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第8日 国境をこえベトナムへ

8.1. 早朝の「東方紅」

 朝6時、街頭スピーカーからとんでもない大音量で流される「東方紅」のチャイムにたたきおこされる。そして、「北京時間午前6時」というコール。こんなのは他の町ではなかった。やはり国境の町ということで、ベトナム側に北京政府の威厳を誇示する意図があるのかもしれない。その後も確か2時間おきだったと思うが、同じ放送が繰り返された。
 部屋の窓を開けるとホテルの裏側にある中庭のむこうに、アパートがある。この雰囲気も東南アジア的である。その向こうには厚い雲の下、山までの狭い平地に中層のビルが建ち並んでいることがわかる。特にホテルや招待所の看板がめだつ。中越紛争の際にはかなり荒れたと思われるのだが、今日では国境貿易などによって栄えているのだろう。相変わらずきわめて蒸し暑い。

 ほんらい、朝のうちに国境を越えてラオカイを昼に出る列車でハノイに向かうつもりだったのだが、体調を崩したためホテルで昼まで寝ていた。そのあいだに妻はベトナム・ドンの両替に行ったのだが、中国工商銀行にはドン専用の両替窓口があり、銀行のカウンターではないところに机を出して伝票も切らずにやっていたとのこと。銀行が闇両替屋をやっているのかというようなおかしな雰囲気である。600元が87500ドンになった。

8.2. 国境の町の電気バス

 昼ごろ、国境へ向かう。歩いても行ける距離だが、暑いので乗り合いタクシーを拾う。これがおもしろい。遊園地やゴルフ場にある電動カートの大型のもので、6〜8人程度客が乗ることができる。大通りにはひっきりなしにこれが走っており、手をあげて止めて行く先を言い、その方向へむかうものに乗せてもらう。運賃もその場で決める。スピードはせいぜい20-30km/hくらいだが、まったくのオープンで気持ちのいい乗り物である。安全性などいいだすといろいろ問題がないわけではないが、電動で、乗降もしやすく、なかなかユニークな乗り物であり、日本でも導入を検討してはどうかと思う。おそらくバンコクのトゥクトゥクのような大型バイクタクシーの代替的役割であり、もしかすると内陸でガソリンの供給が不安定なことが一つの理由かもしれないが、雲南のほかの町でも見かけたことはなく、おもしろい。

8.3. 中国を出国

 ほんの500mほど走って、国境のパスポートコントロールにつく。真新しく立派な建物のなかに、整備された施設がある。ただ、ふだんはほとんど国境周辺の人しか通らないのだろう。我々を迎えた係官はあわててブースを開けて、こちらへこいと言う。係官は意外にフレンドリーで、なにをしにきたのかと聞くからほんらい昆河線に乗るつもりだったというと、めずらしいと言って笑っていたが、目つきは鋭い。ブースのなかにはコンピューターがあり、パスポート番号を入力して記録を確認していたので、オンラインで接続されているのだろう。いつ入国したのか聞かれて間違って答えたために係官から訂正されるはめになった。さらに、出国カードを漢字で書いたら「英語で書き直せ」とのこと。このように、中国の辺境ということからくる先入観は覆されるきっちりした仕事ぶりである。密貿易対策なのか、荷物もX線検査される。
 この時間国境を越える人は、大半はベトナムのパスポートをもった地元の人で、商売に河口に来て帰る人のようである。このパスポートは簡易なもので、スタンプもおさずに我々とは別な通路を通っているので、どうやら地元の人限定のもののようである。こうした人々が国境の盛況を支えているのだろう。

 建物を出ると南渓河の川辺に出る。歩いて国境をこえるのは初めてで、少しわくわくする。南渓河に架かる橋が国境である。中国領は橋のすぐ下流にある 河と紅河の合流点までで、いずれにせよ対岸はベトナムである。ベトナム側にはあまり立派な建物はなく中国側から見るといささか見劣りがする。国境の橋の中国側には「中国河口」と大書された看板をもつコンクリート製大ゲートがたっているが、ベトナム側は木製のささやかなゲートと遮断機があるだけである。これらにカメラをむけていいものかどうか緊張したが、特に警備兵からも注意はなかった。

 中国側国境ゲート

 ベトナム側ゲート

 中越紛争は、結局ベトナムを屈服させることができなかったという意味では中国の敗北であるが、その後の経済成長では皮肉にも中国のほうが飛躍的に発展したのに対してベトナムは度重なる戦争の負荷が大きかったこともあって立ち後れた。この国境の姿はそれを象徴している。
 ベトナム戦争の事実上の集結を象徴する、サイゴンの南ベトナム大統領官邸に突入する解放戦線の旗を掲げた戦車の姿を、当日テレビで見たことを覚えているおそらく最後の世代として、そして子どもの頃いじめられっ子であったこともあって、ごく個人的な感情ではあるが、ベトナムにはがんばっている弱者としての一方的な思いを寄せてきた。それだけにこの落差には多少複雑な感情をもたざるをえない。

 ベトナム側をのぞむ

8.4. 昆河線に貨物列車が

 橋をわたっていると、汽笛が聞こえた。驚いてみると、国境の橋からみて 河の上流側にある鉄橋を、ベトナムのものとみられるディーゼル機関車に牽引された20両ほどの貨物列車が、中国側へむけてゆっくりとわたっている。貨車はほとんど一般の有蓋貨車で、何を運んでいるのかはわからないが、鉄道業務用ではなさそうだ。橋をわたり終えた列車は川沿いの河口駅にいったん停車した上で、再び上流方向へ発車していった。
 たまたま見たことだけで全部を判断することはできないが、おそらく貨物鉄道としては、昆河線の少なくとも一部は機能しているのではないだろうかと思われる。これまで見てきた線路がいずれもきちんと整備されていたことからしても、そう推察される。ベトナムのハイフォン港へ通じる鉄道は雲南南部については重要なはずであるから、旅客列車の運行中止はあっても路線そのものはそう簡単に全廃はされないだろう。

 
小型ディーゼル機関車2両が牽引する貨物列車
 
最後は車掌車

 国境の橋の上は、パスポートコントロール上はどこの国でもないことになる。なんとなく宙ぶらりんな不思議な感じがする。そして、橋をわたってまっすぐ歩いていけば、遮断機の脇をぬけてベトナムに入国してしまうのは簡単である。警備兵も一人しかおらず、現に遮断機の周辺をうろうろしている人がいる。中国側のコントロールがしっかりしているので実際にはここでいい加減をするのは難しいが、ベトナム側はのんびりしているというか大ざっぱというか、である。

8.5. ベトナムに入国する

 他の人の様子を見て、まずは橋のたもとの、海水浴場の売店のような掘立小屋に行く。ここでパスポートを見せ、入国手続書類と検疫書類を受け取り記入する。そしてスタンプを押してもらい、今度はその奥にある少し大きな建物に入って、これでようやく入国審査となる。ここも別に通らなくても入国できてしまう(実際、地元の人はそうしている)のだが、我々は出国できなくなるとまずいので、手続きをとる。中の窓口も、知らなければ田舎の郵便局か市場の事務所かと思うような施設である。掲示はベトナム語だけだし、窓口も英語や中国語がほとんど通じないので、どこに書類を出せばよいのかわからない。適当な窓口にパスポートと書類を出すと、女性の窓口係官の後ろで油を売っていた男性がうけとって奥の事務所にひっこんでしまった。ここのパスポートコントロールについては賄賂を要求するという噂がありさてどうなるのかと思ったが、結局は数分後にスタンプとサインをしてちゃんと返してくれた。

8.6. ラオカイ駅へ

 パスポートコントロールを出て、荷車やトラックがうろうろしているところをぬけてラオカイ駅に向かおうとする。1km程度なのでふだんなら歩ける距離だが、暑いうえ荷物もあるので、電気自動車か(ラオカイにも河口ほどではないが何台かいた)バイクタクシー(バンコクのトゥクトゥクに似たもの。バイクの後部座席にのるものではないい)と交渉することにする。旅行者と見ると運転手たちが口々に声をかけてくるが、相場がわからないうえにベトナムのドンがインフレのせいで桁が大きいので感覚がつかめず、運賃交渉がうまくいかない。むこうがふっかけていると勘違いして大幅に低い金額を提示してバカにされたりする。電気自動車とバイクタクシーは、それぞれの中では順番が決まっているようで我もわれもとよってくるわけではないのは多少助かるが、両者のあいだにはかなり競争意識があるようで引っ張り合いになっている。我々は結局、あまり値切れないままバイクタクシーに乗ったのだが、電気自動車側が提示した金額より高かったようで、そちらの運転手がバイクタクシーの運転手をなじってけんかになりかかったりした。

 小型電気自動車

 きっぷのいい兄ちゃんの運転するバイクタクシーは、ラオカイの市街地を通って、川沿いの低地から台地上にある駅に向かう。中国側の雲南省内もいたるところ東南アジア的だと思ったが、ここはまぎれもなく東南アジアである。建物もあまり古いものがないのは中越紛争の影響だろうが、いわゆるコロニアル様式風のものか、簡易なモルタルの建物である。中国側よりあきらかに貧しいが、全体にのんびりした雰囲気である。車もトラックが少しいるだけで乗用車はほとんどみかけない。途中すれ違ったバスは、60年代スタイルのイギリスまたはアメリカ製とみられる超中古車であった。

8.7. 立派なラオカイ駅

 ラオカイ駅に着く。結局2万ドン払うが、あとでいろいろ見ると相場はせいぜい1万ドンなので、兄ちゃんの機嫌がよかったわけである。
 駅は二階建てのそう大きくはないが古い立派なもので、もしかすると戦前からあるのではないかと思われる。駅前広場も、ロータリーの中心に植栽があり、上品なつくりになっているのがいかにも旧フランス植民地らしい。ロータリーの周りには食堂や小さなホテル、旅行会社が並んでいて、小さいながらも駅前らしい雰囲気である。ただ、市街地からみればいわば町外れにあるので人通りは多くないし、駅正面の通りを歩いても数件先はもう空き地である。

 ラオカイ駅

 正面玄関から駅にはいると、正面奥に改札口、左手に出札窓口があり、ロビーは待合室である。日本の地方の古い駅とよくにている。いま午後3時前で、もう日中の列車はなく(昼間の列車は、朝のローカル列車と昼過ぎのハノイ行きの2本しかない)午後7時以降3本程度の夜行列車があるだけであり、その乗車券の発売は午後4時からなのだが、もう狭い待合室には20人ほどの人が待っている。
 駅には時刻表や運賃表が掲示してあるが、どれもかなり古びていて、そうとう長い間ダイヤが変わっていないようだ。すべてベトナム語なので、地名以外はあまりわからない。それでも、列車によって連結される車両は多少異なるが、エアコン寝台車・座席車、エアコンなし寝台車・座席車があり、それぞれが2〜3種類(1、2、3等だろう)あり、さらにそれぞれについて列車ごとに運賃が決まっているらしいのがわかる。つまり、1等エアコン寝台車でも列車によって運賃が違う場合があるようなのだ。またほとんどの列車はハノイまで直通するのだが、所要時間も停車駅も列車によってまちまちである。
 掲示されている時刻表には、ベトナム国鉄のホームページに掲載されている列車のうち、もっとも所要時間が短い20:50発のハノイ行きSP2列車が表示されていないが、そのへんの事情もわからない。昆明までの国際列車の時刻表も掲示されているが、運休云々とおぼしき表記もない。
*2004年8月現在、ベトナム国鉄ホームページ英語版では「Timetable」のページを開き、タイトル下のRegional passenger trainsをクリックすると、ハノイ−ラオカイ線の時刻表メニューがでる。ここへの直接リンクはこちら
 また、別な情報(旅行会社のサイト)によれば、SP2列車は「Victoria Express」というリゾート向け豪華客車を連結しているとのことで、このため一般向けにはチケットを発売していない可能性がある。

 駅には、トイレの料金所をかねたお菓子などを売る小さな売店があるほか、出札窓口と反対側には税関やパスポートコントロールとみられるオフィスもあり、係官がいて仕事をしている。国際貨物列車が走っているようなので、こうしたオフィスがあるのだろう。なお、一部の情報ではここにも両替所があるというが、我々はすでに河口で両替をすませていたので、確認できていない。

 乗車券の発売時間まで時間があるので、駅の横の大衆食堂でフォー(ベトナムうどん。米粉でつくる)を食べる。5000ドン。みぶりてぶりで注文して出てきたうどんは悪くない味。それから、駅前広場の木の下の、お母さんと坊やが店番をしている屋台でネスカフェを飲む。これまた5000ドン。貨幣の桁が違うのでとまどいっぱなしである。屋台のベンチで水を飲みながらぼんやりしていると、いったいここがどこで、いまがいつなのかだんだんあいまいになっていく。まとわりつくような湿気は暑苦しいが、日差しがないので死にそうになるほどではなく、むしろぬるま湯につかっているような気分になる。いつのまにか兄ちゃんたちが集まってきて、お母さんと駄話をしながらたばこを吸っている。昼間から何をしているのかわからない男性がごろごろしているのも東南アジア的だ(失業問題と考えると深刻なのだろうが)。

8.8. キップを買う闘い

 駅へ戻ると、いつの間にか出札窓口の前に行列ができて、さっきまでのたゆたうような雰囲気とはうってかわって殺気立っている。首から身分証をぶらさげた人が多いのは、おそらく旅行業者なのだろう。だいたい、まとまった現金とメモをにぎりしめて、順番取りに必死だ。列の前のほうに並んでいた気の弱そうな兄ちゃんに、むりやりメモと現金を押しつけて自分のぶんも買わせようとしているおばさんや、平気で人の前に割り込む兄ちゃんもいる。真っ白い制服を着た若い駅員がいちおう列を整理しているのだが、あまり効果はない。頬に傷のあるやくざっぽい兄ちゃんがわりこむから思わず関西弁でどやしたが、鼻で笑われた。
 列に並んでいるのは、こうした業者らしい人と外国人(先ほど我々と前後して国境を越えた西洋人のバックパッカーカップルが二組に、昨日のバスでも一緒だった中国人カップル)がめだつ。地元の人はどうしているのだろうか。

 ようやく順番が回ってきた。体調があまりよくないので、寝台車、できればエアコン車がとりたいのだが、窓口の女性係員は英語も中国語も通じず、ガイドブックから書き写したベトナム語のメモを渡してもなかなか話が通じない。すると、列を整理していた若い駅員が中国語なら多少わかるようで、通訳をしてくれたので助かった。我々は当初エアコン車はない(あるいは売り切れ)と理解してとにかく寝台車ならなんでもいい、と言ったのだが、結局はエアコン寝台のチケットを買うことができたのである。彼がいなければ下手をすると買うことすらできなかったかもしれない。列を整理しているときには、おばさんたちにも無視されて頼りなげだったが、彼は西洋人カップルが窓口にいるときにもサポートしていたので、英語もできるのかもしれない。事前にベトナム国鉄にメールでラオカイ駅の乗車券の発売時間と外国語対応を問い合わせたときには「英語または中国語が通じる場合もある」という返事だったので、彼の存在をさしていたのだろう。彼が非番でなくて幸いであった。

8.9. 意外にもこましなカフェ

 さて、発車まで約3時間ある。すこしぶらぶらしようかと駅前通りをまっすぐ歩いてみたが、ホテルと旅行会社が2、3ほどあるだけで、その先は点々と家があるだけのなんでもないところになる。駅の両側に延びる道はトラックの往来があってほこりっぽい。それに少々切符を買うのに疲れた、というわけで、駅前ロータリーの周りに2,3軒あるカフェの一つで時間をつぶすことにする。

 歩道にテーブルといすを出してオープンカフェになっているこの店は、都会風の服を着た奥さんがやっていて、なんとカラープリンターで作った英語のメニューもあるし、そのメニューの中身も東京のカフェからしても遜色ないものである。半信半疑で試しにチキンサンドと紅茶を頼んでみたが、ちゃんとしたパン、ちゃんとしたチキン、ティーバックとはいえこれまたちゃんとした紅茶がでてきた。このカフェだけがまるで周りの雰囲気とは別世界のようである。もちろんベトナム北部にはいろいろな面でフランス植民地時代の名残が見られるとは知っていたが、これはおどろきである。
 カフェでぼんやりしていると、いつのまにかお客さんが増えてきた。みんな西洋人のグループかカップルで、ワゴンや小型バスで運ばれてきては、そのあたりのカフェで一息いれている。この人たちは先ほどラオカイ駅で切符を買っていたバックパッカーたちとは雰囲気が違っていて、ツァー旅行者的である。そして、列車の発車時間が近づくと三々五々駅へ向かっていく。

 はたと思い当たったのは、ラオカイから少し離れた山のなかに、旧植民地時代に開発されて、現在でも西洋人旅行者やハノイ駐在外国人に人気の避暑地サバがあるということである。そういえば、以前見た日航の機内誌にも、サバではないがやはりこのハノイーラオカイ鉄道の路線近くにリゾートが開発され、最寄りの駅まで専用豪華列車が運転されているという記事が出ていた。これで、さきほど駅の出札窓口に旅行業者が殺到したわけも、駅前のカフェが妙に洗練されているわけも見当がついた。
 おそらく次のような事情だと推察される。サバなどの避暑地へ向かう外国人の一定の部分が、ハノイーラオカイ間で鉄道を利用するのであろう。そうした外国人はバックパッカーではないから、乗車券の手配などは旅行会社に頼むのであろう。実際、「地球の歩き方」などでは、サバの旅行社で鉄道乗車券の手配が可能という記載があった。もちろん、団体ツァーなどはハノイでまとめて乗車券をおさえているだろうから、1,2等のエアコン車はそもそも窓口に出る乗車券が少ないので、こうした外国人避暑客から委託を受けた地元旅行社のスタッフは、必死でチケットを確保しようとするのだろう。また、そうした外国人客を当てこんで、ある程度英語などができる人々がラオカイでカフェを開いているのだろう。

 ベトナムは北京時間と1時間、日本時間と2時間の時差がある。このため、緯度が低いといっても午後7時近くなると薄暗くなってきた。カフェでのんびりと夕暮れをすごしていると、ますますここがどこなのか、自分が誰なのか、いまがいつなのかがあやふやになっていく。駅前は相変わらずぱらぱらと人がやってきては消えていくが、時折トラックが轟音をたてて通り過ぎる以外は静かで、徐々に我々も言葉を失っていった。駅舎に掲げられた「GA LAO KHAI」(ラオカイ駅)のネオンサインだけが鮮やかである。

8.10. ベトナム国鉄LC2列車

 このままここで何日かぼんやりしたいという欲望にかられるが、先々を考えるとそうもいかない。日本以外では座席指定券を持っていても勝手に占有したりする人がでてくることはままあるので、発車30分ほど前には駅へ移動する。
 すでに改札口は開いていて、駅はごったがえしている。改札口を出れば正面がもう屋根のないホームで、列車がとまっている。ホームには売店のワゴンが出ているし、駅舎の並びにある食堂もホーム側の店を開けていて、お客さんがうどんを食べている。この列車を先頭にこれからがラオカイ駅の出発ラッシュだから、にぎわうのも当然といえば当然だ。
 列車の編成はもう暗くてよくわからないが、十数両は連結されている。車両はいろいろで、エアコン付き2段寝台の車両もあるが、エアコンのない寝台車はベッドといっても木製の桟が3段あるだけで、ふとんもない。後方には座席車もあるようで、うわさでは3等座席車は座席が木製といわれるが、確認できなかった。

 この車両に乗った。

 6号車?

 隣の車両

 車両には番号札が大きく表示されているので、指定された車両を探すのは難しくない。乗りこんでみるとアルミのドアで密閉されるコンパートメント式で、ドア脇に座席番号も表示されている。我々のコンパートメントはエアコン寝台・3段。向かい合わせに6人が線路と直角に寝る形式は、かつての日本の3段式B寝台車と同じで、大きさやベッドの広さもほぼ同じではないだろうか。軌道の幅が日本より狭いのに、けっこう車体幅のある車両を使っているようだ。設備も古びてはいるがきちんとしているし、ビニールレザー貼りのベッドも薄いとはいえクッションも入っていて、まったく十分である。一番安いものからすれば3倍くらいする運賃だけのことはある。シーツも、ちゃんと洗濯されたものを乗務員から乗車券と引き替えに借りるようになっている。車端にある乗務員室にシーツがつんであって、引き替えてくれる。
 発車前には車内を物売りの人がうろうろしている。係員ふうの人から「コーヒー?」と聞かれて、車内サービスかと思ってうなずくと、どこかから紙コップに入れたホットコーヒーを持ってきたが代金を請求されたので、これも物売りだったらしい。ちゃんとしたコーヒーで、値段も特にぼられた感じではなかったが。
 我々のコンパートメントには、すでに中年以上の女性4人が乗っていた。たまたまいっしょなのか顔見知りなのかわからない雰囲気で、3人は花札(ほんとうに花札そのもの)で遊んでいた。なかに一人親切な人がいて、この人が我々の座る場所をあけてくれたり、シーツを取りに行くことを身振り手振りで教えてくれた。閉鎖的なコンパートメントは同室者次第では不安にもなるものだが、いかにも地元のおばさんたちという雰囲気なので、安心である。地元の人でこの運賃が払えるということは、そこそこお金がある人ということだろうが、ごくつつましい感じである。

 
我々のいたコンパートメント(中段の寝台はすでにたたんでいる)

 定時発車の7時にはもうとっぷり暮れている。駅をでるともうあたりは漆黒の闇である。たまに家のそばを通るときは裸電球の下で子どもが遊んでいるのが見えたりもするが、それ以外はまったく外の様子はわからない。時間的には非常に早いのだが、明朝のハノイ到着が5時の予定なので、さっさと寝ることにする。エアコンはよく利いているし、揺れも予想したよりはるかに少なく、寝心地は悪くない。駅に停まったときに少し目が覚めたこともあったが、ゆっくりと眠っていった。

 発車を見送る駅員

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