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第2日 昆河線運休でがっかり
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2.1. 広州から昆明へ

 朝食はおかゆ、豆乳、小さい肉まんという標準的な中国の朝ご飯。昨夜よりだいぶましである。結局予定より二日遅れて早朝7時45分、昆明ゆきの中国南方航空CZ3409便に乗り込んだ。
 広州白雲空港は、中国南部発展の拠点都市広州の玄関口としてはいささか小さな飛行場である。滑走路のすぐ脇にまでアパートがたちならぶ市街地にあり、滑走路も実質1本である。ターミナルも小さく、人と飛行機があふれかっている。しかも、機体に直結するターミナルのブリッジがほとんどなく、乗降はバス連絡が主であるので、時間がかかる。
 南方航空のB737は、スモッグのたちこめる広州をあとに一路山岳地帯へ向かう。雲間から見える地上は、湖の多い湿地帯からやがて赤土の荒れた山地へとかわる。ところどころに集落があり、エアストリップ(空港施設のない滑走路)もあるが、道路や鉄道はほとんどみえない。機内ではパンケーキの朝食が提供された。質素だが味は申し分ない。
 1時間強のフライトの後、雲をつっきって高度を下げる。雲の下はもう市街地の端で、鉄道の操車場の上空をこえて昆明空港に着陸する。ここは広州白雲空港と同じくらいの規模であるが、より国境に近いせいかシートをかぶせられた旧型の小型戦闘機数機も駐機している。
 昆明空港は基本的にブリッジで乗降できるのだが、ターミナルが広州白雲空港より大きく、出口までかなり歩かされる。ここは地元雲南航空の拠点でもあり、南方航空機はやや外れのブリッジに着けられるようだ。
 外へ出ると、広州ほど蒸し暑くはないがけっこう気温は高く感じる。タクシーで市内へ向かうが、ややほこりっぽく、比較的乾燥していることが町並みの雰囲気からも感じられる。空港は市街地に近く、すぐ町中となる。 

2.2. 雲南大学招待所に宿をとる

 繁華街をつっきって、街の反対側にある雲南大学の招待所へ向かう。最初タクシーを降りたところは招待所といっても料金が高く、おかしいと思って聞くとここは大学の「ホテル」で、筋向かいに招待所があった。後から気がついたのだが、招待所自体も2軒並んで立っている。我々が宿をとったのは正式には「雲南大学国際学術教育交流センター」である。
 招待所はたしか料金80元でさすがにやすあがり。建物は新しくなく、エレベーターも動いていないが部屋はごく最近改装したばかりで新しく清潔。バスルームもきれい。おそらく短期留学生の宿舎にもなるようで、勉強机やタンスもある。窓からは、裏通りのアパートが見える。アパートも古いが、広いベランダに植木を育てているなどそれほど裕福ではないがこぎれいに住んでいる様子で、雰囲気がとてもよい。

2.3. 昆明市内バスに乗る

 休息後、バスで昆明北駅へ向かう。少し旧型のバスはフロントエンジンのエンジンカバーが車内に突き出しているタイプで、よくゆれる。均一運賃1元を料金箱へ投入すると、乗客が各自おいてあるチケットの束から適当にちぎってもっていく仕組みだが、運転手はあまりきちんと確認していない。北京のトロリーバスのように車掌が乗っているわけでもないので、かなりおおざっぱである。約15分ほどで昆明北駅についた。

 昆明市内バスのチケット

2.4. 昆河線は運休中!

 雲南南部には、中国唯一のメーターゲージ鉄道ネットワークがある。中国国鉄は基本的に標準軌なのだが、ここ昆明北駅からベトナム国境の河口へむかう昆河線とその支線群は1m軌間である。これは、この鉄道の歴史に起因している。ベトナムが仏領インドシナであった時代、南から中国への進出をはかったフランスが、ベトナムのハノイ、さらにハイフォン港と雲南を直結するために建設したでん(さんずいに真)越鉄道がこの鉄道の原点である。1903年に建設が開始され、1910年に運行が始まったこの鉄道は、雲南で最初の鉄道でもあった。中国中心部と雲南省が鉄道で結ばれたのは確か戦後のはずである。雲南省図書館のサイトに建設当時の昆河線写真集がある。また、地元紙のサイトに「でん越鉄道百年祭」という充実した特集記事がある。いずれも簡体字中国語フォント必要。当然中国語だが、鉄道ファンならだいたい書いてあることの見当はつくだろう。
 現在でも、時刻表上はハノイー昆明間に週3回の直通旅客列車が設定されている。われわれは、この列車に乗ることを一つの目的としてここにやってきたのだが、実は出発前に得た情報では運行が中断しているというものであった。それが、国際列車だけが運休中なのか、昆河線全線が運休中なのかが不明であったので、せめてローカル列車だけにでも乗れないかという一縷の望みを抱いていた。でん越鉄道完成から100年、手堀りのトンネルも多数あり、深い谷を縫って走るメーターゲージの国際鉄道にぜひ乗ってみたかったのである。なお、「でん」とは雲南地方の旧称である。
 しかし、駅はまったく人気がなかった。たったひとつあいていた出札窓口も、昆明駅発のチケットを発売しているだけだという。駅の職員とおぼしき人に聞いても要領を得ず、結局定期列車はいっさい昆明北駅からは発車していないようであった。
 静まり返った駅の中は、各方面への時刻表・運賃表が掲示されたままで、ハノイ行きの国際列車も掲示されている。とても残念である。

2.5. 昆明北駅を探索

 ホームへの出入りはとがめられないようなので、ホームに出てみる。駅舎に隣接した一本のホームに、5,6本の側線があるそう大きくはない駅である。遠くに車庫があり、客車がとまっているが車庫の入り口には柵がしてある。業務用貨車を数台連結したDLがエンジンをかけたまま側線にとまっている。見るからに営業していない風である。たまたまいあわせた信号職員に事情を聞こうとするが、あまりになまりが強くて妻にもほとんどわからないという。
 ただ、線路はきれいに整備されており、運転関係の施設には職員もいる。事前に得ていた情報でも「廃止」というものはなく「休止」との情報であったので、いつかは再開されるのかもしれない。そのときには、また乗りに来ようと思う。
 駅前には旅館や旅行代理店が建ち並び、列車が運行していればにぎわっているのだろうが閑散としている。駅前に食堂らしきものもない。

2.6. ひるごはん

 後ろ髪を引かれる思いで駅を後にし、明日大理へ向かう列車のチケットを入手すべく昆明駅へむかう(後から考えれば、チケットは北駅でも売っていたのであった)。
 北駅から昆明駅への道は、街のメインストリート北京路をまっすぐいけばよいのだが、「昆明站(昆明駅)」という表示を出したバスに適当に乗ったら、ずいぶん大回りをするバスであった。どうやら外周線のようなものに乗ってしまったらしい。おなかもすいてきたので、なんとなく商店街らしいところのはずれで適当に降りる。後から確かめるとここは新聞路と西昌路の交差点であった。
 近くに食堂が何件かならんでいるうちの一軒、豊楽園に入る。注文の仕方がよくわからず、並んでいるものを適当に頼んでいたらずいぶんたくさん出て食べ残した。ただ、味は悪くない。やや濃い味付けだが、肉野菜の炒め煮にメレンゲを盛りつけたものなど工夫もされている。

2.7. 昆明駅、キップを買う闘い

 食べたら元気が出たのであらためて昆明駅へ向かう。駅は雑踏のなかにあった。どうやら改装工事中で、駅舎と切符売り場が別な建物なのがわかりにくい。しかも駅前広場にはタクシーや工事用車が乱雑に停まり、ぬかるみになっているので歩きにくい。
 ようやく切符売り場の入り口にたどり着く。殺気だった雰囲気が漂ってきて緊張する。こういうところはスリも多いし、うかうかしているとどんどん順番を抜かされる。建物のなかは暗く、天井が高くひんやりしているが、大声で話す人が多くにぎやかである。
 事前に調べていたところでは、昆明−大理間には通常一日一往復だけ夜行列車があり、今年から豪華寝台車が連結されているという。しかし、ようやくたどりついた窓口で聞くと、この列車は満席という。困っていると、明日朝に出発する列車の硬座車なら席があるというので、とにかくそれをおさえることにする。どうやら臨時列車があるようだ。一人36元。寝台列車の半分以下である。
 さすがに疲れて駅前の豪華ホテル錦華大酒店のロビーで休憩。コーヒーは高い(二杯25元!)割にまずいが、クーラーが効いているので助かる。

2.8. 高山病!?

 タクシーで招待所へ戻り、一風呂浴びようとするがお湯が出ない。フロントで聞くととにかく水を出し続けてくれというから流していると、20分以上流してようやくお湯が少し出た。しかしうっかり蛇口をしめてしまい、改めて開くとまた水しかでない。結局お湯をあきらめてタオルで拭くだけにする。
 先ほどから少し頭が痛い。妻もそうだという。一休みしてふとガイドブックをみると、昆明の標高は2000m近い。「こりゃ高山病だよ」。大都会なのでまったく意識せずさんざん歩き回ったが、確かに日本アルプスなみなら高山病にもなるだろう。

2.9. 夕食は名物米線

 少し休んだら楽になった。夕立もあがり、気がつくともう6時をすぎているので、ぶらぶら夕食に出る。表通りの一二一大街は、雲南大学、雲南師範大学、雲南民族大学などがある学生街らしく、大きなパソコンショップやDVD/CDショップもある。それらを冷やかしながら歩いていると、公衆トイレがあった。中国らしく若い夫婦がトイレ番をしているのだが、夫はインテリ風で本を読んでいる。妻は編み物をしている。トイレの前の小さな緑地には鶏がいて、おそらく夫婦が飼っているのだろう。その雰囲気がなにかとても愛らしい感じがした。大都会のまんなかに、まるで最近はやりの中国映画のような懐かしい雰囲気のスポットがぽつんとあるのだ。
 バスで動物園の手前まで行き、地元商店街の園西路を歩く。夕方とあってにぎわっているのは、日本の古い商店街と同じ雰囲気だ。とはいえ決して古びているわけではなく、インストアベーカリーのパン屋さんは、日本のはやりのパン屋と同様、菓子パンやサンドイッチをそろえて自分で選んでレジへもっていく形式。ケーキもありおいしそう。評判もよいのか学生や近所の奥さんたちでにぎわっていた。
 ちょうど、昆明名物「過橋米線」の店「臨安土鍋」があり、モダンな感じなので入ってみる。米線とは米粉の麺だが、日本でよく知られたビーフンとは違い、うどんに近い。なんでも、おそらく科挙をうけるのだろうが、がんばって勉強している夫のために妻が温かいものを食べさせようと、台所から橋を渡った別棟の書斎まで冷めずにもっていけるよう土鍋に入れたという伝説があることから、土鍋で食べるようになったそうだ。
 「臨安土鍋」の米線は、とりがらスープとココナツミルク入りの二種類のスープと、かえる、鶏肉、うなぎといった数種類の具の組み合わせを選ぶ形式で、若い人に人気のようだ。思い切って蛙肉、ココナツミルク入りを頼んでみたが、意外にあっさりしていて、実に新鮮なうまさだった。私は「人類でなく麺類」を自称する麺好きだが、米線の存在は今回初めて知った。これは、うまくやれば日本でも受け入れられそうだ。

 ゆっくり歩いて宿に帰る。表通りを一歩はいるととても静かな空間である。招待所の裏側はもう大学構内で、緑の木の葉が風にそよいでいる。シャワーは残念だが、気持ちのよい雲南第一夜を過ごした。


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