後。

 律儀に電話に出た彼に口元だけで苦笑して。

「なあ、今出てこれる?」なんて、単刀直入に話しかけた。

『ええ、平気ですよ。…今、どこですか?』

「学校の近くのミニストップの前。そっこー来い。すぐ来い。5分で来なきゃ、罰金」

『は? 滅茶苦茶言わないでくださいよ』

 言いながら、でも支度をしてる音が伝わってきて太一は笑う。

 

「――あのさあ、チロルでもいい?」

 

 しかも何日か前の。

 がさごそと支度をする音。

 そこに紛れるみたいに、試しに突然言ってみた。

 一瞬の沈黙。

『……太一さん…。何で貴方はそう…いつでも貴方らしいんですか?』

 その後に返ってきた、なんだか溜め息混じりの失礼な返事。

「なんだよ。いーじゃん? 気を遣わないカンケイって感じで」

『使うべきときは使ってください』

「うそ。今日って使うときだったっけ?」

 わざととぼけて言ってみると、彼は拗ねたように『愛が感じられません』なんて呟く。

「……じゃあさ」

 太一はちょっと宙を見つめて言葉を切り出し。

 その言葉が、白いかたまりになるのを見守って、に、と口元だけで笑った。

「現在午後6時13分。…おーけい?」

『…は? だから、一体…』

 戸惑う声なんかお構いなしで。

「ダッシュで、3分以内に来い」

 反論なんか、聞く耳もたぬ。

『はい!? ちょっ…太一さん!?』

「―――そしたら」

 わざと声なんてひそめてみたり。

 そしたら、条件反射で人間って耳をすませてしまうモノ。

 予想通り、彼はすぐに黙った。

 だから、太一は声をひそめたまま、少し悪戯っぽく続ける。

 

「そしたらチョコを口移しでやるよ。……愛がたっぷり感じられて、いいだろ?」

 

 あらあら、我ながらなんて大胆な。

 太一は自分に呆れてちょっと笑って。

 …黙ってしまった彼に、ん? と思わず沈黙。

 

『……学校の近くのミニストップの前ですね?』

 

 そしてしばしの後に返ってきた彼のお返事に「そうだよ」と良好なお返事を返してみたり。

 

 ―――あいつの背後でガチャリと響いたその音は。

 ―――もしかして、もしかしなくても、あいつの家のドアが閉まった音かな?

 

『待っててください』

 

 彼は最後にそう告げて、ガチャリプツリと電話を切った。

 

 つー、つー、つー。

 

 思わずまたその音を呟いて、クスクス笑いながら終話ボタンを押した。

 

 太一はそのまま携帯をしまって、ポケットから取り出したチロルチョコを軽く指先で転がす。

「イチゴ味だ」

 呟いて、にこ、と笑う。

 俺もあいつもスキな味。

 

 だったら平気かななんて意味深に呟いてみて。

 

「残り2分と24秒」

 

 さあ、すぐにリミットだよ。

 つかまえたきゃ、走ってきな?

 

 ――――欲しいなら、自分で取りに来いよ。

 時間きっかり待ってやるから。

 約束しっかり守ってやるから。

 ――――欲しいなら、走って来いよ。

 絶対やるから。

 絶対待ってるから。

 

 これってワガママ? これってゴーマン?

 

 でもさ、と太一は胸中で反論した。

 

 チョコくれるかな、どうかな、なんて待ってるなよ。

 欲しいなら欲しいって言えよ。

 でも言えないんだろ?

 俺が話題振んなきゃ、スマシタ顔で一日終わらせて、ずーっとなんだかしこり残してしばらく苛々するんだろ?

 

 太一は昨年を思い出して溜め息をつくと、ぱかんと携帯を開いて、また閉じる。

 

 催促できないんなら、それはしょうがない。許してやる。(お前にだって、微妙な男のプライドがあるんだろうし?)

 でも、だからって俺だけが一方的に渡すのは不公平だよな?(でも、この時期は男がチョコなんて買いにくいよな)

 だからさあ。(これって俺の妥協案なんだよ?)

 

「残り1分46秒」

 

 走ってこい走ってこい走ってこい。

 

 息を切らして、俺の手を取って、あいつの手を取って。

 一緒に帰って、キスをして。

 

 一つのチョコを二人で仲良く味わって。

 

 そういや明日は部活も休み。

 のんぴりゆっくり、話でもしようかって。

 そう言ったら、生殺しですよなんてお前は渋いカオすんのかな。

 

 チロルチョコを指先でころころ転がして。

 太一はまたくすっと笑った。

 

 鞄の中にはがさがさ音をたてる、一昨日買ったご立派なチョコ。

 あいつ喜ぶかなと思って買ったんだけど、買ってみたら俺も食いたくなっちゃって。

 だからホントはちゃんと用意してたんだけど。

 何で俺だけがあいつにやんなきゃいけないのって思ったら理不尽に悔しくなって。

 

「チロルでごまかされてくれるかな」

 

 冗談ぽく呟いて、ちょっとのびをした。

 

 さあ、残り1分きりました。

 

 もうすぐ来る? 来ない?

 

 早く早く早く来て、一緒にチョコを食べよう。

 ―――せっかくだから、このご立派なチョコも開けてさ?

 

 今日はそういやバレンタイン。

 

 恋した二人が、甘いチョコを楽しむ日だろ?

 

 

(ワガママ? ゴーマン? 俺って意地悪?)

 

 太一は胸中で呟いて、ふう、と息を吐く。

 

 

(それでも…スキなんだけどな)

 

 

 なあ。―――そう言ったら、許してくれる?

 

 道の向こう。曲がり角のトコ。

 

 ばたばた滅茶苦茶なフォームで走ってくる、愛しい愛しい、あいつの姿。

 

 みとめて、太一はちょっと笑って、ふざけたみたいに投げキッス。

 その仕種だけで、明らかに表情が変わったことにまた笑う。

 

「マジじゃなきゃこんなことしねーんだからさ」

 

 こっそり呟く独り言。……聞かせてなんか、やるもんか。

 

 

 恋したあいつが駆けてくる前に、チロルを口の中に放り込んで。

 

 ホワイトデイはヨロシクなんて、笑ってみようか。

 

 

 ――――俺も大概意地っ張りで、見栄っ張りだな。

 

 

 太一は心中で呟いて。

 

 ―――溶けかけた甘酸っぱいチョコを、舌の上でころがした。

 

 

 ……タイムリミットは、あと30秒。

 

――END.





先輩に見られて悶絶したことが強烈に印象に残ってます。
助けて。