初花−はつはな−



 深く冷たい夜の闇の中を、男が歩いていた。
ゆっくりと、それでいてしっかりとした足取り。
 黒いロングコートを纏った長身の姿。闇に浮かぶシルバーフレームの眼鏡を掛けた、冷たく整った面。
 凍えそうな真冬の寒気を、眉一つ動かすことなく受け流す。
 自身が発する冷たい気が、闇に吹く真冬の風をも寄せ付けない。
 ベルリバティースクール学生会副会長中嶋英明には、真冬の夜の闇がよく似合う。
 その姿も、その性も、冬を支配出来るのでは無いかと思うほど、刃物のように鋭く美しく、冷酷で強かった。
 学園の校舎から、寮へと向かう道。
 学生会の仕事に追われ、今日もすっかり遅くなってしまった。
 その事については、別に何とも思わない。
 ただ早く部屋に帰りたかった。
 『帰りたい』……そんな事を思うようになったのは、ここ一年ほどの事。
 両親は共働き、姉は歳が離れている。そんな家庭で育った中嶋にとって家とは、ただ単に「寝に帰る場所」であって「帰りたい場所」ではなかった。帰りたい場所など、欲しいとも思わなかった。
 それなのに……。
 思いも掛けず手に入れた帰りたい場所は、日々自分を捕らえ、優しく絡め取っていく。
 もうすぐ寮の玄関と言う所で、中嶋の目の端に、白い影が飛び込んできた。
 中嶋は思わず足を止めた。


 無言で自分の部屋のドアを開ける。
 部屋の中は明るく、丁度いい温度に温められていた。
「中嶋、お帰り」
 洗濯物を畳んでいた篠宮が顔を上げた。癖のない艶やかな黒髪が、さらりと揺れた。
「ああ、ただいま」
 膝の上の洗濯物を素早く畳み終えて立ち上がると、篠宮は中嶋の鞄を受け取った。
「寒かっただろう。食事はどうした?」
「一度、寮に帰ってきて食べた」
 寮の食堂は空いている時間が決まっている。
 今日は比較的仕事に余裕があったので、一度戻って食事を取った。余裕がない時なら、食べないで仕事を続ける。電話一本すれば、篠宮が何かを作って持ってきてくれる時もある。
「そうか。夜食代わりに何か作ろうか?」
 篠宮は受け取った鞄を机の脇に置き、中嶋がコートを脱ぐのを手伝う為に、一歩近づいた。
「いや。別にいらん。それより篠宮、手を出せ」
「えっ?」
 怪訝な顔をしながらも、篠宮は両手を差し出した。
 その手の上に、中嶋が右手に持っていた物をそっと置く。
「これは?」
 篠宮が目を丸くする。
「前に好きだと言っていただろう」
 篠宮の手の上に、筒咲きの白い椿の花が一輪。
「ああ。良く覚えていたな」
 忘れられるか。
 その話を聞いたのは、初めて篠宮を抱いた次の朝の事。
 今でも鮮明に覚えている。いつも凛々しい篠宮の、しどけなくも美しい後朝の姿と共に……。
「中嶋……ありがとう」
 はにかんだように微笑む篠宮の初々しさに、中嶋は目を細めた。
「生けてくる」
「待て」
 バスルームの方に行こうとした篠宮の手首を掴む。
「後にしろ」
「えっ、しかし……」
「すぐには萎れないだろう。それよりも」
 掴んだ手首を引き寄せ、篠宮が持っている椿の花を取り上げる。
「俺を温めろ」
 机の上に放り投げるように花を置くと、篠宮を抱きしめた。
「お前は……」
 呆れたような篠宮の声。
 中嶋の腕に手を掛け身体を離すと、今度は篠宮が中嶋の顔に手を伸ばした。
「まったく……」
 両手で頬を包み込む。
 凛々しい眉が顰められる。
「どうした?」
「冷たい」
 そう言うと篠宮の方から、中嶋の唇を塞いだ。



 篠宮の手が中嶋の肩をさする。背を撫でる。
「く……ふ……ぁっ」
 中嶋に貫かれながらも、篠宮の手は中嶋の身体を暖めるようにさすっていく。
「紘司」
 すぎるほどの快楽に意識をとばしながらも、中嶋を暖めようとするかのように這う篠宮の手。
 愛しいと、唯ひたすらに愛しいと思った。
「紘司……紘司」
 愛しさの中で呼ぶ名前。
「は……ぁ……英明。う……英明……」
 返ってくる自分の名が、何よりも尊い物のように聞こえた。



 眠ってしまった篠宮の傍らからそっと抜け出し、側にあったナイトガウンに袖を通しながら、バスルームに向かう。
 バスルームから出てきた中嶋の手には、水の入ったコップが握られていた。
 机の上に置いた椿の花を手に取る。
 手折ったときのまま、萎れている様子もない。乱暴に置いたのに、どこも崩れていない。
 たおやかな姿の割には丈夫な花だ。
 中嶋はコップの中に、枝を無造作に突っ込み机の上に置いた。
 篠宮がこの花を好きだと言った時、中嶋は篠宮とこの花は似ていると思った。
 白い椿の花。
 凍てつくような寒さの中で強く美しく咲き、美しい姿のまま潔く地に落ちる。地に落ちて尚美しい冬の花。
 その身に中嶋英明という冷酷で容赦のない男を、強くしなやかに受け入れ、背徳の関係に堕ちても、なお気高く美しい篠宮。
 だから日々囚われる。たまらなく惹かれ、優しく絡め取られる。
「今年初めての花だな」
 ゆっくり振り返るといつの間に眼を覚ましたのか、篠宮がベッドからこちらを見ていた。
「そうだな」
 机から離れ、ベッドに腰を下ろす。
 篠宮の頬にそっと触れる。
「今年も、綺麗だ……」
 嬉しそうに微笑む篠宮に、つられるように中嶋も薄い唇に笑みを浮かべた。
「ありがとう。嬉しかった……。お前が俺の言ったことを覚えてくれていたことが……」
 少し照れたようにそう言うと、篠宮はまた目を閉じた。
「ああ」
 白く穢れることなく、いつも誇り高く美しい。だからこそ……。
 −手折りたくなる−
(俺のものだ)
 篠宮の頬に触れる手は、優しいのにどこか冷たい。決して芯から暖かくなることは無いかのように。
(誰にも渡さない)
 篠宮の唇をそっと塞ぐ。
 その魂の全てまでも、手に入れようとするかのように。
 
 凍えそうな冬の夜が、熱く激しく更けようとしていた。

終わり

     

わーん!甘い二人が最高です(男泣き)
こちらは、篠宮の会主催『篠宮生誕会』での聖京様のフリー創作であります!
まるで新婚さんのような中嶋篠宮に寒さも吹き飛んでしまいます。
白い椿の花を篠宮にたとえた中嶋の言葉に、一言一句頷いてしまいました!
白く穢れる事が無いからこそ手折りたくなる!わ・・わかりますとも、中嶋さん(笑)
きっとこれからも、篠宮は中嶋の心も身体も捕らえて離さないと思いますv
本当に、こんなに幸せな中篠をどうも有り難うございましたvフリー万歳!