『夢花、恋花、君の花』




(―――…白い白い雪の中)

 ざくざくと、重々しい、ゆったりとした足音を響かせて。
 
(……まるで、何かを探しているみたいに)

 ざくざくざく、ざく、ざくざくと、行ったり来たり。

(手が真っ赤じゃないですか。……あれじゃあ寒いよ。冷たいよ)

 ……ゆっくりと吐き出された溜め息は、白く染まって空中に消える。

(何を探してるんですか) 

 真っ白な大地の中、空気の中、……彼の人はぽつり佇んでいる。

(…何を、探してるんですか?)

 ―――決して触れることの出来ない不可侵の場所に一人佇む頼忠を見つめて、花梨はきつく眉を寄せた。

(何を探してるんですか? ……そんなに寒そうなのに。…そんなに辛そうなのに……)
(……それでも探さなくちゃならないものなんですか? そこまでして、探さなくちゃいけないものなんですか?)

 その問いかけに、応えはない。

(―――何故ならば?)

 ……………しゃららんと。
 ……歌うように、奏でられる鈴の音。

(分かってるんです。……これは夢なんですね?)

 花梨はそっと目を伏せて囁く。…その声は、依然として……雪の中を歩き続けている頼忠には届かない。
 ―――苦しげに眉を寄せて、何かを懸命に探している……頼忠の元には。

(……これは、夢なんですよね?) 

 伸ばした掌は届かない。
 …それでも花梨はそっと手を伸ばした。
 彼の人に届かないと知っていながら……そっと。

 そっと―――、手を伸ばして。

◆      ◆      ◆      ◆

「………」
 ……花梨は、虚しく宙に手を伸ばした状態のまま、ぱちりと目を開けた。
 ぴちちち、と外からは小鳥の声。
 きらきらと射し込んでくる光は、きっと雪明りだろう。
 朝の日差しを浴びてきらりきらりと反射する、美しい雪の光。
「……むう」
 花梨は低くうなって……むくっと身を起こした。
 ぴちち。ぴちちちちと、外からは相変わらず鳥の声。
(冬でも鳥っているんだよねえ、元気だよねえ)
 ぼんやりと頭のすみっこでそんなことを考えながら、花梨はうーんっと大きくのびをした。
「……夢。……だよね?」
 そして、ぽつんと今更のように呟いてみる。
 ……まだ頭の中に引っかかったままの、不可思議な夢。
「…………頼忠さんが……、雪の中、ざくざくって歩いてて……」
 ぶつぶつ呟きながら、すっくと起き上がって、花梨はのたのた着替えをすませていく。
「ぎゅうって、眉間にしわよせて。……寒そうで……何かを探してて……」
 制服のスカートに、ハイネックのシャツ。その上から水干の上衣をすっぽり被って。
「……ううん、でも夢だもん! そうだよ、夢なんだから!」
 きゅっと襟元の紐をちょうちょ結びでくくって出来上がり―――…と同時に、花梨はぶんぶん首を振って、握りこぶしをつくった。
 そうやって頭に引っかかった夢を追い払おうとするかのように、彼女はしばしじたばたして……よしっと頷いて気合をいれる。
「大晦日までもう少しっ!  今日もさくさく五行の力を強めていかないとっ!」 
 ……その勇ましい気合の声が、部屋の外にまで響いてしまったのか。
「…神子様? お目覚めですか?」
 部屋の外から、控えめな星の一族の姫の声がかかった。
「えっ、あ、う、うん! おはよう紫姫っ!」
 花梨はその声にやや顔を赤らめ(ついでに我に返り)紫が控えている間まで歩いていく。
「おはようございます、神子様。本日はいつもよりも少しゆっくりしたお目覚めでしたが…何か、夢見でも悪うございましたか?」
 紫は明るい花梨の声に微笑んでから、少し気遣わしげに言葉を続けた。
「えっ。……ん、うーんと……」
 その鋭い問いかけに、花梨は軽く眉を寄せて……ぺたっと紫姫の前に座り込む。
「……うーん……少し、…夢見が悪かったっていうか……」
「…やはり何かあったのですか…!?」
 その返答に、紫はさっと顔色を変えて花梨を見つめる。花梨は「いや、そんな大げさなことじゃないんだよ?」とぱたぱた手を振ってみせてから、困ったように眉を寄せたまま、今朝の奇妙な夢について話した。
 ―――どこかしら緩慢な感覚と、霞がかったような視界のこと。
 ―――…雪の中で、頼忠が何かを探しているかのように黙々と歩いていたこと。
 けれど、彼に手を伸ばそうとしたこと、またその掌が決して彼の元まで届かなかったことについては、花梨は口にしなかった。

 ……何とはなく、気恥ずかしいような。
 ……何だかいけないことのような、そんな気がしたので。

「……確かに、少々引っかかる夢ですわね…」
 紫は花梨の話を聞き終えてから、幼い眉を気遣わしげに寄せて呟いた。
「うーん…。ただの夢かもしれないんだけどね」
 紫の反応に、花梨は余計な心配事を増やしてしまっただろうかと内心慌てる。
 実際、この夢を見たことで何か穢れを受けたとか……気分が悪いとか、そんなことがあったわけではない。
 ただ、頼忠の夢を見て。
 ……その夢の内容が少し気になるものだったので、話してみただけなのだ。
「…。うん……やっぱりただの夢じゃないかな?」
 ……花梨は少し考えてから、紫に明るい笑顔を見せた。
「……そうでしょうか?」
「うん、きっとそうだよ! だって、頼忠さん昨日も普通に来てたじゃない? ……そうだ。どうせなら今日一緒に来てもらって、少し聞いてみればいいんだよ。何か変わったことないですかーとか、何だか変な夢をみたので注意してみてくださいとか」
 そんなことを唐突に言われたら、あの源氏の武士もさぞかし戸惑うことだろう。
 紫はその光景を想像して、内心でそっと微笑む。
(…大丈夫、みたいですわね)
 先ほど部屋の中から奇妙な(気合の)声が聞こえてきたときには驚いたが、……彼女の信じる龍神の神子は、今日も何ら変わらず屈託がないようだ。
 紫はそのことに少しばかり安心してから、気を取り直して「でしたら、神子様。本日は青龍のお二方と御同行されては如何でしょう?」と花梨に提案した。
「青龍の二人?」
 花梨はその言葉に、きょとっと首を傾げる。紫はそんな神子ににっこり笑った。
「実は、つい先ほど勝真殿がいらっしゃいましたの。よろしければ神子様と御同行したいということでしたので、今お待ちいただいているんですの」
「あ、そっかー。なるほど……」
 その答えに、花梨はこくこくと頷いて納得し……はたと動きを止める。
「えっ……じゃあ……、えっと……勝真さん、ずっと待ってるってこと?」
 そうして動きを止めたまま、少しばかり汗を流して問いかける花梨に、紫は相変わらずにこやかな笑顔で応じた。
「ええ。神子様がまだお休み中ですと申しましたら、待たせてほしいと仰いましたので…。……それがどうかなさいましたか?」
「……えーっと……」

 眠っている時間、たす。

 …着替えている時間、たす。

 ……夢の話を、紫姫にしている時間……たす?

(……いこーる、……何十分?)
 花梨は……汗を一筋流して……少しだけ、遠い目をしてから。
「じゃ、じゃあとりあえず行ってくるね、紫姫っ! …頼忠さんもきっと来てる筈だから、声かけて行くよっ」 
 すっくと立ち上がって、ばたばたばたばたっと案内も待たずに駆け出してしまった。
「まあ、神子様…! そのようにお急ぎにならなくても!」
 紫はそんな神子に声をかけたが、花梨の姿はあっという間に見えなくなってしまう。
「……何をそんなに慌てていらっしゃるのでしょう?」
 神子様が一番。
 神子様の八葉だったら、多少の間お待ちするのも当然。
 そう考えて疑うことのない(確かにそれもまた一つの事実なのだが)紫は、大慌てで走っていってしまった花梨を見つめて心配そうに溜め息をつくのだった。


「お、お……お待たせしましたっ…! 勝真さんッ……!」
 紫姫の館を全力疾走して数分。
 …花梨は大きく肩で息をつきながら、館の門前で待っていたらしい勝真を見上げた。
「……あ、ああ。…いや、そんなに待ってないんだが……」
 青息吐息でろくに喋れない状態の花梨に、勝真は逆に困惑した様子で頭をかく。
「…そんなに急いで来たのか? 別に、もう少しゆっくりしてても良かったのに」
 お前も連日の緊張で疲れているんだろうから、と言外にこめて勝真は苦笑したが、花梨は「いえ、平気ですっ!」と、全力疾走したせいですっかり上気してしまった顔を上げて首を振る。
「…それに、疲れてるって言うんだったら皆一緒ですよ。京の穢れは相変わらずあちこちに残ってるし……それを清めてもらうのだって、怨霊を封印するのだって、いつも私一人でやってるわけじゃないですもん。……私ばっかり疲れたとか辛いとかなんて、恥ずかしくって言えないですよ」
 ようやく息も整ってきたのか、花梨はそのまま大きく息をついて伸びをする。
 うーんっと小柄な身体を精一杯伸ばす花梨に勝真は微笑み……どこか眩しげに目を細めた。
「…お前は、そういうことを本当に当たり前みたいに言うんだな」
 それから独りごちるようにして呟かれた言葉も、どこか優しい響きがこめられていて。
「……? 当たり前じゃないんですか?」
 花梨は不思議そうに勝真を見上げ、首を傾げた。
 勝真はそんな花梨に小さく笑う。
「…いや? 当たり前だよ。……少なくとも、お前にとって当たり前だったら俺にとっても当たり前だ」
 そのままぽん、と軽く神子の頭をたたいてから、彼は「さて」と改めて花梨に訊ねかけた。
「それで? 今日はどうするんだ花梨。他にも誰か連れて行くのか?」
「あ、はい。えっと……」
 花梨は勝真の言葉にこくんと頷いて「あと、頼忠さんに声をかけようと思ってたんです」と応じる。
 その言葉に、勝真は「ああ…そうか、言い忘れてたな」と頬を軽くかいた。
「え? どうかしたんですか?」
 そんな勝真の反応にまた首を傾げ、花梨はきょとんとした。
「いや……、実は頼忠は今日来られないらしくてな」
 可愛らしく小首を傾げる花梨の動作を少しばかり困ったように見下ろしながら、勝真は早朝に突然伝言を頼んできた源氏の武士の言葉を思い出す。
「お前には悪いが、どうしてもしなくてはならないことがあるんだとさ。だから本日はまことに申し訳ないが、同行できないと。…確かそんな風に言ってたな」
 …勝真が言った、その言葉に。
 すとんと。
 …花梨の顔から、表情が落っこちてしまう音が聞こえた。
 ――目は大きく見開かれて。
 口はぱかっと半開き。
 今、何て言ったんですかというような呆然とした顔に、勝真は眉を寄せた。
「…何か、今日はどうしてもあいつじゃなきゃいけないような用事があったのか?」
 勝真は眉を寄せたまま、彼の大事な神子に確認する。
 もしも花梨が一言「そうなんです」とでも言おうものなら、すぐにでも頼忠を引っ張ってきてしまいそうな。
 ……そんな感じの目つきで。
「…い、いえっ! いいんですなんでもないんですっ!」
 なので、花梨は慌てて首を振った。
 色々気になること……例えば。
 頼忠さんの大事な用事って何だろうとか、それって今朝の夢と関係あるのかなとか、そんなに大事なのかな私よりも大事なのかなとか…というのはあったのだけれども。
(……?)
 そこでまた、花梨は思考の後半に混じった事柄に一瞬眉を寄せる。
(私よりも大事なのかなとか……? ……って何?)
「――花梨?」 
 …しかし、動きを止めた花梨を不審に思った勝真の声で、はたっと我に返った。
「いいんです! 何でもないんです! ……うん、なんでもないんです…!」
 そしてこくこくと自分に言い聞かせるように頷いてから、よしっと勝真を見上げて。
「今日はこのまま二人で回っちゃいましょう勝真さん! 大丈夫です! 私、頑張りますからっ!」
 非常に気合の入ったことを言いながら、またうんうんと無駄に頷いた。
「……んじゃ、行くか?」
「はいっ!」
 勝真は……色々と思ったこととか、言いたかったこととかをとりあえず飲み込んだ。
 それは例えば……いつも明るい花梨の声が、今日はどこかしらやけくそめいているような気がするなとか。
 それは頼忠が来ないということを告げてからのような気がするなとか。
 ……概ね、そういった類のものだったのだが。
(―――やっぱり、源氏の野郎は嫌いだな)
 勝真は、ばたばたと勢い余り気味に駆け出していく花梨を追いかけるように早足になりながら、心中にて吐き捨てた。
 …花梨が泣きそうになるかもしれないから、絶対に口に出すまいと思いつつ。

◆      ◆      ◆      ◆

 ……ざくざくと、踏み出した足がまた雪の中に沈んだ。
「…ちっ」
 頼忠は低く舌打ちして、履物の中にまで入ってしまったらしい雪の冷たさに眉を寄せる。
 昨夜、深々と降り続いていた雪は既に止んでいたが、さすがにこの辺りの山ともなるとまだ深く降り積もっているようだ。
 軽く空を見上げてみると、木々の間から見える雲の間……まるで入れ子細工のような光景の中心に、更に雲に覆われた、柔らかい日差しが感じられた。
 直に目を射すほど強いわけでもなく、…全く感じられないほど弱いわけでもない。
(まるで神子殿のようだ)
 彼はふっと笑みを浮かべ、雲の彼方に浮かぶ日差しと――今日もこの都の何処かで懸命に努力している筈の少女の姿を思い起こす。
 そして……今更のように自身の浅ましさを思い知り、深く息をついた。
 ふわりと光る、美しい花。
 ……冷たい雪の中、そっと明かりを灯したかのように、柔らかく映る美しい花。
 ―――迂闊に触れたら、いっぺんに散ってしまいそうな……可憐な花。
(だから、決して私はあの方に触れてはならないのだ)
 …たとえ、あの方自身がそれを許してくれたのだとしても。
(……きっと、触れたら散ってしまうだろうから)
 …たとえ、……それすらもあの方が許してくれたのだとしても。
 だからせめて。
 ――…浅ましい願いとは知りつつも、こうやって歩かずにはいられなくて。
 ―――…あの暖かい花のような人が自分のいない場所で懸命に尽力しているというのに、己がことしか考えられぬ自分が、あまりにも醜く、浅ましく思えても。……そう知りつつも、こうせずにはいられなくて。
「……神子殿…」
 彼はぐっと拳を握り締め、目を伏せる。
 陽は既に高く―――冬の日はあっという間に暮れていく。
(時間がない) 
 …頼忠はそう、胸中で呟き、また森の奥深くに入り込んでいった。
 絶対に探さなくてはならない……あるものを求めて。

◆      ◆      ◆      ◆

「めぐれ天の声、響け地の声…ッ! 彼のものを、封ぜよ!」
 五行の印と光と風とが、神子の声に応じてぐるぐると螺旋を描いていく。
(タイミングはばっちり、勝真さんのキメてくれた神鳴縛もばっちり!)
 花梨の指先が一つの世界を描き、ゆっくりとその世界の中へ怨霊が封印されていく。…その、さすがに手馴れた工程の中で……、ほんの一瞬……僅かだが、彼女の指先に迷いが生まれた。
(ばっちり…? そうばっちりなのはいいことだけど……あれ? ……でも、うん……えっと…?)
 それは、ごく一瞬の迷い。
 だが、その迷いは彼女の指先が描いた世界に、明らかな瑕を残した。
「…きゃあっ!?」
 ぅごうっ!
 ……描き出していた光の螺旋がたちどころに破られ、力の過負荷が風となって周囲に走る。
「…ッ! 何やってんだ、花梨っ!」
 手馴れていた筈の神子のありえない失敗に、勝真が反射的に怒鳴った。
「ご、ごめんなさいっ!」
 花梨も慌てて謝り、また小世界を描き直そうと指先を閃かせる。しかし勝真はそれをあえて遮り、花梨に声をかけた。
「…もういいっ! この戦闘での封印は諦めろ! …一気に祓うぞ!」
「はい、分かりましたっ…!」
 その決然とした声に描きかけていた印を解き、花梨は勝真が手にしている青龍の札に呼応する力を紡ぎ始める。
「東天を守りし聖獣、青龍よ…! 破魔の楔を打ちこめッ!!」
 勝真の凛とした声音が、怨霊の邪気の只中に響き渡った。
 その声の強さに背中を押されるようにして、花梨は力を解放する。
 ……そして、勝真の放った矢に光がまとわり、一気に怨霊の元まで駆け抜け―――…。
「…ふうっ…」
 ……怨霊は祓われ、一時のこととはいえ……その地には平和が訪れた。
「………ごめんなさい、勝真さん……」
 技を連続して放ったせいか、さすがに勝真も大きく肩で息をついて近くの木にもたれかかる。
 花梨はその横に慌てて駆け寄り、青ざめた顔を俯かせた。
「…いや……気にするな。……俺こそ怒鳴っちまって悪かったな」
 しかし勝真は言葉どおりさして気にした様子は見せず、顔を青ざめさせたままの花梨の頬に手を伸ばしかけ…ふっと途中でその手を留める。
「ただ…次からは気をつけろよ。封印の最中に気を散らすなんてお前らしくない。……何か、全然関係ないことでも考えていんだろう?」
 まるで彼女に触れるまいとしたかのようなそんな仕草に、俯いたままの花梨は気づいた様子はなく……きゅっと唇を噛んだ。
「……はい。……ごめんなさい……」
 その、ひどくか細い呟きに、勝真はやりきれないといった様子で肩をすくめる。
「言いたくないのならそれでもかまわないけどな……。迷いを抱えたまま、…件の怨霊との最終戦を迎える気じゃ、まさかないだろう?」
「……迷いとか……、その…、物凄く大層なことじゃないんです。…ただ、ちょっと気を散らしちゃって……!」
「それが大きいんじゃないのか、花梨。…お前だって分かってるはずだろう?」
 ―――五行の力。
 自然の中に満ちるその力を扱う神子である限り、彼女はちょっと≠ナも気を散らすことを許されない。
 その力を誤って使った場合の代償は……恐らく五行の力が強まれば強まるほど、恐ろしい結果をもたらすだろうから。
「んっと……、…ううん、でも大丈夫ですよ! きっと次はうまくいきますから!」
 だが、花梨は勝真の懸念の声も聞かず、のほほんと笑っている。……いや、のほほんと笑っているように見せている。
「……じゃ、次行くぞ」
 勝真は、彼女に告げようとした言葉を飲み込んで先に立った。
 花梨が小走りにぱたぱたとついてくる足音が聞こえる。
(こいつの集中力が途切れた理由…?)
 その足音を聞きながら、勝真は胸の奥深くで大きな溜め息をつく。
 ……姿を現さない源氏の武士に、ひどく驚いた様子を見せた花梨の様子。
 目を大きく見開いて、呆然としていた花梨の様子。
(――あれを見れば、どんだけ鈍いヤツでも想像はつくって寸法か。……全く、世の中ってヤツはうまく出来ていやかるぜ)
 そこまでつらつらと考えてから、勝真は今度こそ声に出して大きく嘆息した。
「あの……勝真さん…?」
 その嘆息に、花梨は顕著に反応し、肩をすくめたようだ。振り返らなくても分かるそれに、勝真は深い罪悪感と自己嫌悪を覚える。
「……次は嵐山に向かうぞ」
 まるでそれを払拭するかのように、彼は少し語調を強めて花梨に声をかけた。
「え? でも、火の気よりも水の気を強めるために蚕の社に行くんじゃ……」
「力の具現化も必要だろ。……さ、早く来いよ。置いてくぞ」
 戸惑う花梨の言葉にも耳を貸さず、勝真はそのまま足を速める。
「ま、待ってくださいよ勝真さんっ!」
 その後ろへ慌ててついてくる花梨の気配に、落ち着かなくなるような気恥ずかしさと一抹の虚しさを感じつつ……とりあえず、勝真は彼女が追いつける程度には速度を緩めた。
 ――頃合としては、ちょうど太陽が頂点に昇ったくらい。
(さて。……あの頑固者に丁度よく会えたらいいんだがな)
 ……そんな彼の心中の呟きも知らず、花梨は四苦八苦しながら小走りに勝真の後に続くのだった。 


(――何を、探しているんですか?)

 …問いかけたかった声は届かない。
(だってあれは夢だもの)
 花梨はさくさくと雪を踏んで歩きながら、軽く嘆息する。その息はたちまち白い塊となって、彼女の顔を通り過ぎていった。
 ……山のふもとまでたどり着いた二人は、何となく口もきかないまま黙々と歩いていた。
 勝真は先ほどの戦闘がまだひっかかっているのか、嵐山に行くと言ったきり一言も口をきかないし、花梨も花梨で心に引っかかることが多すぎて口を開けない。
(あんなに……頼忠さんが必死になって探すものってなんだろう?)
 さくさくさくという花梨の軽い足音と、勝真のざくざくいう重い足音。
 その音をぼんやり聞きながら、花梨は今朝方の夢と……頼忠の休んだ理由に思いを馳せる。
(……それに、今日休んだ――どうしても外せない用事って何? ……法事とか?)
 高校生じゃあるまいし、と花梨は軽く首を振った。
(……。……大切な用事。……私のことにも気づかないで、一生懸命探していた大切なもの……)
 花梨はそっと眉を寄せた。…少しだけ泣きそうに、また、少しだけ悔しそうに。

(八葉にとっての龍神の神子より……頼忠さんにとっての高倉花梨より………、それは大事なものなんですか?)

 誰にも、絶対に聞けない問いかけ。
 ……だってこれはとても醜い質問だから。

「花梨」
(……恥ずかしいな。……それに、ずるいよ。……汚いよ、こんなの…)
「…花梨?」
(勝真さんや、……頼忠さんたちが私に協力してくれているのは、私が龍神の神子だから。あの人たちが八葉だから)
「……おい、花梨?」
(八葉と神子でも譲れないものはあるし、…それ以上に大切なものだってあっておかしくないよね。……だから、頼忠さんは今日休んだんだし)
「――花梨」
(でも私はそれが嫌なのかな? ……うん、嫌なんだ。……私が一番でいてほしいんだ。……ずるい。……ひどいよ、こんなの!)
「………」
(……だって、私は……私にとっての頼忠さんは―――?)

「…花梨ッ!!!」

 ばちん!

「わあっ!」
 ……花梨は(彼女にとって)突然響いた勝真の怒鳴り声と、ばちんっと彼が大きく手を打ち鳴らした音に仰天して物思いから覚めた。
「な、なに? 何ですかっ!? 私何かしましたかっ!」
 そして少し涙目になりつつ勝真を見上げて、ひたすらわたわたしている。
「………何かしたも何も…」
 勝真はそんな彼女に眉を寄せて、花梨の額をぴすっと一回弾いた。
「いたっ!」
「……お前が果てしなくぼけーっとして、俺が何度呼んでも返事をしなかったもんだから」
 言いながら、ぴすっともう一回。
「やっ!」
「俺としちゃあ、思わず大声で怒鳴らずにはいられなかったわけで。……な?」
 勝真は眉を寄せて淡々と語りながら、もう一回花梨の額を軽く弾いた。
「いたーっ! ……も、もう! もういいじゃないですかー! ごめんなさい、ぼーっとしててごめんなさいーっ!」
 花梨は、額が痛いやら申し訳ないやらで大混乱しながら勝真から離れる。
「あ、こらちょっと待て!」
「…えっ? ……あ、きゃっ!」
 しかし、その拍子に足元の雪が凍っていた所を踏んでしまったらしく、花梨はそのままずるっとバランスを崩した。
 転ぶ!! …と思ってぎゅっと目を閉じた花梨だが、間一髪、勝真がぎゅっと彼女の手首を転ぶ瞬間にとらえ、逆の方の手で腰をつかまえて彼女を抱き起こす。
「……大丈夫か?」
 まるで子供みたいに軽々と抱き起こされてしまった花梨に、勝真は眉を寄せたまま訊ねる。
「あ、はい……平気です。ありがとうございます……」
 花梨はバツの悪そうな顔で、勝真に詫びた。
「……いや。怪我がないならいい」
 勝真はそっと……とても優しい仕草で花梨の手首から手を離すと、くるっと背を向けた。
 ……彼の眼差しは、ここまで登ってきた階段のふもとへ。……彼の背中は山に向かって佇む花梨に向けられている。
(…え?)
 花梨は、きょとんとそんな勝真を見つめた。
「……頼忠の奴が」
 そんな彼女に向けて、勝真はおもむろに口を開いた。
「…頼忠の奴が、今いるのは……恐らくこの山だ」
「――えっ!?」
 花梨はその言葉の内容に驚いて、ばっと山の方に向き直る。……勝真に、背中を向けて。
「……。……気になってたんだろう? 頼忠のことを」
 彼はそんな彼女に、なるだけ優しく響くような言葉を選ぶ。
「行ってこいよ。……多分、あいつはこの階段を登って少しした所にいるから」
「……あの、……どうして知ってるんですか?」
 そんな彼に、花梨は声を戸惑わせながら問いかけた。
(どちらに対して言っているのだろう)
 勝真は、その疑問にそっと笑う。
(頼忠がどうしてこの山にいるのかについてか……それともお前が頼忠を気にしていたことについてか?)
 その笑みは、どこか寂しげで―――自嘲を含んでいた。
「さあな。……同じ青龍だからじゃないか? 何とはなしに……分かるんだよ」
 彼はあえて、前者の方にしか答えなかった。
「……あの」
 花梨が何か言いたげに言いよどむ。
 勝真はそれ以上何も言わずに、ただじっと背を向けたままそこに立っている。
「俺はここで待っている。……お前だけ、行ってこい」
「……」
 …やがて、花梨は小さく「はい」と答えると、たっと身を翻して階段を登っていった。
 勝真はその背中を、背を向けたまま見守り……ふう、と大きく息を吐き出した。
「………このまま、さらっちまっても良かったんだけどな」
 呟いた言葉も、真意も、花梨の元へは届かない。
 彼はそれを確かに知りながら、また溜め息をついた。
(今日は全く溜め息ばかりだな……)
 そんなことを、脈絡もなく考えながら。

◆      ◆      ◆      ◆

 ……さくさくさくさくさく。
 花梨は、まるで兎のように身軽な動きで雪の中を走っていた。
(頼忠さん!)
 貴方はどこにいるんですか、と心の中で叫びながら。
 ……その胸の奥、思い返されるのは―――先日、北山に身を清めると言って向かった頼忠の姿。

 ―――自分は穢れているのです。
 ―――この傷こそが穢れの証なのです。

 ……心のかけらが彼にもたらした、傷の記憶。
 それによって、彼は我が身が穢れていたことを思い起こし……一人、北山の水で、禊をしようとしていた。
 ――今朝の夢の中でも、一人雪の中を歩いていた彼。
 あれも、また何か穢れを祓う行為だというのだろうか?
 貴方に触れさせるわけにはいきません、この傷は穢れなのですと、思いつめた声で語っていた頼忠の声を思い出す。
(穢れなんかじゃないよ。平気だよ。……平気だよ、頼忠さんだもの!)
 花梨は回想の中の頼忠にそう訴えて、また足を速める。
 ……いつも生真面目で、どこか思いつめているようにも見える頼忠。
(貴方の穢れだったら、平気なんです)
 花梨は、あのとき言えなかった言葉を胸のうちで呟く。
 ……いつも確かに、真っ直ぐに、自分のことを守ってくれる頼忠。
「頼忠さん!」
 花梨は覚えず、彼の名を叫んだ。
 ぎゅうっと水干の端を握り締めて、きつくきつく、眉を寄せて。
「……」
 ………それに答える声は、帰ってこない。
 花梨は、階段を登りきって……また山の中を駆け始める。
 どうして走らなくてはいけないのか。……それも、よく分からないまま、彼女は衝動のままに走る。
「……頼忠さん! どこにいるんですか!!」
 会って、言いたいことがあるのかどうかも分からない。
 ……聞きたいことを、聞けるのかすらも分からない。
 それでも、彼女は走って、彼の名前を呼んだ。
「よりたださん……!」
 冷たい空気に喉を痛めそうになりながら、声高に名前を呼んだ。
 ……もしも、この悲痛な響きを勝真が聞いていたら、花梨が何と言おうと彼は彼女を連れ戻そうとしたことだろう。
 それくらい、……泣き出しそうで、切ないような声だった。
「…………」
 花梨はぐったりと雪の中で足を止め……周囲に響く自分の声に、眉を寄せる。
 ―――頼忠は、何処にいるのだろうか。
 ……この声が、届かないほどの位置なのだろうか?
 彼女はぎゅっと拳を握り締めて、また名前を叫ぼうと息を吸い込んだ。
「よりたださ……」
 ―――だが。
「…ッ! 神子殿!?」
 がさがさどさっ、と音を立てて……木々の奥から、頼忠がようやく姿を現してくれたので。
 彼女は、叫びかけていた喉をぎゅっと閉じて、安心したように微笑んだ。
「……頼忠さん!」
 そして、そのままたたたっと小走りに彼の元まで走りよる。
 頼忠はそんな神子の姿に、どうすればいいのか戸惑ったような顔つきで佇んだままだ。
「神子殿……一体どうなさったのですか。…本日は、他の八葉と共に、五行の力を解放している筈では?」
「……はい」
 花梨は、彼に少し厳しい声で訊ねられ、はたと足を止めて俯く。
「だけど……その、……頼忠さんが、今日一体どんな用事だったのか……気になっちゃって」
「……私の?」
 その距離は、花梨の足でおおよそ三歩くらい。
 頼忠は、俯いてしまった花梨の旋毛を見つめながら、思わず口を噤む。
「私のことを……気にかけていてくださったのですか?」
 彼はそのまま、恐る恐るといった様子で呟く。
 花梨は「はい」と頷きかけて――彼の手が、真っ赤になっているのを発見した。
「……! ……気にかけるに決まってるじゃないですか! 頼忠さんがこんなに手を真っ赤にしてるんだもの! 一人ぼっちで、何か探してるんだもの!」
 彼女は、その気持ちが赴くままに声を荒らげ、三歩の距離を瞬く間に縮めて彼の手をとる。
「! み、神子殿!?」
「黙っててください! ……こんなに冷たくなっちゃって…」
 彼女は眉をつりあげて呟き、頼忠の掌を両手でつかまえて、はあっと息を吹きかけた。
「……!」
「…まだ冷たい」
 花梨は小さく呟いて、また息を吹きかける。
 頼忠はそんな神子の行為に真っ赤に顔を染めると「な、なりません神子殿! 貴方の御手が冷えてしまいます!」と彼女の手の中から自分の掌を抜き出そうとする。
 しかし、花梨はそれをきっぱりと拒んで、ぎゅうっと握った手に力をこめた。
「駄目です! これじゃあ霜焼けになっちゃうじゃないですか!? ちょっとおとなしくしていてください!」
「……!」
 頼忠は少女のぴしゃっとした声に、思わず動きを止めてしまう。……殆ど反射的な行動だ。
「手、こんなに冷たくなるまで。……何してたんですか?」
 花梨は、また彼の手に息を吹きかけながら、ぽつんと訊ねた。
「……何を、探してたんですか?」
「…………」
 花梨のなすがままになりながら、頼忠は僅かに眉を寄せる。
「……何をと……申しましょうか」
 彼はそのまま、少しばかり困ったように苦笑した。
「神子殿には、全てお見通しなのですね。……何故、私がここで、何かを探しているとお分かりだったのか?」
「……」
 花梨はきゅっと、冷たい掌を握った手に力をこめる。
「……夢で見たんです。……頼忠さんが、雪の中、何かを探しているところ。……ここを教えてくれたのは勝真さんです」
「…勝真が?」
 頼忠は驚いたように言った。
「……頼忠さん。聞いてもいいですか?」
 そんな彼に、花梨は手を握ったまま決然と面を上げる。
「何なりと、神子殿」
 彼女の言葉に、頼忠は軽く目を伏せるようにして応じた。
「私に答えられることでしたら、全てお答えいたしましょう」
 花梨は、その答えにぎゅっと眉を寄せる。
「……それは、私が神子だからですか? ……そして、貴方が八葉だから……そう言うんですか?」
 掌が、僅かに震えた。
「……! そのようなことは……決して! 私は、貴方が貴方だからこそ、身命を賭してでもお守りしたいと思うのです!」
 思わず声を荒らげた頼忠を、花梨はじっと……静かに見つめる。
 眉を寄せて……少し、泣きそうな顔で―――、じっと見つめる。
「じゃあ教えてください。……何を探してたんですか……どうして今日は休んだんですか? ……私よりも……私よりもその用事とか、探していた何かの方が大事なんですか――?」
 睫毛が、僅かに震えた。
「!! ……そのようなことがある筈は! ……私に、貴方以外に……貴方以上に大事なものがあろう筈ございません……!」
 頼忠の眼差しが、苦悩と後悔に歪む。
(誤解させてしまった……、私の浅はかで浅ましい行動が、この方の心を傷つけてしまった!)
 そう考えるだけで、彼の心のうちに強い後悔と自責の念が押し寄せてくる。
「……」
 花梨は、頼忠の様子にはっと身を強張らせて、顔を俯かせた。
「……ごめんなさい。……私こそ……勝手なことばかり言って……!」
 唇が、僅かに震えた。
「……私、ずるいんです。……醜いんです。ひどいんです! ……こう言えば、頼忠さんがこうやって否定してくれることを知ってて…! 知ってて言ったんです! 頼忠さんに否定してほしくて。……私が一番だって、言わせたくて!」
 肩が震えた。
 足が震えた。
 身体が震えた。

 ……心が、震えた。

 ―――頼忠は、そのまま物も言わずに花梨の身体をきつく抱き寄せた。
 そして、まだ何かを言おうとする花梨の唇を、己がそれで封じる。
「ンッ……ん…!」 
 そのまま、彼は激情のままに彼女の唇を貪った。
 細い身体が、彼の腕の中で震える。
 それを宥めるようにして肩を強く抱き、腰をとらえ、頼忠は花梨の唇を奪い続けた。
 ひやりと冷えて、少しかさかさしていた唇は、すぐに温まって潤む。
 それがひどく喜ばしくて……罪深い。
 そう知りながら、頼忠は彼女を抱きしめて、唇を塞いでいた。
 ……そう知りながら、花梨は頼忠にしがみついて、抵抗もしないままでいた。

◇      ◇      ◇      ◇

「――貴方は、……いずれ、あの天に戻られる方です」
 
 手をつないだまま、二人はゆっくりと歩いていた。
 ……陽は既に西の方に沈みかけており、朱色の輝きが周囲を染め上げている。
「……」
 花梨は頼忠の声に答えず、少し俯きがちに階段に足をかけた。……その頬を、夕日が容赦なく赤く染め上げる。
「そのお心に……たとえどんなに浅ましくとも……、どのような形だとしても……私は、残りたかった。私というちっぽけな存在を……貴方に忘れてほしくはなかった」
 言いながら、握った掌に力をこめる。
 ……そして、花梨もぎゅっと握り返す。
「…そんなとき、ふと昔聞いた話を思い出しました」
 一歩一歩、階段に足をかけて、二人はゆっくりと下っていく。
「雪山の、奥深く。美しく、可憐な花があるという話を。……まるで、冷たい雪を暖かく溶かして咲くように、柔らかい光を放って咲く花があると」
 夕日の輝きは、頼忠の頬も公平に照らしだした。
 赤く、…深く。
 ……熱い色に、染めていく。
「まるで、貴方のようだと思いました。……貴方のような、暖かく美しい花だと思いました」
「……」
 花梨は、そんなことないですと呟くように目を伏せた。
 ……私は、そんなに綺麗な花じゃないですと。
 けれど頼忠は、いいえ貴方は綺麗な花なのです、貴方がそれを知らなくても私はそれを知っているのですと、彼女を見やる。……花梨は、戸惑ったように彼を見上げる。
「その花を貴方にお見せすれば……貴方に捧げることが出来れば、たとえ思い出の片隅であろうとも、貴方の心に残ることができるのではないか……、私は愚かにもそう考え、今朝から嵐山を訪れていたのです」
 途中会った勝真に、今日は神子と同行できないと伝えてほしいと告げて。
「……私が浅はかでした。……このような行動で……貴方の心を傷つけてしまった。……愚かの、極みです……」
 赤い光輝が、きらりと遠くで何かに反射した。その眩しさに花梨は一瞬目を細め、また一歩足を進める。
「そんなことないです。……私が、馬鹿だったんです。勝手に勘違いして……頼忠さんのところまで、来ちゃって……」
 彼女はそっと微笑んだ。
 そして、するっと頼忠の掌から自分の手を抜き出すと、少し小走りに彼の前に立って階段を下り始める。
「あ、……神子殿!」
 頼忠もその後を追うようにして、少し足を速めた。花梨はその前を、踊るような足取りでぴょんぴょんと下っていく。
「あっ、…おーい、勝真さーん!!」
 輝かしい夕陽に包まれるようにして、彼女は大きく手を振った。
 一際眩しい西陽に、頼忠は眉を寄せて目を細める。
「よう、花梨。……それと、頼忠」
「……今朝は、すまなかった」
「ただいまです、勝真さんっ」 
 少しぎこちないやり取りをする青龍たちの真ん中で、花梨は屈託なげに笑った。
 そして、不意に―――ふと、大人びた笑みを浮かべて、頼忠を真っ直ぐに見つめる。

「花なんか、いりません」

 優しげな口調で、きっぱりと、そう告げた。
「……花梨?」
「…………さよう、ですか…」
 勝真は訝しげな表情になり、頼忠は顔を俯かせて僅かに自嘲の笑みを浮かべる。
 花梨はそんな頼忠に、困ったような笑顔を向けた。
「……あのね、頼忠さん。……そういう意味じゃないんですよ? 花を探してくれた気持ちは嬉しいし、そんな綺麗な花だったら私も見たいなって思うます。……でもね、さっきの理由で花をあげますって言うんだったら……私はいりませんって思うんです」
 勝真は訝しげながらも諦めたように肩をすくめ、花梨は戸惑ったような顔をした頼忠の前でにっこり笑った。
「忘れません。忘れるなんて選択肢、最初っからありません。……何一つ、忘れません」
「しかし神子殿……」
「……信用できないんですか?」
「…いや、その、そういうわけでは……」
「……」
 花梨はくるっと二人に背を向けて、唐突に「ファーストキス」と言い放つ。
「ふぁーすと……きす?」
「……? 神子殿、…それは一体……」
 不思議そうな天地の青龍たち。
 そんな彼らに、神子は厳かな託宣を与えた。

「頼忠さんが、さっき私からもってっちゃったモノです」

「………?」
「――…!!!!!!!」
 効果覿面。
 この託宣は、天の青龍に凄まじい効果をもたらした。……頼忠の顔が、見る見る赤く染まっていく。
 花梨はそれを知ってか知らずか……、夕陽を背中に背負ったまま、くるっと振り返った。
「あんなもの持ってかれたら、絶対に忘れないですよ?」
 微笑んだ口元は、相変わらず屈託がないようで……少しだけ、照れているようにも見えた。
「責任、とってくださいね」
 彼女はそのまま小首を傾げて……ふふっと小さく笑う。
「責任……、……絶対に忘れない……?」
 勝真がどこか剣呑な表情でぶつぶつと呟く横で、頼忠は「せ、責任ッ!? ど、どのような責を負えばよろしいのですかっ!?」とこれまた青ざめたり赤くなったりと忙しい。
 赤く赤く美しく。
 ……夕陽が最後のきらめきを放ちながら、京の端まで沈んでいく。
「それは、最終決戦までお預けです!」
 花梨は軽やかな笑い声をあげて、一番に階段を下っていってしまう。
「あ、お待ちください、神子殿っ!」
「おい、源氏の…! 花梨に一体何しやがったのか、後で吐いてもらうぜ……!」
 その後を追うように、天地の青龍たちも続いて小走りに階段を下っていく。

(夢の花なんて、いりません)

 花梨はぱたぱたと軽やかに階段を下りながら、心の中で言葉を紡ぐ。

(夢みたいに綺麗で、夢みたいに暖かくて……、でもそんな花、夢でしかないじゃないですか?)

 とんっと、最後の一段を下りきってから、彼女は下ってくる大切な人たちを待ち構えた。

(触れないでしょう? 話せないでしょう? 夢でしかない花は、いつか覚めたら消えてしまうんだもの)

 もう少し。もう少し。
 ……彼らが下ってきたら、その身体にしっかりとしがみつこう。
 そして、思いつめてばかりの源氏の武士殿に教えてあげよう。

(私は、……夢の花なんかじゃありませんよ?)

 その口元には、ふわりとした―――けれどしっかりと芯の通った笑みが浮かべられていた。

 ―――彼女が夢の花≠ナ終わらない、その理由を。
 頼忠が本当の意味で、知ることになるのは。

「えーい、たっくるですー!!」
「……ッ!! み、神子殿!! そのようにしがみつかれては……!」
「ば、馬鹿っ! 転ぶだろうが! ひっつくな!」

 この京から、確かに怨霊の陰を祓いきる。
 ……その、尊くも切ない最後≠フ日のことになるのだった。






我が友人、川村様への誕生祝いに。
基本的に誕生祝いの品はUPしない方式なのですが、滅多に書かない遙か創作なので。
初めて遙かでラブシーンらしきものを書いてしまいました……!!!
べっくらです。

……しかし、うっかり勝真さんに気合を入れすぎてしまったせいで、少し頼忠さんの出番が……ゲフゲフ。
誰がメインか分かりませんな、これでは。

ちなみにリク内容は「天地の青龍(どちらか)×花梨で、余った青龍(どちらか)は花梨に片思い」というモノでした。
……いや、こんなにひどい言い方はされてないですけどね。(ひどいのは風成です)(……余りって……)