「・・・動くなよ」

まあ元々食べ物だからな、特に害はナイとは思うが。でも暴れたりすれば、痛い思いをするかも知れない。ガキの菓子とは言えども、案外固いからな。そんな囁きと共に、アイツが手に取ったのはテーブルに置いてあったコルクの蓋を持つガラス製の容器。次いで蓋のコルクを、きちっと言う音を立てつつ歯で外した後、ぷっと床へと吐き飛ばし、ざらりと傾け中身をシーツへと零す仕草。その様子を、不自然に両手を拘束された姿のままで見つめる俺。そんな俺に向かい、

「ああそうだ、そうやって口を開けて良いコで待ってろ」

言いながら、長い指先でつまみ上げるバラまかれた粒達の中でもひと際鮮やかな艶を放つ、ネオンピンクのゼリービーンズ。だがそうは言われても、今の俺の口には丸められたネクタイが目一杯に詰められている。そんな菓子を入れる場所など、ドコに。そう思った刹那、ずるりと抜かれた口のネクタイ。しかし。

「あっ、な、かじまっ!?」

俺の顔の前、まるでそのカタチを人工的な色をしっかりと確認させるかの様に翳された後、ふっと息だけの笑いを零しつつ粒を持ち直した指先。しかしその手が伸びて来たのは何故か、上顎や舌先に残る今まで押し込まれていた布の感触に咽せる俺の口元ではなく、片足を立てた体勢でシーツに投げ出していた、先程までの行為の余韻にすっかりと脱力しきっている脚の間。その動きに、ぎくりと凍った背筋。ざっと脳裏を走った、嫌な温度と手触りを持った想像。反射的に後ずさった腰、閉じようとする両脚。だがソレよりも早く、俺の両脚の間に割って入って来たアイツの身体。次いで体重を掛けた肘でぐっと押し開かれる、付け根の辺り。そして感じた、そうやって晒された奥まった箇所にくっと押し当てられた後、未だ残っていたのだろうアイツの澱の手助けを受け、ぬるりと俺の体内へと入って来た小さく固いモノの感触に思わず、引き攣った声を上げる俺。


『Juicy Jungle 』


別に特別な意味があった訳じゃナイし、何かを期待していた訳でもナイ。大体こんなコト、何かのついでで知った本当の『バレンタイン』と言う日の意味から
は完全に外れているとも思っていた。ただ(男子校だと言うにも関わらず)、周りが余りに騒ぐから。だからどんなモノなのかと、外出したついでに興味本位
で覗いてみた、華やぎ賑わう菓子店の軒先。すると幸か不幸か、ソコにあったのは想い人に渡すつもりなのだろうか、居並ぶ女性達からの視線を受けつつも綺
麗な黄色いリボンを掛けた小箱をしっかりと持ち、会計の列にと並ぶ後輩の姿。その顔が、見つけた俺に向かい少しはにかんだ様な色合いの笑みで小さく手を
振る。そして、

『え、チョコを買いに来たんじゃナイんですか?篠宮さん』

帰る場所は、どうせ同じ学園の寮。なので少し離れた場所で何となく、待つとは無しに待っていた俺。すると小さな紙袋を手に走って来た顔が零したのは、少女の様に大きな目をぱしぱしとさせながらの、そんなヒトコト。ナンだ、俺てっきりそうだとばかり思ってたのに。言いながら、俺が腰を降ろしていたガードレールに同じ様に腰を降ろしながら、かさりと持ち直す紙袋。その様子を見つめつつ、掛ける言葉。てっきりって、伊藤、お前俺が一体誰にチョコレートをあげると思って。すると、間髪入れずに返って来たのは。

『誰ってそんな、中嶋さんでしょう?』

ソレとも、他に誰かいるんですか?だったら俺、ちょっとびっくりですけど。などと言う、聞いたこっちが後悔をする程にきっぱりとした口調でのヒトコト二言。その、余りにハッキリと口から零された名前に思わず、変にどぎまぎ。馬鹿なコトを言うな、どうして俺が中嶋にチョコなんぞを渡さなければ。大体、アイツは自他共に認める極度の甘いモノ嫌いではナイか。そんな中嶋にチョコレートだなんて、嫌味以外の何物でも。言いながら、ついっと逸らす視線。胸で反芻する、己の言葉。そうだ、どうして俺があんな、ドコまでも自己中心的で人の気持ちなど全然全く理解しようとしないヤツに、チョコレートなどを渡さなければならない。ソレにアイツとて、伊藤くらいに愛らしい相手ならば兎も角、俺みたいなオトコからチョコを貰っても嬉しくもナンともナイだろうし。そう、内心で噛み潰す苦い呟き。零す、小さな吐息。別に己を卑下する訳つもりはナイ、伊藤をやっかんでいる訳でもナイ。でもやはり、自分にこういうコトは似合わない、柄でもナイ。だから、だから。そんなコトを、伏せた視線のまま脳裏で転がしていた時。

『でも、幾ら甘いモノが嫌いでも、コレだけは別だと思いますよ』

バレンタインのチョコ、貰って嬉しくナイ人はいない。ってかチョコに限らず、恋人からの贈り物を喜ばない人は、絶対いないんじゃナイかって。俺はそう思いますけど、どうですか。違いますか?篠宮さん。言いながら、そっと詰める俺との距離。次いでその動きにつられ、思わず上げた俺の視線に視線を合わせ、柔らかく笑いながら囁く顔。だから買いに行きましょうよ、チョコ。そしてひょいとガードレールから飛び降りた後、片手で俺の手を取り、もう片方の紙袋を下げた手で指すのは、未だに人気が引かない例の店。きっと貰ってくれると思いますけど、でも万が一貰ってくれなかったら俺が責任持って引き取ります。だから行きましょう、篠宮さん。いや、でもやはり。中嶋さん、確かにちょっと問題が多い性格だけど。

『だけど自分の大事な人からの気持ちを足蹴にする様な、ソコまでヒドいコトが出来るヒトじゃナイと思います』
『・・・どうして、そう思う』

そんな問い掛けに返るのは、彼らしい明るい笑み。だって、そんな人だったらきっと、王様は中嶋さんを傍には置かない。幾ら仕事が出来てもナンでも、自分の片腕にはしない。呟き、再び大事そうに胸に抱え直す紙袋。俺はそう思います、だから大丈夫。伊藤、お前。そして結局、まだまだ幼い様でも案外と人を見る目には長けている後輩のヒトコトに焚き付けられ、人が途切れた廊下の隅でナンとなく渡してみた、薄いアルミのケースに入ったビターチョコ。すると、

『・・・下らん』

お前までこんなバカバカしいイベントに踊らされるとは、呆れてモノが言えない。すると案の定、返って来たのははあっと言う大袈裟なため息と低い声。しかし渡したチョコは、そのままアイツのブレザーのポケットへと消えて行った。その意外な反応に、内心で少しどきり。嘘だろう、伊藤はああ言ったが、でも俺としては絶対に突き返されると思ったのに。そう、手にした書類を眺めつつ早足で去って行く背中を見つめ、ふっとヒトイキ。しかも更に驚くコトに、そうやって渡したチョコを(苦手故に時間は掛かったらしいが)アイツは全てヒトリで食べ切り、その後もどういう訳かチョコが入っていたアルミのケースをシガーケース代わりに使い、いつも持ち歩いていた。だからある日、聞いてみた。甘いモノは嫌いじゃなかったのか、ソレにそのケース、いったいどういうつもりで、と。しかし例のアルミケースから取り出した愛飲の紙巻きを口に銜えつつ、アイツが返して来たのは、

『・・・確かに、甘いモノは好きじゃナイ』

だがだからと言って食べ物を簡単に粗末にする程、俺は育ちが悪い訳ではナイ。言いながら、ライターの炎でじりっと焦がす先端。次いでソレを置いた指先でケースの蓋をかつかつと叩きつつ、紫煙と共に吐き出す尤もらしい様ならしくない様な理屈を乗せた呟き。ソレからコレは、ソフトケースは本数が減って来ると中の紙巻きが折れたり曲がったりして気に入らない。かと言ってボックスも、ごわごわしてかさばるから好きじゃナイ。ソコにたまたま、丁度良い大きさのケースが出て来た。だから使っている、ソレだけだ。その言葉を、イマイチ腑に落ちない気持ちで聞いていた俺の鼻先に漂った、相変わらずの煙草の匂い。だがその苦い煙の中に確かに感じたのは、微かなカカオの甘い香り。そして気付く、ある事実。大きさが丁度良かったから使っていると中嶋が言うアルミのケースには、元はチョコレートが入っていた。だから幾らチョコレート自体はソレなりに包装紙に包まれていたとは言え、ドレくらいの期間チョコレートが入っていたかは定かではナイが、でも容れ物であった以上はそのケースにも多少なりとも、チョコレートの匂いが移る。そしてそんな容器に紙と枯葉と言う、比較的匂いを吸収しやすい材質で出来ている紙巻き煙草を入れればどうなるか。結果は最早、言わずもがなだ。ソレは決して強い匂いではナイ、いやソレどころかケースが元はチョコレートの容器だったと言うコトを知っていなければきっと決して判らない、気付かない位に僅かな匂い。だが普段から常々、アレだけ甘いモノは嫌いだと公言して止まない中嶋なのだ。そんな中嶋が、この匂いに気付かない訳がナイ。なのにどうして、このケースを煙草入れなどに使うのだろう。その時、俺の脳裏にさっと走った過日の伊藤の『バレンタインのチョコ、貰って嬉しくナイ人はいないんじゃナイかって』と言うヒトコト。だったらつまり、そうなのだろうか。伊藤が言った通り、そう言う意味でアイツはあのケースを使っているのだろうか。だとしたならば、そうだとしたならば。そんなコトを頭の片隅で考えつつ、日課の夜の点呼を続けていた時、

「篠宮」

背後から聞こえた、自分を呼ぶ低い声。なので声の方へと顔を向けると、ソコにいたのは見慣れた怜悧な銀縁眼鏡を掛けた顔。その余りのタイミングの良さに、変にぎくりと強張る内心。しかし相手は、そんな俺の胸の内なぞついぞ知らずと言った風情でゆっくりと脚を進めてこちらへと近付いて来て、そしてすっと差し出して来た掌からざらりと、俺が手にしていた点呼用のクリップボードの上に落とすのは幾粒かの、所謂『ゼリービーンズ』と呼ばれている独特のカタチをした色鮮やかな砂糖菓子達。でもこちらには、自分がソレを受け取らなければならない理由が皆目判らない。なので訝りの視線と共に理由を問うと、返って来たのは。

「・・・やっぱり、結局は相変わらずか」

お前にしては随分と気が利くコトをすると感心してたが、やはりアレは気の迷いと言うコトか。そんな、彼らしいちくりとしたヒトコトと、コレも彼独特のひくりと片眉を上げて唇の端だけを曲げて作るひやりとした笑み。次いで伸ばした指先でコツコツと叩き示すのは、クリップボードに挟まれた名簿の隅に書き込まれている『3月14日』と言う文字。しかしやはり、この日付と渡された砂糖菓子との関係がイマイチ理解が出来ない俺。だから再び問い返そうとした時、

「ホワイトデー」

そんな俺の言葉を遮る様にして囁かれた、アイツのヒトコト。その言葉に、ようやく『ああ』と、合点が行った声を上げる俺。ああそうか、そう言われれば確か、バレンタインの対にそんな日があった様な。そんな俺の様子を、やれやれと言わんばかりの苦笑と共に見つめる顔。零れる、相変わらずの悪口(あっこう)。全く、察しが悪いにも程があるな、この唐変木。そして、

「・・・まあ良い、とにかくそういう訳だから」

だから後で俺の部屋に来い、コレの残りをくれてやる。そんな言葉を、不意にくいっと抱えていたクリップボードを引っ張られたせいで、息が掛かりそうな程に間近になった距離で低く囁いた後、こちらの肩をとん、と押し返す様にして払いするりと歩き出す長身。その背に向かい、掛ける声。え?あ、おいっ、残りと言うのはナンだっ。しかし返ったのは、来れば判ると言う短いヒトコトと、ひらりと上がった片手のみ。なので思わず、その背を追い掛けようと返す踵、進める爪先。しかしそうやって踏み出そうとした一歩は、引っ張られた弾みでやや傾いていたクリップボードから廊下へと、かつん、と音も高く落ちて来た一粒のオレンジ色のゼリービーンズによって阻まれ、そしてその一粒を手に拾い屈めた視線と腰とを上げた時には既に、あのすらりとした長身は廊下の奥の暗がりの中へと消えていた。なので思わず、手にしたゼリービーンズをきゅっと握りながらはあっと洩らす重い息。当てなく彷徨わせる、眼差し。そんな俺の足元に再び落ちる、目が痛くなりそうな程に鮮やかなピンク色をした一粒。