妻の故郷
五島列島・中通島



五島列島・中通島には佐世保・長崎港からの船便で約3時間、福岡・長崎空港からの航空便で1時間以内で到着します。五島列島は福江島、久賀島、奈留島、若松島、中通島から構成されます。全島芝生の小値賀島、平島は北松浦郡で、五島列島には入りません。現在中通島には5つの町がありますが、合併による活性化を目指して、合併強化地域の指定を受け協議中となっています。

中通島はリアス式の複雑な海岸線を持つ風光明媚な島で、対馬暖流の通り道にあたる漁業の盛んな地域です。昔は裕福な漁業関係者からの寄付が地域の基盤整備に大きく貢献する歴史がありました。今は全国的な漁業衰退から、他聞に漏れず若者も定着が無くなって老人の島となって来ております。しかしながら、今後の方向としては風光明媚な観光資源を生かした観光事業、若しくは中国・韓国への国境地域として自由貿易地帯として活躍する等、遠い昔の遣唐使の中継地であった利点を再認識させる必要があります。





中通島の空の玄関口「上五島空港」は有川に属し、軽飛行機の発着可能な800m滑走路が整備されています。頭が島の上部を平に整地して作りましたが、一部の丘が残っていること、又周りが断崖となっているので吹上・吹下の風が強く欠航となることが多い空港となりました。

左は空港から頭が島大橋を見た景色、右は龍馬ゆかりの地から空港を遠望した景色です。









中通島で最高の海水浴場の蛤海岸です。島はリアス式海岸線が多いので、砂浜海岸は多くないのですが此処は遠浅の貝の粉の混じった白い海岸です。

透明度の高い水質と周囲の自然を楽しめる全国的にも少なくなった将に白砂青松の海岸でしょう。










榎津郷は城下町でもあり、漁業、物産の中継地として栄えて来て、宿泊旅館等の基盤整備の整った地域です。

但し、榎津郷は規模の大きい商業地区としは平地が少ないことから適切でなく、近年西股郷の入り江を埋め立て、商業地域の整備を図り成功を見ています。












似首郷以北は北魚目と呼ばれ、風光明媚な景色が展開します。

この青砂地区から見た奈摩突端の矢堅の尖塔に沈む夕日は将に絶景となります。













この断崖は「赤岳の断崖」と呼ばれ火山だった名残がよく分かります。最も既に死火山なのでしょうか、この五島列島は地震が全く起きない全国的に珍しい地域となっています。














中通島最北端の津和崎郷です。対岸に見えるのは全島芝生と呼ばれる平坦な小値賀島です。














中通島と若松島の間の海峡は若松瀬戸として知られ、近年若松大橋の整備によって両島は地続きとなりました。海峡には小さな島々が点在し、潮の干満によって生ずる急流は西海国立公園の白眉です。














中通島の南端には遠洋漁業で名をはせた奈良尾地区があります。この写真は奈良尾地区を山の彼方に見る若松瀬戸の南端を撮ったものです。











中通島には、江戸時代キリシタン迫害を逃れて多数のキリシタンが九州本島から逃れて来ました。在住の漁業関係者とは少し離れた地域の居住を構えた様で、本州地域の平家落人部落の様な感があります。 明治時代のキリスト教解禁から姿を現し、隠れからカトリック信者になりました結果、各地に教会が建てられました。





五島の教会は美しい入り江に建てられた教会が多いのです。これは桐古里の教会ですが、若松瀬戸の入り江にあり、外洋から見つけることは困難であったのでしょう。












五島列島にある教会は煉瓦造り若しくは木造りの教会が多いのですが、これは全国的にも珍しい石造りの頭が島教会です。

教会横には、フランスのルルドの奇跡を模したマリア像が祭られています。














青方郷の大曽教会です。町からは少し離れた閑静な地域に建てられていましたが、この近くの入り江には大きな石油備蓄基地が整備され、景色は一変することになりました。










漁業で裕福だった五島列島も、漁業不振から若者のいない老人の島に変貌しました。

しかし幸か不幸か、離島である為工業立地の埒外となったこともあって清黎な海水と自然環境が残ることになりました。赤潮被害のない真珠養殖が未だに可能な地域となっています。全てマイナスでは無く、プラス面もあったと考えられます。

リアス式の美しい海岸線に見える、慎ましやかな数多い教会を生かした観光資源を活用した自然休暇村の整備拡充を当面の目標となりましょう。

将来的には国境という利点を生かした貿易立地を展開することが、地域振興の鍵になるものと期待されます。



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