午前6:45のプロローグ
午前6時15分。
いつもより早く設定した目覚ましを止めると、俺はパジャマのまま窓から階下を見下ろした。
寮の花壇には思った通りの人物がジョウロで花壇の花々に水やりをしている姿。
昨晩も遅くまで仕事をしていたせいで少し眠かったが、彼の姿を見た途端に眠気も吹き飛び、気分が高揚するのを感じた。
早く、行かなければ。
洗面所で素早く身支度を調え、着替えを済ませると、姿見の前に立った。
ふと思いつき、きっちり締めていたネクタイを弛めて、少し曲げてみる。
ドアに鍵をかけると、俺は足早に部屋を立ち去った。
階段を急いで一気に駆け降りた。ロビーを抜けて、寮のドアを開ける。
良かった、まだいた…!
ドキドキと、柄にもなく高鳴る鼓動を抑えつつ、静かに歩み寄る。あえて声をかけずに、その姿を眺めた。
繊細な横顔。長い睫。薄く開いた唇。
全てが俺の目の前にあって、俺だけのためにあるような気がした。
声をかけようかと思っていると、気配を感じたのか、彼が顔を上げた。
俺の姿を捉えた途端、その瞳が優しくなった。
漆黒の艶やかな髪が朝の陽射しを浴びてキラリと光る。
「おはようございます、篠宮さん」
年下の遠藤和希の声で呼びかける。
「おはよう、遠藤」
穏やかな笑顔で俺を見る、その眼差しは良き先輩であろうとする姿勢の表れか。
それも仕方のない事かもしれない。俺はあくまでも一年生。三年生の君にとってはただの後輩の一人だ。
「しかしずいぶん早起きだな。遠藤はいつもこの時間に起きているのか?」
「いえ、今日は何となく」
昨日の朝、君がここにいるのを偶然見つけた。だから早起きした。
君に会いたくて。少しでも話しをしたくて。
心の中で呟く。
「そうか。でも昨晩も遅かったのに、大丈夫か?」
「あはは…昨夜はすみませんでした」
俺は素直に頭を下げた。
実は昨日は点呼に遅れてしまって、抜き足差し足、こっそりと帰ってきたところを君に見られたんだ。
「笑っている場合ではないぞ。入学してからまだ3ヶ月ほどしか経ってないのにもう何度無断外泊をしたことか…」
と君は溜息を吐く。
今春からこの学園の一生徒になった俺は学業と本業であるこの学園の理事長とベル製薬の所長を兼任する生活をスタートさせた。
だが、二足ならぬ、三足のわらじを履くのは思っていたよりもハードで、当初から無断外泊をしたり点呼に間に合わなかったりする日が続いた。
そんな俺に声をかけてきたのは誰あろう、寮長の君だった。
俺は最終的に入学者の許可をする立場にあるから、君のことは入学した当初から知っていた。
弓道でその実力を認められ、この学園にやってきたこと。
さらに成績も優秀。文武両道な上に品行方正。逸材が集う我が学園でも期待の星だということも。
今春からは弓道部の部長と寮長まで兼任する、「歩く寮則」とまで呼ばれていることも。
そんな君に無断外泊を最初に見咎められたとき、実は少々厄介だと思った。
しかしその考えはすぐに変わった。
何故なら、君は俺のことを損得抜きで、本気で叱ってくれたから。
ただ叱るだけでなく、まるで君は俺の兄であるかのように諭してくれた。
親身になって心配してくれる君の気持ちが、少し乾いていた俺の心に恵みの雨のように降ってきて、俺の心を潤した。
最初はそんなふうに君の人柄に惹かれた。
二度目は和の美しさを持つ容貌と、まっすぐな瞳に惹かれた。
三度目は凛とした中にも甘く優しく「遠藤」と呼ぶ声に惹かれた。
四度目はその全てに恋をしている自分に気がついた。
「もう何度も言ったが、一年のうちから悪い癖をつけると後が大変だ」
「う…だから、もうしませんって」
なるべくならね。
でもどうしても仕方のないことなんだ、ごめん、篠宮君。
「厳しいようだが、お前のためを思って言っている」
「わかっています」
「わかればいい」
本当は年上の俺の正体など露も知らない君は、弟にでも接するかのように優しく微笑む。
俺はこう見えても君よりずっと年上のお兄ちゃんなんだけど、君にこんなふうに兄貴風を吹かされても全く腹が立たない。
それどころか君が俺のいい兄貴であろうと振舞う姿も微笑ましくて、俺はますます君への想いを募らせていく。
本当に…君には敵わないよ。
「ところで篠宮さん、いつもお一人で花壇の水遣りをしてるんですか?」
「ああ。誰がすると決まっているわけではないんだが、気になってしまってな。いつも朝練の前にこうしている」
君が何かの芽に水を撒きながら答えた。
「それは…?」
「これは朝顔だ」
「ああ、それで何となく見たことがあったんですね」
「小学生の時に観察日記を書かなかったか?」
「ああ、そういえばやりましたね! なんだか懐かしいなぁ」
「だろう? これは俺が植えたんだ」
「篠宮さんが? それじゃ成長が楽しみですね」
「ああ」
また君が微笑む。楚々として美しい極上の笑顔だ。
その微笑みを独り占めしたくてたまらないんだ。
「篠宮さん、もし良かったら、なんですが…明日から俺にも花壇の水遣り、手伝わせてくれませんか?」
「遠藤が?」
君は目を丸くした。
そんなあどけない顔もするんだね…。
君の一挙手一投足から目が離せないよ。
「篠宮さん一人じゃ大変でしょう?」
「俺は大変だということはないが、遠藤の方が大変ではないのか? お前はいつも遅いようだし…」
少し困惑しているその顔も、この花壇に咲くどの花よりも綺麗だよ。
君と過ごせるなら、どんなに寝不足だって俺は構わないんだ。
いや、そんな時ならなおのこと、君の柔らかな笑顔に癒されていたい。
想いをこめて、そっと手をとる。
「篠宮さんと一緒にいたいから」
「え?」
君が好きだから……。
告げられない想いを胸の内で呟くと、少し胸が切なくなった。
「俺も篠宮さんと一緒にこの朝顔の成長を見ていたくなりました」
「遠藤…」
君がジョウロを置いて正面から俺の顔を見つめた。
俺の顔にどんな感情を拾ったのだろうか?
ふ、と今までで一番優しく笑って頷いた。
「わかった。遠藤、だからそんな顔しないでくれ。明日から手伝ってくれるか?」
「ええ、篠宮さん」
「遠藤、ちょっとこっちに来てみろ」
急に君の手が俺の手を握り返した。
ドキリ、と俺の胸が鳴る。
「ほら、ネクタイが曲がっているぞ?」
「そうですか?」
「ああ。それにもう少しきっちり締めた方がいい。せっかくの男前が台無しだぞ? ほら、結んでやるから」
「ありがとうございます」
俺のネクタイを結びなおしてくれる、君の伏し目がちな瞳の色。真剣な眼差し。
弓をやっているせいか、しっかりとした骨格の手。間近でみると、弓だこができているのが勿体無いくらい綺麗な指。
君の全てに恋している。
できるならこの腕に君を抱きしめてしまいたい。
想いを募らせる俺。
そんな俺の想いに気がつかない君…。
「さ、できたぞ」
「ありがとうございます」
満足そうな顔も本当に可愛いね。
「明日からは水撒きを少し遅らせよう。…そうだな、7時でどうだ?」
「それじゃ篠宮さんの朝練に支障が出ますから。6時半でいいです」
「そうか? じゃ、間をとって6時45分はどうだ?」
「ええ。じゃあ明日から6時45分に、ここで」
「ああ。遅れるなよ?」
「もし寝坊したら起こしにきてくれますか?」
「こら、子供みたいな事を言うな」
「駄目、ですか?」
思いきり年下の顔をして甘えてみる。
こういう切り札に君が本能的に弱いことを知って利用する俺も俺だけど…。
「仕方ないな。でもなるべく自分で起きるんだぞ?」
「はい! 約束ですよ」
「ああ、約束だ」
うっかりひっかかってしまう君が、本当にとても愛しい。
差し出してきた君の小指に指を絡めながら、俺はとても満たされていた。
明日も君に会える。
お兄ちゃんな顔をしながらもまた結び直してくれる君を想いながら、わざと不恰好にネクタイを結んで行こう。
朝起きたら、君が一番に俺のネクタイを結んでくれる、そんな日が来るまでは。
終
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畏れ多くも黒須さんのサイトの「和希誕生」の和篠イラストを拝見してのイメージ創作です。が、見事に玉砕しました(涙)。
黒須さんの素敵イラストのイメージぶち壊しで申し訳ありません!
タイトル通り、遠藤と篠宮のプロローグ。
ですが、まだまだ片想いの遠藤です。
ちょっぴり切なくポエマーちっくな遠藤ですが、彼は意外とピュアなんじゃないかと思っています。
ちなみに篠宮が花壇の水遣りをしているのはCDドラマより。
さすがは我等が寮長。花壇の水撒きまでしてるなんて、本当に素敵です(^^)
(はづき潤様のコメントです)
(はづき様のサイトですv)
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私はなんて幸せ者なのでしょうか(感涙)
自分の書いた和篠から、このように素敵なお話しを生み出してくださったはづき様、本当にありがとうございます。
イラストのイメージぶち壊しだなんてとんでもないです…!むしろ私のイラストの方がイメージを…(汗)私の絵から…というには
勿体無いぐらいに素敵な創作です…!!
年下の顔で接しながら大人の目で篠宮を優しく見守っている和希。
それゆえに自分の想いを篠宮に伝える事ができない切ない和希の姿がとても印象的で…。
それでも、篠宮の仕草を間近に感じながら小さな幸せを噛み締めてる和希。
大人であるが故の切なさが、こちらにひしひしと伝わってきます。
そして、なんといいましても和希の目を通して描かれた篠宮の愛らしい事!(感涙)
仕草の一つ一つが、ひたむきで真面目な篠宮の魅力が伝わってきますvv
さすが篠受け主食のはづき様!!
和希に乗りうtらセていただきながら、お話しを堪能させていただきましたv
はづき様、この度はとても素敵な贈り物をどうもありがとうございましたv
これからも、はづき様の篠宮への愛に満ちた作品を楽しみにしています!
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