暦の上では既に春だが、未だ冬の名残が残るそんな午後。


『3月3日』



「卓人、俺だ。入るぞ」

コンコンと、ノックの音にも何処か几帳面さを窺わせ、篠宮は卓人が篭っているであろう美術室のドアを開ける。
篠宮の予想通り其処に卓人は居たのだが、侵入者の気配に全く気付く素振りも見せず、眼前のクロッキー帳に黙々と全神経を集中させていた。
そんな様子に篠宮は、軽く苦笑を浮かべつつ、木炭を動かし続ける卓人の背後を作業の邪魔をしないようにそっと通り抜け、窓の傍へと歩みを進めた。
陽が差し込む窓の桟に身体を軽く預け、手にしていたリボンのかかった包みを傍らの机にそっと乗せる。
まだ暫く誕生日プレゼントは渡せそうに無いなと、卓人の様子を横目で伺いつつぼんやりとそんな事を考えてしまう。



今日は三月三日。
世間では桃の節句なのだが、篠宮にとっての三月三日という日は、友人の岩井卓人の誕生日であるという認識の方がはるかに強い。
だが、昨年は岩井の誕生日を祝おうとすると、この日は『桃の節句』というのを良い事に、甘酒を片手に(数名の生徒は確実に甘酒以外の酒を口にしていたが)何かと世話を焼かせてくれる寮生達がどうにも篠宮を解放してはくれなかった。いや、正確に言えば篠宮が、そんな風に羽目を外した寮生たちを見過ごせなかっただけなのだが…。そのおかげで、卓人の誕生日内に祝いのプレゼントを渡し損ねてしまったという苦い経験がある。
何故か卓人の誕生日にはやけに拘る自分が居るなと、篠宮はうっすら感じては居るのだが、篠宮はその『卓人の誕生日に拘る理由』を無意識の内に追求しないでいた。

そんな前年の経験を踏まえ、今年こそはきちんと日付が変わらぬうちに卓人へ祝いの気持ちを伝えたいと思い、放課後すぐに篠宮は、弓の練習へ赴く前に美術室へと立ち寄ったのだった。





室内に途切れる事無く流れ続ける木炭を滑らせる音。
あまりにも静か過ぎて、いつもなら気が付かないであろう音にすら、神経を知らずに集中させてしまう。
耳に届く音に軽く麻痺感を覚え始めた頃、先程包みを置いた机の上にクロッキー帳が数冊、無造作に置かれていることに気が付いた。
ちょっとした好奇心で、数冊のクロッキー帳の中から一冊を手に取り、一枚一枚ゆっくりと慎重に薄手の紙をめくっていく。
どのデッサンも、力強く的確に、その物が此処に在るかのような存在感で紙の上に描きとめられている。

「うーん…」

芸術に疎い自分ですら、卓人の絵には何時だって圧倒される何かを感じる…と、思った途端、ふっと感嘆の息が漏れてしまい、篠宮は慌てて卓人の方を見遣った。
だが、卓人には何も聞こえていないのか、相変わらず神経が篠宮の方に向く事は無かった。
その様子にホッとしつつも若干の疎外感を覚えつつ、篠宮はまたクロッキー帳のページをめくる事に没頭していった。





それから少しばかり時間が経った頃、ふと、卓人の手の動きが止まる。
長い時間同じ姿勢を保っていた為に緊張している首を解そうと、ゆっくりと卓人が首を廻らせた時、視界の端に篠宮の姿が飛び込んできた。

「…篠宮…?いつから其処に…」

問いかけに篠宮が応える気配は無い。

「寝てる…のか…?」

卓人はゆっくりと、篠宮が居る窓際へと歩みを進める。
窓の桟に軽く腰掛ける形になっている為、普段なら若干卓人よりも目線の高い篠宮をいつもと違う角度で見下ろす事になってしまった。


いつだって厳しい視線を湛えている瞳は、閉じていれば随分とあどけない表情になる。
密で長い睫毛は、篠宮の健康的ではあるが日に焼けていない白い肌に濃い影を落とす。
薄く開いた唇は、普段の厳しい口調が嘘のようにしどけない。


篠宮の唇にまで視線が降りたとき、普段の篠宮の色気無い、しかも高校生とは思えないような落ち着き払った口調を思い出して、卓人は思わず吹き出しそうになった。何とか手のひらで口を覆い実際に吹き出してしまう事態だけは免れたが…

しかし、その後篠宮の手元にずらした視線が、篠宮の手に握られている物を認識して、ぎょっとする。

「この…クロッキー帳は…」

確か前半のページまでは、静物を対象とした何の変哲も無いデッサン画の筈だった…しかし後半のページは…

篠宮の指が、クロッキー帳の中程のページに挟まれてある事に気が付いて、その指が挟まれてあるページをそっと卓人は開いてみる。
其処には卓人が見られる事を恐れていたデッサン画は無く、何の変哲も無い石膏像のデッサン画が描かれていた。

篠宮には見られていない。

その事実にホッとし、思わず天を仰ぎ長い息を吐き出してしまう。
篠宮の手からそっと、気付かれないように細心の注意を払いつつクロッキー帳を抜き取ると、卓人は先程開いた石膏像のデッサン画の次のページをめくった。

そこには、弓を構え的を見据える篠宮の凛とした力強い立ち姿が、今にも弓が放たれるかの様な精巧さで描かれていた。

それ以降、どのページをめくっても表情やポーズは違えど描かれている人物は全て同じ。
よくもまぁこのページまで辿り着かなかったものだと、篠宮の無意識であろう行動にまで鈍感さを覚え、妙に感心してしまう。
そして、絵を見ながら居眠りをしてしまった篠宮の行動が、難しい本を読んでいる内に眠気に襲われてしまった子供のようで、ひどく可笑しく、愛しかった。

卓人は、先刻クロッキー帳を取る為に握った篠宮の手を改めて自分の手のひらで握り締める。

篠宮の温もりにただ、愛しさだけが込み上げる。
その衝動に抗いきれず、卓人は篠宮の自分とは違う硬さを持った指先にそっと唇を落とした。

無上の敬愛を込めて。







「…この鈍さは…ある意味…賞賛モノ…だな」

「…何が…賞賛モノなのだ?卓人」

篠宮が、覚醒したばかりの目をしばたかせ、ゆっくりと卓人を見上げる。

「い…いや、このプレゼントが…その…俺の誕生日を覚えてくれていたんだなと…お前の記憶力に…賞賛を…」

返ってくる言葉を意識してなかった独り言に逆に答えを求められて、卓人は思わず、普段なら絶対に使わないであろう言い訳を口に出してしまった。しかも、自分の誕生日なんて、このリボンのかかった包みを見て、たった今気がついたばかりだというのに…。

「そ、そうだった!!卓人!!今日はお前の誕生日だからと思って…その…早くお祝いをしたくて美術室まで来たというのに…。俺とした事がすっかり寝入ってしまっていたみたいだな…すまない」

そう言って篠宮は、心から申し訳ない顔をして頭を垂れる。

「いや…俺の方こそ…お前が来てくれた事に…気が付かなくて…すまない」

本来ならば、篠宮の来訪に気が付かなかった自分の方こそが責められる立場であるのにと、卓人は俯いた篠宮の肩にそっと触れた。
自分の肩に触れた卓人の手に、何故か心拍数が跳ね上がるのを篠宮は感じる。そんな自分がいたたまれなくなって、篠宮は、つい乱暴に傍らの机に置いていた包みを卓人の方へと差し出した。

「誕生日、おめでとう。卓人」

「…ありがとう…篠宮。嬉しいよ…」

「だが…その、俺はこういうプレゼントを選ぶのがどうも下手で…お前に喜んでもらえるかどうか判らないのだが…」

「…お前のくれるものは…何時だって俺を…満たしてくれるから…」

そんな卓人の言葉に若干篠宮の目が見開かれ驚きの表情を彩るが、すぐに憎らしいまでに真っ直ぐな邪気の無い笑みを卓人に向ける。

「それは、俺としても嬉しい。これからも良き友人として、末永くよろしく頼むな、卓人」



今は只、その残酷な言葉に笑うだけしか出来なかったけれど…



END…なのか…?(笑)

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岩井さん、お誕生日おめでとうございます!!
なのに、微妙に幸せな感じがしなくてごめんなさい(土下座)そして、相変わらず煮え切らないラスト!!
岩篠、かなり幸せになっていただきたいカプだったりするんですが、私が書くと(描くと)妄想すると、どうもイタイ感じがします。
元々、両思いになる前の関係のシチュが好きだったりするんで、ついどちらかに片思いをさせがちなのです。
いや、本当は両思いなのにお互い気が付いてない感じ…というのが正しいかな?
あーー・・でも、なんだかんだでエロ好きですヨ(笑)

そして、自分美術のことがどうにも良く判らないので何かと色々間違えてる可能性が大で…(イタタ)
調べて書けばよかったと、相当後悔中…というか、自分の無知をひけらかして恥ずかしい…。
か…軽く笑ってやっていただけると幸いです…。

なにはともあれ、岩井さんお誕生日おめでとうございました!!(汗)
これからも篠宮さんに思う存分世話を焼かせてやってください(笑)