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第5日 麗江・白沙散策

5.1. 朝

 小雨がぱらついているが静かな朝を迎える。中国人学生のグループはこれからモソ湖へ行くとのことで、早朝出発していった。瀘沽(ロコ)湖は麗江からバスで3、4時間、四川省との境に近い山奥にあり、女系制の島があることで知られる。
 朝は、宿で飼っている大きな犬と遊んだり、隣家の屋根の上で遊んでいる雀をながめたりしてのんびりする。今日は今回の旅行で唯一別な街への移動がない日なので、気持ちに余裕がある。
 朝食後、李家大院へ荷物をもって引っ越す。幸いもう部屋があいていて、荷物をいれさせてもらう。表の通りと反対側の二階の部屋で、中庭を見下ろし、さらに旧市街を見渡せる絶好の場所である。山には雲がかかっているが、瓦屋根が広がる旧市街と、その向こうの草原がみわたせる。

5.2. 航空券にひと苦労

 今日はいくつかやらないといけないことがある。第一に、三日後に搭乗予定のベトナム航空便のリコンファームをしないといけない。第二に、明日昆明へむかう交通手段を確保する必要がある。
 中国で長距離電話をかけるのは楽ではない。まして外国は難しいといわれているが、どうなのか。最初は「IP電話」の看板が出ているインターネット電話の屋台でハノイにかけようとするが失敗。次に新市街に出てホテルのロビーの公衆電話をつかうと、ハノイにはかかったようだが英語が通じずだめ。結局、あとから航空券発売所で昆明空港の電話を聞き、長距離電話屋から昆明空港に電話してベトナム航空の昆明支店の電話を聞き、そこへ中国語で電話をしてなんとかなった。中国の電話システムがどうなっているのかいま一つわからないが、IP電話や、長距離電話の看板を掲げて、街角に店舗やバラックをかまえてそのなかにブースを並べた電話屋をしばしば見かけた。

 昆明行きの航空便は、旧市街の旅行社で聞くと今後数日間は満席だという。とすると長距離バスしかないのだが、これはダイヤ上10時間近くかかる。昆明着の翌日にはさらに河口までバスで10時間走る予定だから、二日連続はかなりハードだ。あたまを抱えていると、旧市街の北端から新市街に出たところの交差点に「航空券発売所」の看板。だめでもともとで聞いてみると、中国南方航空の昼過ぎの便ならあるという。ばんざいである。
 推測だが、航空券発売所は公的なチケットセンターで、窓口のオペレーターの様子を見ていると航空各社とオンラインで接続されていて、最新の空席状況にもとづいて発券されるようだ。たぶん旅行社は、自社でおさえているチケットの範囲でしか裁量できないのだろう。ただおそらく、航空券発売所は正規運賃である。日本とは違うということをここでもおさえておく必要があった。

5.3. 白沙へむかう

 これで一安心したので、隣の新華書店(昔から全国にある国営書店)をのぞく。街の規模からすると意外に大きいし、パソコンや資格取得のための実用的な本やペーパーバックものだけでなく文学書もそこそこある。ここでガイドブックを入手して、麗江近郊の名所の一つ白沙へむかうことにする。
 タクシーをつかまえる。麗江のタクシーにはメーターはついているのだが、使わないと聞いていたので交渉すると、15元という。なんともわからないがでたらめとも思えないのでOKする。

 旧市街の北端に近いあたりは新市街の商業中心で、大理よりは小さいがショッピングセンターやレストランがある。その一角をぬけるとまだできて10数年程度の学校や公共機関、ホテルなどのビルが広い道路のまわりに広がっている。意外に街は広いが、おそらく草原か畑を整地して作ったと思われる新しい殺風景な街である。おそらく、大地震の後に都市機能を拡充移転してつくられたのであろう。
 市街地を抜けるといきなりなにもない草原を一直線に伸びる新しい道路にでる。名勝玉龍雪山にむかう道路で、観光バスも走っているようだ。草原の両側はきりたった山で、幅2、3km程度の谷をなしている。時速100kmくらいで快適なドライブ。雲が降りてきて小雨が降り始めるが、晴れていればさぞかしすばらしい景色であろう。

 5分ほど走って幹線道路から左へそれる。300mほど走ると集落の入り口である。観光バス用の駐車場があるあたりでタクシーを降り、ぶらぶらと歩き始める。舗装道路は村の中心とおぼしき広場でおわり、村のメインストリートらしい通りが南北にのびている。
 農家らしい土塀の家が立ち並ぶ南側の細い道からはおじいさんが牛を追ってやってくる。孫らしい小さな男の子がくっついて手伝っている。北側へ行くと農家の軒先で藍染めやお土産を並べて売っている。大理や麗江の市街地の店舗とはだいぶ違って、いかにも地元のおばさんらしい人がのんびりと商っている。雰囲気が気に入って藍染めを一枚買うことにする。


白沙の民家の玄関。縁起物が貼ってあるが、ふつう歴史上の豪傑などが描かれたものが多いのに、これは人民解放軍の兵士である。

5.4. ブエナビスタ・カフェ

 静かな村のなかをゆっくりと散策したいところだが、おなかもすいた。食事をするところがあるのかと危惧していたが、「ブエナビスタ・カフェ」という貼ってある。半信半疑で訪ねてみると、なんとこんなところにも西洋風のカフェがあった。
 地元の人らしい娘さんが店番をしているが、メニューはカラープリンターでうちだした英語併記のもので、店内にはトレッキングツァーのチラシやポスター(英語)がおいてある。そのどれもがそのまま日本やアメリカで配ってもおかしくないセンスで作られている。かかっている音楽はジャズ。西洋人か、少なくともだいぶ西洋暮らしをしてきて、現在はトレッキングのガイドをしている人が実際は経営しているのだろうと思われる。どうしてここにこんな店があるのか。地元の人はどう思っているのだろうか・・・。
 雲南のはずれの静かな田舎の村。農家を改装したカフェで、行き交う人々を眺めながらチャーハン(これは日本のと大差ない)を食べていると、自分がいったいどこにいるのかわからなくなってしまう。そして、ここに自分がいるのが自然なような気がしてくる。こうしたカフェがあるのは楽しい。と同時に、これ以上この村が先へすすんでほしくないという気もする。

5.5. 白沙壁画と民族音楽

 不思議な、少しふわふわした気持ちのまま白沙の目玉である壁画を見に行く。壁画というからなんとなく洞窟めいたところを想像していたが、村のまんなかにあるお寺のようなところである。
 料金8元を払って中に入る。説明の掲示などがなんとなく古びていて、日本のさびれた観光地の雰囲気である。しかし、名所は名所のようで、断続的に見学者が訪れている。
 壁画のある建物の前に別棟がありその中を通り抜けるのだが、そこには総勢20人の楽団が控えていて、演奏を聴かせてくれる。伝統楽器のアンサンブルなのだが、弦、管、打楽器の揃った編成はまさにオーケストラ。とはいえ、演奏家のみなさんは地元のひとらしく、どんぶり飯をかっこんだりしていてほほえましい。まだ少女といってよい娘さんがせいいっぱい声をはりあげて口上を述べ楽器の紹介をしてから、老若男女の演奏家たちが楽器をとりあげて演奏がはじまる。
 演奏の質は正直わからない。しかし、初めて聴く伝統楽器の響きは魅力的であった。日本の雅楽に通じるようなゆったりした音楽だが、打楽器の活躍ぶりはやはり中国的だといえるだろうか。そして、大小の琵琶が使われていることに驚いた。琵琶は正倉院の宝物にもあるように中国から日本に入ってきたものだが、後世になって中原(中国の平野部をさす)では失われたものである。中国の伝統楽器の研究者が正倉院の琵琶を見に来るといったこともあると聞いたことがあるが、ここには現に使われている琵琶があるのだ。チェロに近い大きさのものから、ギター程度のものまで3種類ほどあり、どれも形は同じだ。
 演奏が終わると、寄付を求められる。まあ、仕方あるまい。たぶんこれがこの人たちの収入になるのだろう。演奏者に若い女性と老人が多いのは、男性などは農業や家庭労働に従事しているからではないかと思う。

 壁画の建物に近づくと、今度は民族衣装のおばさん、おばあさんたちが輪になって歌いながら踊っている。子どものあそびのような素朴な踊りであるが、おばさんたちは楽しそうでなんとも懐かしく温かい気持ちにさせられる。誘われて、引き込まれるようにして一緒に踊ったりもした(ビデオ)。ここでも終わると寄付を求められるのが少々興ざめだが、まあ仕方あるまい。
 子どもの遊びのようと書いたのだが、このビデオをあとから李家大院の木さんに見せると、「足があってない。下手だ」という。それなりに形があるようだ。豊作と幸せを願う祝い歌で、白沙ではいつも歌うそうだ。


祝い歌を踊るおばさんたち


 さて、長い前置きのあとにようやく待望の壁画を見る。寺の本堂のような建物の中にはいると、正面、さらに両サイドの壁一面に絵が描かれている。絵の内容はおおむね縁起のよいはなしといったようなことだ。敦煌莫高窟の壁画同様、画材が変質して色はかなり暗くなっているが、ところどころにのこる金箔のあとなどに、華やかさがしのばれる。また、自由闊達な筆致も魅力的だといえるだろう。地元の有力者が、遠くから絵師を招いて描かせたのだという。

 なぜ中原から遠く離れた異境の地、少数民族の里にこうした壁画があり、また琵琶が残っているのだろうか。パンフレットの記述や聞いた話、あとから本で読んだことなどを総合すると、こういうことらしい。
 もともとからこの麗江など雲南省北西部には、多様な少数民族が住んでいる。これらの民族間での支配権をめぐる争いや、再三進出を図る漢民族との衝突もあった。また一方で、中原での王朝の交代の際に、旧勢力の一部がこの地方に逃れてくることもあった。こうした中で少数民族の支配層のなかに、漢民族的な文化を積極的に吸収しようとする傾向があったようである。おそらく、他の少数民族や被支配層に対して自己の正統性をオーソライズするためという意識もあったであろうし、中原の高度な文化への憧憬もあっただろう。
 また、歴史上何度か漢民族がこの地域に大量に植民してくる。これは必ずしも侵攻とむすびついたものだけではないようで、先に述べた亡命的なものや、平和的な移民もあったようだ。特にそうした際には官僚、高級軍人など教養人が一緒に移民しており、こうした人々が漢民族の文化をもちこんだようである。
 とはいえやはり山間の僻地であることから交流が少なく、中原の変化が次々ともちこまれるわけではない。また、先にふれたように一度伝えられた文化が正統性の担保とされたのであれば、発展よりも保守が重視される傾向が強かったことは想像できる。カナダのケベック州で、もはやフランス本国では失われつつある文化・習慣などが根強く生き残っている例もある。そうしたことから、山間のこの地に古い文化の遺物が集積されることになったのであろう。

 さて、壁画を見終わって外へ出ると、雨が激しくなっている。出口から村の通りまではお土産の屋台がずらりとならんでいるのだが、雨のせいもあってか見学者も少なく、閑散としている。のぞいてみたいようなお土産もあるが、傘をもっていないので早々に退散する。
 村の中心とおぼしき広場まで出て、雑貨屋の店先で雨宿りする。ねじくぎ、簡単な下着、洗剤、お菓子などがある何でも屋で、ここもまた日本の地方農村の30年前の姿と同じものがある。薄暗い店内に雑然とこうした品が並んでいるのが、なんとも懐かしさを感じる。もはやおそらく、実際には白沙の人々も麗江新市街のショッピングセンターなどに買い物に行くのだろうが、こうした店がまだあるのが愛らしい。かわいいクマの絵がはいったタオルを買って、濡れた頭を拭く。夏とはいえ雨は冷たく、油断はできない。
 雨がやみそうにない。道路も泥の川と化しており、傘を買ってまでうろうろしようという気がなくなってとりあえず麗江まで戻ることにする。あたりの人にバス乗り場を聞いたら、雑貨屋の前の広場に停まっている軽ワゴンに乗れという。7,8台いるワゴンは「白沙」という札を出していて、どうやら「路線乗り合いタクシー」とでもいうべきもののようだ。ガイドブックには路線バスがあるように書いてあったが、どうやら地元の人の足はこれのようだ。運賃を聞くと5元というので(あとで木さんが高いといってぼやいていた)とやかくいっていられないので、先客のいる車内に乗り込む。地元のおばさんが運転するワゴンは、行きと同じ道を通り、ところどころで先客をおろしたあと、旧市街の入り口に着いた。着く頃には雨はやんでいた。

5.6. 麗江の裏通り散策

 宿で着替えてからまずは、薬局をみつけて明日の飛行機のために乗り物酔い止めを入手。さすが中国で、西洋薬と漢方薬が区別なくならんでいる。ついでお土産を買いにお茶屋さんへ。雲南の名物はプーアル茶で、真っ黒に発酵した茶葉を煉瓦状に固めて売っている。何年もの、というまるでワインか泡盛のようなラベルが貼られていて、数十年も寝かせていたモノはそうとうな値段がついている。
 とはいえほしいのはやはりウーロン茶と中国緑茶。店員がいろいろ飲んで見ろとすすめてくれる。「中国茶道」ふうに、小さな急須で次々とお茶をいれてくれる。確かに飲み比べてみるとずいぶん味わいが違うもので、店員おすすめでも今一つのものもあったが、いくつか気に入ったものがあったので買ってみる。雲南緑茶は、葉が針状になっためずらしいもので、渋みが魅力である。けっこう絶え間なくお客さんがあり、盛っている。3種類も買ったので店員は「明日も遊びにいらっしゃい」と上機嫌で送り出してくれた。

 雨もあがったようなので旧市街の散策を続けることにする。
 観光客でごったがえす中心部をはずれて、細い路地をつたって奥の方へ入り込んでいく。そちらにも点々と観光客向けの店もあるが、多くは地元の人の普通の家が並んでおり、時折キオスク風の小さな売店や、地元の人向けの軽食堂がある。売店にはお菓子や雑貨、飲み物があり、町内の人の日常の用をまかなっている。中国では革命以後、町内にこうした売店が一つずつあるのが普通だったとのことである。
 人通りも少なくなると街は静かで、無数にある流れのせせらぎだけが聞こえてくる。ときどきおばあさんや、子どもたちが三々五々通っていく。ゆったりとした時間が流れていく。いつまでもここにいたい、そんな気がする瞬間である。

あひるもいる

 食堂の店先でじゃがいもを揚げている。まるのまま空揚げにしているだけだが、なんともうまそうな香りが漂っているのに惹かれて一個買ってみたが、これがうまかった。世界遺産に指定され、観光で街がうるおうのはいいことだ。だが、だからこそこうした裏通りの静けさもどうか大切にしてほしい。切実にそう思った。

5.7. 三眼井の静けさ

 いわば旧市街の外縁部をずっと歩いていくと、いつしか茶馬古道客桟のそばをぬけて市場に出た。精肉市場で豚の頭をながめたり、茶碗屋をのぞいたりしているうちにもう夕暮れとなっていた。
 昨日もそうだったが、夕暮れの麗江はまた格別である。薄暗くなって家々にぼんやり明かりが点る。古い街には昼間の鮮やかさよりも夕暮れの柔らかさが似合う。
 旧市街の南の外れ近くにある「三眼井」にやってきた。井戸水を三段の石組みの水桶に流し、一番上を飲み水、中段を食品や食器洗い、三段目を洗濯に使うもので、日本でもまだ地方ではみられるものである。
 三眼井で一息入れていると、子どもたちが野菜を洗いにやってきた。けっこうな量を洗っているから、どこか食堂の子が手伝っているのかもしれない。一生懸命である。目の前にある旅館からおばさんが出てきて洗濯している。通りがかりの人が、一番上の桶においてある茶碗で水を飲んでいく。遠くから鳥の声。それがすべて夕暮れのぼんやりした明かりのもとで、まるで白黒映画を見ているように懐かしい風景に思えてくる。とても静かで、旅の興奮も棒のようになった足の疲れも忘れて、力がふうっと抜けていく。

5.8. 火鍋にひいひい

 日が暮れた。宿に荷物をおいてまたでかける。夜はナシ族に伝わる古い音楽の演奏を聴きに行こうというわけであるが、我ながらよく歩いている。
 とはいえ始まるのは8時。まずは夕食にでかける。通りがかりのインテリアショップの店先で、人民服を着た毛沢東のそっくりさん(ほんとうにそっくり!)が愛想をふりまいているのにびっくり。客寄せなわけだが、けっこう人々が記念写真に入ってもらったりいて人気である。毛沢東というのがいま人々にとってどういう存在なのか、おもしろい光景である。
 麗江名物の「火鍋」を食べるべく川沿いの食堂に入る。愛想のない若い店員が持ってきた鍋は、豆、冷粉、パプリカ、肉、なすなどがごったに入って、濃いたれで炒められている。見た目からして強力なのだが、量も多い。そして辛い! 唐辛子やパプリカのぴりぴりで、汗がどっと出る。口の中が火を吹くのでごはんやお水でさますのだが、とうてい全部は食べられない。

 見るからに暑そう

5.9. ナシ古楽を聴く

 さて、四方街の近くにあるナシ(納西)古楽の常打ち演奏会場へ。500人程度は入ると思われるホールがもうほぼ満席でにぎやかである。西洋人観光客も混じっている。座席は何種類かあるが、我々は予めかっておいた100元の席。平土間真っ正面で場所は悪くない。
 30人近い管弦打楽器のオーケストラが待機しているところへ、この楽団を率いる「宣化先生」なる人物が登場。伝統楽器の演奏会だからしずしずと進行するのかとおもっているとさにあらず。いわば先生のワンマンショーなのである。

ちょっと暗いですが

 先生はナシ族の文化がいかに中原の古い文化をよく保存しているのかを語り、古楽のすばらしさを語り、いかに多くの文化人外国人著名人が自分たちの演奏を高く評価しているか自慢し、楽器を解説し、曲の由来や意味を述べる。ただしゃべるだけではない。至る所で冗談を言い、怪しげな英語でひとわたり説明した後で中国語で西洋人をからかって場内の爆笑をとり、とにかくエンターテーナーである。実のところ、2時間近くにおよぶ演奏会の半分は先生のおしゃべりであった。正直、もう少し演奏を聴きたかった気がするが、大半がごく普通の伝統音楽にとりたてて関心があるわけではない観光客であるとすればこれでよいのかもしれない。おそらく、新市街の大型ホテルに泊まっているようなパッケージツァーなどにもくみこまれているのだろう。実際、聴衆は大喜びであった。
 肝心の演奏はどうか。善し悪しを評価するだけのものはもっていないが、けっこう聴かせるなという気はした。楽器が多彩なので響きが複雑で、激しいメッセージをもった曲では迫力を持って迫ってくる。いっぽう、竹笛の響きは、透明なボーカルと重なるとしんみりした情感をつむぎだしている。
 先生は演奏でも指揮だけでなく琵琶も弾き、八面六臂である。終わってから会場の掲示をみていると、主席クラスの幹部の前でも演奏しており、中国各地への遠征もしているようだ。今日も有名な作家が顔をみせていて、紹介されていた。彼は文革を題材にした作品で一世を風靡し、その後政府から批判をうけたという人だが、一般の聴衆からもよく知られているようであった。

5.10. ナシ語のはなし

 宿へ帰って中庭でぼんやりする。オレンジ色の淡い明かりに照らされた中庭は、外の喧噪も遠く、しっとりと静かである。壁や雨戸の細工の細かさに改めて驚く。木さんがやってきてしばらくおしゃべりをする。日本語は麗江でも勉強している人がいること、ナシ語には誇りを持っていて学校でも勉強していることなどを一生懸命はなしてくれる。「あなたが好き」とはナシ語で「ンゴ・ニ・ピャ」というのだが、主語・助詞・述語動詞という順序は日本語と同じであり、興味深い。いわゆる中国語とは違うのだ。ただ、かくのごとくナシ語は音節数が少ないので、我々が日本語で話しているのを聞くと、彼女にはせわしなく聞こえるらしい。話のついでに、彼女には好きな人がいるのか聞いたら、浅黒い顔を赤くしてまだいないといった。

 夜の李科大院

 部屋に戻ってシャワーを浴びる。古い建物だがほんの1,2年前くらいに改装したようで壁もモルタルで塗り直してあり、バス・トイレも最新型の清潔なものである。お湯は電熱で温めて保温タンクにためるというもので、今回雲南に入って初めて温かいシャワーをあびる。これが実はおもしろいもので、シャワールームに入って戸を閉め、いすに座ってスイッチをひねると四方からお湯が噴き出してくるという仕組み。いわば人間洗濯機である。こんなものははじめてみた。


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