「RELIC」の感想というか分析というか。
昔「レリックス」というゲームが在ったが、現在PC−88用のを持ってたりする。 まだやったことないっす。すみません。


はじめに、あの前売券についてくるスーパーボールの正式名称は 「遊べるレリックちゃん」であった事を報告しておく。

レリックを見た当初はつまらん映画だと思ったが、 今考えてもやっぱりつまらん映画だ。 なぜつまらないか、なぜ此れほどに。。 ぼーっとしてたら、ふと考えが浮かんだので少々書かせて頂く。
まず、特撮が陳腐であること。
宣伝ではこわいこわいと言っていたが、私はほとんど恐くなかった。 しかし、 建物の中も確認せずに博物館の中へ入って行くレスキュー隊や、 最後の、 RELICが炎に巻き込まれて砕け散るシーン(ほんとにばらんばらんに四散するのだ)に、 バカ映画としての価値を見出す事ができて少し嬉しかった。 しかし、入場料ほどの価値はないが。。
次に、話の筋を見返してみる。
まず、RELICに感染した博士は、RELICの付いた積み荷をアメリカへ運ばせまいとするが、不可能といわれる。 船に乗り込んでも、ブツは無い。挙げ句にRELIC化。博士も罪な人だ。 積み荷は手違いで積まれてなかった。
等と、どんどん粗筋だけ浮かべていくと見えてくると思う。
この映画は、完全予定不調和をポリシーとして製作されているのだ。
物語の人物は、物事の核心を素通りしていってしまうのである。 心理描写がうまければ面白くなったかもしれないが、 この映画では、話の筋が流れていくようで、いまいちその流れに乗れない。 つまり、登場人物に自分がなりきれない。 その上、登場人物全員が、その完全予定不調和を背負っている。
この映画を面白いと言わしめるためには、 登場人物全員になりきった上で、神の目(映画を客観的にみた自分の目) で映画を見せるというかなりのテクニックを要するのではないかと思われる。
この映画はそこまで達していない、つまり、つまらんといわれる原因であろう。
しかし、この映画は成功しているのだ。
それは映画の宣伝文句「扉が閉まったら、後はいっさい責任もてません。」 通りであるのは当然であるとして、 宣伝と違って、全くつまらないという事も、 完全予定不調和な点で合致している。
そう、つまらないというのは、完全に監督の意図としたことであり、 その通りひっかかった私たちはウブな者共だったのである。

おわり

ひえ〜〜勘弁して。
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