「新世紀エヴァンゲリオンAir -まごころを君に-」の感想。


ついに来た、夏。なんとも複雑な気分だ。 こんなにあきらめを感じて見る映画は他に無い。
TV最終回の大打撃から始まる、 解釈に対する重苦しさには厭き厭きして。 このアニメは、終わっていない、終わらない物語だと、 僕的に完結したつもりでいたのに映画とは。。。。

春の映画と違って、ごちゃごちゃとした構成はしていないように見えた。 このアニメはハマってたこともあるので、 思い入れがある分甘い感想になってると思う。

残念な事に動きは他のアニメとそう変わらない。 これにハマッたのは、冴えた動き、凝った展開のはずなんだが。 残酷さは「もののけ姫」の比じゃない。 TVのオープニング「残酷な天使のテーゼ」はこのためにあったかと邪推。 前半のどんどん辛くなり、どうしようもない展開、ああどうしよう。

後半は、一転してシンジ自身の中に入り、浄化シーンの連続。 やっぱり入ってしまうのか。 「おーい鷺巣!ここまで来たか」と言いたくなるBGMに乗りながら この世界の主シンジは、一応の浄化を受けるのだ。 それが「これでもか〜」てな雰囲気で、 この世の現実を見せ込もうとする。
ここで、おいおいそうか?全てのフィクションは何にも成らんのか? とか考えてしまった。

この時出てくる気になる点。
なぜ、シンジはアスカの首を絞めなければならないか。
執拗なシンジの首絞め。ラストまで絞めようとする。 これは、アスカをシンジの制御下に置く儀礼なのかなとか考えたけど 首絞めはおだやかじゃないし、それでどうなるとも思えない。 なんでこれが必要なんだ?やっぱ初めの「ピー」が効いてるのかな。
LCLの定義。
さて、もうこれは精神に成ってしまった。 安易だわ。どうも。やっぱ物理的融合のほうが分かりやすいもので。
全く快活さの無い、元のシンジ的ラスト。 1時間30分かけて「映画を見るな!アニメを見るな!」と言っているようで、 なんともしんどかった。ハマることは素晴らしいことだと思うんだけどな。

しかし、 最後のアスカの台詞に、アスカが戻ってきた感じがして嬉しくなったどうしようもない 僕も在った。 もっと中立にみれたらなあ。


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