―1―

 あちらこちらから聴こえる笑い声、椅子を引く音や床を大げさに鳴らす足音。平和な、いつもの昼休み。そんな日常の昼下がりを打ち破ったのは、様々な雑音を切り裂くように響き渡った、女子の甲高い悲鳴とガラスが割れる音だった。

 「なんだなんだ?」「どうしたんだ??」などと口々にその悲鳴の聴こえた方に生徒たちが集まりだす。悲鳴の張本人と思われる女子は、背の高い男子生徒から覆いかぶさるように姿を隠され、最早スカートから投げ出された脚しか見えない。男子生徒の背中にはきらきらと鋭い切っ先を曝け出したガラスの破片が散らばっている。
 二人の傍らには、騒動の原因を作ったであろう野球のボールが転がっていた。

「あ…や…山本く…」

 男子生徒の下で姿の見えなかった女子生徒の、微かな嗚咽の混じった声が野次馬の生徒達の元にも届く。その声にようやく、覆いかぶさっていた男子生徒は女子生徒から身体を離し身を起こした。

「大丈夫か?」

 山本と呼ばれた男子生徒が、未だに震えの止まらない女子生徒に向かって宥める様に声をかけ、怪我は無いかと様子を伺う。その問いに女子生徒はこくこくと首だけ動かし大丈夫であると山本に告げる。
 大丈夫だと頷きながらも、女子生徒の目には山本の頭部から流れる赤い血が否が応にも飛び込んで来て、寧ろその流れ出す血の量に気を失ってしまいそうになるのを堪えるのがやっとだった。
 そうしている内に、階段をばたばたと駆け上がる音がして、野次馬の間を縫って数人の男子生徒が騒動の中心に駆け込んできた。

「わ…わりぃ!!大丈夫か??飛ばしすぎた!!」

 慌てた様子で山本と女子の所に駆け寄った様子をみると、この男子生徒達が昼休みに楽しんでいた野球のボールが、運悪く校舎内に飛び込みこの騒動のきっかけを作ったらしい。

「お前らかーコイツ飛ばしたの。ま、特大ホームランかっ飛ばすのはいいけどよ、時と方向を考えよーぜ。当たったのがオレだったから良かったけど、女の子に傷つけちまったらそれこそ取り返しつかねぇからよ」

 ぼたぼたと流れ落ちる血を自分のシャツを脱いで丸めて押さえながら、慌てた様子の男子生徒に向かって山本は苦笑交じりの笑顔で話しかける。

「あ…ああ。本当にごめんな山本」

 もっとあからさまな怒気をぶつけられる事を覚悟していた男子生徒は、山本の口調と表情に若干気が抜けたのか、目の前に血を流す山本を見ても何処かホッとした様子さえ伺える。

「まぁいいって!それより…ほら、ここ片付けとけよー、もうそろそろ授業始まるし…」

 そう言って山本はシャツで押さえた傷口を血を吸い上げてないシャツの白い部分に向きを変え押さえなおす。その仕草にようやく山本の頭部から流れる血に神経が向いたのか、男子生徒はおろおろと山本の周りで慌てはじめた。

「だけどお前…その怪我…誰か山本に付き添って…」

「あー!大丈夫だって!!こんなん大げさに血ぃ出てるだけだしよ、オレ一人で行って来っから心配すんなって!もうチャイム鳴るし」

 と、その男子生徒に最後まで言わせぬままに、山本は野次馬の間を掻き分けながら、シャツを脱いで血を抑えている所為で上半身を剥き出しにした姿のまま、階下の保健室へと歩みを進めていた。
 その様子に周りの生徒たちは不安な表情を残しながらも、次は口うるさい社会科の教師の授業だったという事に思いが至る。
 教師が来る前に片づけを済ませてしまおうと数人が手分けをして、ガラスの破片をかき集める為に箒を、廊下に落ちた山本の血を拭う為に雑巾をそれぞれ忙しなく動かし始めた。




―2―

「わわっ…とっ!!やっぱちょっとふわふわすんのなー」

 階段を下り終えた山本は、流れた血の所為か若干足元がふらつく感覚を覚えながらも目的の保健室へと到着した。そこには男は診ないと公言してはばからない、保険医とは名ばかりの殺し屋兼獄寺の師匠である男が居る筈だ。

「おっさんが居た所で診てもらえるかどうか怪しいんだけどなー…」

 と、渇いた笑いを伴いながら保健室の前で山本が独りごちて居ると、いきなり中から引き戸を引いて、その保険医が姿を現した。

「なーにてめぇは血の匂いさせながらぼーっと突っ立ってんだ」

「えっ!?おっさん中に居んのに俺の血の匂いとか判んの?すげー!!」

 会話が微妙に噛みあわない中、おっさんと呼ばれた保険医が「おっさんじゃねー、シャマルだ」とこれまた噛みあわない答えを返しながら、保健室の中へと山本を促す。

「…どーしたんだその怪我は……」

 男なんて面倒だと思いながらも、山本はリボーンのお気に入りだし、何かあったらこっちの身が危ないとシャマルの中で素早い判断を下す。
 男を診るなんて少々不本意ではあるものの、くるくると回転する小さな椅子に山本を腰掛けさせ、半裸になっていた身体にはブランケットを被せてやり、傷口を押さえていたシャツをそっと剥ぎ取り怪我の具合を確認する。
 傷が浅いのが幸いしたのか、大げさに流れ出していた血も今はほぼ止まりかけていた。

「んー…野球のボールが飛んできて避けきれなくってさー」

 頬を人差し指で掻き、ばつが悪そうな笑みを浮かべながら山本はシャマルの質問に答える。
 しかし、質問を投げかけたシャマルは、そんな山本の様子を見て、ため息を一つひっそりと落とした。

「まぁおめぇの事だからどーせそこら辺を歩いてた生徒にボールが当たりそうだったのを代わりに庇って怪我したってトコだろ?自分に向かって飛んで来た物なら、おめぇの反射神経があれば避けきらねーって事は考え難いからな」

 確信を持った口調でシャマルは山本に問いかける。その問いがあまりにも山本が負傷した状況を的確に言い当てていたものだから、山本は思わず感嘆の息を漏らしてしまった。

「…スゲーのなおっさん…何でそんな見て来たように判んだ?」

「あたりめーだ。オレは…そうやって命を落としたバカを何人も知ってるからなぁ」

 ただ、シャマルが見て来た人物と山本の決定的に違う箇所は、山本の場合はその対象が誰であれ、目の前に危険にさらされた人物がいたとすれば、それが見ず知らずの人物であっても己の身を省みずに投げ出してしまう危うさだった。

「そーいやぁおめぇ…ここまで一人で来たのか?誰か付き添わせりゃ良いものを…」

 確かに傷は出血程酷くも深くも無かったが、それはあくまでも結果論であって、あの出血ならば、誰か一緒に付き添わせて肩の一つでも借りながら保健室に運び込まれてもおかしくは無い有様だった。
 それなのにきっと山本は、誰の手も笑顔でやんわり大丈夫だからと、煩わせる事も縋る事もせず、ここまで一人で歩いて来たのだろう。

 まだほんの14の子供の癖に、あらゆる事に先回りし気を遣い過ぎる性分を本人は気づいているのだろうか。そう考えるとシャマルは、目の前のこの年頃にしては大きな身体を持った山本が無性に、酷く頼りない可愛い存在に思えてきてしまった。

「そういやぁ…隼人達はどうした?あいつらもおめぇを見捨てて一人で保健室に追いやったのか?」

 ここまで山本を頼りない存在に思わせたのは、常ならば傍に居る筈の弟子と、その弟子が敬愛するボンゴレ10代目の姿が見当たらない事にも起因するのではないだろうか。
 シャマルはそう無理やり、己が目の前の少年に抱いた説明し難い感情に何らかの理由を付けようと試みた。

「ん…ツナと獄寺は日直で、次の授業に使う地図を資料室に取りに行ってたからさ…オレが怪我した事も今頃知ったんじゃねーかな…」

 心配してなきゃいいなーと、ここまで来ても己の心配でなく他人の心配しか口にしない山本に、シャマルは言いようの無いもどかしさを感じ、山本の剥き出しの素肌に掛けたブランケットを落としてしまう勢いで、気が付いた時には山本の身体を己の両腕できつく抱きこんでしまっていた。

「お…おっさん??」

 普段、男なんて気色悪い生き物触れたくもねぇなんて吹いて回っているシャマルの姿を知っているからこそ、そんな男の腕の中に自分が納まっている今の状況が想像の範疇を超えてしまって、山本は身じろぎもせず、そのままシャマルの腕の中で固まる事しか出来ずにいた。

「おめぇ…たまには誰かによっかかったりしねーのか?今だってよぉ…こんなイイ男に腕回されりゃあそのまま胸板に身体を預けちまうってのが世の常だろーが?」

 言いながらシャマルは、己の程よく筋肉がついた胸を山本の頬に押し付けてくる。
 その白衣越しの胸の熱と鼓動が、思いの他熱く速く山本の頬に伝わり、それにつられて山本も体温が上昇するのを止められずに居た。
 山本の耳元を直接叩くシャマルの鼓動と己の早鐘を打つ鼓動とがない交ぜになって、既にどちらのものか判らないほど、山本の全身が脈を打つ感覚に支配される。
 出血後の疲労感と、己が他人の腕に包み込まれるという、常とは違う状況が合いまり、熱に浮かされた身体は皮肉にも、シャマルが先程山本に問うた状況へと自然に追い込まれていた。

「…おっさん…オレ…どーしちまったんだろ…急に身体の力が抜けちまって……」

 腕の中、うっすら上気した頬と潤んだように見える瞳で告げる山本に、シャマルは己が、とんでもなく厄介な人物に情を傾けかけているのを感じずには居られなかった。
 こんなガキでしかも男なんかに…とうとうヤキが回ったかと自嘲気味な笑いを零しながら、それでも生まれながらのプレイボーイと言って憚らない己の姿を取り戻し、腕の中の山本をそっと横抱きにし、保健室の簡素なベッドへと身体を向ける。

「おめーは…もうちっと誰かに甘えたり身体を全て委ねてみる必要があんだよ…」

 そう言いながらシャマルは、腕の中で横抱きにした山本を一度己の方にきつく寄せ抱きしめる。
 そして、いざベッドの上に山本を横たえようと思った矢先、保健室の扉が勢い良く音を立て開け放たれた。

「山本っ!!怪我したんだって!?」

「こんの野球バカっ!!10代目とオレが居ねぇ間に勝手に怪我なんかしてんじゃねー!」

 騒々しい声と共に、先程シャマルが思いを巡らせた弟子と、弟子が敬愛するボンゴレ10代目が勢い良く、先程まで二人の物だった空間に飛び込んできた。

「って!?山本ー!?」

「んなっ!?おい、シャマルてめー!何時から男まで毒牙に掛けるようになっちまったんだ!?つか、山本から手を離せ降ろせ!」

 普段は毒づいてる獄寺が焦りの所為か山本に対する本音を垣間見せる。その姿にシャマルは、たまに獄寺が自分に持ちかけてくる、恋であろう相談事の相手の特徴が、全て山本に一致しているという事実に今更ながらに気が付いた。

「ほ〜〜…そういう事か隼人」

 ニヤニヤと面白いものを見たという顔で、獄寺の焦る顔を楽しむシャマルに獄寺は尚も怒りが収まらない。
 寧ろそのまま山本を抱き直して離さないものだから、益々獄寺の焦燥は増すばかりだ。

「獄寺、おっさんはオレが血ぃ足んなくてフラフラしてっから運んでくれてたんだ。っと…オレ重いのに…おっさんゴメンな」

 そう言いながら、山本は先程までシャマルの胸に大人しく収まっていた身体を翻し、ストンと床の上に降り立つ。その際に若干足元がふらついてしまったのを今度は獄寺が見逃さず、己の方に引き寄せる様に乱暴に受け止めた。

「っ…とと!!すまねぇ獄寺!!」

身体の大きい山本を身体の小さい獄寺が力一杯引き寄せたものだから、思わず獄寺の身体ごと保健室の壁にぶつかってしまいそうになる。それを間一髪で、山本の長い腕が壁に届いて獄寺との間に空間を作り、獄寺は壁に衝突する事から免れた。

「…野球バカの癖に変な気ぃ回してんじゃねーよ…!!こういう時はなぁ、大人しく寄っ掛かってくりゃいーんだ」

  ぶっきらぼうに言い放つ獄寺に山本は、その言葉の内に獄寺なりの不器用な気遣いを感じ、胸の奥から温かいものが湧き上がってくる。

「ははっ…やっぱおっさんと獄寺って師弟なのな…同じ事おっさんにも言われた」

 その山本の発言にシャマルと獄寺はついつい顔を見合わせ、訳のわからないため息を同時に落としてしまった。

「ありがとう…おっさん、獄寺、ツナ…。オレ皆が居るからそんだけで寄っかかる場所があるっつーか……心配かけちまってごめんな…今度から気ぃ付けっから…」

 そう言って笑う山本は、その笑顔こそが誰をも自然と寄りかからせ安堵させてしまう温かい存在なのだと気が付いて居るのだろうか。

 その笑顔が絶えぬ様にと願うのは、山本の為なのか自分自身の為なのか。

 どちらにせよ、山本が最後に頼る存在は己であれば良いと、師匠と弟子はそれぞれ同じ思いを抱きながら顔を見合わせ、唇の端だけを上げた笑みで宣戦布告を果たしたのだった。





**********

まさかのシャマル+獄寺→山本です(笑)
最初はシャマ山の予定だったんですが、獄寺が思わず参戦です。
山本が一杯一杯な時は二人なりのやり方で、そっと受け止めてくれるようなそんな安心できる存在てどうかなーなんて。
シャマルは大人の包容力で甘えベタな山本を甘えさせ、獄寺は気の置けない本音をぶつけ合える相手として素の山本を受け止める存在といいますか?

あー、ど…どっちとくっつくかは、神のみぞ…!

相変わらず御礼にならない代物でしたが、ここまで読んでくださってありがとうございました!