「…雪だ…」

 部屋のあちこちに無造作に積まれたキャンバスの、埃を払っていた手を止め、篠宮は美術室の窓枠の向こうの微細な変化に眼を遣った。

 「…道理で…底冷えがすると…思っていた…」

 篠宮の言葉を受け、同じくキャンバスの整理をしていた岩井がその手を止め、篠宮の投げる視線の先の舞い踊る白い欠片を確認する。
 その存在を確認した途端、ぶるりとシャツの下の肌が粟立つ。
 掃除の為に開け放っていた窓を閉めてしまおうと、岩井は無心に雪を眺める篠宮の、隣の窓へと近づいた。
 『閉めても良いか?』と確認する為、岩井は何気なく篠宮の方へ視線を滑らせたが、その確認の為の問いは、岩井の脳内のどういう伝達回路を通ったのか、思わぬ形で口から発せられた。

 「…可愛いな…篠宮…」

 きっとここが、丹羽などがいる騒々しい教室内だったなら、聞き逃してしまうぐらいの幽かな呟きだったのだが、あいにくと二人しか居ない、狭く静まり返った美術室。喧騒が嫌いな岩井がいつも好き好んで篭り、叶うのならば此処で生活をしても良いと思う程、静かな場所である。

 「そうだな、卓人。白くて小さくて…」

 篠宮は何かを勘違いしているようだと、岩井はそっと心の中で呟くが、篠宮が可愛いのとは違う意味で雪が可愛いのもまた真実だろうと思うので、あえて詮索はしない。

 「こんなに儚い…」

 片手を宙に差し出し、窓から軽く身を乗り出した篠宮の、指先や手のひらや髪の毛、身体の至る所に雪は舞い落ち、やがて姿を消す。姿を消しては新しい雪が舞い落ち、新たな輝きを宿す。

 「このままじゃ…お前の方が…消えてしまいそう…だな…」

 くすりと笑いながら、岩井は篠宮の立つ窓際へと身を進める。

 「馬鹿を言うな。俺みたいな頑丈な男が、雪に当たったぐらいでそう簡単に消えるものか」

 浪漫もへったくれもなく、若干紅潮した顔で岩井に不満を投げる篠宮は、普段の大人びた表情からは想像が付かない子供じみた感情の起伏をあらわにさせている。

 「…ほっぺたが…膨れている…」

 そういいながら、ちょんと篠宮の頬を突っつく岩井は、完全にこの場の主導権を握っている。岩井が篠宮の頬を一つ突っつく度に、篠宮の顔の赤みが増していく。何処まで赤くなるのだろうかと、またついついひとつ突っつく。

 「い…いい加減にしないか!卓人っ…!!今は美術室の大掃除をしているんだぞ!!遊んでいる暇はないっ!」

 遅まきながら我を取り戻したのであろう篠宮は、楽しそうに自分の頬を突っつく岩井の人差し指から、ようやく開放された。

 だが生憎と、まだまだ主導権はこの部屋の主の手が掴んでいる。

 「……最初にサボったのは…篠宮の…方だ」

 ぼそりと核心を突く岩井の言葉に篠宮は、自分が先に雪に気をとられて掃除の手を止めたことを思い出させられた。

 「確かに…俺が先に掃除を止めたんだったな、すまなかった」

 ぷいっと横を向き、斜め下の床に視線を落としながらバツが悪そうに謝罪の言葉を口にする篠宮は、いつもの篠宮の行動とは明らかに反する、益々子供じみた仕草であった。
そんな篠宮に堪えきれず、岩井の口からはくすくすと笑いが漏れる。

 「ひ…人が謝ってるのに何がおかしいんだ!!」

 『篠宮が可愛かったからだ』との真実を告げると、益々機嫌を損ねてしまいそうだったので、岩井は、まぁまぁと両手を胸の前に挙げ、ふっと窓の外を見上げた。

 「雪…積もると良いな…そうすれば…ホワイトクリスマスだ…」

 「え??」

 どうやら篠宮は、岩井の『クリスマス』という単語に驚き、素っ頓狂な声をあげてしまったらしい。

 「…今日は…世間一般で言う…クリスマスイヴ…だ。…多分…」

 「そ…そうだったのか……あっ!!」

 何かを思い出したように、また篠宮は声をあげる。

 「…どうした…?篠宮…」

 「い…いや…その…言いにくいのだが…」

 「篠宮…らしくないな…。はっきり…言ってくれて…いい…」

 篠宮が何かを言い澱む姿は、めったにお目にかかれないので、正直岩井も何事かと構えてしまう。

 「…プレゼントを…何も用意していないんだ…」

 「…そうか…」

 岩井が言葉少なく返したものだから、篠宮は益々自分の迂闊さに自己嫌悪に陥る。対して岩井は、何だそんなことかという意味で放った言葉が、篠宮に自責の念を募らせてしまう結果に及んでいるとは到底考え付かない。

 「……恋人になった…お前からの…初めてのクリスマスのお誘いは…『卓人。美術室の大掃除を今日明日中に終わらせるぞ』…だったな…」

 しみじみと、短いため息をつきながら語る岩井の言葉は、ただの喋る時の癖であるにもかかわらず、岩井の意に反して重く篠宮に響く。岩井にしてみれば、この重たくなった雰囲気を払拭する軽い冗談のつもりだったのだが、そこはまだまだ、恋人になって日が浅い二人である。友人としてならば、取るに足らない言葉でも、まだ恋人としての経験値が浅い二人には、微妙にすれ違いを起こすには十分な威力を秘めていた。

 「俺は…本当に気が利かないな…すまない、卓人」

 今度は視線を逸らさず、真っ直ぐに岩井の目を見つめる。

 「…じゃぁ………でも…してくれ…」

 岩井がポツリと、若干目線の高い篠宮を見上げて何かを呟いた。

 「何だ?卓人、ちょっと聞こえなかったんだが…すまない。だが、何でも遠慮なく言ってくれて構わない」

 襟首を正して岩井の言葉を待つ篠宮に、岩井は身を寄せぼそりと耳元で囁く。

 「キッ…キス…!!!」

 「…そんなに…驚く…ことなのか…?」

 岩井は、間近で篠宮の大声を聞いたものだから、一瞬ぐらりと世界が歪んだ気がしたが、それ以上によろけた篠宮が、キャンバスに足を引っ掛けて、先ほど整理したばかりの整然と並んでいたキャンバスをなぎ倒し派手な音を立てた。その思わぬ大きな音で、何とか岩井自身が倒れる事は免れた様子であった。
 岩井は、己の身代わりとなって派手に倒れたキャンバスを一瞥し、篠宮に最終決断の時を迫る。

 「…嫌…なのか…?…篠宮…」

 そう言って、諦めようと視線を篠宮からはずした瞬間、軽くだが確かに岩井の唇に篠宮のそれが重なった。

 「…嫌なわけないだろう!!」

 そういい残すと篠宮は、大股で岩井の前を横切って美術室の扉の方へと歩いていく。

 「待て…篠宮…」

 「何だ、卓人」

 それでも篠宮は岩井の方を見ずに、美術室のドアに手をかけたままだ。

 「…俺からも…させて…欲しい…」

 篠宮からの返事はなかったが、後ろを向いたままで肩を震わせ、耳まで真っ赤にしている姿を見ると、言葉少ない岩井の言ったことが、今度はどうやら正確に理解できているらしい。

 「…篠宮…」

 少しずつ距離を縮め、篠宮の背後に立つ。
 それでもなかなか岩井の方を見ようとしない篠宮に、若干焦りを覚えた岩井は、思わず篠宮の肩に手をかけようとした、その時…

 「判っている…卓人。…してくれ…いや、して欲しい…」

 そう言うと、岩井の方を向き、黒く凛とした瞳を目蓋で覆う。
 小刻みに揺れる濃く長い睫毛と薄く開いた岩井を待つ唇がやけに扇情的だ。

 「篠宮…」

 お互いの唇が触れ合い、角度を変えて口づけが深くなる。



 クリスマスは、まだ、これから。


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甘い感じに岩篠で。
岩井さん相手の篠宮は乙女だーという心意気で。あと、啓太相手でも乙女モード発動すると思う。逆に漢モードは、中嶋や丹羽相手の時。と、いつも言ってますか、すみません。

このお題にしてはめずらしく『×篠宮』ですね。ほとんど→篠宮だったので(反省)
私が『→篠宮』を書くことが多いのは、多分きっと篠宮が誰かを好きすぎて夢中な姿を見ると、ジェラるからです、私が(笑)あと、何処か篠宮にキラキラ夢を見すぎてる所為かもしれません。
こ…こんな危ない事言ってますが、ちゃんと虚構と現実の区別は付いてるつもりですよ!!(笑)