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4日目 大理から麗江へ

4.1. マイケルの旅行代理店

 小雨混じりの昨夜から一転、いい天気。今朝はゆっくりできる。
 前夜目をつけておいた「チベタン・カフェ」なる店へ向かう。他では小さいといえるが故城では大きめのホテルの入り口にあるビルの一階にある。ここは日本や欧米の街角にあってもなんの違和感もない店で、英語のCDがかかり、メニューには洋食が並ぶ。壁には洋酒の瓶がならび、夜はカクテルバーになるようだ。コーヒーとトーストを頼むが、いずれもまったく問題ない。おそらく昆明の一流ホテルより上等である。静かな朝を満喫する。

 さて、名残惜しいがわずか一晩で麗江へ出発する。麗江は大理故城以上に人が多いから宿の確保はたいへんだと、大理国際旅行社でも、昨夜の食堂でもいわれたが、ままよである。
 昨日の旅行社に行くと、店の前にバスが来るというからしばらく待つ。店のあるじはマイケルと名乗る愛想の良い中国人で、西洋人観光客に道を聞かれても親切に教えていた。英語が上手だとほめると、BBCを聞いて勉強したとのこと。英語はとにかく聞いて覚えることだと力説していた。昨日宿まで来てくれた女性は彼の奥さんで、今日はまだ小さな赤ちゃんを抱えていた。旅行社の名前も「大理邁克(マイク)」旅行情報および投資サービス社、と大きく構えているが、夫婦二人の小商いである。

4.2. 麗江へのバス旅

 さきに「別なホテルで客をひろってくるから」と行って通っていったバスがやってきた。雲南全域でよくみかけるIVECOの小型バス。日本でいえばマイクロに毛が生えた程度のもので、後で聞くと南京製らしい。これは推測だが、昨日下関でチケットを買った各方面にバスが発車するバスターミナルから運行されるバスは従来の公営バスで、こうした旅行社でチケットを買って乗るようなバスは貸し切りバス会社や個人が運行する民営バスなのではないだろうか。あとから走行中に見ていると「大理ー麗江」「下関ー麗江」などと表示した大型、小型のバスがたくさん走っている。
 バスはすでにほぼ満席で、我々夫婦はなんとか最後尾のはじっこに席を確保したが、一緒に乗り込んだ日本人留学生は補助席になってしまった。こんなバスでもちゃんと車掌役(運転手の妻のようにもみえる)がいるのがおもしろい。

 故城の市街を抜け、耳海(耳にはさんずいがつく)湖岸に近い新しい国道へ出る。道路状態もよく快適である。補助席にあきがあるうちは、道ばたで手をあげていた人を乗せていたが、満席になると一路突っ走る。どうやら市内バス以外では停留所というものはあまりなく、乗降したい人はこうやってバスをヒッチハイクするようである。ただ、あとから気がついたのだが、ある程度の街になると中心部にバスが停車するところがなんとなく決まっていて、そこにバイクタクシーや物売りの屋台などがたむろしている。
 耳海の湖岸から山裾まではずっと田畑がひろがり、ところどころに農村集落がある。集落の道路沿いには食堂や自動車整備工場がまとまった一角があるが、それをすぎるとまた田園の道になる。
 1時間弱ほど走ると耳海の北端近くで、ここで国道は二つに分かれる。どちらを通っても麗江にはつけるのだが、バスは右(東)の道をとった。真新しい山越えの高速公路である。いきなり急な斜面をいっきに登り始める。ガードレールもないがけっぷちをヘアピンカーブで上っていくのはちょっと怖いが、景色はとてもよい。
 登り詰めたあともアップダウンの激しい山道が続く。事故が多いから速度を抑えろという公安の掲示がたくさんでているが、そんなことにはかまわずバスは突っ走る。軍の演習場の脇をぬけ、たまに小さな集落の中をつっきる。この道路ができるまでは下界との行き来はほんとうにまれだったのではないかと思われる、数百年も時がとまっているような古い村。羊をおう老人。急斜面に貼り付いた貧しい畑。前掛けをした幼児は、バスをどう思って見ているのだろうか。
 そんなところでも車内で携帯電話のベルが鳴る。昆明を出て楚雄あたりまでは、線路沿いや道路沿いの壁などに描かれている広告が、固定電話会社の「中国電信」であったのに、大理の手前あたりから携帯キャリアの「中国移動通信」一色になった。有線より無線の整備の方が早いのだろう。しかし、最先端と前時代が同居する姿は、まさにいまの中国の一面を象徴している気がした。

4.3. 茶馬古道客桟へ

 下関から2時間半ほど走ったところでやや広い盆地に出る。このあたりの小さな中心である鶴慶で降車客があり停車する。それから少し走って町外れの近代的なガソリンスタンドでようやく休憩。ここまで約3時間。有料だけあっていちおう水を流して掃除はしてあるトイレを使う。ここからさらに峠を一つ越えて、ようやく麗江納西(ナシ)族自治県である。
 高速公路の料金所をすぎて、一面のとうもろこし畑をぬけると、小さなビルがいくつかならぶ麗江市街にはいる。そして、大型バスなら3時間のはずだったところを4時間かけて、小雨の降る麗江バスターミナルに着く。
 バスを降りるとたちまち客引きに取り囲まれる。宿がいっぱいだと言われていた割にはみなさん熱心だ。なんとか振り払って、あまりあてもなく歩き始める。腹も減ったし、とにかく旧市街のほうへ行こうとするのだが、客引きのうち一人の少数民族らしい表情をした少女だけがずっとついてくる。いろいろ一生懸命なのにちょっとほだされてしまった(弱い!)のもあるが、「ナシ族の古い様式の民家を改装した建物だよ」というのに惹かれて、つれていってもらうことにする。
 近いという割にはちょっと奥まった、バスターミナルから10分近く歩いた(慣れれば5分くらいだが、道がわかりにくい)ところにある「茶馬古道」客桟に案内された。一人60元と安く、ちょうど北京の四合院のように中庭を囲んで三方に建物がある作りで、部屋の窓や扉は伝統的なもののようにみえるのが気に入った。シャワーとトイレは共同だが部屋は清潔で快適そうだったので、ここに決める。

 部屋から中庭を見る

4.4. 麗江とは

 ここは雲南省北西部、チベットの入り口に当たる。今日では麗江は県の名称で、街は正式には大研鎮というが、一般には街も麗江で通っている。数百年の長きにわたって、雲南中心部とチベットを結ぶ街道である「茶馬古道」の拠点として栄えた。その古く、風情のある町並みがずっと残っているのがこの街の魅力である。その存在は20世紀に入って西洋にも知られるようになり、英国人ジェームス・ヒルトンが1933年に発表した「失われた地平線」なる小説にある理想郷「シャングリラ」のモデルといわれる中甸の入り口にあたることもあって、もともと外国人に密かな人気をえた場所であった。20年ほど前の大地震で壊滅的な打撃をうけたものの、旧市街は従来の町並みを再建し、近代的な都市機能はその外側に新市街をつくることで復興が図られた。その後世界遺産に指定されたことで脚光を浴び、今日では中国国内でも有数の観光地の一つとなっている。ちなみに「茶馬古道」とは、シルクロードに対してお茶が主要な運搬物であったのでこう呼ばれている。今日でもこの街では「茶馬古道ゆかりの・・・」という表記がめだつ。

 水の街麗江

 麗江旧市街は、2km四方ほどの範囲に伝統建築の瓦葺き木造平屋・二階建ての建物がびっしりと立ち並んでいる。道路は石畳で、川を分流させた小さな流れが町中を無数に流れている。町並みが実に美しく、きれいな水の流れがさわやかで、心が洗われる。
 なおこのため、観光化されている旧市街中心部では自動車がシャットアウトされている。規制はされていない旧市街外縁部でも結局は自動車の入れる道路はほとんどなく、おちついて散策を楽しむことができる。

4.5. 杷杷と涼粉

 昼食のため、まずは旧市街の中心部へ向かう。というか、細い路地がびっしりとはりめぐらされているので、実際は土地勘がなかなか働かない(結局、最後までいろいろなものの位置関係がつかめず、帰国後地図とにらめっこしてようやく理解した)。なんとなく人の流れをみて、辻辻にある案内板をながめながら歩いているうちに適当にたどりついたのである。
 旧市街の中心である四方街にたどりつく。文字通り四方から道が集まるところである。ここの食堂で遅い昼食とする。バーバー(杷杷)というある種のデニッシュパンと、緑豆の豆腐であるリャンフェン(涼粉)という両方とも麗江の名物を注文する。バーバーは多少油っこいが文句なくおいしい。リャンフェンのほうは多少好き嫌いがあるか。また、冷製されているものを店頭で切って盛りつけているので、少々衛生も気になる。

 旧市街中心部は観光客で足の踏み場もない。郵便局で切手を買い、銀行で両替(円から何の問題もなくできる!)し、いろんな店をのぞいて歩くのが楽しい。観光客向けがほとんどで、銀工芸、藍染めなどの繊維品といった地元工芸品の店が多いが、コンビニのような雑貨店をのぞくのもおもしろい。ただ、まだ大地震の爪痕はところどころにみられ、補修中の建物も時折みかける。

 修理中の家

 いっぽう、中心部から一歩それるととたんに静かな普段着の暮らしがある。このへんは大理故城もそうであったが、我々はこうした裏通りにこそ魅力を感じた。家の扉にはおまじないの縁起物(三国志演義に出てくる英雄の絵など)が張りだしてあり、古い建物の中庭で洗濯物が干されている。高台へ向かう斜面の途中、大きな木の木陰で低い石垣の上に寝ころんでうとうとしていると、まるでこの世ではないところにいるような気がしてくる。

 縁起物

4.6. 「重点保存民居」李家大院

 民家のなかでも特に貴重なものには「保存民居」「重点保存民居」といった文化財保護当局の銘板が張ってある。こうした建物でも商店や客桟などに使われているものも多い。旧市街の山手に、「重点保存民居」の銘板のある旅館があったので、中を見せてもらうことにした。
 石段をあがって門をくぐり、中庭に入ると、そこには別世界があった。木造2階建ての建物に囲まれた石畳の中庭は、表通りの喧噪とは無縁の静けさに包まれていた。一階の部屋は中庭に向いており、扉や窓の格子は細密な木彫りで細工されており、障子紙が張られている。中庭の石畳にはナシ族の伝統的なデザインが描かれており、テーブルや植物の鉢がおかれている。伝統的であり、また高貴な雰囲気に包まれている。

 正面玄関

 あまりのすばらしさに、二人してぜひここに泊まりたいと思った。聞いてみると、今日はもう満室だが明日は空いているという。一人240元は一流ホテル並だが、部屋を見せてもらうと設備は更新されていてすばらしい。しかも新型シャワー・トイレ・テレビ付きである。ここはけちるのはやめようということで、明日の部屋を予約することにした。
 ナシ族の民族衣装を着た宿の若い女性がお茶をいれてくれて、この宿のことや、中庭のデザインの由来などについて熱心に説明してくれる。麗江近郊の村、白沙の出身で木(もく)さんという。木氏は麗江を長らく統治した一族で、旧市街中心部に「木府」という館が残っている。もしかしたら彼女はその一族なのかもしれない。こちらもナシ族のことや、麗江のことなどについて聞いておしゃべりがはずんだ。

 二階の部屋から

 彼女の説明によれば、ナシ族の住宅の特徴は「四合五天井」といわれる。「四合」とは、中国の伝統的な建築のあり方のひとつで、四方に建物を配置し中庭をおくものである。「五天井」の「天井」は日本語とは異なり中庭をさす。建物の各部屋は中庭に向けて開かれており、部屋の窓はそれぞれめでたい意匠の透かし彫りが施されている。中庭は小さい石をはりつめてあるのだが、そこには4つのコウモリが図案化されている。コウモリの漢字は「蝠」で中国語の音が「福」と同じであることから、めでたいとされるのである。この中庭には300年の歴史があるとのこと。
 また、最近ではユニクロのTシャツのデザインにまで登場した「トンパ文字」がナシ族の文化を世界的に注目させている。現在通用する世界唯一の象形文字と言われるのだが、彼女たちナシ族の若い人たちも民族文化の保護のためにこの文字を勉強するのだという。ただ、現代ナシ語はトンパ文字ではないので、まだ簡単なことしか書くことはできないそうだ。そもそも「トンパ」とはナシ語で「知識」を意味するのだそうだ。
 旅館ではあるのだが、特別保存民居とあって観光客が見学にしばしばやってくる。見学は無料なうえ、手が空いていれば彼女がいろいろ説明をしているようで、おおらかである。宿の名前は「李家大院」という。

 部屋の扉の透かし彫り(1)

 部屋の扉の透かし彫り(2)

4.7. 麗江散策

 宿を去って、通りがかったカフェに入る。ここも建物は伝統的なものだが、大理のチベタン・カフェのように店内は西洋風である。日本の街角にあるオープン・カフェのような雰囲気で、窓際に席をとると、足下にさらさらと小川が流れる。片や、向かいの古い小さな食堂では、傾きかけた建物のなかであるじがなにやら下拵えをしている。そんな姿を眺めていると、不思議な感じになる。英語も併記されたメニューで注文した「雲南珈琲」とケーキは、これまた日本のカフェと遜色ない。にぎやかなのに、不思議な静かさや落ち着きを感じる。

 ぶらぶら歩いていると、突然市場に出た。もうおおかたの店が終わりつつあるのだが、それでも野菜や果物がうずたかく積まれ、地元の人が自転車や荷車で買い物に来ている。露天の野菜売場の脇には小さな雑貨・軽食の店が建ち並んでいる。日本の市場の風景と変わらない不思議な懐かしさがある。メラミンの食器やアルマイトのヤカン、お箸、ゴムサンダルなどを眺めていると、なんとパン屋さんがある。カステラ生地の菓子パンを買ってほうばってみると、意外においしいのに驚く。地元の人も次々買いに来ており、隠れた人気店のようだ。市場の隅には銀細工の露店もあり、あきない。なぜか「わらじ」をデザインした指輪があったので、おもしろいので買った。四方街周辺の土産物屋にあるものより少し素朴(悪く言えば技術的に劣る)だが、値段もそのぶん安い。

 猫と遊ぶ

 とはいえ日が傾いてきたので夕食にしようとするのだが、旧市街中心部は昼間以上の人出で、どこもいっぱいである。赤や黄色の電灯や提灯に照らされた古い町を、うきうきと人々がそぞろ歩いている様子は、お祭りのようで懐かしさを感じる。銀細工の店やCDショップ、書道や絵をその場で描きながら売っている店、いかにもなお土産屋などをうろうろしていると、身体は疲れているのに、気持ちは久しく感じたことがないほどの楽しくなる。
 結局、四方街の近くの大きな旅館がやっているレストランに入る。味は悪くなかったが、なにしろお客さんが多く、オーダーが出てくるまでずいぶん時間がかかった。

4.8. テレビ

 宿に帰ったころから雨が激しくなった。雨もまた雰囲気はよいのだが、シャワーやトイレのたびに傘をさして中庭をよこぎっていくのは少々面倒だ。また、シャワーは一つしかないのでちょっと混んでいると待たされる。
 部屋はまだ改装したてで新しく、大きなテレビもある。テレビの箱までおいてあるのはおもしろいが・・・。テレビは10チャンネルくらいある。中央電視台、雲南電視台はもちろん主要な中国各地の放送がはいるほか、大理、麗江のローカル局の番組もある。地元のニュースは日本のNHKのローカルニュースと同じで、報道と言うよりは「今日の話題」である。おもしろいのはCMで、病院のものが多いのだが、「北京大学××教授何日来診」といったものばかりである。有名な先生が時々地方を巡回することになっているのだろうか。
 二階に泊まっていた中国人学生のグループがにぎやかだったが、0時頃には静まり、ゆっくりと眠ることができた。
 


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