あかし 「……あ………伊藤…」 ひそめられたため息が篠宮の唇から漏れた。 「あっ…篠宮さん、ここですか? 」 「……そこ…」 「気持ちいい…ですか?」 すこし傾いで合間から見える篠宮のうなじが、白く熱をはらんで匂いたつ。 さらりとかかった艶やかな黒髪に映え、引き寄せるように誘う。 ……いけない…駄目だよ――。 伊藤啓太は、その肌に唇を触れないよう押し留め。 耳もとに近づけると抑えた声で訊ねた。 ほんのり上気した端正な顔を覗き込んで、探りあてた指の動きを強くする。 「……ああ……いい…。うまくなったな…」 うっとりと心地良さそうな横顔を見せる篠宮。 俺の手で篠宮さんが喜んでくれている――。 それが嬉しくて、啓太は、大きな瞳を輝かせ笑みこぼれた。 「本当ですか? ありがとうございますっ。 篠宮さんが大会で留守している間も練習しましたから。 ――スポーツマッサージ。 和希が練習台になってくれて。成瀬さんに指導してもらって…」 「…そうか」 「本当は肩や腕だけじゃなく、全身にしてあげたいんですけど…」 篠宮は寮の自室でベッドに腰掛けて、ベストを脱ぎシャツの上のボタンを外し。 くつろいだ状態で啓太のマッサージを受けていた。 後ろで膝をつき、啓太が薄手のタオルを掛けた篠宮の肩を丁寧にもみほぐす。 ……なめらかな伊藤の手指の動きは、じつに気持ちが良い。 しかし、練習に付き合ったという賑やかな二人の様子が目に浮かぶ。 なぜか何時も忙しない遠藤は、伊藤のマッサージを受け至福に浸っていただろうし。 成瀬にいたっては、教える手が肩や腕だけに留まっていたか怪しいところだ。 俺のために、技術を身に付けようとする伊藤の気持ちは有難いのだが…。 行き交う複雑な思いに篠宮は手を伸ばして、啓太の手を止めさせた。 「いや。肩と腕だけで十分だ。ありがとう。 伊藤にこんなことまでさせて…すまない」 「なに言ってるんですか、篠宮さん。 俺、すこしでも篠宮さんの役に立ちたいんです。 他に出来ることもないし。 今回みたいに試合が遠くであると応援にも行けないから…」 「俺は、伊藤のその気持ちだけで有難いぞ。だから無理をすることはない」 「無理だなんて、そんなことないですっ。 俺、篠宮さんに傍にいて、こうして触れていられるだけで…。 すごくうれしいんですから。それに……。 大会前は集中したいからって、しばらく篠宮さんに夜、会えなかったし。 だから、練習の後にマッサージさせてもらうひとときが、すごく楽しみで…」 「……寂しい思いをさせてしまったのだな」 BL学園の三年の篠宮紘司は、寮長と共に弓道部の部長を務めている。 篠宮が入学の際認められた特技は弓道で、昨年は全国大会で二位の成績を収めた。 そして今年度の全国大会が、伊勢で開催された。 弓道部員を引き連れ、大会に参加した篠宮が学園に戻ったのは、五日ぶりだ。 学園に着いたのはすでに夕食の時間帯で、あわただしく所用をすませ。 一段落つけ風呂から戻ると、想いを交わしてまだ浅い一年の伊藤啓太が訪ねてきた。 ――数日ぶりに目にした伊藤の笑顔は眩しく心に沁みて。 離れていた時間を余計に強く感じた。 お疲れさまでしたと労われ。マッサージをしたいという伊藤の申し出を断れず…。 ……そうだな、大会前に二人きりで会う時間はあまりなかった。 今のように夜、俺の部屋に伊藤が訪ねてくると…。 そのまま帰すことは出来そうになかったし。 仕方のないこととはいえ、悪いことをしてしまった…。 ツクリと痛んだ胸から小さくため息を吐いた篠宮。 背中に触れるマッサージをしていた二つの手から熱が伝わってくる。 背後で身を寄せる啓太の小柄な体を自分の前へと引き寄せた。 微笑む啓太。愛らしい表情が切なくて。 捉えた腕に手をかけたまま、篠宮は啓太を映す黒い瞳を曇らせた。 「そんな顔しないでください。 篠宮さんが良い状態で臨んでもらえたの、すごく良かったなって思ってます。 今年の大会でも、篠宮さん凄かったですよね。 おめでとうございますっ。 個人競技男子の部で、一位を取ったと聞いて、本当に嬉しくて。 俺、出来ることなら、大会で篠宮さんが頑張ってる姿、見たかったです」 「そうだな…ありがとう、伊藤。 今回は俺もいい弓が引けて良かったと思っている」 ふわっと篠宮が笑った。 ――篠宮さんの笑顔だ。 嬉しくてたまらないのに…抑えていたはずのモヤモヤした塊が胸を突く。 交じり合わない想いがせめぎ合う。急に苦しくなって啓太は顔を歪めた。 「どうした? 伊藤?」 「…篠宮さんにはもちろん頑張って欲しいです……。 でも篠宮さん、すごく強くてカッコいいから皆に注目されてるんだろうなって。 俺が見ることの出来なかった篠宮さんの姿を。 皆が目に焼き付けていたんだ…。 そう思ったら、とても遠い人になっちゃった気がして…」 「……伊藤」 「俺だけのものだったら、なんて。 篠宮さんが頑張ってるのにそんなことを考えている俺が、すごく嫌で。 でも……篠宮さん。 篠宮さんも、すこしは俺のこと、考えてくれましたか?」 くい入るような眼差し。啓太のこぼれそうな瞳は潤んでいて。 ふわふわと髪がはねる啓太の頭に、篠宮は大きな手を置く。 目元を緩ませて啓太を覗き込み、ゆっくりと心のうちを言葉にした。 「ああ、お前が応援してくれている。 そう思うと体の中心が温かくなって力が湧いた。 俺が力を出せたのは、伊藤のお陰だ…」 「篠宮さんっ」 力強く温かい言葉に胸がいっぱいになって――。 啓太は、弾けたように篠宮の胸へ飛び込んだ。 勢いに押された篠宮は倒れこみながらも啓太を受けとめ、愛しく見つめる。 篠宮に包まれ、溢れ出る喜びで啓太が破顔した。 「篠宮さん、大好きです!」 「ああ…俺もだ」 「うれしい、篠宮さん。 でも…出来たら、ちゃんと言ってくれませんか?」 好きだ、伊藤…。 そう告げた唇を啓太が指でなぞると、篠宮ははにかんだように微笑んだ。 すべらかな白い頬が仄かに色づいていて。 篠宮さんが頬を染めて俺に好きと言ってくれる……。 駆け巡る想いで、啓太は眉を切なげに寄せた。 両手を投げかけ、篠宮をぎゅっと抱きしめる。 ――篠宮さんが欲しいです。 篠宮の首筋に顔を埋め、啓太がくぐもった声で呟く。 そのまま、ぷちぷちとシャツのボタンをはずし、肌蹴た胸に手を差し入れた。 手のひらに直に触れる、逞しく張りのあるなめらかな肌。 ゆれて伏せ気味になる長い睫。 あ…という形に解けた濡れてみえる唇。 顎から鎖骨にかけて、しっかりと美しい線をみせる白い喉。 仄かに篠宮の匂いが混じる石鹸の香りが立ち上って。 押し付けるようにして重ねた体に、どんどん熱が膨らんで、火照ってくる。 綺麗です…篠宮さん。耳もとまで唇を這わせ、うっとりと啓太が囁いた。 「伊藤――」 久しぶりとはいえ…性急で積極的な…。伊藤の様子が明らかにいつもと違う。 篠宮は戸惑ったように、首にかじり付いた啓太の肩をつかんだ。 蒼い光を閃かせ、熱っぽく潤んだ瞳が訴えかけてくる。 小首を傾げ篠宮は覗き込んだ。 「どうしたんだ?」 「篠宮さん……篠宮さんは俺のものですよね?」 「…まあ…そうだな」 「だったら、証明してください。 俺、篠宮さんが俺のものだって――あかしが欲しいんです」 「…あかしだと? 伊藤は信じていないのか…?」 哀しげに篠宮の形の良い眉がすうっと寄せられる。 悲しませていることよりも、啓太はその艶を刷く様に目を奪われた。 「そうじゃない……ですけど。 これはすごい我が儘だって。頭では、分かってます。 篠宮さんは俺を大事にしてくれるし、俺をちゃんと見てくれているって。 すごく俺のこと、可愛がってくれる。 もう俺、幸せなんだけど――。 もっと…だなんて、欲張りだって。 それに篠宮さんは心も体も綺麗で男らしくて。 年下の俺なんかじゃ、及びもつかない。 …そう思ったけど。でも、篠宮さんへの想いは抑え切れないんだ。 篠宮さんのすべてが俺のものだって。俺、体でそれを確かめたいんです」 「…体?」 「はいっ。だから…俺、篠宮さんを抱きたい。 篠宮さんを――俺にくださいッ」 …抱きたい? 俺に体を開けと――!? 伊藤が…………俺にか…。 晴天の霹靂とはこのことか。予想だにしない啓太の求めに篠宮は衝撃を受けた。 伊藤がそんなふうに俺を欲しがっているなんて。 思いもつかなかった…。 しかし、追い討ちをかけるように真剣な啓太の眼差しが篠宮を揺るがす。 が……可愛い伊藤がここまで思い込んでいるんだ。 恋人として受けとめてやらなくて、どうする。 年下でいくら可愛い姿かたちをしていても、伊藤だって男だ。 好きな人間を抱きたいという衝動もあるだろう…。 欲しいなら、俺は何でもしてやりたい。 それが、あかしになるのなら――。 ひとつ頷くと篠宮は、熱を帯びきらめく啓太の瞳を見つめて告げた。 「ああ。俺のすべてはお前のものだ」 「篠宮さんッ!!」 啓太の叫び声とともに飛びつかれ、倒されたベッドの上に黒髪が乱れ落ちた。 愛してます。 俺の篠宮さん。 みんな俺のものなんですね。 綺麗だ…。 繰り返し啓太の愛らしい唇からこぼれる囁きと。 熱く降り荒れるキスの雨に埋もれて――篠宮は。 腕いっぱい受けとめた熱情に、確かな想いが満ちるのを感じた。 End **************************************** こちらの作品は、灰にゃんこ様が私の描いた啓篠イラストにちなんで書いて下さった啓篠小説です(感涙) もうもう、灰にゃんこ様の大大大ファンな私は、こんな勿体無い、でも嬉し過ぎる幸せにこのまま昇天しそうな勢いでした。 啓太の事を愛してるからこそ全て受け止めたいと思い、啓太に身体を任せる決心をした篠宮。これでこそ篠宮ですよ…! 可愛い伊藤の頼みは、きっとどんな事をしてでも叶えてあげたいと、いつも思っている筈ですから…!(笑) こんな風に啓太に甘い篠宮、大好きです! そして、本編の篠啓でも、かなり啓太は篠宮の身体に欲情していたので、こうなる日も近いだろうと、啓篠スキーは妄想していたのでしたが、 灰にゃんこ様のおかげで、私の妄想以上の素晴らしい啓篠をこの目にする事ができて、本当に幸せですvv このたびは、とても二人らしい啓篠をどうもありがとうございましたvv もうもう、これからも灰にゃんこ様の作品を色々と楽しみにしています〜vv |