お盆の基礎知識
1)お盆の由来と御祀り
お盆とは「盂欄盆(うらぼん)」の略で有り、「佛説盂欄盆経」が元とも、イランの「ウルバン」あたりが素ではないかと言われます。
「佛説盂欄盆経」は釈迦の弟子である「目連(もくれん)」が、母親の死後の苦しみを知り、その苦しみより救う方法を釈迦に問いました。答えは「七月十五日に修行する僧侶達に供養をすれば、その功徳によって母親は苦しみより解放されるだろう。」っと、説いたそうです。その様な事を記したのが「佛説盂欄盆経」で、中国に渡り「親孝行」「死んだ親を供養」すると言う風に変節していったそうです。
「ウルバン」はイランで収穫感謝祭と先祖を祀る行事です。それが中国に渡り「盂欄盆」の漢字が当て嵌められたのだとも言われます。
また本来は盂欄盆とは無関係なのですが、施餓鬼の行事が盂欄盆に併せて行われる様に成りました。
施餓鬼とは供養する者も無い霊を慰め、救わずにはおかない佛の慈悲を示す行事で「施餓鬼会(せがきえ)」と言い、先祖供養・等に併せて行なわれます。
さて、古来日本には「魂祭り」と呼ばれる習俗が有り、これは年に二回(正月・盆)死者で有る祖先が帰り、子孫で有る生者と交歓を行うと言う行事です。
「魂祭り」の風習の有る処に、佛教の伝来と共に「盂欄盆」が習合して、現在のお盆の形が出来上がったと思われます。
現在では佛壇の前に小机を置き、御供え物を置いて御供養する事が多く成りましたが、古来は精霊棚(盆棚)を設えました。佛壇の前・床の間・庭・等、地域・住宅事情により様々です。
精霊棚は台を拵え、その上に簀の子(竹や葦で編んだ筵)・マコモ(稲科の大型多年草で葉は筵に用いる)を敷きます。
四隅には青竹を立て、撚り縄を用いて縄を張り廻らし結界とします。張り廻らした縄には、撚りを緩めて其処にソーメン・昆布・瓢箪・ホオズキ・等(地方により風習が違います)を吊るします。
台の上には位牌を置き、その前に霊供膳・季節の食べ物を供えます。お盆ならではの供え物として「水の実(水の子)」が有ります。茄子・瓜類を細かい賽の目に刻んで水鉢に入れ、それに洗米を加え混ぜ合わせた物です。
鉢の代わりに「蓮の葉・芋の葉」に水を入れ、それを用いる場合も有ります。また、蓮の葉に水を適度に入れ、閼伽水として用います。
地域によっては十三日に迎え団子、十四日には芋がら和え、十五日には蓮の葉で強飯を包んだ「蓮飯」と送り団子を供えます。牛・馬の飾りは茄子が牛・胡瓜が馬ですが、麦藁で作る地域も有ります。
地域によって考え方はまちまちですが、御招きする精霊を馬で(早く)迎え、牛で(ゆっくり)送るとされます。逆に牛でゆっくり迎える・等、まるっきり逆の地域も有ります。
精霊棚の横・玄関に盆提灯を飾ります。新盆の場合は親類・縁者・等が白提灯を送り、それを飾るものとします。
お盆のスケジュール
地域によって格差は有りますが、生活習慣に馴染んだ行事なので、一般化したものをピックアップしてみます。
一日
「地獄の釜の蓋が開く日」としてお盆の開始日と成ります。新しく死者を出した家では、高灯籠を立てたりします。
七日
墓掃除をしに行きます。
十二日
精霊棚を作り準備を開始します。
十三日
「迎え盆」と言い、御墓参りをして夕方に盆提灯に火を灯し、精霊(祖先の霊)をお迎えに参ります。家の外では迎え火を焚きます。
(十二日に行う地域も有ります。)
十五日
「送り盆」と言い、夕方には送り火を焚いて精霊を送ります。「灯籠流し」・「精霊流し」と言って、舟形を作り供物類を載せ、盆灯籠を灯して、川・海に流す習慣の地域も有ります。
(十六日・十九日・二十日・三十一日に行う地域も有ります。)
迎え火・送り火
精霊(祖先の霊)を御迎えする時、御送りする時に、夕暮れに玄関先にて火を焚きます。これを「迎え火」・「送り火」又は門口で行うので「門火」とも言います。
缶・焙烙(ほうろく)・陶器の盆・等を用いて、おがら(麻の皮を剥いだ茎)を燃やします。地域によってはローソクに火を灯します。地域格差は有りますが、火が燃え切った後に「迎え」の時は外〜家内に、「送り」の時には家内〜外に向かって、火の消えた後を跨いで「迎え」「送り」の動作をします。共に順廻りに三回跨ぎ越え、内に迎えた・外に送ったと想います。
ちなみに京都で有名になった「大文字焼き」は送り火の一つの形態です。