『ほのぼの系』…お題No.76:早く会いたい 岩篠


『春思』



「もう、随分と片付いたね」
お邪魔かなと思いつつも、手伝おうと思ってきたんだけど、どうやら必要なさそうだ。そう掛けられた声にふと顔を上げると、目に入ったのはがさがさと騒ぐ大きなコンビニ袋を下げて笑う、スーツ姿の長身。すみません、お気遣いを。
「しかし・・・、我ながら驚きました」
言いながら見回すのは、あの学園を卒業してから今までの数年を過ごした、アトリエを兼ねた古い戸建ての部屋。その壁際に置かれているのは小振りのスーツケースと、クロッキーブックや愛用の画材等が詰まった、小さな革張りのトランク。ソレにカンバス用の大きいトートバッグが、ヒトツずつ。ソレと、その三つを幅でも高さでも倍以上も上回る程の量の、カンバスやらスケッチブックやら。その、余りにも対照的な様子に、受け取った差し入れのPETの蓋を開けながら、ふたりして苦笑。筆は遅い方ではナイとは思ってましたが、まさかこんなにも描いていただなんて。そうだね、こう見るとかなりの量だ。ええ。
「・・・意志は、変わらないかね」
「すみません」
いや、謝るコトじゃナイよ。君の人生、君の才能だ。でも正直言えば、惜しい。惜しくてたまらない。PETを置き、カンバスの山から取り出すのは、6号程の一枚。昔から君の技量は高かった、しかし暗めの色調が残念なコトに、その技術を飲み込んでしまっていた。しかし最近は、色が非常に良くなった。タッチもこう、同じ激しさでありながらも、優しさも滲む様になって。筆の一筋、ナイフの一線も、生き生きとしていて。言いながら、ざらりと絵の具が盛られた表面を優しく撫でる、手。この色、この質感、本当に素晴らしい。きっと私だけではナイよ、君の引退を惜しんでいるのは。ありがとうございます、しかし。
「ダメなんです、やっぱり」
窓から入る、少し春が滲んだ風に髪を揺らしながら、微苦笑。絵を描くコト自体はもう、苦痛でも何でもありません。寧ろソレに、喜びや楽しみを見いだすコ
トも出来ます。でも。
「でもやはり、俺は金の為の絵は描けない」
こんなの、我侭だしキレイ事だとも思います。生きて行くには、必要な事だとも。でも俺は、カンバスを金には出来ない。塗り込んだ絵の具と想いを、金銭に変えるコトは出来ないんです。判っている、だからこそ君の絵は素晴らしいんだ。
「後のコト、申し訳ありませんが宜しくお願いします」
「任せてくれ、この絵達は私が責任を持って管理し、処分する」
そして私が必要経費を取った後の売り上げは全て、私の名前で母子家庭を支援している団体に寄付をする。そうだったね。はい、俺と同じ様な境遇で、したいコトが出来ずに苦しんでいるヒト達の役に、少しでもなれば、と。判った、引き受けたよ。
「コレからは、ナニを」
「知り合いを頼って、地方に行くつもりです」
問い掛けには、柔らかい微笑。そして手に取る、一枚の小さなカンバス。ソコには大きな百合の花を肩口に乗せて、凛とした表情を浮かべた青年が、木炭で描かれている。ソレは『抽象画家』岩井卓人が、まだ父親の影に隠れて無名だった頃からずっと描き続けている、人物の姿。世間には全く発表されない、公私ともに親しい河本ですら滅多に目にするコトの無い、本当にプライベートなデッサンやラフ絵にしか登場しない、存在。名前も素性も判らない、でもいつだってとても丁寧で柔らかいタッチで描かれている、青年の姿。
「こっちへ来ないかと、もう随分と前から誘われてるんです」
実家が神社だそうで、部屋は幾らでもあるからと。だからソコを間借りして、絵画教室でもしようかと思いまして。良いね、君らしい選択だ。ありがとうございます。
「俺自身の絵も・・・、描き続けるつもりです」
売るコトはもうしませんが、仕上がったら写真を送ります。言いながら、先程のカンバスをトートバッグに大切にしまう、横顔。ソコに滲んでいるのはとても穏やかで、幸せそうな色合い。虫が良いとは思いますが、宜しければ見てやって下さい。勿論、いや、見せて貰えるなら私がソコまで行くよ。では待っています、アイツと一緒に。ソコまで話したトコロで、開け放たれた窓から聞こえる、タクシーのクラクション。その音に導かれる様にして立ち上がり、どちらからとも無く交わす、固い握手。
「では息災で、岩井くん」
「ありがとうございます、河本さんもお元気で」


「・・・ああ、もう全部終った」
あの家も引き払ったし、絵は全て河本さんが引き取ってくれた。後のコトも任せて、頼んである。ナニ?ヒトリで出来たのかって?失礼だな、きちんとヒトリでやったよ。携帯から聞こえる、相変わらずの心配性な口調に、くすりと苦笑。今から空港に向かう、便は夕方だ。え、迎え?良いよ、自分で行ける。大丈夫、住所は判っているから。判った、判ったから。
「じゃあな、夜に逢おう」
いつまでもアレコレと、口うるさく言う言葉を無理矢理に押さえ込み、電話を切る。ソレからタクシーの窓を細く開けて、流れ込む柔らかい日差しと空気に、ふっとヒトイキ。そして。
「・・・早く、逢いたい」
視線の先、早咲きの花に浮かんだ横顔に、またヒトイキ。篠宮、早く逢って、お前を描きたい。そう脳裏で呟きながら、携帯をカバンにしまい、代わりに取り
出す使い込まれた、クロッキー帳。その薄い紙をぱらぱらと捲り、どのページにも描き込まれている人物の姿に、微笑。そうだ篠宮、お前に逢いたい。お前を描きたい、お前と沢山ハナシをしたい、お前の笑顔を沢山見たい。そして、そして。


お前に告げたい、この気持ちを。


『春思・・・春に思う事。春の思い。春心(大辞林 第二版より)』


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・・・篠岩っぽいけど、岩篠です(笑)
現時点ではまだ『おかわりっ』やって無いんですけど、前作では臣と同じくらいに、岩井さんシナリオは良いシナリオだったと思ってます。ナンかホント、ドラマティックで。でもイチバン良かったのは、実は河本さんで(笑) いやあ、好みですv(ましゃ)