ブラインドの降ろされた薄暗い部屋の中で、パソコンからメール受信を知らせる小さな機械音がした。 ベルリバティスクール理事長室の、今唯一の光源であるパソコンのモニターが映す、受信されたメールのタイトル。 灯りはつけていない。メールチェックの為にこの部屋に戻っただけだから。 「篠宮さん?」 この部屋の主である、鈴菱BL学園理事長が呟く メールの主は篠宮紘司。ベルリバティスクール学生寮の寮長であり、弓道部の部長。面倒見が良く、責任感があり、真面目で堅物と言われている青年。 広島の神社の家に生まれ、家族は祖父母、両親、心臓の悪い弟……。 篠宮の弟が重い心臓病を患っていることを、鈴菱理事長が知ったのは、今学期の初夏のこと。 病状は予断を許さない状態で、至急に移植手術が必要だという。 放っておけない。おけるはずがない。 鈴菱理事長は学園の教師を通じて、篠宮の弟の移植手術を、アメリカにあるベル製薬の研究施設で行うことを、篠宮自身に申し出た。 最新の免疫抑制剤を使うので実験扱いであること。掛かった費用の支払いは篠宮が医者になった後、ベル製薬の研究所で働いて返すこと。 もちろん掛かった費用についての条件は、この生真面目な青年に気を遣わせないようにと、取って付けただけの物。 篠宮はこの条件を、喜んで承諾した。 その日の夕方、食堂で『遠藤和希』が見た篠宮の顔は、いつもよりも明るく、生き生きとしていた。 マウスをクリックして、メールを開く。 『ベルリバティースクール理事長様 三年生の篠宮紘司です。不躾かとは思いましたが、どうしてもお話ししたいことがあり、メールを送らせて頂きました。……』 彼らしい几帳面な書き出しで始まるメールは、弟の手術の成功と、そのことに関する感謝の言葉が書かれていた。 手術の成功とその術後の経過について、担当の医師から報告は受けていたが、こうしてちゃんと知らせてくる篠宮の真面目さが微笑ましく、理事長は丁寧にメールに目を通していった。 穏やかな顔で文面を読み進めていた理事長の目が、最後の一文で止まった。 『少しの時間で構いません。理事長にお会いして、直接お礼を言いたいのです―――』 律儀な彼らしい。 口元に苦笑を浮かべ、理事長はメールを閉じた。 マウスから手を離して立ち上がると、窓辺に向かう。 ブラインドを開けると、冬の鮮やかな夕日のオレンジが、部屋を満たした。 祖父の代からある厳めしい調度が、明るい光の中、柔らかく浮かび上がる。 「さて、どうしようかな?」 苦笑を浮かべたまま理事長鈴菱和希は、篠宮が今頃いるはずの弓道場を見下ろす。 瓦屋根に反射する夕日に、思わず目を細めた。 篠宮の所に返事が来たのは、メールを出した次の日の夕方。 『今すぐなら、君に会うことが出来そうです。都合が良ければ、理事長室まで来てください』 メールを読むなり、篠宮はコートも着ずに寮を飛び出した。 理事長室のあるサーバー棟は近い。厚く黒い雲が空を覆い、今にも雪が降りそうな天気だったが、寒さを感じている暇もなかった。 いつも厳重に施錠してあるサーバー棟の入り口は、全く拒むことなく篠宮を迎え入れた。 (間違いないな) 理事長が自分を待っていてくれる。 中に入って一歩踏み出し掛けたのと同時に、背後で入り口の鍵の下りる音がした。 (……) 振り返って見た扉は、何事もなかったように閉ざされている。 自分だけを待っていてくれている。他の誰にも邪魔されないように。 篠宮は最上階へのエレベータに向けて、足を早めた。 『理事長室』とある扉を、軽く二回ノックする。 『どうぞ』 中から人の声がした。思ったよりも若い。 「失礼します」 裏返りそうになる声を何とか抑え、篠宮は中に入った。 部屋の中にざっと目を走らせる。 誰もいない。 『そこのソファに掛けてくれるかい?』 背を入り口に向けた長椅子が目に入る。 「は、はい」 顔を動かし、辺りを見回す。 マホガニー材の書架の上に、小さな黒いスピーカーを見つけた。 恐らく声はあそこからだろう。 返事のタイミングの良さから、カメラを通してこちらを見ているのかも知れないが、そちらは見つけられない。 それでも納得すると篠宮は、回り込んで長椅子に腰を下ろした。 「えっ?!」 突然部屋の明かりが消えた。 ブラインドを堅く閉めた部屋が、一瞬にして闇に包まれる。 目が見えない。完全な闇だ。 ブラインドだけではここまで暗くならないだろうから、恐らく窓は雨戸かシャッターのようなもので閉ざされているに違いない。 篠宮は慌てて立ち上がり掛けた。 『大丈夫だから、そのまま座っていなさい』 優しく諭す声。篠宮は小さく息をのんでから座り直した。 背後で扉の開く音。 一瞬手元に光が差し込んだが、それは扉が閉ざされることですぐに消えた。 後にはさっき以上の闇。 「良く来てくれたね。篠宮くん」 スピーカーから流れてきたのと同じ声。 「理事長……ですか?」 「そうだよ」 背後から声が近づいてくる。 「振り向かないで、前を見て話して欲しい。私にお礼が言いたいって、メールに書いてくれていたね」 「は、はい」 篠宮が前を真っ直ぐに向いて応えた。 「弟の手術が、無事に終わりました」 生真面目な篠宮は理事長の言いつけ通り、真っ直ぐに前を見て声を出した。 「ああ。聞いているよ」 声が頭の上から聞こえた。恐らく真後ろに立っているのだろう。 「みんな喜んでいます。弟も、両親も、祖父母も。もちろん俺もです。本当に……ありがとうございました。理事長にはなんと言って感謝していいのか分かりません」 「いいんだよ」 篠宮さんが喜んでくれるなら、それでいいんです。 理事長は心の中で呟いた。 「大学の医学部に合格して、立派な医者になります。そして鈴菱の研究所でお役に立てるようにがんばります」 「期待してるよ」 篠宮さんなら、きっとそうしてくれるでしょうね。 思いを込めて鈴菱理事長は、篠宮の両肩に手を置いた。 「寮長と弓道部の部長をやりながらの受験準備で、大変だと思うけど、そちらの方も頼むよ」 「はい。もちろんです」 闇の中でも分かる、篠宮の嬉しそうな返事。 「特に寮長の方は、人数が多い分大変だと思うけれどね」 無断外泊や、門限破りの常連。そんな悪い学生もいるから。 でもね、その学生はとても嬉しかったんだよ。 今まで普通の学校生活、寮生活なんて送ったことがなかったから……。 寮則を破ったと言っては叱られた。食事の時間が終わってから帰れば、仕方がない奴だと呆れられながら、手料理を作ってくれた。 明け方に帰ってくる日が続いた時は、説教二時間コースくらいになるかと思ったら、逆に身体の心配をされて……。 次代のグループ総帥としての自覚を促される注意や、企業トップとしての自己管理の上で、健康に配慮するように言われたりはしたけれど。 こんな普通のささやかなことで、叱られたり、心配されたりしたことなんて無かったから。 「はい、大丈夫です」 力強く応える篠宮が愛おしい。 「……理事長。お顔を見せては頂けないのですか?」 「ちょっと事情があってね。それは勘弁してくれないか」 俺の正体を知ったら、きっとあなたは今までのように、接してくれなくなるでしょう。 だから正体は教えないよ。 今までのように叱って欲しいから。人並みの学生生活を、俺に感じさせてくれるあなただから。 「分かりました」 篠宮は溜め息をつきながら頷いた。 ―――だから俺の正体は秘密。 そんなあなたに惹かれてしまっている事も秘密。 本当はこのままあなたを抱きしめてしまいたいんだけどね――― 鈴菱理事長はゆっくりと篠宮の肩から両手を離した。 「じゃあ、私はこれから出かけないといけないから」 「は、はい。お忙しいところをありがとうございました」 応えはなかった。 再び静かに扉が開き、すぐに閉ざされた。 同時に部屋の灯りがつく。 眩しさにとっさに目を閉じた篠宮だったが、すぐに目を開けて溜め息をついた。 なんだか不思議な会見だった。 もう一度溜め息をついて立ち上がる。 肩にそっと手を置いた。 理事長の手の感触が、鮮明にそこに残っている。耳の奥に闇の中で聞いた、あの諭すような優しい声がいつまでも残っていた。 サーバー棟を出ると、雪が降り出していた。篠宮は足を止めて、空を見上げた。 「篠宮さん、こんな所でどうしたんですか?」 声の方を見ると、一年生の遠藤和希がそこにいた。 ダッフルコートを着て、寒そうに肩をすくめながら駆け寄ってくる。 「あっ、ああ、ちょっとな」 理事長に会っていたことは、誰にも言わない方がいいだろう。 「それよりも、今日はちゃんと夕食までに帰ってきたな」 「たまにはちゃんと帰ってきますよ」 そう言って照れたように頬をかく。 その仕草に、篠宮は思わず苦笑を浮かべた。 「たまにじゃなくて、毎日そうしてくれ」 「努力します」 「……」 「篠宮さん?」 突然黙り込んだ篠宮の顔を、遠藤がのぞき込む。 「篠宮さん、どうかしたんですか?」 「あっ、いや。なにもない」 「なら早く帰りましょう」 「そうだな」 二人は並んで歩き始めた。 一瞬似ていると思った。あの闇の中で聞いた声と、目の前の後輩の声が。 ……気のせいだ。……そう思うことにしよう……。 最後まで決して顔を見せようとしなかった恩人の事を、篠宮は静かに思った。 降る雪の向こうにある遠藤の横顔を見つめ、篠宮は少しだけ目を伏せた。
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こちらの作品は、篠宮の会で開催中の『篠宮生誕会』での元締めさま聖京さまのフリー創作ですv
え・・遠篠です、遠篠〜vv実は、私がまだゲームをプレイする前、
オフィシャルサイトでキャラ紹介だけを眺めてるだけの頃の脳内イチオシカプは、
遠篠と成篠だったりしました(笑)今思えばかなり無謀な妄想で・・・(汗)
しかし、成篠は無理だと諦めましたが、遠篠は諦めなくてもイイ!・・と最近、天の声が聞こえてきます(笑)
篠宮が、和希にささやかな幸せをいつも与えていたんだと思うと、凄く暖かい気持ちにvv
そして、理事長の正体がひょっとしたら判ってるのかもしれないけど、目を伏せた篠宮。
お互いの思いやりとか、そういう暖かい感情を凄く感じましたv幸せです、私!!
元締め様〜v素敵な創作を本当にどうも有り難うございましたvv