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第3日 鉄道:硬座車で大理へ
(このページは一部写真準備中)


3.1. 昆明駅から

 小雨がぱらついているが、招待所はそれもまた風情がある。名残惜しいがタクシーで昆明駅へむかう。
 昆明駅は一部工事中でもあり、ごったがえしている。駅に入ると荷物のX線検査がある。鉄道でX線検査とは意外。昨年の北京駅でもそんなことはなかった。国境が近いなど事情があるのだろうか。
 乗車券を提示して薄暗い待合室に入ると、乗客だけなので人は多いもののかなり落ち着いた雰囲気になる。駅前を歩いているときはかなり緊張したが、待合室に入り一息着く。古びた売店で水、お菓子などを入手。店員は店内の金庫を置き去りにしたままどこかへ行ってしまったり、かなりのんびりしている。
 発車の時間が近づくと改札口が開くので、地下道を通ってホームへ向かう。何本ものホームに長い旅客列車がたくさんとまっている。我々の乗る臨時特快742列車は、モスグリーンの硬座車(Yz22型)ばかり10両ほど。反対側には、上海と結ぶ特快がとまっている。赤とクリームに塗り分けた比較的新しい車両(おそらくエアコン車)が主体なので、同じ特快でもこちらはだいぶ見劣りする。要は主要駅しか停まらないから特快というわけなのだろう。
 ちなみに中国で「特快」とは停車駅がきわめて少ない列車をさす。日本でいえば特急に相当するが、必ずしも「早い」「上等」とは一致しない。

3.2. 特快742列車

 埃っぽい車内は発車間際には満席となった。我々の指定席4号車(YZ22-333950)も他の車両同様。6人掛けレザー張りのボックス席は、座席間隔や座面の奥行きは日本のボックス席より広いが、幅は3人座るにはやや狭い。そのおかげで定員116名という収容力である。我々のボックスには、50歳台とおぼしき女性二人、高齢の女性が一人、若い男性が一人の家族(?)連れがいる。他の乗客は親子連れ、カップルなど多様だが、全体としては富裕層らしき人はみられない。また一人客や用務客、運び屋ふうの人もあまりいない。臨時の観光列車であろうという推測はあながちはずれていないと見られる。クーラーのない車内は天気が悪いこともあってかなり蒸し暑い。とはいえこの雨では窓は大きく開けられないし、開けたらあけたで窓際にいればトイレが旧型であるからして黄色いものも飛んで来かねない。運賃36元はおそらく冷房大型バスより安いので、庶民の観光・帰省列車なのだろう。
 列車は12両くらいの編成だが、乗客がいるのは前方の6両だけで、食堂車の後方は回送なのか乗客を入れていない。そちらを見に行こうとすると係員に制止された。大理到着後外から見たが、この後方の車両を含め、すべて同形式の旧型硬座車である(YZ22型とYZ22B型。B型のほうが定員が2人少ない)。ただ先頭の2両は加1、加2号車と表示されており、増結車のようである。同じ硬座車だがシートもグレーで、客層も少し違う感じ。あるいは団体貸し切りなどかもしれない。ほぼ満席の車内では途中で服務員(「広播員」=宣伝員という名札をつけていた)が車内販売していた大理、麗江の観光ガイドマップを眺めている人が多く、この列車の性格がわかる。
 服務員は社会主義国のこれまでのイメージ通りたくさん乗務している。駅弁やガイドマップを売りに来る人と「車掌」に相当する人は制服なども違うようだが、よくはわからない。車内をうろうろしていると座席で油を売っているのも見かけるが、検札も昆明発車後にあったし、車内販売の人は、最初ガイドブック、ついで駅弁、その後は飲み物やおやつを売っている。「飯買了(ご飯、買った買った!)」、「涼米線、買了買了(冷たい米線、買った買った!)」とかけ声をかけて、人の足が通路に出ていると「車来了(車が通るよ)!」といいながらワゴンを押してくるのがおもしろい。

3.3 成昆線で広通まで

 9時17分の定刻をすぎたころ、なんの前触れもなく発車して、広い構内をぬけてゆっくりと進む。市街地を抜けてスピードがあがると、もう風景は山がちになり、ホームで列車を待つ人もいない駅をぽつりぽつりと通過していく。ところどころに小さな街があるが、家がレンガ積みなのを別にすれば、なだらかな起伏のある地形にとうもろこし畑や雑木林がある風景は日本にもどことなく似ている。ただし、街と駅はばらばらである。9時46分に「温泉」駅を通過。近くでは別荘地を分譲していて、コテージ、プール、花壇など瀟洒である。中国の奥地という雰囲気ではない。
 客車は旧型だが、予想していたほど乗り心地は悪くない。一つには、いま走っているのが四川省成都と昆明をむすぶ成昆線という、比較的新しい路線だということがあるだろう。ここは、革命後から文革期に、解放軍を大量に動員して建設された路線で、峻険な山岳地帯での工事は苛烈を極めたという。こんにちなお主要幹線でも非電化区間が多数をしめる中国国鉄において、成昆線が最初から完全電化で建設されたのも、この山越えルートを越える大馬力が必要だったからである。路線が新しいことから路盤も比較的しっかりしているようであり、電気機関車であれば客車列車の牽引に不足はないことから、走りが安定しているのであろう。

 10時12分に「動車菅」駅を通過したあたりから急峻な登りとなる。このあたりから楚雄イ族自治州となる。もともとせいぜい時速60km程度だったものが40kmくらいまで下がる。人家もまれな狭い谷を、国道とからみあいながらあえぐように登っていく。10時46分になまえのわからない駅で普通列車を追い抜き、11時15分に「大旧庄」駅で軍用列車とすれ違うくらいが変化である。そして、長い山道の末11時40分にようやくたどりついたのが、峠のジャンクション「広通」である。ここが最初の停車駅であり、機関車の付け替えのために20分程度停車する。
 車内から見ていると駅前の市街地はここ20〜30年程度とみられる建物ばかりで、ここが鉄道開通後できた街らしいことがわかる。坂道を数人の小学生がにぎやかにのぼっていく。
 この列車からの乗降は少ないが、昆明を出てから初めて待合室に乗客がいるのを見た。駅の構内は広く、何本もの貨物列車が待機している。我々が停車している間にも、装甲車や戦車を積んだ軍用列車や、タンク車ばかりの貨物列車が通過していった。操車場にはきれいに洗われた詔山型とみられる電気機関車が多数停車している。
 この駅に停まる頃から、駅弁を売りに来た。アルミの弁当箱に入ったごはんとおかずで、どうやら10元らしい。高いといえば高いが、食堂車の厨房で作ったもののようで温かそうだ。自分たちの弁当を持っている人もいるが、この駅弁もたくさん売れていた。我々はせっかくの機会なので、乗降が落ち着いた頃を見計らって食堂車(CA23型)に行ってみることにしよう。

3.4. おいしい食堂車

 中国では長距離列車が多いことから、食堂車が連結されていることが多いとは聞いていたが、特快とはいえ硬座オンリーの臨時列車、しかも昆明ー大理を直通する列車は通常夜行一往復しかないという閑散線区だけに今回は昼飯抜きを覚悟していた。しかしありがたいことにちゃんと食堂車がある。しかも、古びているとはいえレースのカーテンにビニールのテーブルクロスもかかってこぎれいにしてある。テーブルの上には一輪挿しまである。服務員のみなさんもきちんと仕事をしている風で好ましい。
 メニューも、売りに来ていた弁当を皿に盛った定食程度しかないかと思いきや、出された手書きの「菜単」には10種類程度のおかずや汁物がのっている。一品10〜20元は街の食堂のレベルからすれば高いが、日本のかつての食堂車から考えればなお庶民的である。
 弁当を量産中で厨房が手一杯なのか少し待たされたが、出てきた食事は新鮮なトマトをたっぷり使ったトマト卵炒めをはじめおかずの味もよく、量もまずまずで満足。食堂のお客さんもかなり多く、テーブルはおおかたうまっている繁盛ぶり。待っている間に食堂長か車掌とおぼしき制服のおじさんと若干おしゃべり。「日本人か」「新幹線知ってるぞ。早いんだろ」と自慢そう。新幹線のバッチをもってきておけばよかった。

 食事をしているうちに発車して、列車は西へ向かう。ここからは昆大線になる。昆大線はこれまでと違って単線・非電化であるが、最近できた新しい路線であるせいか、引き続きそれほど揺れない。
 急な下りを降りて、12時21分、ここも新しく建設されたようにみえる街楚雄に停車。ここは自治州の州都であり、2割くらいの乗客が入れ替わる。降りるのはわかるが意外に乗ってくる人も多少いるので、依然として満席に近い。昨日乗車券がとれたのは奇跡的だったようだ。駅は拡張工事中。いまはまだ列車が少ないが、将来はミャンマー鉄道の接続も視野に入れられており、なお拡充が図られているようだ。

3.5. 紅土高原を走る

 盆地の底に、山裾までビルが建ち並ぶ楚雄を出ると、ここからはいささか景色が単調になる。赤土の大地が広がる「紅土高原」を淡々と走る。列車本数もいよいよ少なくなり、通過する駅も使われていないように見える。ところどころ駅を通過するが、まとまった街はしばらくない。土地がやせているのか、トウモロコシ畑以外は荒れ地がめだつ。そんななかでも真新しい高速公路が時々並行し、たまに通るクルマが列車をおいぬいていくのが見える。
 ただ、地元の家の作りが、昆明近郊とはまた異なっているのがわかる。このあたりは峠をこえるたびに別な民族自治県にはいるといってもよいくらい、多数の少数民族の住むところだが、それぞれ独自の文化があるのだろう。たとえば、楚雄の次に通過した町、南華をすぎると、農家の瓦屋根の、日本なら鴟尾にあたるところがピンとはねるようになる。東南アジア的である。
 13時13分、「沙●」駅を通過。ここも駅は使われているように見えない。駅に人はいるのだが、どうもひまつぶしのようだ。日傘を持って立っている人はいったい何をしているのだろうか・・・。
 急な登りの後州境の峠をトンネルで抜け、大理白族自治州に入るが、風景は大きくは変わらない。ふと気がつくと、このあたりの村ではパラボラも地上波のテレビアンテナもない。楚雄までは小村でもパラボラが各戸にあったのだが、貧富の格差があるのか、それとも共同受信なのか。
 13時45分、「長冲」駅で10分間運転停車(客の乗降を取り扱わない停車)。ホームのない側線に入り、短い貨物列車と交換である。この界隈でも駅と集落が離れており、荒れ地が広がる山裾に駅がぽつんとある。おそらくこうした新線によくあるように、主要都市を短絡することを重視して小さな街は駅が市街地から離れたところにあるのだろう。小さな駅舎の脇には洗濯物が干されている。ぎこちなく制服を着た若い駅員が、列車を直立不動で見送っていた。時刻表で見る限り、この駅に停車する旅客列車は通常一日一往復しかない。単線だがタブレットを扱っている様子がないからおそらく運行はCTCで管理されており、だとすれば駅員の仕事はほんのわずかである。しかし、彼の姿は誇り高く見えた。ここには「鉄道員」がいる。

 14時15分ごろ、それまでより視界が開け、広い高原に出る。遠くに街や湖も見えるのでいよいよ大理に近づいたかと思うが、やがて14時50分「祥雲」駅に停車。高原に広がる田畑、しっくいの壁と瓦屋根の農家、ところどころに広葉樹、小川という風景はどことなく日本を思わせる懐かしさがある。広葉樹林文化論を論ずる知識はないが、そういう考え方が出てくること自体は無理もない気がする。
 水牛がいる。畑ではおじいさんが山羊を追いながら、じっと列車を見つめていた。おじいさんは列車にのって昆明に行ったことがあるのだろうか・・・いや、激戦区だったこの地域にはきっとまだ抗日戦の勇士が生き残っているはずである。ただの田舎の人だとばかり思っていては失礼だ。

 祥雲では客扱いをしたが、乗降はほとんどない。発車後すぐに急な登りにかかる。なにもない山の中で、高速公路と鉄道の工事が行われている。現在走行中の鉄道をさらにつけかえようとしているようだ。いまの路線がいわば仮設なのかもしれないが、拡充が続いている様子である。
 中国国鉄も「改革・開放」の流れの中で、地方鉄路局単位の分権・自立が推進され、広州鉄路局のように「民営化」されたところもある。鉄路局単位だけでなく、ここ昆明鉄路局でも旅客、貨物の運行と営業はそれぞれいわば分社化されたかっこうになっているようだ。そうしたなかで、一部ではローカル線の廃止も起こっている。今回乗車できなかった昆河線も、今回の長期運休状態とは別に枝線のいくつかはすでに旅客営業が廃止されている。しかし、ここ昆大線は増強が続けられている。夏休みということもあろうがそれほど現時点では貨物も含め運行本数が多いようにみえないし、旅客需要でいえば明らかに高速バスのほうが競争優位にある。それでも増強が続くのはおそらく「西部大開発」路線の延長線上にある地方開発投資の拡大と、将来的にミャンマーへの接続も視野に入れているからであろう。中国ではこのほかにも、青海省からチベット自治区のラサをめざして鉄道建設がすでに進んでおり、新幹線的なものを別にすれば今日世界で唯一大規模鉄道プロジェクトを推進している国である。

 15時3分ごろ、「拉及托来」とのかけ声とともにゴミをあつめに服務員がまわってくる。ゴミを集めて座席の下をほうきではくのだが、新人らしい若い女性のやり方をペアになっているベテランが、新人のやり方が気に入らなかったらしく、ほうきをひったくると手早くはきだしたのは、見ていておもしろかった。

 15時9分、峠の駅「弥渡」をすぎるといよいよ終点大理は近い。湖が見えるのは耳海であろうか。その向こうには峻険な雪山が見える。いよいよ雲南省も奥地、中国鉄道の一つの末端へとやってきた。
 少しずつ建物が増え、操車場の横を通り過ぎる。貨物列車や夜行列車用らしい上等な客車列車が停まっている。それからなおもしばらく走ったあと、6時間がかりの硬座車の旅は終わった。

3.6. 大理(下関)の町

 大理の駅は、町外れの山裾にある。ホームは斜面に沿って市街地より一段高いところにある。2本のホームと4本の線路があり、他に夜行列車と思われる一編成の旅客列車が停まっている。線路はここで終わり。貨物は操車場のあたりに貨物駅があるのだろう。立派な駅ビルがあるが、降車客はビルの脇の出口から直接裏口のようなところに出てくることになる。我々はのんびり列車の写真など撮っていると、出口のゲートを閉じられそうになってあわてて飛び出した。服務員も同じゲートから出てどこかへ向かっている。あれだけたくさんいた列車の乗客は、それぞれ迎えのバスでもいたのか、ほとんどどこかへ消えてしまっていた。

 駅ビルのほうには立派な駅前広場もあるのだが閑散としている。裏口は裏口で旅行会社が軒をつらね、客引きがにぎやかである。小さなタクシー乗り場もあって、運転手がこれまた客引きをしている。ちょっとおそれをなして表通りに出てタクシーを拾おうとするのだが、結局目を付けられてしまったので、待っていたタクシーやバイクタクシー(タイのバンコクにいる のようなもの。同じくバンコクにいる自動二輪の後部座席に一人だけ乗せるモトサイとはちがう)が次々追いかけてくる。
 大通りの向こう側のバス停にも人が待っているので、ままよとばかり市街地のほうへむかいそうなバスに飛び乗る。外国人旅行者が市内バスに乗るなど珍しいのだろう、視線が集中するのを感じる。
 後から考えれば、客引きをしているタクシーとちゃんと交渉すれば別に問題はなかったのだろうが、昆明のタクシーがわりと落ち着いた感じなのに慣れていたから、ちょっとびっくりしたのだった。

 目指すは大理国際旅行社。いちおう「歩き方」にも出ているし、名前に「国際旅行社」(もともと国営の、外国人客の受け入れなども担当しているの大手旅行会社が「中国国際旅行社」である)とあるので信頼できると期待して、麗江までのバスや今晩の宿を相談しようというわけである。
 しかし、バスに乗ったはいいもののよくわからない。地図を出すと客引きにまとわりつかれるというのは駅前で経験したので、だいたいのカンで市街地の中心部と思われるところで下車する。あとは、さきほど見ていた地図を頭の中で思い出しながら歩くことにする。

 この街は大理といっても「下関」というのが正式の名称であり、観光名所として知られる「大理故城」とは10km程度離れている。まったくの近代都市で、市街地はここ数十年以内程度の建物が立ち並んでいる。全中国的にはもう僻地といっていい場所だが、メインストリートには近代的なショッピングセンターもあり、平日の昼間というのに人出も多く、栄えている。県庁所在地でもあり、近隣のバスネットワークの中心でもある。

 大理(下関)の裏通り。群力学校とは?

 とはいえ市街地の規模は小さく、メインストリートからはずれるともう人も車も少ない。10分ほど歩いて、メインストリートに平行するもう一つの大通りに出たが、こちらは家具屋が立ち並んでいるものの人通りは少なく、閑散としていた。
 この通りにめざす旅行社があるはずだが、見あたらない。さすがにやむなく地図をひっぱりだして確認し、それらしきあたりにある銀行で聞くと、隣のビルだというが一階にあるのは中華料理店である。やむなくそこへ入って聞くと4階にあるというのであがっていく。
 行ってみたもののごく普通のオフィスで店舗の体をなしていない。おかしいと思って聞くと、やはりここは各地の旅行社から依頼を受けてセッティングをするいわゆるオペレーターで、直接旅行者へのサービスは行っていないとのこと。ようやくたどりついたのにがっかりだが、社員は親切でバスのチケット売場の場所などは教えてくれた。
 2,3分歩いたホテルの駐車場の一角にバス乗り場があり、一見わかりにくいがチケットカウンターもあった。ここで明日の麗江ゆきのチケットを入手し一安心する。雲南省交通運輸のバスで運賃40元+保険料3元。

3.7. 大理古城へ

 さすがに疲れたので、流しのタクシーを拾って故城へ向かうことにする。故城まではタクシーで20分ほど。最初はまだ整地が終わったばかりの工業団地のなかをつっきる。いわゆる「西部大開発」の一環としてここでも開発投資が大規模に行われているようだ。鉄道の拡充も、こうした工業団地の開発と連動しているのだろう。湖があるので水の供給が安定し、山が急峻なら水力発電の可能性もあるというわけだろう。環境汚染がおこならないことを願うばかりである。
 やがて坂を上って耳海(耳にはさんずいがつく)を望む高台の旧道をしばらく走ると、故城の城門につきあたる。ここでタクシーを降りる。降りるとき運転手はちょっとふっかけようとした感じだったが、最初に交渉した料金で押し切った。

 立派な城門を入ると、そこには別世界が広がっていた。木造2階建ての古い建物が石畳の道に沿って立ち並び、自動車がシャットアウトされた通りには人があふれている。建物はほとんどが観光客向けの店舗で、藍染めや工芸品、お茶などを売る店がにぎわっている。また、「客桟」と呼ばれる宿屋もある。黒い塗料で塗られた町並みは夕陽に照らされて強いコントラストを生み出している。町のなかを歩いていると、ほんとうにタイムスリップ感が強い。
 城門からまっすぐ伸びる道から横丁にそれると、モルタル塗りの比較的新しい建物もあるが、そのかわり人通りが減って静かになる。そうした通りの客桟の一つに宿をとることにする。

3.8. 古城散策

 「鳥語花香」(鳥鳴き花香る)という名を持つ客桟に入ってみた。表は木造の建物だが客室は裏庭のモルタル3階建ての建物にある。緑の多い裏庭にはいるといっそう静かで、ちょうど小雨がぱらついたこともあってしっとりとしている。部屋も広く、ベッドもシーツはちゃんとかえてあるので、ここに宿をとることにする。でっぷりした宿のあるじは、衛生に気を使っていることや、外国人も多く宿泊していることを強調していた。1泊60元也。
 一息ついてから散歩に出る。故城は、もとは城壁に囲まれていたのだろうが、いまは城壁はあまり残っていない。ただ、故城の西側には下関から来て北へ向かうふるい幹線道路が通っており、ここがほぼ境界線になっている。この道路の外側には田畑がひろがっている。故城のなかにも十字に車道があるが、この道路は通過道路になっていないので、それほどクルマは走っていない。観光バスも大型バスは外側の道路沿いにある駐車場にとまっているようだ。
 このため、故城の内部はにぎわってはいるものの落ち着いた雰囲気があり、好ましい。細い路地裏にはいると、土塀の古い家が立ち並んでおり、庭先で夕食の支度をしていたりするような風景が見られる。驚いたことに「清真寺」(イスラム教寺院)もあった。境内は寺院らしい静かさに包まれていてほんの一瞬のぞいただけでも心が洗われるようであった。建物の普請への寄進者リストが張りだしてあったことから、いまでも信仰が生きているのだろうと思われる。

 故城の街角にある茶館

 また、あちこちに小さい流れがあり、きれいな水が流れている。故城の西側にはきりたった3000m級の山脈が立ち並んでいるのだが、そこから流れ出してくるのだろう。雪解け水なのだろうか。故城から北へ40kmくらい行ったところに藍染めで有名な村があるとのことだが、この水が生きているのだろう。

 故城の裏通りにて

 そこそこにある旅行社の看板を見ていると、各方面へのバスの時刻表が掲示されている。麗江行きも多数あり、各社ごと時間が異なっている。聞いてみると、故城を出て麗江に向かうバスがあるようなので、明日わざわざ下関まで戻ってバスに乗るのも面倒だと思い、さっき買ったチケットは捨てることにしてあらためてチケットを買い直す。大型冷房バスで90元とだいぶさっきよりは高い。
 歩き回って足が疲れた。ちょうどマッサージ屋さんがあったので入る。日本ではマッサージは視覚障害者がよく従事する仕事だが、ここでは聴覚障害者の仕事になっているようだ。札があって、痛いとかもっと強くというときはその札をあげて意思表示するようになっている。全身1時間コースや部分15分コースなどあり、10分15元。私はかつて背骨の圧迫骨折をしたことがあるのでコミュニケーションがとれないところでのマッサージには不安があり、足だけ頼みたいといったところ、いかにも施術師らしい聴覚障害の青年はきちんとコースでやらないと意味がないということなのか、できないという。呼び込みをやっていた彼の母親とおぼしき肝っ玉母さんふうの女性が彼と押し問答したすえに、結局彼女が10元でやってくれた。

 藍染めの店はたくさんあり、なかなか魅力的である。気に入ったものがあり、サイズも直してくれるというので買うことにする。店の中にミシンがあって、店番の女の子がなおしてくれるらしい。日本にも発送したことがあるというが、すぐできるというので夕食後に取りに来ることにする。
 いつのまにか日が暮れたが、街はそぞろ歩く人でいっぱいである。しゃれたカフェもあり、西洋人がビールを飲んでいる。オレンジ色の柔らかい街灯の光に照らされた古い町はまた魅力的である。
 宿の正面の食堂で食事とする。ここの名物は砂鍋という魚のしゃぶしゃぶで、店頭に生け簀もあるのだが、魚が口に合わないとまずいので敬遠してふつうにご飯とおかずを食べる。表通りのレストランやカフェより地味な店だが、味は悪くなかった。

 宿に戻ると、西洋人のカップルがお客さんに入っていた。もともとここ雲南省北西部は、有名なユートピア小説に描かれた「シャングリラ」のモデルといわれる中甸の入り口として知られ、大理故城や麗江はむしろ西洋人が観光地として著名にしたともいわれる。今日では中国の国内観光ブームの中で中国人団体観光客が大挙しておしよせているが、西洋風のカフェが軒を連ねることにみられるように、西洋人は少なくないのである。客桟のおやじさんが外国人慣れしているわけである。

3.9. 鳥語花香客桟

 夜9時近くなると、昼間の喧噪は遠く静かである。空気もひんやりして、ここが標高1500mを越える高地であることを感じさせる。

 鳥語花香客桟の中庭

 部屋は掃除もちゃんとしていて、南京虫がはいまわることもない。ドアの鍵もしっかりしているし、なによりも表の建物を抜けてこないと客室棟のところまでこれないのだから安心である。一人60元の安宿だが、じゅうぶん快適である。ただ、シャワーの排水口がトイレの便器なのには少々閉口する。つまり、シャワーの斜め下に、和式トイレ同様に床面から掘り下げた形の便器があるのである。便器の上でシャワーを浴びるわけではないが、水洗とはいえ多少はにおいもするトイレを足下にしてシャワーを浴びるのはあまり快適ではない。また、石鹸をおとすとおしまいである。しかも、今日もまたシャワーが温かくない。冷水ではないが・・・。ちなみに便器はなぜか中国でよくみかけるAmerican Standardブランドである。我々はツタンカーメン便器と勝手に呼んでいた。

 部屋でくつろいでいると、突然の来客に驚く。夕方麗江行きのバスチケットを購入した旅行社の女性が、予約に間違いがあったので変更を知らせに来たのである。大型バスがラクだろうと思って予約したのだが、あとから電話で確認したら満席だったとのこと。代わりに小型バスでどうかという。今更なのと、運賃が安くなるうえ、わざわざ宿までわびに来た誠意をかってOKする。実は最初に訪ねた旅行社ではその場で電話して「大型バスは満席」と言われたのでまわった先だったのだが、そこではよく考えれば電話はしないままだった。そういうおおざっぱな仕事をするのも中国なら、夜遅くなってから宿までわざわざ来てくれるのも中国である。

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